Aパート
夏の陽が傾き、底が抜けたように青い夏の空がオレンジ色に染まる頃。
ぞろぞろと道行く人の群れをかき分け、かき分け、わたしは先を急ぐ。
黒塗りに赤い鼻緒のお気に入り。わたし専用の下駄がカランコロンと大きな音を立てるが、かまってはいられない。
浴衣やらなんやら身支度に思った以上に時間がかかってしまって、待ち合わせに大幅に遅刻している。
歩道橋を駆け抜け、ようやく待ち合わせの公園の噴水に到着する。
「愛ちゃん、おそい!」
「ごめ~ん。色々手間取った!」
開口一番、文句を言うふぅちゃんを伏して、拝んで、謝った。
「神凪愛さん、本日はお誘いいただきありがとうございます」
てなことをしていると、ふぅちゃんの後ろから一人の美少女が現れて、深々とお辞儀をした。
「いや、いや、委員長。フルネームとか止めてよ。愛で良いよ」
「いえ、でもそれは。
まだ、わたくしたち知り合ったばかりですし……」
「知り合ったばかりって、4月におんなじクラスになって5、6、7、8月――
もう、半年近くになるじゃない」
「それはそうなのですが……
わたくし、あまり、その、愛さんや風花さんとお話ししたことありませんでしたし……」
「まあね。わたしら、底辺な地味子コンビだから」
「底辺なんてとんでもない!」
ふぅちゃんの言葉に茴木涼子さん――、やっぱ、しっくり来ないから、委員長でいいや。
委員長はふるふると長い黒髪を振って否定した。
「風花さんはとても立ち居振舞いが素敵ですし、愛さんもすごく美しいです!!」
委員長は両手を握りしめ、全力で力説してきた。わたしとふぅちゃんは顔を見合せる。わたしらのようなクラスカースト下位の人種が委員長のようなカースト上位の人にべた褒めされるのは正直くすぐったい。
「愛ちゃんが美しい?!
この地味なメガネっ子が?
しかもツルペタだよ」
「地味なメガネっ子は許すが、ツルペタいうな。てか、そのジェスチャーやめんか!
ちゃんとあるわ。地味なだけよ」
「ふふふ、そのメガネはもしかして3Dメガネかね?どうやら、平面が飛び出して見えるようだね」
むう、この女は……
「あの、あの、そ、そろそろ夏祭りに行きませんか?」
委員長がおろおろしながら提案してきた。
ああ、そうだ。今日は委員長を夏祭りに連れていくのが目的だったっけ。
高校になってわたしはこの町に引っ越してきた。だから、この町の夏祭りは今年が初めてだった。そんな話をふぅちゃんに話していたら、委員長が話に乗ってきたのだった。
『わたくしも夏祭りに行ったことないのです』となんとなく寂しそうに窓の外を見る委員長に、『じゃあ、一緒に行こうか?』と思わず言ってしまった。
後は、まあ、新しい浴衣を着て、公園の噴水で待ち合わせ、てな流れになった。
「そうだね。無駄話やめて、そろそろ行こうか」
ふぅちゃんの言葉でわたしたちは歩き始める。
「夏祭りってなにやるの?」
「特に何ってないんだよね。この公園の特設会場で素人グループがオリジナルダンス見せるとか、ご当地っていうか地下アイドルがミニステージを所々に開設してパフォーマンスを披露する、って感じかなぁ。
ぶっちゃけ、あんましパッとしないわ」
「すみません」
わたしの質問に答えたふぅちゃんに委員長が謝った。何ゆえ委員長が謝るのか、意味がよくわからない。
「何で委員長が謝るの?」
「恥ずかしながら、わたくしの両親がこちらの夏祭りの運営に関わっておりまして、面白くないと評されました風花さんの忌憚なきご意見を賜りましたこと痛みいります。
今回のことは本日、家に帰りましたら両親に必ず伝える所存であります」
「ちょ、ちょっとターイム!」
ふぅちゃんは慌てて叫んだ。
「えっとね、それは去年までの話で、今年はきっとつまると思うのよ。うん、根拠ないけど、すごくそんな気がするの。うん、うん、きっとすごいから!」
「両親は長年、この町のお祭りや他のイベントに尽力しておりましていつも忙しいのです。
なのでわたくし、この手のお祭りごとに両親に連れられて出掛けたという経験がないのです」
「去年とかもやられてるわけですか。うはぁ、さいでございますか」
ふぅちゃんは絶句する。
ふっ、風花、バカな子、自分で傷口を広げているわ……。あーー、腹痛ェ
「それはそうと!
愛ちゃっ! あんた、遅れてきた罰に私と委員長に何か奢りなさい!」
ふぅちゃんの言葉にわたしは口をあんぐりと開ける。
すごいキラーパス来たよ、これ
「えっ!なんでわたしが奢ることになるの」
「炎天下の中でずっと待っていたんだから、喉乾いたし、お腹も空いたわ。奢って当然でしょ。委員長もそう思うでしょ?」
「いえ、わたくしは、それほど……
でも、お友達になにかを奢ってもらったことなどなかったので、少し、ワクワクするというか、ドキドキします」
あ、やめて委員長、そんな期待するような目でわたしを見ないで……
「もう、分かったわ。奢るわよ」
□□□
「それじゃ、私はイチゴ」
「わたくしはレモンにします」
すったもんだの結果、かき氷に落ち着いた。
「愛さんは何にするんです?」
「わたし?う~ん、わたしは」
財布の中身を睨み付け、言葉を濁す。夏祭りはまだ始まったばかり。ここで軍資金を無駄に使うわけにはいかない。ここは断腸の思いで諦める。
「えっと、わたしはいいか――」
「愛さんのはわたしが出します」
「えっ?」
「わたくし、初めてお友だちに奢ってもらえてすごく感激しています。今度は、その、お友達に奢ってみたくて。
これも愛さんに誘われたお蔭ですので、お礼に、ぜひ奢りたいんです」
委員長……なんて良い子なの
じーんと来た
ハグしたいかも
「えー、じゃあミントで」
ミントかよ、と言う声が聞こえたが無視する。チョコミント。『おしながき』にはある。文句は言わせない。
シャクシャクとチョコミントを頬張っていると、委員長がクスクスと笑いだした。
「なに?なにかおかしい?」
「いえ、かき氷の色と浴衣の色が一緒だなって思っただけです」
あー、そうだねー、と言いながらイチゴを口に運ぶ、ふぅちゃんの浴衣は赤地に牡丹。
委員長は淡い黄色に朝顔だった。
わたしのは明るい青に白と濃紺のトンボ。
赤、青、黄色
信号機かよ
「さて、ご馳走さま。んじゃあ、今度はたこ焼き!」
「えぇー、今、かき氷食べたばかりじゃない」
「えっ?ほら、甘いもの食べるとしょっぱいもの食べたくなんない?」
「なんないわよ」
「ェーーーー、なるでしょう。行こ、委員長」
あっ、ちょっ!委員長引っ張っていくな
□□□
「おーー、あったよ。皆の衆」
たこ焼屋を見つけたふぅちゃんは歓喜の声をあげた。
「本当に食べるの?」
「食べる。食べる。夏祭りだよ。限定解除でしょ」
「わたし、もう奢らないよ」
わたしの言葉に、ふぅちゃんはお札をひらひらと振って見せた。
「いいよ。今度は私が奢るよ」
わたしは小さくため息をつく。ふぅちゃんは普段はクールぶってるけどスイッチが入ると止まらなくなる。
「ごめんなさいね。騒がしくって」
隣の委員長に謝った。
「いえいえ、なんかとても楽しいです。でも、良いのでしょうか?
なにか結局、風花さんが一番負担されているように思えます」
「あは、良いの良いの。こーいうのは勢いだから。
あっ!」
「えっ、何ですか?」
「後ろのお面」
わたしの言葉に委員長は後ろを振り返る。そこにはお面の出店があった。委員長はずらりと並んだプラスチックのお面に首を傾げる。
「これがなにか?」
「いや、ほら、あの右端のお面。
『青空天使』のだなって思ったの」
「『青空天使』? ああ、子供の頃にやっていたアニメですよね」
「そうそう。『青空天使 トゥインクル アイ』。懐かしい~!
名前が同じだから、わたし、大好きだったのよ」
思わずお面を手に取ろうとした、その時だった。
「ごらぁ、なめてんじゃねぇぜ」
「殺すぞ。おらぁ!」
怒声とガラガラと物が倒れる音が辺りに響いた。
見るとスキンヘッドの大男が屋台のおっちゃんの胸ぐらを掴んでいた。その大男のすぐ横に一回り小さくした、これまたスキンベッドの男がいる。
はて、どこかで見た絵面だ
「あっ、ワイル○スピー○」
ドウエイン・ジョンソンもどきとジェイソン・ステイサムもどき
「俺はただお金を払ってくれといっただけだよ」
胸ぐらを捕まれ、なかば体を持ち上げられたおっちゃんが悲鳴をあげる。
「こんな、糞まずい串カツに金払えってのか。てめえ、ふざけんな」
ドウエインもどきがおでこを接して恫喝している。
ああ、なんか嫌
ツバがかかって、口も臭そう
「こんな店、こうしてやるぜ」
小さな方のスキンベッド、すなわちステイサムもどきが、屋台を蹴りつけた。
ドンガラ ガッシャーン と屋台が倒れ、串カツが飛び散り、ガラスか粉微塵に飛び散った。
「やめてくれ、悪かった。金はいらない」
「あーー?金は要らねーじゃねえーんだよ」
「ぎゃぁ」
ドウエインもどきがおっちゃんを地面に叩きつけた。おっちゃんがは蛙のような声をあげる。そんなおっちゃんをドウエインもどきは容赦なく踏みつける。
「あがっ、痛、痛、か、勘弁してくれ」
何度も踏まれて、おっちゃんを完全に白旗モードだったけど、大男は大口を開けたまま、楽しそうに踏みつける。これはひどい。
「ちょっ、なに、あのヤバい連中?
ヤクザ?」
ふぅちゃんがわたしの横に来ると耳元で囁いた。
「違う。ヤクザはあんな無茶しないよ。あれ半グレ」
「と、とにかく警察を――」
警察を呼ぼうとするふぅちゃんの手をとめる。
「ヤバいよ。連中の仲間に見られてる」
スキンヘッドコンビが暴れまわっているのをニヤニヤ見ている連中が他にもいた。
スーパーサイヤ人見たいに髪を逆立てて固めたチンピラ風。
両肩から腕にかけて渦状の入れ墨を入れ、耳たぶに無数のピアスぶら下げた男。
どちらも一目見て、堅気でないと分かる。その背後にも見るからに怪しい奴が二人。
そいつらがニヤニヤ笑いながらも、油断なく辺りを伺っている。携帯なんて取り出したら、あっという間にロックオンされる。
「あいつらの見えないところへ。
急いじゃダメよ。目立たないようにゆっくりね。あいつらの見えないところで警察を呼んで」
囁くわたしにふぅちゃんはこくりと頷き、ゆっくりとその場を立ち去る。ふぅちゃんがあいつらの死角になるようにわたしはさりげなく体の位置を変える。
「すみません。謝ります。謝りますから、もう勘弁してください」
おっちゃんが土下座をして謝ったが、そのおっちゃんをスーパーサイヤ人もどきが思い切り繰り上げた。おっちゃんが盛大に鼻血を出しながら地面に転がる。
ひどすぎる。皆、その凄惨さに圧倒されていた。誰もが固まって、息を潜め見ているだけだ。
「なんでえ、文句があるのか」
今度は隣のたこ焼き屋さんに飛び火した。
「このクソババアが、なんか文句あんのかって聞いてんだよ」
「あ、あたたしはなにも、ひゃ、やめて痛い痛い」
ステイサムもどきががたこ焼きのおばちゃんの髪を掴んでぐるぐると引きずり回す。回しながら頬に何度もビンタをする。
おばちゃんの顔が涙とよだれでぐちゃぐちゃになるが、ゲラゲラ笑うだけだやめようとしない。
もう、警察をのんびり待っている場合ではなかった。一歩踏み出そうとした時だった。
「止めなさい。止めないと。警察を呼びますよ」
凛とした声の方を見ると、それは委員長だった。委員長が携帯を掲げていた。さっきまで暴れていた連中は一瞬呆けたように委員長を見つめている。
委員長、なんてことを!
わたしは心の中で悲鳴をあげていた。
勇敢だけど、それやっちゃアカン
サイヤ人もどきが意外に素早い動きで近づくと委員長の手首をガッチリと掴んだ。
「なっ、なにをするんですか。手をはなしてください!」
委員長が悲鳴をあげた。
「なめたまねするとただじゃおかねーぞ、このガキが」
サイヤ人もどきは大声で叫んだ。
2019/07/29 初稿
2019/08/01 誤記をいろいろ修正