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夜になって左弦直が帰ってくると、すぐに雲洛邦の部屋に顔を出した。
「先生、先生のおっしゃったとおり、我が家で行う宴に主だった人物を招待しました」
丁寧な物腰で左弦直が話すのに対して、雲洛邦はさしたる感情も見せずに出席者を尋ねた。
「司農の陰譲活殿、あとは私と同じ大夫の司馬遥環殿、司馬遥瑞殿、于文順殿、細班敏殿です」
雲洛邦はその顔ぶれを聞いても、相変わらず何の反応も示さなかった。
その様子を見て心配になった左弦直は、彼に何か問題があるかを尋ねた。
「弦直殿は、どのような基準でそれらの方々を選ばれましたか」
思わぬ質問に、左弦直は自分が考えていたことをそのまま答えた。
「それは……賢との同盟にあまり前向きではない人をと思いまして……」
彼にしてみれば、誰を呼ぶかなど、最初から決まっていたことであった。今更なぜ改めて先生はそんな分かりきったことを聞くのだろう、そんな気持ちである。
しかし雲洛邦は彼の気持ちなど、一向に気にしなかった。
「そうでしょう。しかしその顔ぶれでは、おそらく目的は達せませんな」
またも思わぬ言葉が飛び出し、再び左弦直はうろたえた。
「な、なぜでしょうか」
「司馬氏、于文氏はあなたの一族と同じく、程の五藩鎮の一門ですね」
「そうですが」
「弦直殿には悪いですが、各藩鎮は自らの権益を守ることしか頭にないのではありませんか」
そう言われて、左弦直は恥ずかしそうにうつむいた。
程の五藩鎮について話すと、少し長くなる。
本来、太守という地位は中央任官であり、代々受け継がれるものではない。しかし過去の統一王朝である涼の時代、その南方は開拓が進まず、てこ入れのために特例として、そこの開拓に貢献した者を太守に任命し、さらに三代に限り相続を認めたのである。
結果として南華の地は飛躍的に栄えた。そして三代にわたる太守を経験した一族は豪族化し、自らの富を持ってさらに南方を開発して再び太守を出す、ということを繰り返した。
そして涼の末期、中央の力が弱まると、三代に限る、という制約は有名無実化し、数多くの郡が藩鎮となったのである。
ここ程においても関氏、李氏、司馬氏、于文氏、左氏の五つが藩鎮となった。
そんな折に、涼末の大乱が起きる。榔林の乱に始まるこの大乱により、氾江以北は賊の横行する地域となり、ともすると南下の気配を示した。
藩鎮の主たちは、中央朝廷には既に自分たちを守る力がないことを理解していた。となれば自分たちで身を守るしかないが、ここで問題が生じた。ばらばらのままでは個別に撃破されるのが目に見えている。彼らを率いて戦ってくれる盟主が必要になるわけであるが、さて誰をその盟主とするか、ということである。
特に程にあった各藩鎮の力は、ほとんど拮抗しており、いずれの藩鎮が盟主に立っても、あとにしこりを残すことは確実であった。そこで彼らは他の者を盟主に選ぶこととした。
そして白羽の矢が立ったのが、当時、中央から巡察使として赴任してきたまま、帰れなくなっていた楊翻であり、彼が程の国主として擁立され、彼の家系が今に至っているのである。
ともあれ、五藩鎮は程の実力者集団であり、彼らにとって程という国は、自分たちの権益を保護することこそが存在意義であった。一方、程の朝廷内には、いかにして彼ら五藩鎮の発言力を弱めるか、と画策する反藩鎮派がおり、さらに藩鎮同士も一枚板というわけではないところが、程朝廷の政治勢力図を複雑なものとしていたのである。
左弦直は自分もその藩鎮の一つである桑佳左氏の出身であるので、そうしたことを良く知っていた。いや、むしろ彼自身が、桑佳左氏の権益代表者であるといえた。
「確かにその通りですが、五藩鎮は程という国と一蓮托生です。程が危ないということを説得できればこちら側に引き込めます」
「弦直殿は、本当に藩鎮と程は一蓮托生だと思っておられますか」
「それは……」
絶句した左弦直に対して、雲洛邦は囁くように言葉を続けた。
「程が滅んでも、自分たちの藩鎮が生き残れるのであれば、それでも構わない、と思っているのではありませんか」
問い詰めるわけでもない、淡々とした口調ではあったが、それだけに左弦直はその言葉を否定できなかった。
一方雲洛邦は、それ以上彼を問い詰めることをせず、そこで話題を変えた。
「陰氏は程にこそ藩鎮はありませんが、宗家分家が南華の各国に散らばっておりますから、彼はまあ役に立つでしょう。後の問題は細殿ですな……」
「いえ、彼に声を掛ける予定はなかったのですが、班敏殿のほうから私に声をかけてきたのです。丁度、陰氏と話をしていたときだったのですが、結局成り行きで彼も招待することになってしまったのです」
細班敏という人物は、隣の小国細の王族の一人であり、程と細の同盟に基づいて程の朝廷に席を持っていたが、実質的には細に対する人質であった。
とはいえ、彼もただ人質として過ごしているわけではない。程の動きを監視し、それを逐一本国に報告しているはずであり、場合によっては細の不利益とならないよう、彼自身が実力者に働きかけることも行っていた。
今回、彼が左弦直の動きを嗅ぎ付けて、接近してきた理由はまだ定かではなかったが、三国同盟自体は細にとってあまり歓迎すべきものではないはずであった。
とはいえ、呼んでしまったものは仕方がない。雲洛邦はひとまず彼のことは横に置いて、話を進めることとした。
「前向きに考えていないのに、結局は押し切られた連中など、いくら集めてもたいした力にはなりません。私たちが目指すのは、賢との同盟を破棄することよりも、渠と慶との三国同盟を成立させることであり、一度決めたことをやり遂げられる人を探さねばなりません」
それを聞いて、左弦直は頭を抱えた。
「それではこの宴の意味がなくなってしまう」
しかし雲洛邦はそれほど深刻には考えなかった。
「別に構わないではないですか。彼らとの親睦も深めておけば、いざと言うときに味方にできるわけですから。それよりも、追加して呼ぶ人を考えましょう」
「それは?」
「そうですね、丞相の関史軒殿は賢との同盟を推し進めた方でしたね」
「そうです。ですから今回は外したのですが」
「いえ、むしろ彼は呼んだほうがよいでしょう。彼はこの国の要です。賢との同盟も、渠と慶の同盟に対抗するために必要と考えたのです。つまり彼が三国同盟の必要性を認めれば、一気に政局が動くことになります」
実際は彼がそれを認めることはありえない、ということを雲洛邦は知っていたが、あえてそれを左弦直に告げることはなかった。
当然、左弦直は雲洛邦の言い分に納得し、さらに呼ぶべき人物を考えた。
「なるほど、では太尉の虞因球殿も……」
「いえ、彼は無理ですな」
「なぜですか」
「虞殿の祖父は渠からの亡命者だからです」
「だからこそ、彼を味方に」
「いえ、亡命者の家系ゆえに、渠とは距離を置きたいと考えておるでしょう。話がまとまった後なら、彼の出番もありましょうが、それまでは何を言っても無駄でしょう」
「では大将軍の李芳然殿はどうですか」
「彼は代々、渠の軍と戦ってきた人です。感情的に、渠との同盟には賛同できないでしょう。それよりも、大夫の馬範殿をなぜ呼ばないのですか」
その名前を聞いて、温厚な左弦直も黙ってしまった。
「彼は確かに人と衝突しやすいですが、それも頭の回転が速く、物事に拘泥しない性格のためです。彼なら渠と慶の三国同盟の可能性を知れば、それを声を大にして言いふらしてくれるはずです」
「しかし彼がそれを言ったところで、誰も聞く耳を持つとは思えません」
「いや、そうともいいきれない。今まで誰も口にしなかったことが、人の口に上ること自体が重要なのです。『あいつがあんなことを言っている』、『そんなことできるはずはない』、結構じゃあないですか。人々は否が応でも渠との同盟という選択肢があることを知ることになります」
左弦直には雲洛邦の考えていることが良く分からなかった。彼の基準で言えば、馬範が口にしたところで反感を買うばかりとしか思えなかった。
しかし一度、先生と見込んだ人のいう言葉である。彼の言うとおりに動くしかなかった。左弦直は、宴の席に関史軒と馬範の二人も呼ぶことにした。