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 雲洛邦(うんらくほう)(でい)のもとを立ち去った後、思案顔で街の中を歩き続けた。

 思いがけぬ少女の好意のおかげで、久しぶりの食事にありつけたとはいえ、明日もまたそうした僥倖があるとは限らない。それよりも体力が回復した今のうちに、次のたかり先を探さねばならない。

 普段であれば、人のよさそうな小金持ちの庶民を狙うところである。しかしこのとき彼の足は、都の高官たちの住む区画へと向かっていた。

 彼の頭の中には、それぞれの国の実力者の名前や出身地、性格などがすべて入っている。もちろん彼らとの交流などないし、交流する気もなかったが、彼のような生業の者にとって、そうした知識はいろいろと役に立つことも多いため、機会があるごとにそうした話を聞き集めては覚えてきたのである。幸いと言うべきか、彼には一度聞いたことは忘れないと言う稀有な能力があった。

 そして彼はこれまでに自分の集めてきた知識から、一人の高官に目標を定めた。

 (てい)の大夫の一人に、左弦直(さげんちょく)という男がいた。名門()氏に連なる人物で、当主である桑佳(そうか)太守左弦沢(さげんたく)の弟である。

 雲洛邦(うんらくほう)の聴き集めた話が事実であれば、彼は名臣と呼ばれることに憧れる性質の人物であった。しかし彼自身は人柄の好さの他は、際立った才能があるわけでもなく、また具体的になにか大きな事をしようと画策する性格でもなかったため、実際には(てい)の朝廷でもさほど目立つ存在ではなかった。

 雲洛邦(うんらくほう)はその人物に狙いを定めることに決めたのである。

 彼の屋敷の場所については、一度だけ耳にしたことがある。今もそこに住んでいるのかは分からないし、顔も全く知らない。だが彼はそんなことを調べるために時間を無駄にする気はなかった。もしも失敗したなら、それまでの話である。

 彼は記憶の中にある左弦直(さげんちょく)の屋敷の前にたどり着くと、そこの玄関の脇に座った。後は運と彼の演技次第である。


 夜もすっかり更けたころ、一台の馬車が屋敷に近づいてきた。この家の主であろうと見当をつけた雲洛邦(うんらくほう)は、ここぞとばかり大声で泣き始めた。

 もしも無視されたならそれまでである。体力が続く限り、この場に座り込んで泣き続けるしかない。

 泣きながら、用心深く様子を伺っていると、門番が中から出てきてこちらを胡散臭そうに見つめ、棒で軽く叩いてどこかに行くよう促してきた。しかしここで移動するわけにはいかない。ますます大きな声で泣いた。

 門の前で止まった馬車の中から、何事かと門番に問う声が聞こえてきた。

 門番は馬車に近づき、中にいる人物に何事かを話した。少しの間、そうしていたかと思うと、門番が近づいてきて、彼の膝元に小金を投げた。

「これをやるから、どこかにいけ」

 どうやら乞食が物乞いに来たと思っているらしい。

 もちろん雲洛邦(うんらくほう)は、そんな小金が欲しくて泣いているわけではない。その金を無視して泣き続けた。

「強欲な奴だ。それでは足りんというのか」

 門番が怒りながら聞いてきたので、すかさず返事をした。

(てい)の国の累卵の如き危うさ、そしてそのことに気付かぬ人々、これが泣かずにいられましょうか」

「何を言っておるのだ」

「私は全土を旅しておりました。そして祖国であるこの(てい)が、いまの世情においていかに危ういかを知ったのでございます。しかし誰も私のような者の話など、耳を貸そうともしません。もはやこの国には、柱石たる臣はいないのでしょうか」

 馬車の中にいる人物に聞こえるよう、不自然でない程度に大きな声で話し、さらに泣き続けた。そこにいる人物が左弦直(さげんちょく)で、聞いたとおりの人物であるなら、この言葉に反応するはずである。

 彼が泣き続けていると、思惑通り馬車から一人の男が降りてきた。小太りでなまず鬚を生やした男は、彼に近づくと直接、声をかけた。

「先ほどからなにやら大きなことを言っておるようだが、今は遊説の世ではないぞ。なにが望みなのだ」

「遊説の世でなければ、憂国の士は生まれないのでしょうか。私、若いころに故あって祖国を出て、諸国を放浪しておりました。しかし今まさに、この国で危うき決定がなされようとしていることを聞き及び、それを止めんがために、飲まず食わずで急いで帰ってまいったのでございます。とはいえ無官の身の辛さ、伝えるべき相手も見つからず、途方に暮れていたしだいにございます」

 さて食いついてくるか、という醒めた心のうちとは裏腹に、心底憂いている仕草を続けた。

 明らかに興味を持っている風のなまず鬚に対して、御者台にいた男が近づいてきて、彼に警告した。

「ただの売名行為でございましょう。左大夫がお気に止めることはございません」

 その通りであるだけに、内心で舌打ちをしつつ、彼がなまず鬚を「左大夫」と呼んだことは聞き逃さなかった。どうやら相手は間違わなかったらしい。そこで表向きは彼の言葉を謙虚に受け止めた。

「そのように思われても仕方がございません。私にはこうするしか手段がなかったのでございます」

 その言葉を聞いてなまず鬚は従者の男を押し留めた。

「よいよい。確かに何を考えているのか分からんが、話を聞くぐらいなら構わんだろう。中に入れてやれ」

 辛うじて合格だな――

 雲洛邦(うんらくほう)はさほどの感慨もなく、そう思った。


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