疑問と襲撃
炎が、煌々と燃え盛る。
もはや再生も叶わないだろうほどの強力な火炎だ。怪物の体も、もはや原型が分からないほどに焼き尽くされ、その肉体は灰となって荒野に散っていった。
コクピットの中で、マフツと輝は共に息を吐く。ようやく、本当の意味で一息つけるという状況への安堵だった。
「つ……疲れた……」
「うむ……流石に今度は儂も堪えたな……」
輝はぐったりとその場に倒れ込み、マフツはシートに体を投げ出す。
ロボットも、この戦いを経て満身創痍と化していた。右腕は当然に砕け散り、左腕は熱線により溶解。頭部はアイセンサーがそのまま露出してしまっており、脚部は蹴撃の際の衝撃で装甲板が砕けていた。
――それでも、勝ったのだ。
何と言うことはない。自分たちは、この死闘に勝利したのだと。その意識がマフツの心に安心を生んでいた。
「一度降りるぞ、輝よ。システムの調査などは、再度投射してからでも遅くはあるまい」
「あ、そうだね。うん、一度降りよう」
そのまま、のろのろと二人してロボットから一度降りていく。
コクピットハッチの側部には昇降用のワイヤーが備え付けてあり、飛び降りたりすることもなく、二人は無事に一度地面へと着地することができていた。
直後、再びロボットがマフツの手によりその姿を現す。物理法則を多大に無視したその現象を引き起こしておいて、しかしマフツは一切疲弊したような様子は見せず、ごく当たり前のように佇んでいた。
ふと、その様子を気にかけたように、輝が問いかける。
「こんなに大きなものを出してるのに、大丈夫なの?」
「大した問題は無い。所詮鏡像じゃ。確かに鏡界の中では実像に等しいが、たかがその程度でこの儂は堪えはせんよ」
言いつつ、輝に先んじてコクピットに乗り込むマフツ。
確かに、彼女自身が言う通り、その足取りは軽やかで、全くと言っていいほどに問題らしき問題も見当たらない。
少なくとも今この場において、輝が心配するほどの疲労は彼女には無いようだった。
同時に輝の内に疑問も湧く。これだけのことをしておいて疲れを見せないのは、何故だろうと。魔法だろうが超能力だろうが、質量保存の法則の如く、行使すればするほど「何か」が減るものだ。魔力であれ、精神力であれ、体力であれ――となると、このロボットを「投射」するために消費したものは一体何なのだろう、と。
(まあ、いいかな)
しかし、マフツのおかげで助かったことは事実であり、何より彼女が疲弊している様子も無い。
その時になれば本人から何か言うだろう、と。疑問を己の内に封じ込め、輝もまたマフツに続いてロボットのコクピットへと乗り込んだ。
「……さて、どうしたものかのう」
「どうしたの?」
と。輝が乗り込んで目にしたのは、何やら腕を組んで悩みこんだ様子でシートに座るマフツであった。
「いや……電源がどこにあるか分からん。さっき電源が点いたのは偶然じゃったからな……」
「これだよ」
「なんじゃと」
無造作に、輝が操作卓に配されているボタンを叩く。直後、全てのモニタが起動し、外部の様子やロボットの状態を映し出した。
更に、もう一つキーを叩くとハッチが閉じ、気密処理が施される。
「さっきのでだいたい分かったよ。こっちが電源スイッチ。これがハッチを閉じるキーで、あとはキーボードを使って処理するタイプみたい」
「そ、そうか……輝は理解が早いな」
「パソコン……っていうか、情報処理は得意なんだ。こういうことなら任せてよ」
言うや、輝は目にも止まらぬ速度でキーボードを打ち込み始めた。
その速度は、元々の身体能力もあるだろう。しかし、それだけでどうにかなるならば、既にマフツがそうしているところだ。
輝自身が言うように、その情報処理能力は他者よりも遥かに高い位置にあるのだろう、とマフツは推測した。
「……何か分かるか?」
「ちょっと待ってね……ええっとMR-01……Racemic……このMRって、鏡界探査機の略かな」
「状況的にはそうじゃろうな。多分……」
「常駐のアプリケーションが結構な数あるみたい。ファイル名が日本語なあたり、日本の企業が作ったのかな。確かにこれなら咄嗟に見ても分かりやすいけど……」
姿勢制御、スラスター制御、火炎放射器制御、レーダー感度制御、その他諸々――その中にあって、一際輝の目を惹くものがあった。
「"ジャバウォック感知システム"……?」
「何じゃ、そのじゃ……邪歯羽尾ッ駆?」
「昔の童話に出てくる怪物だよ。知らない? ていうか知ってるよね?」
「……なんか知っておる気はするが、多分漫画か何かで見た記憶な気がするのう」
「見るんだ、漫画……」
想定外のマフツの発言に驚きつつも、輝は該当するファイルが格納されたフォルダを開き、その概要を確かめる。
「……これ、あの怪物のことをジャバウォックって呼んでるってことかな。鏡の世界の怪物だから……」
「ふむ……そうか、怪物が再生する時の妙な音はこれか」
「みたいだね」
「……うむ」
そうなると、この≪ラシェミ≫というロボットは外の人間が鏡界を調べるために造ったロボットだということになる。
火炎放射器は、怪物――ジャバウォックに最も効果的なものだから取り付けたのだろう。通常の手段において、ジャバウォックを再生させないようにするには有効だ。
だが、とマフツは疑問を抱く。
ジャバウォックの感知システムというものがありながら、何故あの時のこの≪ラシェミ≫に搭乗していた者は、こちらに火炎放射器を突き付けたのか、と。
「…………」
考えながら、マフツは輝を見据えた。
ジャバウォックという存在は、言うなれば異能力者を集めて溶かして固めたようなものだ。純粋に異能力者である輝に対して誤作動を起こしたとしても、あるいはそれも致し方の無いことと言えるだろうか。
「どうかした?」
「いや。気のせいじゃ」
「そうかな。僕自身、色々疑問はあるんだけど」
「……それは、何じゃ?」
「マフツ、さっきジャバウォックのこと、『生物なら何でも食らう』って言ってたでしょ。じゃあ、何で僕は今生きてるの?」
「それは……分からん」
マフツ自身としても、そう答える他に無かった。
事実として、ジャバウォックという怪物は、この世界の全ての生物を食らい尽くして滅ぼした。
触れれば、食われる。その粘液体が触れれば、数秒と耐えられはしない。それがマフツの持つ認識だった。
しかし、輝は生きている。その理由もまた、マフツには分からなかった。
「……じゃが、恐らくそういう能力でもあるのじゃろう。一人に一つしか特別な能力が無いわけでもない。輝はそういうことができた、それでよいではないか」
「でもやっぱり、おかしいよ。今日初めて気が付いたけど……親がいないことだってそうだし、あの家に一人でいることだって」
「輝……」
マズいことをしてしまっただろうか、と内心でマフツは歯噛みする。
輝がこれまで一人で暮らしていけたのは、その事実を輝自身が異常だと認識していなかったからだ。
マフツは事実上、輝自身に「寂しさ」と「異常性」を、図らずとも教え込んでしまったことになる。それを知らなければ、きっと何も感じること無く生きていけたというのに――――。
「……僕は、一体何なの?」
核心を衝く言葉に、しかし応えることのできる者はいない。
少なくとも、マフツでは輝の問いかけに対して何一つ、言葉を告げられなかった。
「……ごめんね、変なこと言って」
「いいや、致し方ない。儂も配慮が足らなんだ」
僅かに沈黙が訪れる。
当然、輝自身もマフツが悪いわけではないことは理解している。
そもそも、輝がこうした疑問を抱いたことは、彼女の気遣いの賜物と言える。だからこそ、輝の中で決意は既に固まっていた。
「――――マフツ、聞いてほしいことがあるんだけど」
「何じゃ、藪から棒に」
「マフツは、ジャバウォックと戦うことが自分の使命だって言ったよね。僕にもその使命――手伝わせてほしいんだ」
「ば……馬鹿なことを言うでない! 死ぬぞ!?」
「でも、マフツは言ってたよね。生物は瞬時にジャバウォックに食べられる、って。ってことは、ジャバウォックに対して一番効果的なのは、生物でないもの――機械を使って戦うこと、なんじゃないの?」
事実、その通りだった。
少なくとも、マフツ自身が生身で戦うよりも、≪ラシェミ≫を用いて戦う方がずっと楽だ。その触腕に触れないよう、細心の注意を払って戦うような必要も無く、大雑把な攻撃でも消滅させることができ、更にはマフツが投射できる"鏡像"を転用できる。
その性能を百パーセント発揮するためには、自分だけではダメだろうということは、マフツも理解していた。内部のシステムに関して詳しい人間がサポートしてくれた方が、遥かに効率が良い。
――――加えて。
「……そうじゃな。それに、今回は……輝には少し、イレギュラーが多すぎる」
「イレギュラー?」
「うむ。本来、あの怪物共は外の世界には出てこないんじゃ。鏡界とあちらとを隔てる"門"を強引に通れば自壊する故な。しかし、奴らは自壊を覚悟で輝を狙ってきおった」
外界に送り込んだ枝葉末節が消滅したとしても、大元となるこの世界の"ジャバウォック"全体から見れば、それは精々、言うなれば髪が一本抜け落ちた程度の損害でしかない。
それでも損失には違いなく、まして輝がその存在に気付いてしまえば無駄になる可能性の方が遥かに高いのだ。故にこそ、マフツはジャバウォックの行動を 「イレギュラー」と断じた。
「本来ありえんことじゃ。なら、奴らは今後も輝を狙ってくる可能性が高い」
今後、二度三度と同じことが起きないとは限らない。
他の異能力者であれば、鏡に気を付けるよう言い含めてしまえば何も問題は無いはずだった。他の能力者ならば間違いなくその前提がある。
しかし、輝に限ってはその前提が崩されてしまう。
「……そうなると仕方がない。しばらく行動を共にしてもらう。よろしく頼むぞ、輝」
「うん、こっちこそ。きっと力になるから」
二人で笑い合い、その手を互いに握り合う。
『そこの調査機とその搭乗者。所属と姓名を名乗れ』
――――直後、≪ラシェミ≫の内部に声が響いた。
「!?」
「え……!?」
女の声だ。少なくとも、鏡界の退廃的な光景に似合わない、高めの――少女らしい声。
その声は、≪ラシェミ≫のスピーカーから響いていた。
「通信、か……? じゃが、こんな所で……まさか……」
「こちら松山輝と申します。そちらこそどちら様ですか?」
「何勝手に応えとるんじゃ!?」
子供か! と、マフツが喚くその裏で、ほう、という感嘆の溜息が通信されてくる。
その様子を訝しがりつつ、マフツは輝をシートの後ろに寄せ、動くことができるよう準備を整える。
『松山か。私も松山と言う』
「――――え?」
「聞くでない、輝!」
『松山製鋼代表取締役、松山灯里――――』
その言葉に、輝が目を丸くする。
ただの偶然だ。何の関係も無い――理性ではそれと理解していても、この日、散々に煽られていた「家族」というものへの欲求が、輝の頭を混乱に導いていた。
忌々しげに、マフツは歯噛みする。更に、モニタに移り込む影があった。
『≪ラシェミ≫は我が社の所有物だ。複製だろうと模倣だろうと不利益になることには変わらん。破壊させてもらおう』