改造と執着
「ただいまぁ」
「やれやれ、戻れたのう……」
入学式と学内の鏡の封印を終えて、数時間ほど。輝とマフツは自分たちの住むアパートに戻って来ていた。
輝は入学式を終えてやり切った表情。マフツは、延々と校舎とその周囲を走り回っていたためにやや疲労した表情。帰宅できた安心感は同じくとも、その表情は実に対照的だった。
「おばあちゃんみたいだよマフツ」
「何じゃと」
――――言動から感じられる年齢のほども、また対照的である。
腰を撫でるマフツの姿に、輝は思わず自身の考えをそのまま口にしてしまっていた。
「……婆か……儂」
「あ、ごごご、ごめん!」
他方、マフツはその言葉に僅かにショックを受けていた。
紛れもない事実とはいえ、それを他人からわざわざ指摘されるのは好ましいことではないだろう。
「まあ、よいか……輝、あの『ブージャム』のことじゃがな」
「あ、うん。何か分かったの?」
「分かったといえばわかった。分からんといえば分からん」
「どっちなのさ」
「色々調べものはして分かったこともあるが、核心までには至っておらん」
輝が入学に際しての説明会を受けている間、彼女もまた自身にできる範囲で調査を行っていた。
ブージャムという言葉の意味を灯里に問い、その結果から必要な事象を導き出し――スマホからインターネットを通じて表面的な部分だけは調べ終わっていた。
「『あるスナークはブージャムである』という記述を基に、スナークという言葉を調べておった。恐らく、該当するのはこれじゃろう」
「スナーク……社? ここ、医薬品の会社だよね」
「そうじゃな。で、ここの社長が……この男じゃ」
「坂田…………これなんて読むんだろ」
「榛葉、じゃな。この男の喋り方といい、声の抑揚の付け方といい……似ておるとは思わんか?」
その一要素だけでは判断し辛い――と言う風に、輝は軽く首を傾げた。
「ちょっと、わかんない」
「そうか。まあ……儂も分からんが」
「だよね」
「この男が関わっている可能性がある。かもしれん。が、ただの一般人である可能性も否定できん。この男から何かに繋がる可能性もあるかもしれん、が――――さて」
確証も確信も何一つとして存在していない。そこにあるのは憶測と邪推、それだけだ。
故に、マフツと輝はそれ以上の追及をやめた。確信を得るためには、議論を続けたところで意味は無いからだ。
「直接出向くわけにもいくまいしな。今は儂らにできることをするとしよう」
「……今僕らにできることって?」
「うむ。とりあえず――――」
言いつつ、マフツは部屋の中に鏡像を投影する。
先日、輝とマフツが共に搭乗した≪ラシェミ≫のコクピットだ。こちらの世界においては実像を持たないが、それ故にどのような場所でも展開できる。
「――これを組み換えるとしよう」
「組み換える……って、え? と?」
「今のままでは使いにくいじゃろう。だから、使いやすいよう改造するんじゃ」
「……どうやって?」
「こんな風にの」
無造作に腕を横に送ると、同時に鏡像のモニタが横にズレていく。同じように輝も鏡像のコンソールに触れて軽く押すと、それもまた奥に向かってズレていった。
なるほど、と輝は頷く。これなら話は簡単だ。
「じゃあ、複座式にした方がいいと思うんだ。僕が後ろで、マフツが前で」
「ふむふむ」
「電子機器は僕が担当するよ。あ、そうなるとモニタももういくつか後ろの方に欲しいかも……」
「ならばこれを動かして、モニタを備え付けて――じゃな」
マフツの手の動きと共に、モニタや椅子が複製され、電子機器類が後部座席へと移設される。
しかし、はて。こういった電子機器というものは基本的に既定の配置というものがあって、その範疇から出てしまうと配線がおかしくなって動かなくなってしまうのではなかろうか。不意に輝の中にそんな疑惑が持ち上がるも、それ以上の追及はしなかった。
どうせ不思議パワーで何とかなる。
「うむ、こんなところじゃろうか」
「かな。えーっと。これ、コクピットちょっと広くなったけど、装甲が薄くなったりしないよね?」
「大丈夫じゃろ。多分」
「今ちっちゃく『多分』って言った!?」
「少々薄うなっても構わんじゃろ儂らじゃったら」
「まあそうだけど」
輝もマフツも、人間を遥かに超えた能力を持つ。装甲が薄くなったところで、搭乗しているマシンが爆発でもしない限りはまず死なないだろう。
しかしながら、それはそれとして不安を覚えるのもまた已む無きことではある。どんなに鍛えたとしても、どんなに強かったとしても、本能的な恐怖から逃れるのは難しいものだ。輝に関してもそこは例外でないということだろう。
「……ところで、輝。アヤツとは話をしたのかの?」
「アヤツ? ……灯里さん?」
「んむ」
「まあ――それなりに。でも何で?」
やや濁し気味に言葉を発したのは、灯里に対するマフツの微妙な感情を理解しているからこそだ。
二人の確執ははたから見ていても明白だ。しかし、だからと言って何故このタイミングでそれを聞くのか――輝には不思議でならなかった。
「いや。どうせ奴のことを嫌っておるのは儂だけじゃ。同じ学校じゃしの、輝が仲良うすることをわざわざ止めはせんが、気を付けて接するようにせよ、とな」
「…………んぇ!?」
「何じゃそんなに驚いて」
「い、いや……マフツのことだから、接触禁止! とか言ってくるかも、って思って……」
「阿呆。儂もそこまで狭量じゃないわい」
「……う、うん」
「何じゃその微妙な反応は!」
これまでに散々マフツの狭量な部分を目にしてきた輝である。訝しげな表情で彼女を見つめても仕方がない。
そして、そうなることを理解していてなお、マフツは輝からそのような視線を受けることに悲しみを覚えていた。孫や子に軽蔑されているようなものだ。その悲しみの大きさは計り知れない。
「奴の行動原理は危ういとはいえ、輝に対しては無駄に優しいからの。絆して騙して利用するつもりもあるじゃろうが、少なくとも今は危害を加えることはせんじゃろう……と思う」
「マフツに対しては分からないけど?」
「儂に対しては分からんが」
灯里が輝に対して入れ込んでいることは間違いない。それは、彼女自身が語っていた通り、両親を喪ったことの穴埋め――代償行為が含まれているのだろう。故に、全くの部外者であるマフツを邪魔者と捉えていてもおかしくはない。
しかしながら、僅かにマフツの中には違和感が残っていた。
輝は純真で庇護欲を掻き立てられるような性格をしていると言える。親を喪った悲しみを癒すために可愛がろうと言う気持ちになってもなんら不思議はない。まして、同じ苗字だ。弟か妹のように想っていても自然ではある。
(しかし、入れ込みすぎではないか――?)
入れ込む理由があるとするならば――と、脳内に不意に閃くものがある。
(一目惚れというやつか!?)
――――マフツに、恋愛経験というものは無かった。