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怪物と人間

 ――――君は、ジャバウォックだ。



 その一言を告げられた瞬間、輝の意識が一瞬、喪失した。



「っと……輝!」



 咄嗟に、マフツはその細い体を受け止める。当然と言うべきか、意識を取り戻してもその身から震えが消えることは無い。

 混乱で目に涙が滲み、恐れからその身を掻き抱く。衝撃的な――信じがたい事実を前に、輝はまともに正気を保てずにいた。



「ジャバウォックじゃと……!? 馬鹿な、こうして触れておっても同化吸収はされん! 儂らのことを敵視するでもなく、こちらの世界に来て消滅するでもなく、だというのにか!?」

「だというのに、だ。何事にも例外があると表現するべきか。あるいは――――」



 言いつつ、天野は輝から採取した血液のアンプルを取り出した。



「いや実に奇怪な現象だ。だというのに、君は間違い無くヒトの形を保って生きている。一種の共生状態とでも言うべきか――他に症例がまるで無い」

「ドクター。我々にも分かるように」



 先程と打って変わって真剣な表情で問う灯里。

 しかし、ここで「我々」と言うあたり、灯里自身もこの状況を正確に理解していないのではなかろうか――? と、マフツは訝しげな視線を向けた。



「社長殿がそれを言うのか」

「仕方がないだろう。私は科学分野については門外漢なのだから」

「ま、期待してはいなかったがね……ジャバウォックと聞いて暴れ出すと思っていたものだが」

「一度口にしたことを違えるつもりは無い」



 ――――キミが人間(わたし)の敵ではないことは確かだ。


 不意にマフツは、先程灯里が口にしていたことを思い出す。

 マフツがいち早く輝に駆け寄ったのは、ただ倒れ込むことを防ぐためだけではない。元々は、灯里が凶行に出るのではないかと推測して、輝を守るために駆け寄ったのだ。

 灯里は、自分の言ったことをその態度で示そうとしているのだろう。その事実を理解して、マフツは改めて留飲を下げた。



「……ともあれ、まずは諸君の不安を払拭しよう。端的に言って、松山輝は『危険性の無い』ジャバウォックだ」

「その意味がいまいち分からんのじゃが」

「凡俗に分かりやすいようにというのはなかなか骨だが――まあいい」



 言いつつ、天野は天井からモニタを降ろし、そこに幾枚かの画像を映し出した。



「いつの間に用意していたんだそれは」

「無論、諸君らが来る前に。何、片手間で済むことだ」

「……片手間……?」



 マフツは思わず聞き返していた。

 モニタに映る画像に描かれた、いわゆる漫画的なキャラクターは、とてもじゃないが数分程度で描くことのできるものではない。元々天野が用意していたものだろう。とてもじゃないが、彼のその容貌にはそぐわないものだが――――。



「何か不満かね?」

「いや……これは貴様が描いたのか……?」

「無論、私だが?」



 思わず、マフツは自身の正気を疑った。


 ――――何なのだこの男は。



「話を続けてもよろしいかね?」

「少し待たれよ。輝、おぬしも聞いておくべき話じゃぞ」



 告げると、輝は不安そうにゆっくりと顔を上げた。

 その外見には、何一つとして異常は無い。ジャバウォックだなどと言われても信じられはしないほどに。



「う――うん……」

「では、続けよう。この画像を見てくれたまえ。君らは知らんだろうが、これがジャバウォックの遺伝子だ」



 と、天野の指す先には、輝やマフツも見知った二重らせん構造を示す画像が表示されている。

 その様相に、輝は僅かに引っ掛かるものがあった。



「……アメーバ……?」

「ほう、鋭いな。その通り、ジャバウォックは、比較的アメーバなどの単細胞生物に近しい」



 言いつつ、天野は手元のリモコンで画像を先へと進めていく。表示されるのは、いずれも輝やマフツの知るジャバウォックの姿を写した写真だ。



「諸君らも知っての通り、ジャバウォックはある種の流体。アメーバや粘菌のようなものだ」

「というより、大元はあちらの原生生物じゃな」

「……なるほど、その話も伺いたいが今は後にしておこう」



 全くの初耳であろうその言葉に興味を惹かれながらも、天野は続けてリモコンを操作する。

 次いで、表示されたのは――ある種、異様な雰囲気を醸し出す(いびつ)な二重らせんだ。



「これは何だ、ドクター?」

「松山輝の細胞だ」

「な……は?」

「……何これ」



 ありえない――と、輝の口から驚愕の言葉が漏れ出す。

 ありえない。人間のものではない。これは――――。



遺伝子キメラ(・・・・・・)……?」

「ほう。存外博識だなキミは。ま、一般的に言われるそれとは異なるがね」

「どういうことじゃ?」

「一般的に言われるそれは、二種類のDNAが検出されるものが多い。それは、二卵性双生児などが、胎児に至る前段階で融合などを起こしてしまったからだ。対して、輝君の場合は――――およそ、数千」

「す……!?」



 想定外の――そもそも想定できるわけもない――数字に、輝とマフツのみならず、灯里の目までもが見開かれる。

 たとえそれが人間同士の遺伝子キメラであっても、せいぜいが二つや三つ程度のものだ。しかし、輝のそれは文字通り、桁違いの多さだ。

 マフツはその理解しがたい異常さに目を回しているが、灯里は理解する、しないという以前に最早考えることをやめていた。



「これはジャバウォックの(・・・・・・・・)ものと一致する(・・・・・・・)。あれは、無数の生物をその身に取り込んだ存在だからな」

「――――だから、僕が……ジャバウォックだって」

「更に」



 と。

 顔を青くする輝の言葉を遮り、天野は次の画像を表示する。



「確かに君にはジャバウォックの細胞が組み込まれているが、全く同等の存在ではない。『それ以外』の数多の遺伝子と結びつくことによって、人間としての形質を保つことに成功している。この結びつきが壊れでもしない限り、君はジャバウォックである以上に、人間(ヒト)であると言えるだろう」

「…………」

「っと」



 緊張の糸が切れたように、輝はその体重をマフツへと預けた。



(――――良かった)



 この日。輝はずっと自身の素性について悩み続けてきた。

 およそ、それが解決する時が来るとすればずっと先のことだろうと、漠然と覚悟もしていた。

 しかし、それは杞憂に終わり――何よりも輝自身が求めていた結果が訪れた。


 あるいは、と覚悟もしていた。その覚悟はある意味で現実のものともなったが、ある意味で輝の最も望む形で落着した。


 ジャバウォックでもある。人間でもある。決して最善とは言えないまでも、輝にとって求める真実はおよそ全て明かされることとなったのだから。



「――さて。ところで下世話な話になるが、君は男なのかね? 女なのかね?」

「は?」

「え?」

「あ」



 ――――その瞬間に、地雷が恐るべき勢いで飛び出した。



「……そういえば、どちらだ?」

「どちらじゃ、輝」

「……ええと。分かんない」

「はあ?」

「いや、それは流石に、そんなことは……」



 徐々に騒がしくなる三人へ、しかし天野はそうなることを理解していたかのようにして別な画像を持ち出した。


 三人の視線は自然、そちらへと向けられる。



「まあ、そうなるだろう。私も驚いた。遺伝子上、君は『どちらともいえない』状態に属しているのだからね」

「どちらとも――――」

「――――言えない?」

「染色体異常というわけではないが――そうだな。性分化前の状態とでも言うべきか」



 どちらとも取れるような気はするが、どちらとも言えない。

 無性とも言える。中性とも言える。あるいは両性とも言える。

 輝自身ですら、今、自分が「どちらか」が分からないのだ。遺伝子的にもどちらとはっきりと言い切ることはできない。


 思わず、灯里は身を乗り出して天野の持つサンプルを覗き込んでいた。



「実に興味深い。これだから鏡界の調査はやめられんな。ふはははは!」

「ドクター。そういうことは二人のいない場所で言ってはくれないか」

「おっと、これは失礼した。しかしだ社長、当人に迷惑の及ばない範囲であれば」

「断固主張させてもらうが、そういうことを言う者に限って迷惑をかける」



 これは厳しい――と、僅かに笑みを湛え、天野は再び二人を振り返る、と。



「――――二人はどこへ行ったのかね?」

「ん? 何!?」



 ――――輝とマフツの姿は、既にこの空間から消失していた。

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