とある青年の一目惚れ
(どこかに…美しい娘はいないだろうか)
世界を股に掛けて商業を生業としているブライアン•ロドリゲスは、今訪れている国の貿易都市と呼ばれるコンポルトに来ていた。
ブライアンはとても整った顔立ちをしている貴公子のような青年だった。
短い赤茶の髪に、琥珀色の瞳。
爽やかな笑顔を向ければ言い寄って来ない女性はいなかった。
しかし…そんなブライアンの心に衝撃を与えるような女性には出会ったことがない。
なんでも手に入れてきた彼が唯一手に入れていないもの…それこそが、ブライアンを本気にさせることの出来る女性だったー…。
だから…ブライアンは求める。
(……本気にさせてくれる女性は…一体………)
そんな時ー……。
「泥棒よっ‼︎誰か捕まえてっ……‼︎」
大通りに女性の大声が響いた。ブライアンはその声の方に振り返る。
こちらに向かって勢いよく駆けて来る男の姿があった。
「あいつかっ…‼︎」
ブライアンはその男を捕まえようとして……。
「ねぇ、退いてくれる?」
後ろから誰かに押し退かされる。
そこに立っていたのは灰色の髪を持つメイド服の女性だった。
「おい、メイドー…早くしろよー…」
彼女の後ろには大きな紙袋を持った銀髪銀眼の色白の美青年がいた。
「ちょっと待っててよ。ついでに…あんたが作ったアレ、試してあげるから」
「お、本当か?じゃあ…俺、データを取るから……あんた、ちょっとこれ持っててよ」
「えっ…⁉︎」
彼はブライアンに紙袋を渡すとよく分からない四角い物を取り出して、彼女の方に構えた。
「メイド、本気な」
「勿論」
泥棒はもう既に眼前に迫っていた。
彼女はロングスカートの右側の裾を掴み上げると、ザッと右足を晒した。
「っっっっ⁉︎」
ブライアンは言葉を失くす。
女性が人前で足を晒すなんて…破廉恥だった。
彼女の白い足には不釣り合いな軍靴とガーター付きの黒いニーソックス。
そして……謎の鞭(?)。
「大人しく捕まりなさい」
彼女はそれを掴むと思いっきり振り下ろした。
「なっ⁉︎」
鞭だと思ったそれはどうやらロープのようで…先には小さな矢尻がついていた。
そのロープは意志があるように蠢き、泥棒の足に絡みつき転倒させる。
「うわっ⁉︎」
「暴れたら痛い目を見るわよ」
次の瞬間には彼女は泥棒の腕を後ろに捻り上げて、両手をロープで捕まえていた。
その手から盗まれたものらしい財布を奪う。
「あっ…ありがとうっ‼︎あんた達‼︎」
盗まれた女性が後からやって来て、彼女から財布を受け取る。
「盗難も犯罪だから…《銀翼館》に行こうか」
彼女を前に立たせて後ろで待機していた先程の青年は、そう盗まれた女性に声を掛ける。
「えっ……」
「《変人館》なんて呼ばれてもいるけど…普通に仕事はしているから。この街の治安のためにも、どんな事件が起きたかは把握したいんでね。協力願えますか?お姉さん」
彼はニコリと微笑む。警戒していた女性はその笑顔でたちまち、頷いていた。
「メイド、そいつの連行よろしく」
「買った荷物はそっちがしてね」
「………あ……まぁ…仕方ない」
彼はブライアンの元に来ると、荷物を受け取る。
「急に悪かったな。ありがとう」
そう言って、犯人を押さえつけた彼女の元に戻った。立ち去る直前…彼女は静かに頭を下げる。
その後ろ姿を見ながら…ブライアンは呆然と立ち尽くしていた。
「……………」
あんな刺激的な女性、初めて出会った。
気高くも強く……とても美しい。
感じたことのないトキメキが…ブライアンの胸を満たしている。
この日…ブライアンは名も知らぬ少女に恋をしたー……。
*****
《銀翼館》では、護身用にとユリウス特製の武器を持たされるらしい。
それぞれの特性に生かして作られた物なので…全てが唯一無二のオリジナルだとか。
「何故、護身用に武器を渡すの?」
そう問うたら…幹部達の身分が関係しているのだと言われた。
ユリウスは王弟だから納得だが…他の皆も何かしらの高い身分であるということだった。
それに付け加え…命を狙われることを多いユリウスを守るためにと、それに巻き込まれる可能性があるために武器は持っておいて損はないということだった。
そんなラナに渡されたのは…重り代わりの矢尻がついた特注の黒色のロープだった。遺跡探検で壁を登るために使っていたロープに近いものだ。
矢尻は付け替え可能のバリエーションが豊富で…ロープ部分もユリウスの特製らしい。
魔法でしなやかな軸を作りその周りをカーボンなんちゃらで加工して……とか言ってたが、詳しくは理解出来なかった。
取り敢えず……動かしやすくて、壊れにくくて、使いやすい武器だった。
「でも…ロングスカートがそんなところで役立つとはなぁ〜…」
ラナはユリウスの部屋で、右足につけられたホルダーにそのロープを固定して、スカートを下す。
必要最低限の家具しかないユリウスの部屋。そんな部屋で彼は色々よく分からない物が置かれたテーブルの上の書類をまとめながら、そう言った。
あの泥棒確保事件から早くも二日が経っていた。あの日からユリウスは、泥棒確保で取った試作品のデータを元にラナ専用を完成させたのだ。
今日はそれを受け取るためにここに来ていた。
「確かに…腰に有るよりはずっと良いわ」
腰にあっては作業中、邪魔になるだろう。スカートの中にあるのならば、邪魔にはならない。
「まぁ?余り出さないことを願う限りだな」
ユリウスはそう言ってクスクスと笑う。
変な人…要するに暗殺者がやって来る可能性があるから、これを渡されたのだ。
ユリウスの言うように……出来ることなら、使用しないで済むことを願う。
「そもそも…これを渡されてもそんなに慌てないメイドも中々だよなぁ〜」
「え?」
「他の奴らが言ってただろ?女性に武器を渡すなんて…って。でも、メイドは普通に受け入れた」
「………あー…」
ラナは苦笑する。
こういうのは遺跡探検でよく手にしていたから…余り困惑しなかった。
それは普通の人としては考えられないことなのだろう。
「俺らも癖があるけど…メイドも癖があるよなぁ〜」
ニタリと微笑むユリウスは面白そうだ。知的好奇心を刺激されている笑みというやつだろうか。
まだ、少ししか一緒にいないが…彼は結構、分かりやすかった。
ユリウスは大体、知的好奇心を満たすために動いている。
勿論、仕事もこなしているが…彼は気になることがあると、食事や睡眠を忘れる。
この武器を作るのもアクロバティックな動きをする自分に合わせて作れるということで好奇心が刺激されたらしく……二日間、徹夜したらしい。
ラナは余り無理はしないで欲しいと思いながら…彼の言葉を反芻して、苦笑する。
「そうね。あんな父親がいれば子の私も癖があるに決まってるわ」
「あんな父親?」
「……あ……」
「いっつも思うんだが…メイドの父親ってどんな感じなんだ?」
ラナは目を逸らす。
夢を今だに追い続け…娘を置いて、冒険に出かけるようなロクでなし。
でも…ただ一人の肉親。
「………まぁ…ロクでなしなのは確かよね」
ラナはしれっと言いのける。
ユリウスはキョトンとするが…面白そうにニコリと微笑む。
「メイドも苦労してんだなぁ」
「まぁね」
「少しぐらいなら甘えて良いぞ、俺に」
「………………ぇ…?」
ユリウスはラナの元に歩み寄ると…クスッと微笑む。
スルリと頬を撫でられて…ラナの背筋がゾクッとした。
「………どういう…意味…?」
震える声で…ラナは彼を見上げる。
至近距離で…彼の綺麗な顔が高い位置にあり…凄く身長が高いんだなぁ…と漠然と思った。
彼は恍惚とした笑みを浮かべる。
「言葉の通りだ。他の奴らに甘えられても気持ち悪いが…お前なら良いかなって」
彼の甘い声に…ラナはゴクッと喉を鳴らした。
思わず視線を逸らしながら…小さく呟く。
「………まだ、出会って五日程度よ?」
ユリウスは「あー…そうだな……」と声を漏らす。
「でも…お前はちゃんと芯のある人間だとか、嘘をついてないとか分かってるからなぁ…」
「………え?」
「魔法…嘘を見抜く魔法なんだ」
ユリウスは右目を指差しながら、クスッと微笑む。
嘘を見抜くとなると…彼に嘘は聞かないということだ。
「まぁ…そんなの関係なしでメイドはいい人だって分かるけどな」
「………えっ…」
ユリウスは意味深な笑みを浮かべる。
答えは…与えてくれそうにない。
「ふふっ…変だな……俺」
彼はそう呟くと…頬を撫でていた手の平が…ゆっくりと顎を撫で、首筋を撫でた。
その撫でる動きに沿って、身体がぴくりと震える。
「こんなこと言ったの…お前が初めてだぜ?メイド」
「……………う…ぁ…?」
「なんでかなぁ?」
少し不思議そうにしながら微笑むユリウスは…楽しそうで。
その余裕の笑みが何故かムカついた。
「しっ…知らないわよ……」
「だよな。俺にも分かんねぇんだから、メイドに分かったら怖いよな」
彼はそう言うとチュッと額に口付けをした。
ラナは真顔で硬直する。
「……………………ぇ?」
何度も瞬きを繰り返して…目の前の彼を見つめる。
「うん、やっぱり不思議だな。お前はあの廊下を渡って来たりとか、俺が王弟だと分かっても普通に…それも身分も気にせずに話し掛けたりとかするから……俺はお前に興味があって仕方ない」
ユリウスの言葉が上手く頭に入っていかない。
「うーん……まぁ、この興味が飽きるまで…協力してくれよ?」
そう言って彼はもう一度額に口付けをする。
「〜〜〜〜〜〜っ⁉︎」
ラナはそれを受けて、やっと何をされたのかを理解して…真っ赤になりながら狼狽した。
「ばっ…バカッ‼︎」
「ぐふっ⁉︎」
ラナはドスッと彼の腹部に正拳突きを繰り出す。ユリウスの身体がゆっくりと傾く。
ラナはそれを確認する前に…その場から逃げた。
無駄に上昇した体温は…ジワジワと彼女の思考を奪う。
おかしくなりそうだった。
心臓が異常なくらいに脈打っている。
こんなの…初めてで、何が何だか彼女にも分からない。
無意識で彼から逃げるように走ったからか…気づけば本館の方に来ていた。
「………ラナ?」
「……ぁ…ノヴァ……」
《地獄回廊》のところで息を荒げながら、立ち止まるラナを見て、ノヴァは不思議そうに首を傾げていた。
「…………どした…の…?」
ラナは目を見開く。
そして、誤魔化すようにいつも通り笑った。
「いっ…いや…何も…ないよ……?」
「…………そう…?」
彼は少し様子のおかしいラナを心配そうに見つめた。
そして、彼は思い出したように口を開く。
「……ぁ…あのね…ラナに会いたいって…人が……」
「え?」
「……なんか…この間の…泥棒事件の…人…?」
泥棒事件といえば……財布を盗まれた人かもしれない。
「……もしかして…あの女の人?」
「……ううん…違う……まぁ…来て?」
ノヴァに手を引かれて、法律部に連れて行かれる。
《銀翼館》は五つの部門に分かれている。
ノヴァが担当する犯罪や裁判、罪による処分を司る法律部部門。
エヴァが担当する露店や商売人、商店の管理をする商業部門。
レオンが担当するこの街に暮らす人々の生活を管理する生活部門。
マルクが担当する貿易都市ゆえに訪れる他国との交渉などをする外交部門。
ユリウスが全てをまとめて、監視、管理を行う総合部門。
その五つの部門が連携しあい…この貿易都市の仕組みを成り立たせていた。
そんな法律部のある区域のとある一室…その扉をラナはノヴァと共に開けた。
「…………っ…‼︎」
そこにいたのは、見ず知らずの男性だった。
短い赤茶の髪に琥珀の瞳…いい服を着ているから、身分のいい人だろうか?
そんな彼はラナを見た瞬間に息を飲む。そして…感動したように目を潤めた。
初対面の人間にそんな顔をされたラナは疑うように顔を顰めた。
「…………えっと…誰?」
彼はハッとして立ち、一礼をする。
「あの…失礼しました‼︎ボクはブライアン•ロドリゲスと言います‼︎」
「………ブライアンさん…?」
初めて聞く名前にラナは首を傾げる。
そんな人…知り合ってもいない。なのに…何故、会いたいと来たのか…不思議で仕方ない。
「ちょっと待って‼︎」
そんな時ー…唐突に開けっ放しだった扉の後ろから、エヴァが顔を出す。
その顔は…いつにも増して険しい。
「………君は…世界を股にかけるロドリゲス商会の会長?」
商業部門担当のエヴァは恐る恐ると聞く。
彼は「は…はい…」と頷いた。
「…………‼︎」
彼は絶句していた。そんなエヴァにラナは不思議そうに聞く。
「…エヴァ…ロドリゲス商会って何……?」
彼は「知らないのっ⁉︎」とギョッとする。
「ロドリゲス商会はこの世界の商業を牛耳ってるって言える組織だよ」
「………へぇ……」
そんな人が何用でここまで来たのか?
謎が更に深まって…ラナは警戒した目で彼を見つめる。
ブライアンはラナに近寄ると、しゃがみ込んで彼女の手を取った。
「っ⁉︎」
「……貴女のお名前をお聞かせ願えますか…?」
「…………ラナ…です…」
いきなり手を握られたことに困惑しながらも…ラナは素直に答える。
「ラナ…さん…」
ブライアンは何度も何度も口の中でラナの名前を繰り返す。
そして…決心したように息を吐くと…懇願するようにラナを見つめた。
「ラナさん…ボクと……結婚をして頂けませんか……?」
「………………………はぁっ⁉︎」
ラナは思いっきり素っ頓狂な声を漏らす。
共にいた双子も愕然としていた。
ラナは…どうしてこうも波乱が続くのだ…と頭を抱えたくなったー……。