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酒と肴とお小言

酒が用意されると、雅貴が自分の杯に酒を満たしその杯を久佳の前に差し出した。

「まずは使者殿の労をねぎらおう。」

「・・・痛み入りまする。」

久佳も雅貴の好意をありがたく受け取る事として両手で杯を受け取り、杯を掲げ一礼すると飲み干した。

「・・・ふう。」

夜通しの職務明けの一杯は久佳の体に染み入るようで、小さくため息をついた。

「良い飲みっぷりだな。いける口かえ。」

雅貴は嬉しそうに微笑むと空になった杯に酒を満たし、久隆の膳の杯を取ると自身のために酒を注いだ。

「あ、申し訳ありませぬ。」

「いや、かまわぬ。今宵は各々手酌で参ろう。」

酌をしようと銚子に手をかけた久佳を押しとどめ、雅貴はまたにっこりと笑った。

「ことに今宵はそなたの労をねぎらおうと申しておるのだ。かように気を遣わずとも良い。」

「恐れ入ります。」

「出来ればそのように堅苦しい物言いも無用であるが・・・まあそれは無理であろうの。」

久佳の人柄を思えば、いかに酒の席とはいえ筆頭家老の子息たる雅貴に砕けた態度は取れようがないだろう。解ってはいたがあえて雅貴がそう告げると、久隆は困った風情で酒に口をつけた。

「・・・無粋者で申し訳ありませぬ。」

「そなたは謝ってばかりだな。」

「申し訳・・・あ。」

真っ赤になって止まってしまった久佳を見て、雅貴ははじけるように笑った。いつもの面妖なほどの笑みとは違い、どちらかといえば幼く見えるほどの笑顔であった。

「あっはっは。ほんに面白い男だな。」

その言葉に久佳は度惑った様子で雅貴を見返す。

「面白い・・・ですか。」

「うむ。面白い。」

雅貴が杯を煽るのを見ながら、久佳は自分の杯の酒を含んで。

「私は無骨なばかりで・・・面白い事のひとつも言えるような男では御座いませぬゆえ。初めてそのような事を言われました。」

それは嘘ではなく。久佳は真面目な男ではあるが、面白いなどと言われたのは初めての事であったので面食らってしまった。

「そこが面白いのだ。」

煙管に火をつけると、ふわりと吸い込んだ煙を吐き出して雅貴は答えた。

「・・・興味深い。」

この男だけではない。雅貴は思った。

この数年人とはかかわらず過ごしてきたから気づかなかっただけなのか、人とは何と興味深いものなのだろう。今まで知らなかった和成や総吾との関りの心地よさも、総吾の繊細すぎるほどの心の響きにしても。

雅貴はいつものように流れる煙を見つめながらぼんやりと思っていた。

煩わしいながらも興味深い、ということか。以前の自分であれば、興味深くも煩わしいと思うていたやもしれんが。

「興味深い・・・。」

雅貴の言葉をそのまま繰り返した久佳は、その意味を図りかねていた。

一介の使用人に過ぎない自分が、筆頭家老の子息である雅貴と向かい合って酒を飲んでいるこの状況に、頭がついていく事が出来ずにいる。雅貴と始めて言葉を交わしたのは、つい10日ほど前の事でありそれもただ一度の事であったのに。どのような縁を持って自分は今ここにいるのだろうと久佳は思った。

「茅野殿、酒がすすんでおらぬようだ。」

その様子をいかにも楽しんでる風情で雅貴が声を掛けた。

「勤めの明けであれば、腹も減っておられよう。遠慮は要らぬ。」

そう言いながら自身は煙管をふかし、突然申し付けたとは思えないような手の込んだ酒の肴に箸もつけずにいる。そして手酌で酒ばかりがすすんでいた。

どうやら、雅貴はかなり酒が強いようである。杯につけられた唇へ酒が含まれていくのは、男から見てもなんとも艶かしくて、ぼんやりと久佳は見とれてしまった。

「ありがとうございます。」

確かに勤務の合間の休息以来食事を取っていなかった久佳は、言われてはじめて己の空腹に気づいた。

・・・雅貴様がお帰りになってから、どうも何かに酔っているような気分だ。

使者の勤めを果たした安堵感と、浮世離れした雅貴の典雅さにどうも慣れずにいる。それを振り切るようにまたぐいっと杯をあおった。

喉がぐっと熱くなって、ぐらりと酔いが襲う。更に何かに浮かされそうで、久佳はまずいなと思った。


「失礼いたします。」

障子の向こうから少女の声がした。

「お入り」

雅貴に促されると、先程お春と呼ばれた少女が障子を開け盆に銚子を載せて現れた。

「気がきくねえ。」

その雅貴の言葉に、盆の銚子を膳におくとお春は悪戯っぽく笑った。

「志乃様がきっとお酒が足りなくなるだろうとおっしゃったんです。」

「ほう、姉上が。」

少し複雑な表情を浮かべて、雅貴は呟いた。

・・・素直にありがたいと思うべきところであろうか、何故か安易にそう思えぬ。

「志乃様からご伝言があります。」

・・・やっぱり。

「言わなくてよい。察しはつくゆえ。」

苦々しげに更に雅貴が呟くが、お春は聞こえない振りをしてにこやかに続けた。

「飲みすぎは体に毒ですよ、と仰せです。」

「そう言いながらそなたに酒を持たせたのかえ。」

雅貴がため息混じりに言うと、早速新しい銚子を取り上げ酒を杯に注いだ。

杯の酒をくいっと一口で煽る様子を見ながら、お春は先に空いた銚子を軽く振り中身を確かめて、持って来た盆に並べた。

「これも空で・・・これも空いてますね。全く志乃様がおっしゃったとおりですねえ。全部空じゃないですかぁ。」

4、5本並べたところでお春は雅貴をじろりと睨んだ。

「雅貴様、志乃様本当にご心配なさっておいででしたよ。」

「解った。」

「こんなにお酒ばっかりお飲みになって。」

お春は盆を雅貴の目前に突きつけるように持ち上げて見せた。

「解ったというに。」

雅貴はそう言いながら、再び銚子を取り上げ杯に酒を満たしてはんなりと笑った。

「もう、本当にわかってくださってるんですかあ?どうせお食事も召し上がってないだろうと志乃様おっしゃってましたよ。・・・ほんとうに一口も手をつけてらっしゃらないんだから。」

「姉上には余計なことを言うんじゃないよ、お春。」

そしてまたその艶やかな唇に酒が含まれていく。

「それにお客人の前でお説教されちゃ、せっかくの酒も味気ないやね。」

咎めるのではなく優しくそう言うと、雅貴はただぼんやりと二人のやり取りを見つめていた久佳の杯に酒を注いだ。お春もさすがに言い過ぎたと思ったか、少し赤くなり申し訳なさそうに久佳に頭を下げた。

「あ、私にはお気遣いなさいませぬよう。このとおりご酒も美味しくいただいておりますから。」

久佳があわてて姿勢をただし雅貴に向き直り、杯を持ち上げると酒を含んで言った。さすがに筆頭家老の阿南家となれば用意される酒も一級品であるようで、喉を心地よく滑っていく。

「ところで戸倉家へは誰ぞやってくれたかえ?」

「はい。お使いは先程戻りました。戸倉様はご息女様が応対なされたとのことでございます。」

お春の言葉に、雅貴が興を惹かれたように答えた。

「戸倉家にご息女がいらっしゃるのか。ほう。」

「主人の遅くに出来た一人娘でございます。今年16になったばかりの。」

久佳が答えると、お春がちらりと雅貴を見て意味深に言った。

「さすがの雅貴様でもお年が離れすぎでございますね。」

「私は何も言ってないよ。それにさすがの、とはどういう意味かな?」

「雅貴様が思っておいでのとおりの意味ですよ?」

しれっとお春が答えると、雅貴はまた困ったように笑った。

「お春にかかっちゃ、私はとんでもない遊び人だな。」

「あら、そうじゃなかったんですか?」

「人聞き悪いからやめてくれ。」

雅貴がすっかりふてくされたように言うと、とうとうたまりかねたのか、久佳がくすくすと笑い出した。


「騒がしくてすまないな。」

お春が隣室に寝所を用意すると部屋を出ると、雅貴は久佳に酒をすすめながら言った。

「いえ、とんでもありませぬ。私こそ・・・その無礼なまねを。」

どうやら、久佳はつい笑ってしまった事を詫びているようである。

「ん?ああ、かまわぬ。それにしてもあの年頃の女子は口が達者で困る。」

「ええ。本当に。」

久佳も思い当る事がある様子で、少し視線を遠くにやりながらふっと笑った。

「邪気がなくて、可愛いところもあるんですけどね。」

そういって、はっと我に返ったのか赤くなりながら久佳は受けた杯を煽った。

・・・誰を思い浮かべて言ったやら。

雅貴は煙管をふかしながらその様子を楽しむかのように見ていた。

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