実直な使者の知らせ
「私に登城せよと?」
夕刻。どこから戻ったのか定かではないが、ふらりと屋敷に現れた雅貴を待っていたのは城からの使者であった。
いつ戻るか解らぬ雅貴を数刻待っていただろうに、にこやかに出迎えたその使者は、いつぞや城の裏門で会った門番であった。茅野久佳と名乗ったその男は、御用人戸倉家の家臣であると身分を明かした。
「はい。殿が明日登城するようにと仰せであるとのこと、直接阿南の若様へお伝えするようにと言付かって参りました。」
「ふむ。」
屋敷へ戻った袴姿のまま雅貴は思案顔して空を見つめていたが、ふと視線を戻し訊ねた。
「して、何ゆえにそなたが使者として遣わされた?」
御用人の更に家臣である久佳が殿の言伝を言付かるなどと、ありえない話である。城に寄り付かない雅貴でもそれくらいは解っていた。
「それに戸倉家の家臣であるそなたが、門番をしておるのも訳があるのか?」
雅貴の重ねての問いに、久佳は穏やかに答えた。
「戸倉家の主人は高齢でございまして、また跡取りがおりませぬゆえに、幼き頃より戸倉家にお世話になっている私が代わりにお勤めを果たしております。先日裏門を守っておりましたのは勤めの一つにございます。」
そして困ったような笑顔を浮かべて。
「本日使者として言付かりましたのは、おそらく・・・偶然かと。」
その言葉に訝しげであった雅貴は視線に興味深い色を浮かべた。
「偶然とな?」
「はい。」
きっちりと姿勢も崩さず居住まいを正したまま、久佳は雅貴を見返した。先日裏門で会った時もそうであったが、真面目で素直な男なのであろうと思える佇まいであった。
「昼を過ぎた頃にございます。私が昨晩からの勤めを終えまして申し送りのため城内へ戻りましたところ、中庭を通りかかりました折にお傍仕えの小諸様に呼び止められたのでございます。」
「ほう・・・小諸殿に。」
不意に出た純人の名前に雅貴の表情がほんの少し曇ったが、いつものように他の誰にも気づかれないうちにまたとぼけたようなはんなりとした微笑を浮かべた。
・・・やはり純人が関わっていたか。
殿のお召しという時点で、傍に仕える純人が知らぬはずはないことは雅貴にもわかっていた。だからこそ使者を遣わしてまで呼び立てる理由を訝しく思った。
「はい。ですので偶然であろうかと。」
雅貴の思いをよそに、久佳は素直にうなづいて見せた。
本当にたまたまそこを通りかかった久佳を呼び止め使いを頼んだだけ、純人の様子はそのように思えた。
「・・・して、何用でのお召しか?」
純人の思惑を図りかねながら雅貴が問うと、久佳は再び困った表情となり。
「それはあいにく私には判りかねまする。ただ阿南の若様に、明朝登城し殿にお目通りなさるよう伝えよとの仰せにございました。」
それを聞いた雅貴がいつもの微笑を外し、珍しく眉をひそめて思案顔となったためか、更に申し訳なさそうに久佳は頭を下げた。
「お役に立てずに申し訳ございません。」
「ん?ああ、いや。そなたが悪いわけではない。」
雅貴は優しく笑うと、役目を果たした使者を労った。
「わざわざの使い大儀であった。礼を言う。」
「とんでもない事でございます。ただ私は申し付かった事をお伝えに参ったに過ぎませぬ。」
慌てた様子でもう一度頭を下げた久佳を見て、雅貴はふと思いついたように訊ねた。
「ところでかなり待たせてしまったのではないか?それも私がいつ戻るかも解らぬのに。」
すでに日はとっぷりと暮れており。久佳が勤めを終えたのは昼過ぎといっていたから、ゆうに二刻は待たせてしまったのではないか。
いつもの様に出先を告げるでもなく、戻りを伝えるでもない雅貴であるから、屋敷の者も使者が来たとて伝えるすべもなかったのであろう。
今宵戻ったのも、あくまで雅貴の気まぐれに過ぎないのだ。
「家人にでも伝えてもらえば良かったな。すまぬ。」
「あ、いえ。」
久佳は更に恐縮し、顔も上げずに言った。
「私が参りました際にご対応くださったお方は、伝言をお伝えくださるとおっしゃっていただきましたが、私が勝手にお待ちしたいと申しましたゆえ。かえって図々しくも居坐ってしまいまして、私のほうが申し訳なく思うておりまする。」
そしてやっと顔を上げると傍らの茶器に目をやり。
「お女中殿もかように気遣いを頂き、先刻はご息女様みずから新しく茶をお運びくださいました。」
・・・どうりで帰るなり姉上がお怒りだったはずだ。
ふらりと戻りくぐった裏門で、早速雅貴をつかまえて使者の訪問を告げた志乃の様子を思い出し、雅貴はふうっとため息をついた。
そのため息をどのように受け取ったのか。
「申し訳ございません。小諸様からからくれぐれも直接お伝えするようにとの事でございましたので。」
・・・それにしても。
改めて久佳に向かい直りその顔を見ながら雅貴は思った。
なんとも真面目な男だ。いかに役目とはいえ、何刻も待たされたであろうにかえって迷惑を掛けたと侘びを言うとは。それに気遣いを頂いたと礼を述べてはいたが茶には手もつけておらず。ただ役目を果たすために待っていたという事か。
「それもそなたが謝る事ではない。迷惑を掛けたのは風来坊な私だ。」
くすっっと笑うと雅貴は久佳に向かい訊ねた。
「そなた、戻りは急ぐのかえ?」
「戻り・・・でございますか?」
問われた久佳はぽかんとして雅貴を見た。
「これだけ待たせておいて急ぐかもないものだが、時間が許すのであればいま少し私に付き合ってはくれまいか。」
雅貴は先日久佳が見た雅な笑顔となり、立ち上がると障子に手を掛けた。
「酒の用意をさせよう。一杯付き合ってくれ。」
この男とならうまい酒が飲めるやも知れぬ。雅貴はそう心の中で呟きながら、ふと思い出した。
・・・また姉上に衆道の趣味を疑われるかも知れぬな。
そして一人くっくっと笑った。
「ご酒にございますか。」
一方、久佳は少し困った表情で呟いた。
「飲めぬのか?」
「いえ、飲めますが・・・その。」
そして恥らうように雅貴を見上げた。
「大変嬉しいのですが、昨晩より勤めを果たしての明けでございますゆえ、その・・・情けなくも睡魔に負けてしまうやも、知れず・・・。」
「ああ、そうか。左様であったな。」
雅貴ははじけるように笑うと。
「そなたさえ良ければ、戸倉家へ使いを出そう。ただでさえ引き止めてしまい帰りが遅いのを案じておられるかも知れぬ。もしも睡魔に負けてしまったなら、泊まっていかれると良い。」
「いえそのような事は主人にも叱られます。」
久佳は慌てて言ったが、雅貴は悠然と笑い。
「戸倉殿には阿南の放蕩息子の我侭で、使者殿をお貸しいただきたいと伝えよう。・・・迷惑かえ?」
かように優雅に誘われては断る事など誰が出来ようかと、久佳は改めてその雅やかさに当てられてしまった。
「・・・迷惑などと、とんでもございません。」
「無理を言ったが、許せ。」
雅貴はそう言うと、障子を開け母屋へ声を掛けた。
「お春!酒の用意を頼む。それから誰か戸倉家へ使いをやっておくれ。」
「はーい。」
可愛らしい返事か聞こえたと同時に、こざっぱりとした小袖姿の少女が姿を見せた。
「酒宴の用意を。あと、戸倉家に使いをやってこの私の我侭で一晩茅野殿をお借りすると伝えておくれ。」
お春と呼ばれた少女は、ぱっちりとした目をくりくりさせながら尋ねた。
「使者様お泊りにございますか?」
「そうだね。そうなるやもしれぬ。」
そう答えながらにっこりお春に笑いかけた雅貴の視線の端に、母屋の広間の障子から覗く志乃の姿がかすめた。
「此処のところ、離れには麗しいお客様が多うございますね。」
「お春。」
雅貴は苦笑すると目の前の少女に窘めるような口調で言った。
「いろいろと誤解を生むから言葉には気をつけておくれでないか。」
そして視線を上げ、志乃へ目線をくれると意味ありげに妖艶な笑みを向けてから、少女を促した。
「酒を頼めるかね?使いの者もね。」
「はーい。」
母屋の志乃は顔を赤くしながら障子の陰に隠れてしまったので、雅貴はまた一人くっくと笑いながら障子を閉めた。