寂しさの共鳴
志乃が客人二人に挨拶をして部屋に戻った後、静かに雅貴が障子を閉めて振り返ると総吾がため息をつくように言った。
「綺麗な人ですねえ。」
「ん?姉上か」
雅貴はふっと笑うと、障子の向こうを見ながら言った。
「そうだな。」
・・・本当にあの人は変わらない。ずっと。
雅貴はほんのりと甘いそして苦い思いを感じながら、振り切るように視線を部屋に戻した。
「総吾は覚えてないかもしれないが、志乃様はずっと祭の一の巫女を勤めておられたんだよ。」
和成がそう言うと、総吾は思い出そうとするように空を見つめていたが記憶は辿れきれなかったようで。
「・・・覚えてない。いつまで?」
「俺が14の頃だったと思うから、10年ほど前かな。」
「ってことは、俺は10か。祭りには行ったと思うけど、巫女様なんて見てなかったかも。」
総吾の素直な答えに和成はふふっと笑うと言った。
「だろうな。」
その和成の様子を見て、総吾が慌てたようにいった。
「あ、覚えていないのは俺がまだ子供だったからだよ!」
「俺は何も言ってないぞ。」
和成はにやにやと笑いながら続けた。
「例えば祭のご馳走の事で頭がいっぱいだったんだろうとか。」
「言ってなくっても和にい絶対思ってたじゃん。」
・・・なかなか総吾も察しが良くなってきた。
更ににやにやと笑いながら、和成は思った。
「違うのか?」
「ち、違うよっ。まだ幼くって覚えてなかっただけだよっ。本当だからなっ。」
総吾はむきになって否定するが、和成のにやにや笑いは収まらない。
「へえ。」
「なんだよ。その笑い方やめてよっ。」
すっかりふくれっ面になった総吾を覗きこみ、和成は真面目な顔をして。
「俺はただ笑っているだけだぞ。それとも怒ってるほうがいいか?」
「怒られるのはもっとやだ。・・・っていうか何で怒るんだよっ!」
にやり。再び和成は笑みを浮かべた。
「じゃあ笑ってていいんだな。」
「なっ、なんでそうなるんだよっ。」
「まあまあからかうのもその辺にしておいてやれ。」
二人の仲の良さに、にっこりと笑いながら雅貴が割って入った。
・・・ほんにこの二人は兄弟のようだ。少しうらやましくも思うほどに。
「・・・からかいすぎましたか。」
和成が真面目な顔に戻って、頭を下げた。
・・・こいつは少し真面目すぎる帰来があるようだ。雅貴はそう思った。
学問所で一緒だったはずだが、あまりかかわった記憶はなかった。歳は将希と同じくらいだったとの覚えがあるが、ずっと部屋の隅で書物を読んでいたような気がする。
「あまりからかって、泣くと困る。」
更に雅貴がにっこりと笑うと、顔を真っ赤にして総吾が否定した。
「な、泣きませんよっ。」
「おや。そうかえ。」
雅貴はもう一度微笑むと、懐から朱色の扇を取り出しいつものようにその天を口許に当てた。
それを横目に総吾が愚痴てみせる。
「全く雅貴様も和にいも俺のこと子ども扱いばっかりして。これでもちゃんと元服を終えた男なんですからね。」
「そうかそうか。そりゃあ悪かった。」
・・・ちゃんと元服した武士はほほを膨らませたりはしないと思うぞ。
和成はそう思いながら、ふと雅貴の手元の扇に目を留めた。
「舞扇・・・ですか。」
「うむ。」
答えながら雅貴は開いたり閉じたりしながら弄んでいた。
「雅貴様いつもその扇をお持ちですよね。とってもお似合いだけど・・・。」
総吾は持ち前の素直さ発揮しながら、あっさりと問うた。
「女物ですよね?」
雅貴はふと虚を突かれたような表情になったが、手元の扇を静かに広げ視線を移した。
「そうだな。」
雅貴の扇は巷でも人々の・・・多くは女人達の噂となっている。
その扇を贈られる者が雅貴の寵愛を受けるのではないか、もしくは心に決めた女性がいてその約束の証なのではないかなどと噂は舞っているが真実を知るものは誰もいなかった。
もちろん、雅貴自身も決して語らない。
「大切なものでな。愛用しておるのだ。」
それだけ答えると、漆塗りの中骨にそっと口付けるように雅貴は顔をうずめた。
「やっぱり噂は本当なんですね。」
「・・・噂?」
不審げに雅貴が訊ねると、総吾は大きな瞳をくりくりとさせながら答えた。
「その扇の持ち主が雅貴様の大切な人だって女達が噂してましたよ。だから雅貴様は誰のものにもならないって。」
・・・こいつ意味がわかって言ってんだかどうだか。
和成は半ばひやひやしながら2人の会話を聞いていた。
・・・素直なのは良いがあまりに踏み込みすぎのような。
「・・・ほう。そのような噂が。」
しかし、和成の意に反して雅貴は楽しそうに笑った。
「女子の勘は馬鹿に出来ぬな。私もまだまだ修行が足りぬと見える。」
・・・女たらしの放蕩息子という隠れ蓑は万全ではなかったか。まあよい。本当の所は誰にもわからぬゆえに。
雅貴は自分をあざ笑うように微笑むと目の前の杯を煽った。
「世の中は好きなように噂するものよ。何が真実でもかまいはせぬ。」
「・・・真実、ですか。」
・・・真実とは何だろう。この方はふわりふわりと生きているように見えるが、それは真実ではないのだろうか。
今まで関りのなかった雅貴に和成の興味が引かれた。別段、人の色恋に踏み入ろうとは思わないが、この方の纏う空虚な気だるさは何だ。
その和成の心の動きを打ち消そうとするかのように、雅貴はひらひらと扇を舞わせて。
「ああ。気にするな。真実などどうでも良いのだ。所詮、人は我がの思いたい様にしか思わぬもの。ならば、人の思うがままに任せるのも一興、と。」
ぱちり。扇を閉じて雅貴は妖艶に微笑み目を細めた。
「そう思うているだけだ。」
「・・・なんか難しい話になっちゃった。」
大きな瞳に悲しそうな色を浮かべて総吾が呟くと、遠くを見るように語っていた雅貴も、その雅貴の中にある何かを見据えようとしてた和成も総吾を振り向いた。
「な、なんだよ難しい話だからって悲しくなっちまったのか?」
和成がわざと茶化すように言ってみたが、総吾は首を横に振って。
「小難しい事を言ってしまって悪かったな。つまらぬことを言った。」
雅貴の言葉にもまた総吾は首を横に振るばかりで。
「そうじゃないよ、そうじゃないんです。難しいから嫌じゃなくて・・・よくわからないけど。」
総吾はその瞳に浮かんであふれそうになる涙を、食いしばるようにして飲み込もうとしていた。
「・・・なんか寂しい。何かわかんないけど寂しくて悲しい。」
「わ、な、泣くなよ。」
和成があわてて総吾の肩を掴むと揺さぶった。総吾はがくがくと揺さぶられながら。
「まだ泣いてないよっ。」
「まだって、泣くんじゃねぇかよっ!」
「我慢してんだよっ。」
「男が泣くんじゃねぇよ!」
「だからまだ泣いてないってば!」
唖然と総吾を見つめていた雅貴が、煙管に火をつけてふうっと息を吐いた。
「・・・何が寂しい?何故にそなたが悲しむ?」
「わかりません。何が寂しいのか悲しいのか。」
それを聞いて、雅貴はまた息を吐いてふっと笑った。
「そいつぁ、困ったねえ。」
その雅貴の笑顔を見て総吾が呟いた。
「ああ、そうか・・・寂しいのは俺じゃないんだ。」
「ん?」
雅貴は煙管を咥えたまま、首をかしげて総吾を見つめた。
「寂しいのも・・・悲しいのも、俺じゃなくて・・・。」
雅貴の目を見ながら、総吾は呟くように答えた。
「・・・寂しいのも、悲しいのも雅貴様なんですね・・・笑ってても、いつも。」
その瞬間和成が雅貴を振り返った。雅貴はいつものように微笑っていたが、そのまま凍りついたかのように止まってしまう。
そして、もう一度煙を吸い込みゆっくりと吐き出して、雅貴は空を仰いだ。
「・・・本当に困ったねえ。」