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朝靄の屈辱

早朝の武道場では将希が一人木刀を振っていた。

ただ空を切る音が響いている。

・・・集中できない。

将希は最後に一振りするとそのまま立ち尽くした。

誰もいない武道場で木刀でも振れば気持ちは晴れるかと思い登城してみたが、冷ややかな空気の中ひたすらに振ってみても思考はまとまらないばかりだ。

先日広間に集められてからなんとなくすっきりしない気持ちがたまっていく。

登城しても人々が噂話をしているのが目に入る。もしくは取り入るような下流武士のおべっかに疲れ果てる。屋敷に帰れば不機嫌な父との会話にそろそろうんざりしていた。

「・・・何もかも面倒だ。」

そう呟くと将希はもう一度木刀を構え真正面から振り下ろした。

何故に剣ではない?剣術であれば誰にも負けはしないのに。

女子供のようにこの俺が唄を歌うというのか。

同じ思いばかりが渦巻いて、何度木刀を振り下ろしても切って捨てる事ができない。


・・・おや。あれは。

朝の見回りよろしく自室から広間へ向かおうとしていた純人は、武道場に人の気配を感じて立ち寄ってみた。

かような時刻に誰かと思えば、望月将希殿ではないか。

「稽古に熱心なのか・・・それとも。」

そこまで呟くと純人はふっと笑いを浮かべた。

・・・稽古に没頭できている顔ではないな。とても無心の境地には至るまい。

はたから見ていても何かに迷いそれを切り払おうとしている剣だ・・・あれは。

声を掛けるべきか掛けざるべきか少し迷ったものの、純人は音も立てずに少しだけ開いていた道場の戸を、今度はわざと大きめの音を立ててがらりと開いた。

「朝早くから稽古ですか?」

いかにも今来たといわんばかりに、優しげな笑顔を浮かべて見せながら純人は声を掛けた。

「・・・純人殿」

振り返った将希はいささか眉を上げて怪訝な顔をしたものの、木刀を納めて頭を下げた。

純人が開いた戸から朝の日差しが四角く切り取られて道場の床に落ちた。

静かにその戸を閉めると純人は振り返った。

「ご精が出ますな。かような朝早くから。」

「いえ。勝手に武道場を使って申し訳ありません。」

木刀を壁に戻しながら将希は答えた。

「ああ。邪魔をしてしまいましたね。どうぞそのままお続けください。私は失礼いたしますゆえ。」

そう言うと純人は武道場を出ようとしたが、将希は首を振って。

「いえ。もう終わるつもりでしたので。」

・・・ほう。

将希の表情に純人の意地悪な気持ちが少し動いた。

「集中できないから、ですか?」

にっこりと笑う純人をはっとしたようにもう一度見返して、将希は動きを止めた。

「・・・どういう意味ですか?」

「特に意味はありません。でもね。」

純人は壁にかかった木刀に手を伸ばすと一本手に取り、将希を見つめ返した。

「私は剣術は得意ではございませんが、将希殿はなにやら迷われているご様子でしたから。集中できずにおいでかと。」

そのはんなりとした純人の笑顔は将希の苛立ちを呼んだ。

・・・誰かに似ている。この表情、はぐらかすような物言い。

「俺の剣に迷いがあると仰せか。」

苛立ちを抑え搾り出すように将希が呟くと、純人は少しも慌ててなどいないくせにわざとらしく驚いて見せた。

「とんでもない。私は将希殿の剣をどうこう言えるほどの腕前ではございませんよ。」

そういえば将希は純人の剣術の腕前など知らなかった。武道場に現れる事もなく、過去の剣術大会や練習試合に参加した事もない。

他の家臣の子息とは違い、元服前から隆清の傍に仕えていた純人は学問所にも通わずにいたからほとんど子息達とは交流がなかった。

「では、その腕前見せていただこう。」

将希が一度戻した木刀を手に取る。

・・・なんだか腹立つ気持ちが治まらない。本当なら切り捨ててしまいたい。

俺は、この人と同じような物言いをする人間を知っている。悔しいけれどいつまでも追いつけなかったあの人と同じだ。

「やめましょう。私では将希殿のお相手は務まりません。」

もう一度にっこりと笑うと、純人は木刀を壁に戻そうと将希に背を向けた。

少し意地悪が過ぎたか。この単純な自尊心の高い優等生は少々面倒だ。そう思った瞬間。

「参るっ!」

将希の木刀が空を切る音が背後から聞こえた。

「っと。」

とっさに純人は振り返り片膝を付くと、手にしていた木刀で将希の木刀を受け止めた。

「ぶしつけな。」

「くっ」

止められた。その事実が将希の怒りに火をつけた。

それ以上に片膝を付き下から見上げる純人の余裕を見せた表情が苛立ちを更に掻き立てた。

「これは・・・いただけませんな。」

上段から振り下ろしそのまま歯を食いしばるように力任せに上から押し付ける木刀を、下から受け止めているはずなのに笑顔さえ浮かべて純人は言った。

「不意をつくとは将希殿らしくもない。・・・っと。」

さすがにとっさに受け止めた右手だけではつらくなったか、純人は木刀に両手を添えて眉をひそめた。

「らしくない・・・。貴方に何が解る。」

ぎりぎりと音さえ聞こえそうな程歯を食いしばりながら将希が言うと。

「確かに。」

一言そう言うと純人はくるりと半身を回転させ、将希の力任せに押し付けていた木刀をかわした。勢いあまって膝を付いた将希を今度は純人が見下ろす形となって。

「私は貴方を解ってないかもしれませんね。」

そしてまた純人は木刀を壁に戻すとにっこりと笑った。


「何故、唄なんです。」

暫く膝を付いたままだった将希がぽつりと言った。

壁にもたれ腕を組んだまま、将希を見つめていた純人はふっと笑った。

「何故、ですかねえ。理由は私も知らないんですよ。」

「剣術なら解る。それなら・・・」

「誰にも負けない、ですか?」

純人はふふっと笑い声を含みながら訊ねた。そして。

「本当に誰にも負けませんか?」

・・・誰にでも、負けないと思っていた。この俺に勝てる奴などこの国にいないと思ってた。

まだ小さな子供の頃どうしても年上の雅貴殿には敵わなかった。それが悔しくて毎日必死に稽古した。剣術大会でも負けた事などなかった。今の俺ならきっと雅貴殿にさえ勝てると思っていた。

でも今、純人殿に軽く往なされてしまった自分がいる。

「私も良くはわかりませんが。人間負けた事がないとそれ以上強くはならないんじゃないですかね。」

咎める様子でもなく純人はあっさりと言う。

「将希殿は私に負けたわけじゃありません。ご自身の感情に負けられたのですよ。」

「俺の感情?」

純人の放った言葉を将希は繰り返した。

「多分ご自身の・・・おごりという感情に。」

先程純人の背に向かって木刀を振り下ろした時、将希は勝とうなどとは思っては居なかった。勝ち負けさえ意識していなかったのだ。当然のように振り下ろされた剣は純人を打ち崩すと思っていたのだ。

それがおごりだと、おごりだったとこの人は言うのか。

俺の実力はそんな薄っぺらな物だったのか。

悔しいなんて思う事すらできない。

・・・無力だ。

そう。心に浮かんだ言葉は、ただ無力。

「困りましたねえ。」

純人は肩をすくめながら言った。

・・・参りましたね。こんなに落ち込まれようとは。挫折したり否定された事のない人間とはもろいものだとは思ってはいたが。

事実、純人は剣術は強いほうではない。現に先程とて将希を打ち据えたわけではなかった。真直ぐに向かってきた力を逃しただけに過ぎない。

・・・小賢しいからな、私は。

「立てますか?」

手を差し出そうとしたが、それはさすがに将希の自尊心を傷つけると気づき思いとどまった。負けたと思った相手に情けを掛けられるのは男として屈辱であろう。

将希はふらりと立ち上がると、ゆっくりと木刀を壁に戻した。

「大丈夫です。」

ほう。強がりますか。自信家の若さまであればあるいは逆切れするかとも思ったが。

「そうですか。では私はそろそろ失礼して職務に戻りますゆえ。」

純人は将希に一礼すると道場を出ようとした。

「純人殿」

自分でも気づかぬうちに純人を呼び止めてしまってから、将希は続ける言葉が見つからずに黙り込んでしまう。

・・・俺は何をこの人に尋ねようとしたのか。

そんな将希を見て、純人は微笑を浮かべて優しく言った。

「将希殿。まだ時間はありますよ。ゆっくりとお考えになれば宜しいかと存じます。」

再び礼をして、純人は将希を残し道場を後にした。

・・・もしかして隆清様はかような事を考えての上で、この度の祭事を。

ふと浮かんだ思いを純人は一人首を振って打ち消した。

まさかそこまで深くお考えになろうはずがないではないか。








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