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不毛な詮議という名の序章

まったく、とかく人の世とは暇だとろくなことがない。


高遠藩当主本城隆清たかとうはんとうしゅほんじょうたかきよは詮議が始まってから15回目のあくびをかみ殺しながら考えていた。15回目というが本日の詮議はまだ始まって半刻ほどである。

まだ続くのか?この小競り合いは。

16回目のあくびはかみ殺せず一面だけ開いた扇に隠してみたが、隠さずとて誰も見てはいなかった。目の前の家臣たちは半刻の間、相手の揚げ足をとり自分の自慢をするのに忙しく上座の隆清など気にも留めてはいない。


高遠藩10万石。大きくも小さくもなく、暑すぎも寒すぎもせず、豊かすぎず貧しすぎず。そんなこの国では毎日が平穏に過ぎていた。民は穏やかに暮らし田畑を耕し年貢を納めており、今は秋に行われた祭りの片付けにいそしんでいた。


だというのにだ。まったく何が不満なのだか。

17回目のあくびはため息になった。

隆清が病床の父に代わり家督をついで一年。毎日朝より行われる詮議は、父と変わらぬ年の重臣たちの自慢と嫌味ばかりである。


「そういえば先日の祭りは盛大でありましたな。」

そう言ったのは筆頭家老の望月である。

恰幅のよい体を豪奢な着物に包み、声も大きく尊大な印象さえ与える男だ。

「今年は天候にも恵まれ、巫女の舞いもいっそう典雅であった。」

祭りでは娘が一の巫女を勤めており、城下一美しいともてはやされた自慢がしたくてならぬらしい。

「望月様さぞかし民も喜んでおりましょうぞ。」

望月派の家臣がさらに持ち上げるように言うと、望月は満足そうにうなづいた。

すると。

「望月殿、その話はもう本日二度目でございますな。」

そう口を挟んだのはもう一人の筆頭家老阿南である。

歳は望月より二つほど下であるが色が黒く引き締まった体をしており、彫りの深い顔立ちはしわを刻んでもなおかつての男ぶりが衰えていない。

「左様であったかのう。しかし、楽しき話は何度あってもよいであろう?阿南殿。」

「いや、切れ者といわれた望月殿も寄る年波には勝てず、先にお話されたのをお忘れかと思いましてな。」

要するに年よりはくどいと言いたいわけか。

判りやすい嫌味に、隆清だけでなくほかの者たちも気づいたようだ。言われた望月もさすがにむっとした様子で阿南を睨みつけた。

「寄る年波とは無礼であろう。そなたとは大して年も変わらぬ。」

「左様でございましたかな。しかし私はまだ己の申した事は覚えておりますが。」

「わしも覚えておるわ!」

いきり立った望月に阿南は薄ら笑いを浮かべながら。

「もの忘れの病は恐ろしいことに自分では気づかぬとか。」

怒りのあまり顔を赤くする望月だが、阿南の飄々とした物言いにさらに怒りが増しているようである。

扇を持つ手がふるふると震えているようだ。


毎日毎日よく同じことができるものだ。

隆清が、ほかのものはと見渡せば、二人の筆頭家老の小競り合いは日常茶飯事のためか、興味もなくただ遠くを見ている者、隣と私語を交わしている者、賄方の武石にいたってはとうとう居眠りまでしている始末である。


ああ。もうめんどくさい。

18回目のあくびとともに心の中で吐き出したと思ったが、心の声は思いがけず大きかったようだ。

「殿。」

隆清の左脇より静かであるがたしなめる声がした。

隆清のそば仕えをしている小諸純人こもろすみとである。端正な顔立ちではあるが、あまり表情が出ない男だ。

隆清が純人の顔を見ると、口元だけに笑みを浮かべたので、隆清は扇の陰に隠し純人だけに見える角度でこっそりと舌を出して見せた。

残念なことに「詮議」と言う名の茶番はまだまだ続くようである。



「あの詮議に意味はあるのか?」

ようやく昼になり自慢と嫌味大会から解放された隆清は、自室に戻るなり羽織を脱ぎ捨て、手足を伸ばすように背伸びをしながら純人を振り返った。

純人は膝を付き部屋の戸を静かに閉め終えると、そのまま視線を隆清に視線を向けた。

「ある…のではないですか?恐らく」

「専ら望月の自慢と阿南の嫌味の応酬ではないか」

部屋の中ほどにばさりと袴の音を立てて隆清は胡坐をかいて座ると、膝に右ひじをついて半ばふてくされたように座った。脱ぎ捨てられた隆清の羽織を拾い上げたたみながら、24になられた今でもその様は幼児の頃と変わらぬと純人は思った。

「殿。お行儀が悪うございますよ。」

言葉ではたしなめてみるものの、その声色は笑いを含んでいた。

「どうせそなたとわししかおらぬではないか。」

さらに子ども扱いされたと口をとがらす隆清に、純人はめっ!と怖い顔をして見せて。

「いつまでも若様ではないのですから。」

「どのみち望月も阿南もわしをまだまだひよっことしか思うておらぬ。」

とうとう両肘を膝に付き両手で顔を抱えるようにして隆清は純人を見返した。

「純人。そなたもじゃ。」

おや。とばっちり。

純人は内心のおかしさを隠しながら肩をすくめて見せた。隆清が八つの時より十歳だった純人はそばにいるが、二人だけになってしまうと殿は少しも変わっておらぬと純人は思う。

しかしながら隆清様が疲れてしまうのも無理はない。何しろ平和すぎるのだ。

「それもこれも父上が筆頭家老を二人にしておる故じゃ。」

望月家は高遠藩ができて以来筆頭家老を勤める名家である。武芸に秀でており、いざ有事となれば軍を束ねるのは代々望月家の当主である。対して阿南家は古くは公家の血を引く家であり祭事を担っていたが、今年の祭では阿南家に娘がいないため、望月家の息女であるたえが巫女を務めたといういわくがあった。それ故望月は祭の話を持ち出し、阿南はそれをさえぎるというわけだ。

阿南家が筆頭家老職に着いたのは四代前の頃、大きな水害があり当時の巫女が舞を舞うと水が引いたということからといわれているが、事実は定かではない。

なんにつけても筆頭家老が二人とはいかにももめる元ではあったのだ。

「しかしながらお二方とも何ら失態もございませぬゆえ、どちらかだけを筆頭にというわけにも参りますまい。」

純人がさらりとそう言うと、隆清は大きなため息をついた。

「判っておる。判ってはおるが毎日あれではわしもたまらぬ。」

それはそうだろうと純人はうなづいた。

「左様でございますな。」

「まったく平和なのは良いことだが、つまらぬ諍いばかりしておる。それにだ。」

隆清のまだあどけなくも見える瞳に、陰りが見え少し大人びた表情になった。

「それぞれ臣下の者たちも二方に別れて自慢や揚げ足取りばかりしておる。」

そしてもう一度ため息になった。

隆清様なりに心を痛めているのだと純人は思った。

「殿はあくびばかりなさっておいでかと思っておりましたが、良くご存知でいらっしゃいますね。」

だからこそ少し茶化して純人は微笑んで見せた。

「わしはこれでも高遠藩当主なるぞ。」

「失礼仕りました。」

「いつまでも子ども扱いするでないわ。」

残念なことにそう言う隆清様の表情は今もお可愛らしいのだ。

ぷいっとばかりに横を向く隆清に思わず噴出しそうになりながら、純人は微笑を崩さずにいた。

「子ども扱いするなとおっしゃる大人はおりませぬ。そのようなお言葉が出るうちはまだまだかと。」

横を向いた隆清の顔が赤くなったかと思うと、立ち上がり純人の真正面まで来ると腰に手を当て仁王立ちになった。

「純人!」

「はい。」

「わしはもう24であるぞ。」

「はい。」

「もう立派な大人じゃ。」

「左様でございますか。」

「なんだそのにやにや笑いは。」

「にやにやなどしておりませぬ。隆清様が大人になられて私も嬉しゅうございますよ。」

ぷいっ。また横を向いた隆清であったが、微笑を湛えたままで隆清を見上げる純人を横目に睨んだまま。

「純人。」

「はい。」

「わしは純人のそういうところが嫌いじゃ。」

どう聞いてもすねてるようにしか聞こえない隆清のその言葉に。

「嫌われてしまいましたので、茶でも入れてまいりましょう。」

…限界。

くすくす笑いをかみ殺しながら純人は部屋を出たのだった。


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