かおりおばけ
それを手に入れたのはほんの少し前だ。ちいさな小ビンを八割ほど満たすピンク色の透明な液体。
しゅっ、と一押しで香りが広がる。
どんな香りか。科学的な人工的な香りだ。辺りに散らばるそれは人間の叡智と男の官能と女の見栄で生まれた香りだ。一言で言うとデパートの入り口付近に広がる化粧品売り場の香りだ。化粧品売り場、という表現に私の嫌悪感を見ただろうか。それとも羨望の眼差しを見るだろうか。
私は小さな背伸びをしている。小学生の頃に黒板の一番上の縁をつま先立ちで撫ぜるようにしか拭えないような背伸びをしている。
初めての海外旅行、免税店で有名なブランドの香水を私は買った。香水とは言っても、たかだかオー・デ・パルファン。結局パルファンには踏み出せない程度の背伸びだ。それでも免税店のにこやかな店員は№5と比べてどちらがいいかと問うた私に「ベター。」だと言ったのだ。ベターでありベストではない。そして名だたるパルファンである「№5」に私は全く似つかわしくないということだ。
購入したあと部屋の中に香りを放った。海外のホテルによく似合う香りだ。
帰国した後、自室に再び香りを放った。嫌いじゃない。けれどデパートの入り口を彷彿とさせる。その香りを手首に纏わせてみる。鼻に手首を寄せて感じる、離す、感じる。
洗面所で手を洗った。
香りは私の手首にまとわりついて離れない。香りを、感じた。手を、手を洗った。色はつかないのに香りは私を侵食していく。香りから離れたいのに、感じることをやめられない。やめられない。逃げられない。囚われてしまう、捕まってしまう。どこにだれになにに。
涙で拭っても香りはとれない。ここにあり続ける。囚われていくように優しく切なく。小ビンの中身はなくならないままだ。私はこの愛らしい色を持つ、少女と大人の過渡期のようなソレを恐れている。
感じる、離す。離す、感じる。感じる。感じている。
私は怖い。ピンク色の香りが似合うレディになって№5すらも纏える日が来ることが。
そしてもう一つ、私が恐れていることがある。
それは、このオー・デ・パルファンすらも似合わないまま眠りゆくこと。




