act1-9
三日間の徹夜を追え、事務所の一階に作られたシャワールームで清潔感を取り戻した白夜の前に唐突に現れた。
「お迎えにあがりました、皐月白夜様」
事務所のドアを開け、なぜか室内にいる全員が固まってしまっている中、ドアを開けた白夜に対してメイドはスカートを翻したあと一礼してくる。アディリシア・エーレンブルクと瓜二つの外見。違うのはアディリシアの瞳の色が赤であることに対し、目の前のメイドは紫であるというぐらい。
「エリシア・エーレンベルク」
「はい。姉から聞いていた通り、白夜様もお元気そうでなりよりです」
どこか機械じみた無機質な表情を浮かべているエリシアが白夜の様子がおかしいことに気づき、首をかしげているが本人はそれどころではない。彼女との関係性をこの場所にいる人間は誰一人として知らない。それどころか彼女の姉が使えている主である夜空、自分の兄にさえ彼は打ち明けていないのだ。
「エリシア・エーレンベルク。私の記憶に間違いがなければ魔法士序列二位、バルベリオス・アロンダイトの従者だったはずよね?」
「我が主をご存知とは、さすがは白夜様が懇意にされている方々。惜しみない賞賛を主に変わって贈らせて頂きます。それと、失礼ですがお名前の方をお聞きしても?」
「漆原伊月よ」
喫煙スペースのドアを閉め、タバコの煙が室内に入ってこないように配慮しながら口にした伊月とエリシアの視線がぶつかる。現在魔法士序列一位は空座となっているため、実質二位である彼女の主が世界最強の魔法士を名乗っても間違いではない。そんな人物の従者がこの場所に突然来訪の意思も示さずに現れたことが問題なのである。
「そうですか。それはさておき白夜様、我が主がお待ちです。ご同行をお願い致します」
「嫌だって言ったら?」
「こちらとしてはかなり困ります。そうですね、そのせいで私や主との関係をこの場所にいらっしゃる方々にうっかりこぼしてしまうかもしれません。メイドとしては失格かと思いますが、何分慌てておりますので」
「いけしゃあしゃあと。丁寧な口調で話せば脅しにならないとでも思ってやがんのかよ、クソっ」
「私が白夜様を脅せるなどとご冗談を。ユーモアのセンスもお持ちとは羨ましい限りです。私はただ、可能性の話をしただけですが?」
エリシアは白夜の嫌味も聞き流し、頑とした態度で無表情を貫き続ける。表情から考えを相手に悟られぬよう、そして相手への交渉カードを叩きつけて拒否できない状態へと追い込む。ここまでされてしまえば彼に抗う術は残っていない。行動するよりも早く状況が形成されてしまえばその流れには逆らえなくなってしまう。
「場所と人数は?」
「主がいらっしゃる場所をこの場で口にする権限を私は与えられておりませんので、白夜様が相手であっても申し訳ございませんがお答えすることができません。ですが、人数に関しては私に一任されております。大人数は対処に時間がかかりますが、おっしゃって頂ければこちらで対応いたします」
「そんな大人数、こっちだって頼みやしねぇよ」
エリシアの脇をすり抜け、自分の机で所員のスケジュールを確認した彼は室内にいる人間を順々に見回していく。現在事務所にはブルーバード魔法士事務所に所属する全ての魔法士が揃っている。
「一応確認しておくが、これはお前の主からの要請なんだよな?」
「その通りですが、それが何か?」
「じゃあ決まりだな。所長、悪いけど戌亥さんと一緒に留守番ヨロシク」
左手で立ち上げたパソコンのキーボードを操作しながら軽く右手を上げてジェスチャーを送る。
「えっ? 私もできれば会いたいんだけど」
「そいつは無理な相談だ。今日中に連盟に提出しなきゃまずい書類と各地方行政に提出しなきゃいけない書類。両方共代理じゃ受け付けてもらえないし、提出しなければ事務所に所属する全員がペナルティを受ける」
「だったらそれまで」
「待たせんのか? 魔法士序列二位を? 自分の勝手な都合で?」
そこまで言われてしまえば碧流はぐぅの音も返すことができない。やっておけば同行できたかもしれないが、期日ギリギリまで仕事を溜め込んでいた彼女がどうしたってこの場では悪い。
「では、話がまとまったようなのでご招待致します。途中、皆様のお召し物ではドレスコードに抵触いたしますので着替えていただきます。無論、店の手配に費用はこちらもちでございますのでご安心ください」
話がまとまったと判断したエリシアにあれよあれよという具合に四人がリムジンに詰め込まれてしまう。対面式の座席に腰を下ろし、落ち着かない様子の悠斗は借りてきた猫状態だが女性二名の視線は鋭く、
「事情、説明してもらってもいいかしら?」
「答えてくれるぐらいの甲斐性は当然持ってるよね?」
追求の手を緩めてくれる素振りは全くない。ここではぐらかしてしまってもいいのだが、このあと対面するであろう人物は白夜の知る限り話を合わせてくれる人物とは言い難い。仕方なく、彼は隠している事実を少しずつ明らかにしていく。
「魔法士序列二位、バルベリオス・アロンダイトの魔導書がどんなものか知ってるか?」
「確か」
「左目の眼球だったはずね。それが何か関係があるの?」
「そいつを作成したのが俺だって言ったら、お前ら信じるか?」
「「「嘘っ」」」
三人の声が重なってしまう。
一般的な魔法士が使用している魔導書は必ず着脱が可能なものと相場が決まっている。これは魔法を使用することによって魔法士の体内に変換した魔力が蓄積することによって起こる魔力酔いと呼ばれる中毒症状を避けるための措置であり、魔法士序列二位の魔導書はその前例を覆したもの。そしてそれは例外である一名を除いて未だ誰一人としてたどり着いていない境地に達したことを意味する代物。
「でもそれって」
「確か七年以上前の出来事だよね?」
「しかもあれって、本人が誰にも魔導書作成者を明らかにしてないはずっすよね?」
「その通り。そういう条件で俺が作った。事故で片眼を失ったあいつが、「義眼を魔導書にできたら」なんてことを口にしやがるもんだから。それにのせられて作っちまったのが俺の運の尽きだな」
白夜の言葉を疑いたくはないが、素直に三人は信じられない。生体に埋め込む魔導書は幾度となく実験を繰り返し、その全てが失敗に終わってしまったため作成すること自体が今では禁止されている代物。体内に残ってしまった魔力排出機関は実用化されることなく、机上の空論とさえ今では言われてしまっている。
「ひょっとして白夜さん、今回の呼び出しってメンテナンス関係っすか?」
「悠斗はやっぱりわかるか。あいつの魔導書は最低でも年に一度はメンテナンスしておかないと動作以上で自分の体を魔力で侵しかねない代物だからな。一応、保険かけて年に三回から四回はメンテナンスするようにしてんだよ」
「魔導書に関して私は詳しいことを言えないけど、話がこのままじゃ進まないからあなたが作ったことをひとまずこの場で認めておくわ。でも、あなたと彼との接点が全く見えてこない。彼の活動範囲は欧州であなたは日本」
「順当に考えれば白夜が欧州に行ったってことになるけど、確かパスポートを君が作ったのって魔法士ライセンスを作ったのと同時だよね? いろいろと時間的に不可能な部分が出てくるんだけど、その点に関しての説明は?」
「やっぱそうくるよなぁ」
伊月とヨシュアの疑問はもっともであり、白夜自身気づかれると思っていた。ただし現時点でこれ以上の情報を明らかにしてしまっていいものか、彼は決め兼ねて言葉にすることができずにいる。
「お待たせいたしました。こちらでドレスコードに見合った格好に着替えて頂く形になります」
そんな時、ゆっくりと車が停車してエリシアがドアを外側から開けてくる。この場で追求したい二人だったが魔法士序列二位に迷惑をかけて堂々としていられるほど彼女たちの面の皮は厚くない。案内されるがまま車から出て店内を歩き、試着室へと足を踏み入れる。その時、エリシアの瞳が妖しく光ったことに気づけなかったのは白夜の完全な失敗だろう。
「それではお待ちしております、皆様方にシム・ディケルト様。失礼、襲名を未だ拒み続けております皐月白夜様」
「てめぇ、今の絶対わざとだろっ」
「申し訳ございません。私、主の趣味でドジっ娘メイドを目指している最中でございますから、こういった演出も必要かと」
「TPOって言葉をお前は知らねぇのか?」
少しの時間だけ事実を受け止められずに更衣室内で思考を停止してしまっていた三人の声が重なる。
「「「シム・ディケルト」」」