act1-8
一週間後、病院を無事退院することができた白夜は大きく背伸びをして並木道をひとりで歩いていた。少し肌寒くなってきたこともあり、流石にパーカー一枚では寒いので白のシャツの上から青のカッターシャツを着込み、彼は事務所までの道を歩いている。あれからというかあれを含めても入院中見舞いに来たのはヨシュアだけ。ひょっとして自分は嫌われているのではないかと勘ぐってしまってもおかしくない。
「あれ? 白夜さんじゃないっすか。今日退院だったんですか? うわぁ、連絡してくれたら自分、迎えに向かったっすよ」
事務所近くで彼に声をかけてきたのはダークグリーンのつなぎに体を押し込んだ悠斗。彼の顔を見るのは実に二週間ぶりだが、素直すぎる性格の彼のことだから連絡すれば本当に迎えに来たことだろう。
「見舞いにも来なかったくせになに言ってんだか」
「うわぁ、拗ねないでくださいよぉ。自分だって見舞いに行きたくなくって行かなかったわけじゃないんっすから。ヴァレンタインさんに自分以外は絶対にお見舞いに行っちゃダメって言われたら、立場弱い自分としては逆らえないっすよ」
慌てて弁明しているところを見ると悠斗の言い分は本当のことなのだろう。何しろ、あの日以来リミッターを外したのか、タガが外れてしまったのかヨシュアはバカップルを目指すと公言して人目も憚らず彼にべったり状態だった。そんな彼女のこと、独占したいと見舞いに来ることを他の人間に対して制限していたとしてもおかしくない。
「俺、愛されてんなぁ」
「惚気ないでくださいよぉ。でも、ヴァレンタインさんがいきなり明るくなって幸せオーラ満開になりだしたのは白夜さんのお見舞いに行ってからっす。ちなみに、何したんっすか?」
「四六時中イチャついてた」
「リア充、死ねばいいっす」
どちらかとは言わず二人は同時に声を上げて笑い出す。右手で懐中時計を開いて時刻を確認してみれば午前十一時になるところ。
「いろいろ聞いとかねぇとまずいこともあるみたいだし、いつもの定食屋にでも行くか? 時間は大丈夫か?」
「自分は大丈夫っすけど、白夜さんはいいんすか?」
「今日は午後一時に顔出せばいいって言われてるからな。昼食ってから行けば十分だろ。俺がいない間に結構迷惑かけただろうし、奢るよ」
「マジっすか? 自分、白夜さんのそういう気遣いできるところ大好きっす」
「調子いいやつ」
普段彼らが頻繁に利用している定食屋『風風亭』は事務所から徒歩十分の距離にあり、昼の時間帯であればかなりの混雑が予想される。今回はピークよりも少し前だったこともあり、すんなりと席に案内してもらえたふたりはメニュー片手にニュース番組を流しているテレビに視線を向ける。
「あら、お兄ちゃん久しぶりねぇ。しばらく顔見なかったけど、どっか遠くにでも言ってたの?」
「ちょっとばっかし入院してたんすよ。俺、レバニラ定食ご飯大盛りで」
「自分、ミックスフライ定食ご飯大盛りでお願いするっす」
「あいよっ。レバニラにミックスフライのご飯大盛りがひとつずつね」
愛想よく常連である自分たちに声をかけてきてくれるおばちゃんに注文を頼み、運んできてもらったお冷に手をつける。
「んで、実際俺がいなかった二週間で何か変わったことってあった?」
「特に変わったことはさっき言ったヴァレンタインさんのことぐらいっすよ。後は自分と白夜さん宛に魔導書の新規生産依頼が来たことと、来年度は漆原さんとヴァレンタインさんが社員になって、それとは別に新入社員を一人取るって所長が言ってたことぐらいっすかねぇ」
言葉と共に指折り数えながら口にしていく悠斗をお冷片手に白夜は気のない返事をして眺めている。
新海悠斗。事務所の後輩であり、年齢は白夜の一つ下でヨシュアと伊月と同い年。ブルーバード魔法士事務所の数少ない社員。階梯は第三階梯だが彼の特筆する部分はここまでに含まれていない。白夜が魔導書の制御やシステムを得意としているのに対し、彼が得意としているのは魔導書の製造分野。本人は理解していないが魔導書を作ることに関してチートに近い性能を持っており、彼の才能が公になれば様々な大手メーカーからひっきりなしに声がかけられることだろう。
「ちなみに制作依頼してきたのってどこ?」
「白夜さん、聞いて驚かないでくださいよ? 実はここだけの話なんすけど、魔法士序列六位、フェイ・ロンファさんっす」
白夜の耳元で周囲に聞こえないように口にする悠斗だったがその声色は上機嫌を隠していない。魔法士序列一桁から制作依頼を受けるなど名誉以外の何ものでもない。聞いた白夜だってその場所で信じられず口に含んでいた水を吹き出してしまう寸前だった。
「マジかよ?」
「マジもマジ、大マジっす。自分、この話を所長から聞かされた日は感激のあまり家族で焼肉に行ったっす」
「でもあの人って確か、筋金入りの魔女主義の人じゃなかったっけ? そんな人がよく制作依頼なんて出してきたな」
魔女主義。
その考え方は古く、遡れば中世ヨーロッパの魔女狩りが行われていた時代から受け継がれている魔法士の思想。魔女は優れていたからこそ時代の権力者に恐れられたからこそ根絶やしにされかかった。故に魔法士であり、且つ女性は万人よりも優れし存在であり疎まれる側ではなく統治する側にあるべき。かなり強固な選民思想と女尊男卑の考え方は避難される一方で熱狂的な信者を産んでいる。
「やっぱり背に腹は変えられないんじゃないっすかねぇ?」
注文した料理が目の前に置かれ、行儀が悪いと避難されるであろう、箸で悠斗はニュース番組を指す。そこには今まさに話題に上げていたフェイ・ロンファと皐月夜空の二名が弾幕のようなフラッシュをたかれながら記者会見を行っていた。
「なるほどねぇ。やっこさんも今回の作戦に参加するからなりふり構っていられないと」
ニュースでは二人の他に一人の女性が夜空の隣に座っており、新しく出てきたテロップを見て白夜は大きくため息をつく。夜空の口にした一言により表示されたテロップは電撃結婚。日本国内どころか全世界に配信されている状況で自分の妻を紹介したというのだから誰だって呆れてしまう。
「この結婚のこと、白夜さんは知ってたんすか? 確か、お兄さんなんすよね?」
「聞かされてはいたけど、ここまで大々的に発表するとは思ってもいなかった。どんだけ嫁自慢したいんだよ、あの人」
呆れながらに感心してしまう。この映像が全世界に配信されていることは当事者である夜空が一番理解している。彼はこの映像を利用して自分の大切な人の安全を確実なものとしたのだ。
魔法士がどれほど強力と呼ばれようが、その全体数は地球上の総人口における二割程度。大多数は魔法を使用することができない一般人。琴乃も一般人であったがこの映像のおかげで彼女の顔は全世界に知れ渡った。すると当然、魔法士は彼女に手が出せなくなってしまう。魔法士連盟が権力を持っていてもそれは魔法士に対して強要できる権力であり、一般人には適用されない。それと同時に彼女に危害を加えれば魔法士に対する世間の認識はさらに厳しいものとなる。これは全世界に対しての牽制であり、最も効率的に自分の大切な人を守れる手段を夜空がとったことにほかならない。
「でもまぁ、これで琴乃さんに魔法士連盟は手が出せなくなった。民衆っていう味方をつけられちゃ誰も勝てねぇ」
それが例え『神無月の停滞』に深く関わっていたとしても、彼女の立場は被害者。しかも魔法士序列八位の伴侶。手を出そうと考えることが愚考だと子供だって直ぐに理解できてしまう。
「ところで話変わるけど、悠斗、頼んどいたもんは完成度どれぐらい?」
「以前から言われてたやつっすよね? それだったら四つとも完成してるっす。でもあれ、誰がどんな目的で使うんすか?」
「相変わらず仕事早いな。ってことは、あとは新型の魔法術式をインストールすれば直ぐに使い物になるってことだ。ふぅ、ホントは年末に間に合わせるつもりだったけど今回の件でも使いたいし、二日三日徹夜すればどうにかなるか」
「白夜さんはそんなことばっかりやろうとするから目の下のクマが一向に消えないんすよ。体調管理は大事っすよ?」
「俺の徹夜に平気で付き合うお前が言うな」