act1-7
白夜が夜空と一緒に琴乃を救出してからおよそ一週間。
十年間凍結していたのが嘘だったと思える程の回復を見せた琴乃とは対照的に、彼は市内の病院でベッドが背中に抱きついているという面白くない現状に陥っていた。
「少しは自分がどれだけ軽率な行動をとったのか、身に染みてわかったかな?」
「ああ、十分すぎるほど理解したよ」
パイプ椅子に腰掛けて定番とも呼べるりんごの皮むきをするヨシュアを尻目に白夜は窓の外へ視線を向ける。
一週間前、夜空とアディリシア、彼と梟の計四人で東京二十三区へと侵入した。そこでアディリシアの時空間操作魔法と梟の光学迷彩魔法を同時に用いて監視を突破した四人はすぐさま琴乃を救出して現場を離脱。そこから夜空が最も信頼している医療施設に彼女を運び込んで白夜がとある魔法を使用したことによって現在に至っている。
「いいや、君はわかっていない。前回もそうだった。白夜、君は自分の命を軽々と賭け金に上乗せする行為を改めるべきだ」
「二回とも成功してんだから別にいいじゃねぇか」
「よくない。僕は君よりも頭がいいとは思っていないけど、あの魔法『蛇遣い座の治療神』が簡単に言葉で表現できるほど単純なものでも素晴らしいものだなんて思っちゃいない。あれは自傷行為と変わらないよ」
言葉と共にヨシュアの手が止まる。
『蛇遣い座の治療神』。
白夜がこう名づけた魔法は四つの属性を同時に展開することによって初めて可能となる人体蘇生魔法。既に死亡している人間には効果がないため死者蘇生とは別物であるが、魔法士の魔力を生命力に転化して対象者に直接送り込むのと同時に治療魔法を行うこの魔法は、死んでいなければ誰だって救える。勿論使用している魔法士には膨大な負担がかかり、刻々と変化していく状態を演算して生命力を送り込まなければ成功しないので莫大な集中力と遠くの針の穴に糸を通す精密さが要求される。
結果として使用した魔法士には多大な負担がかかり、ヨシュアが口にしたとおり自傷行為と捉えられたとしてもおかしくなんてない。
「確かに、お前の言うとおりかもな。でも俺は不思議とあの魔法を使ったことを後悔してねぇ。お前の時も今回も」
「カッコつけてるつもりかい?」
「なんつ~かさ、俺たちみたいな魔法士は基本的に誰かを傷つけることしかできないって思ってるから、ちょっとだけ嬉しかったんだと思う。結果論だけど、誰かを救うことで魔法士として生まれた自分にも存在価値が別にあるんだって」
そんなことヨシュアは考えたこともなかったし、魔法士である自分にも魔法士でない自分でも存在価値はあると思っているが、白夜はどうやら違ったらしい。彼は守ることよりも救うことで自分の存在価値を認識している。
「君、普段は冷静なキャラ気取ってるくせに根本的には馬鹿だったんだね」
「お前、何気に酷くねぇ? 見舞いに来てくれるのは嬉しいけど、もうちょっと優しい言葉かけてくれてもいいだろ?」
そこまで口にしてから白夜は気づく。ヨシュアの瞳が決して笑っておらず、右手で握っている果物ナイフの木製部分に亀裂が入ったことに。
「そういうことを言うんだったら、こっちもきちんとしておかないとダメだよね? 白夜、君にとって僕はなんだい?」
「何を今更、彼女だろ?」
「そう、彼女だよ。その彼女になんの相談もなく身勝手な行動で自分の命危険に晒して心配までかけてるのはどこのどなたさんかな?」
「はい自分です。すみません、ごめんなさい、もうしません」
瞳が笑っていない笑顔でまゆをヒクつかせ、果物ナイフの先端を向けられてしまえば白夜といえどその場所で上半身を起こして平謝りするしかない。
「言葉だけの謝罪じゃ意味がないってことは君自身理解してるよね?」
「今度ヨシュアさんが見たがってた映画に連れて行って、その後ホテルでのディナーを予約しておきます」
「ふぅ、そこまで言われたら寛大な心で許してあげないといけないね」
ようやく果物ナイフがしまわれたので大きく白夜は息を吐き出す。
「伊月は君のそこが怖くて別れたんだろうね。自分の知らないところで野垂れ死にされたりなんかしたら発狂して後追い自殺してもおかしくないし」
「漆原がどうかしたん?」
「なんでもないよ。僕は彼女と違って大事な人が勝手にどっか行かないようにしっかりと首輪をつけとかなきゃって再確認しただけ」
過去、伊月と白夜が交際していたことは本人たちの口から聞かされている。自分と出会う前の彼が誰と交際していたところで文句を言える立場に彼女はいなかったが、今回の件で二人が別れた理由がわかってしまった。漆原伊月はきっと怖かったのだ。そしてその恐怖に耐え切れず別離を選択した。
「りんご、剥けたよ」
「ありがとな」
早速手を伸ばした白夜だったがその手が空を切る。つい先程までその場所にあったりんごがヨシュアの手によって皿ごと遠ざけられてしまってる。
「いや、食わせろよ」
「うん、食べさせてあげるよ。はい、あ~ん」
顔を真っ赤にしながらりんごを突き出してくるヨシュア。流石にそれを許容できるほど白夜の心は回復しきっていない。
「恥ずかしいと思ってんなら辞めりゃいいのに。今じゃバカップルぐらいしかそんなことやらねぇだろ?」
「じゃあバカップルになればいいんじゃないかな? それともさっき僕のことを彼女だって言ったのは口先だけかい?」
ダメだった。この場所ではどんなに言葉を重ねたところで現状は打破できず、下手に時間をかければヨシュアの機嫌を悪くさせるしかない。完全に詰みの状態。逃げ場なんて最初からどこにもない。個室なので周囲に誰もいるはずないのだが、既に追い詰められてしまっている白夜は周囲をせわしなく確認してから覚悟を決める。
「あ、あ~ん」
恥ずかしさで死にそうだったせいでりんごの味なんて全くわからない。目の前にいるヨシュアはものすごく嬉しそうに次から次へとりんごを差し出してくる。白夜はこのりんごを食べきればこの羞恥地獄から抜け出せると思って頑張ってりんごを食べ続けるが、ラスボスは言葉通り最後に待ち受けていた。
瞳を閉じた状態でりんごを口にくわえた状態で顔を近づけてくるヨシュア。その顔は表現するまでもなく真っ赤で、そこまできて白夜の理性も吹っ飛んでしまう。りんごを左手で奪い取り、驚きで瞳を開けてしまったヨシュアの唇をすぐさま奪う。互いに背中に手を回して相手の存在と温もりを確かめるようなディープキス。どちらからか唇を離せばもう片方が引き寄せて再び唇を重ねる。
「白夜、あの、その」
「悪いとは思ってるけど、もう無理。一週間も禁欲してたから今にも暴発しそう」
ベッドに引き寄せ、押し倒す形でヨシュアに白夜は唇を重ねる。そんな彼の首に手を回し、耳元で彼女はつぶやくのだった。
「ケダモノ。でも、求めてくれて嬉しいかな」