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トリガーウィザード  作者: PON
第一章前編 神無月の停滞
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act1-6

 最上階に設けられた所長室で今日も皐月夜空は祈りを捧げる。

 無神論者が多いという日本において、彼もその例に漏れず神の存在を信じてはいない。彼が祈りを捧げるのは彼の地で眠り続ける愛しき人。彼女の笑顔を再び見れるのであれば己の存在を代価として差し出すことに一切の未練はない。十年間、彼は自身の無力さを嘆き、その嘆きを力へと変えてようやく後一歩という距離まで来た。


 控えめなノックと共に開くドア。この場所に入室の許可を出したものは腹心であり懐刀、夜空が最も信頼している梟とアディリシアの二人だけ。だというのに別の人物が現れた。現れたのは彼と似通った顔立ちの男。自分とこの世界で唯一血の繋がりを持ち、部下以外で彼が信頼している人物。


「久しぶりだな、兄貴」


「そうだな。最後に会ったのが去年の末だから、十ヶ月ぶりぐらいか」


 一応程度の挨拶をして白夜は許可を得ることもなく勝手にソファに腰を下ろす。ここで例えどんな無礼な振る舞いをしたところで夜空は眉一つ動かすことなく受け入れてしまうだろう。自分の兄は目の前にいる自分を見ていない。彼が見ているのはいつだって過ぎ去ってしまった過去。十年前の凍りついてしまった風景だけ。


「それで、何の用があってこの場所まで来た? 来客がお前相手でなければ追い返しているところだぞ?」


「兄貴の偉業をちょっと前に上司から聞いてね。いてもたってもいられなくなってこの場所に来た。時間に関してはスーツ着用できたことで大目に見てくれ」


 まるで定型文のような言葉を口にする夜空を見て軽口を叩く。兄である夜空に何ら変化がないことを確認した上で白夜はようやく交渉のカードを切り出す。沈黙で時間を無駄にしている余裕など彼にはない。


「兄貴、取引をしようぜ?」


「取り引き? 俺とお前とでか?」


「ああ。こっちが提示する要求は今後一切、俺の周囲にちょっかいかけてこないこと」


「のってやっても構わないが、それでお前は何を俺に見返りとして差し出す?」


「琴乃さんを救うのに手を貸す」


 ある人物の名前は夜空に対して最も効果がある交渉のカード。それを最初にきることで彼の反応を確かめたかった白夜だがさすがは兄。少しだけ動揺したように体を固くするがすぐに普段通りに戻っている。


「別にお前の手を借りずとも、次の連盟との合同作戦で現状からは大きく進歩するはずだ。それをよりによってどうしてこのタイミングで仕掛けてくる?」


「このタイミングだからだよ。俺だって兄貴には及ばないだろうがこの十年間、ただ安穏と生活してきたわけじゃない。十年で一つ仮説を立てた」


「話したいのであれば続けろ」


 早速交渉を打ち切ろうと動く夜空を逃がすつもりなどさらさらない。ここで席を立たれてしまっては意味がなくなってしまう。それが分かっているから白夜は新たに情報という名のカードをきる。


「兄貴はおかしいと思わなかったか? 十年間侵入を頑なに拒み、牙を向き続けてきた場所にどうして踏み入り、あまつさえ戻って来れたのか? どうして十年間もあの場所が存在し続けているのか?」


 夜空は机に肘をつき、指を絡ませて口元を覆い隠す。反論するのであればすぐさましてくるはずなので白夜は構わず続ける。


「勢力範囲が拡大していけばこの国はいずれ全てが凍りつく。そう考える奴らがいないって時点で気づくべきだったんだ」


「確かに、な」


 思い当たるフシがあるのだろう、白夜の言葉に夜空も同意を示す言葉を口にする。あの場所で起きた悲劇に関しての情報は最高機密とされているが、それにしたって公開されている情報が少なすぎる。まるで情報が人の手に触れることで痛くもない腹を探られないようにしているかのように。


「結論を先に言っておこうか? 俺の考えが間違っているって思うんなら、この場所から追い出すか笑い飛ばしてくれたって構わない。あの場所、東京二十三区は魔導書化している」


「馬鹿なことを」


「都市を魔導書にするってこと自体は別に不可能ってわけじゃない。あの場所には魔法に関する研究施設も多数存在していた。悲劇って形で偽装するにはもってこいだ」


「だが」


「研究施設を基点として『凍結(コールド)』に『吸収(アブソーブ)』、『拠点制作(エリアクリエイト)』を同時に展開し、半永久的に発動し続ければ広範囲でも可能なんだよ。そのために必要な設備も魔力もあの場所には必要量以上に存在している。しかもこれは机上の空論じゃなくて『神無月の停滞』以前に起きた事件が証明してる」

「『失われた天使の七日間ロサンゼルス・セブンデイズ』」


「ご名答」


 『失われた天使の七日間』。

 ロサンゼルスにおいて原因不明とされる七日間の時間停止。生物の時間が止まっていただけではない。『神無月の停滞』と同じように都市全体が凍りつく悲劇として語り継がれ、その発生は『神無月の停滞』の停滞よりも半世紀ほど前。当時の天才魔法士にして現在魔法士序列において永久欠番とされているシム・ディケルトが引き起こし、魔法が使用できない牢獄に投獄されることとなった事件。


「東京二十三区を魔導書化させた目的、犯人は不明。でもここまで説明すれば兄貴、あんたのことだから結果をはじき出すのに時間はいらないだろ?」


 そこで夜空は白夜と同じ結果を頭の中で導き出したらしく、机を両手で力任せに叩きつけて立ち上がる。『失われた天使の七日間』における生存者は皆無。全員が全員、時間停止が解けるのと同時に心臓の鼓動を停止している。


「なら、琴乃は?」


「結果だけ口にするなら、現状のまま連盟が足を踏み入れる期日に死ぬ。推測でしかねぇけど、連盟が足を踏み入れることで今回の事件は終息を迎えるからな」


 力任せに窓ガラスに叩きつけた夜空の右拳がガラスを叩き割り、夜風を室内に招き入れる。ひんやりとした気持ちのいい風だったが、残念ながら彼の激情を冷ますには至らず血まみれの拳を振り上げたままその場で固まってしまっている。


「やっとだ。この十年間、血を血で洗う研鑽を続けて力と地位を手に入れた。ようやく、ようやく手がもう少しで届くところまで来たんだ。それなのに」


「兄貴、落ち着けよ」


「落ち着けるかっ」


 弟の形を持って残酷な現実を突きつけに来た者に対して夜空は殺意と憤怒が入り混じった視線を向け、心情を隠すことなく言葉に変えてぶつけてくる。最悪な結果を彼だって予想していなかったわけではない。だがそれでもその考えを否定し続けてきた。そうしなければ立ち止まった自分は二度と立ち上がれなくなることを知っていたから。それなのに現実はいつだってすまし顔で残酷に告げてくる。現実に気づきさえしなければあと少しの間だけでも希望に縋っていられたというのに。


「取り乱すのは勝手だけどよ、そのざまじゃ琴乃さんは無駄死にする羽目になるな」


「お前が、お前が琴乃の名前を軽々しく口にするなっ」


 移動した夜空は白夜の胸ぐらを掴んで強引に立ち上がらせる。自分が感情を制御できていない状況で平常心を保っている彼が異常なほど憎らしく見えてくる。


「やるならやれよ、魔法士序列八位。魔力がほとんど残ってねぇ俺なんて、片手間であんたは殺せる。俺の言葉を忘れた馬鹿にかける言葉を俺はこれ以上持ってねぇ」


「だったら望み通り」


 振り上げた拳が停止する。最初に会話を始めるとき白夜は自分に対して取引をしようと口にしてきた。そして仮説を説明し始め、このまま連盟が踏み込めば琴乃の命が奪われる事実を突きつけてきた。そこでようやく気づく。取引の際彼が自分に対して提示してきた見返りを。


「ようやく冷静さを取り戻したみたいだな。ったく、これじゃどっちが兄だか疑いたくなっちまう」


「方法が残っているというのか? 琴乃を救う方法が」


「兄貴も知ってるとおり、俺は机上の空論で止めるのが嫌いだ。理論ってやつは実証できてこそだって俺は思ってるからな」


 夜空の手を引き剥がし、身だしなみを整えた白夜が右手の指を三本ほど立てて口にする。


「クリアするべき条件は三つ。兄貴と俺が手を組めばその条件すべてをクリアすることができる。あとは時間との勝負。言っただろ? 琴乃さんを救う手助けをするって。俺は勝算の低い勝負するほどギャンブラーじゃねぇ。さて、改めて聞こうか? 兄貴は俺との取引に応じるか?」


「ああ、受けよう」


「そんじゃ、早速行動しますか」


 二人してエレベーターに乗り込む。そこで夜空は今になって気になったことを興味本位で問いかけてみる。


「白夜、お前は俺と違って十年間という過去を諦めで受け入れていたはずだ。それなのにどうして俺に手を貸す気になった? いや、答えてくれなくていい」


 最後に付け足すことで白夜が必ず答えてくれることを夜空は知っている。


「小っ恥ずかしいから二度と聞くなよ? 俺にとって琴乃さんは兄貴の恋人だってだけで、俺にとって大切な人間ってわけじゃない。でもよ、兄貴にとっては大切な人だ。兄貴は諦めなかったけど十年で俺は諦めを覚えた」


「だったら」


「兄貴は勘違いしてんだよ。俺が諦めたのは琴乃さんを救うことじゃねぇ。琴乃さんを救うこと以外で兄貴を過去から開放する方法を考えることに対して、だ。悪いけど、俺が十年間足りねぇ頭と時間を費やして悩んでたのは兄貴を救う方法だ。そんな俺の前にいろんな符号とタイミングが重なって来てくれたんだから、そりゃ動くしかねぇじゃねぇか」


 答えたのが自分でも失敗だと思ったのだろう。背中越しでもわかるぐらいに白夜が顔を赤くしていることが夜空にはわかってしまう。彼は目的に集中するあまり忘れてしまっていたのだ。自分にとって弟が一人しかいないように、彼にとっても自分は世界中探し回っても一人しかいないということを。


「俺は、兄貴失格かもな」


 心に留めた言葉は決して声に変わることなく、エレベーターのドアが開いた。


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