act2-23
『観測不可な猫箱』によって隔離された黒一色の部屋に僅かな光源が白夜の前、氷の柩で眠り続ける少女の輪郭をあらわにする。肉体的欠損は完全に修復したのだろう、だが少女はいくら器を直したところで決して目を自分から覚ますことはない。それが失われるということ。世界から弾かれるということ。
「グレゴリオ・ハーベント。俺はこれからこの城に蓄えられた膨大な魔力を使ってあんたの孫娘を生き返らせる。だがそのために必要な代償を俺は用意できない。代償を捧げるのは他の誰でもないあんただ。聞くぞ、あんたは自分の全てを犠牲にしてでも孫娘をこのクソッタレな世界から取り戻したいか?」
「無論だ。もとより私はあの日全てを失った。これ以上失って怖いと思えるものなど存在しない」
「聞くだけ野暮だったな」
命を代償として要求してもグレゴリオはすぐにでも首を縦に降る。でなければこの魔法は成功しない。願うだけで叶うようなものは奇跡と呼べない。それはただの偶然であり、確率によって生じる現象に過ぎない。願いと力の全てを引換にしてでも奇跡を起こそうと動いたものにだけそれは舞い降りる。
「始める前に言っておく。あんたが支払う代償は魔法士としての力と地位の全てと、両手の小指だ。引き返すつもりはあるか?」
「毛頭ない。そんなものを引き換えに孫娘を、エリナを取り戻せるなら安すぎる」
「あんたの覚悟はわかった。二度もくだらない質問をして悪かったな。これから取り戻す魔法を始める」
言葉と同時にグレゴリオの両手の小指が血液を流すことなく床に落下する。痛みは既に感じない。自分のものであったはずのものが姿形すら残さず消滅したぐらいで過去の喪失感に勝る痛みを訴えてくるはずもない。
白夜が右手で懐中時計を握り締めた状態で少女の胸の位置に手を起き、手のひらを返して懐中時計の蓋を開く。取り戻したい人が彼にいないわけではない。それでももう愛しき人たちは彼の中で過去となり、手を伸ばしても笑顔で手を振るだけ。グレゴリオを見て彼は思う。彼は諦めを受け入れ、グレゴリオは諦めなかった。その少しの決定的な差が存在するからグレゴリオならば届くと彼は確信している。グレゴリオ以外少女を救える存在はいないと口に出して言える。
「『死者蘇生』の成功事例がどうしてないのか? 膨大な魔力が必要だから? 構築式や展開式がわからないから? それも主な要因だろうな。だが本当のところどうして成功しないかはわかっちゃいない。ビブリオ・ブルーメル、それがどうしてかわかるか?」
「君はわかっているとでも言いたげだね?」
質問に質問で返し、ビブリオは思考する。
いくつも推論や仮説を立ててみても、彼女自身どうして成功しないのかわかっていない。確率上は成功するはずの状況を作り上げても失敗は積み上げられ、いつまでも足踏みをしているのが現状。
「なぁグレゴリオ、あんたは神がこの世界にいると思うか?」
「質問の意図がわからんが、いないと思う」
「俺も同意見だ。むしろいてもらっちゃ困るんだよ。神って存在がいるなら全てが掌で踊らされ、結末を決定づけられてる。運命に宿命ってやつがどうしたって必然になっちまう。そんなつまらない世界、俺は認めねぇし、認めたくない。良かったことも悪かったことも自分の選択だったって思えるから俺らは前に進める」
幾重にも白夜の右手を中心に波紋を広げるように展開される魔法陣。そこまで見ていてビブリオは疑問に思う。彼の腕前は今しか知らない彼女から見ても一流だとわかる。それも超がつくほどの一流。展開されているのは彼女が許可を得ることなく、連盟本拠地の地下深くに厳重に封印されている僅かに残っていた資料とほとんど同じ。ほとんど同じということは失敗するということ。それなのに彼の表情には自信が溢れている。失敗可能性が微塵もないと疑っていない。
「ビブリオ、さっきの問題の答えを教えてやるよ。『死者蘇生』って禁呪は魔法士にはどうやったって成功させることができない魔法だ。だから魔法士はどうやっても失った人を取り戻すことができない」
「魔法士では成功させることができない魔法? それは子供でもわかる矛盾だ。魔法士が使えない魔法など存在するはずがない」
「それが存在するから世界ってやつは面白いんだ」
「楽しむのは勝手だ。だが、それでは貴様も成功させられないということではないかっ」
望みを抱いたせいで怒りがより強く燃え上がる。今にして思えばなぜこんな初対面の若造の言葉を信じてしまったのか疑問でしょうがない。
「そりゃそうだ。厳密に言えば魔法を展開させるのは俺で、成功させるのはグレゴリオ、あんただ。言うなれば俺は名脇役で主役はあんたってところ」
「君は何を言っているんだい?」
「心の底から魔法士であるブルーメル女史にはわかんねぇ話だよ。これだけヒントくれてやってんのにどうしてあんたたちは気づかないのか? 俺には疑問でしょうがねぇよ。でも魔法を捨てた今のグレゴリオ、あんたにならわかるようになるはずだ」
会話が成立していない。答えを出すふりをして答えを白夜がはぐらかしているのだからそれもしょうがないこと。
「勿体ぶる程のもんでもないから答えはあとで教えてやるよ。それよりもグレゴリオ、いいか、よく聞け。俺が今からこの子の魂をここに持ってくる。だがこの城に溜め込まれた魔力総動員してももってこれるのはわずか十数秒だけ。それを逃したら次はない。だからその間にあんたがこの子を抱きとめろ。この子があんたを愛し、あんたがこの子を愛していることが最低条件だ。できなくてもやれ。人間であるあんたならできるって信じろ」
一際強い光が懐中時計から放たれ、光が止んでから少し経ってようやく視界が回復する。回復したはずなのにグレゴリオは涙が邪魔して視界がぼやけてしまっている。目の前、自分ソックリの肉体があることに戸惑っている少女がいる。透けてしまっている手では触れられないことを疑問に思って首をかしげている少女がいる。それが何より嬉しい。
目がロクに見えていないのに、その全てが通り抜けてしまうというのにグレゴリオは少女の肩に手をやり、自分の方を向かせて強く抱きしめる。抱きしめている感覚はない。すり抜け、目の前で涙を流している老人に少女の言葉は届かないはずだった。
「おじいちゃんなの?」
「ああエリナ。私が無力だったばかりに大切なお前も娘夫婦も失ってしまった。許してくれなどと虫のいい言葉は口にできないことは分かっている。それでも、私はエリナを愛している。一人にしないでくれ。私の元に帰ってきてくれ」
涙が少女の体をすり抜けて地面へと落ちる。それが制限時間だと言わんばかりに少女の体は空気に溶け込むように消えていく。
魔法は失敗したとビブリオは結論づける。三千万人以上の生命力を十年に渡って蓄積変換された魔力でさえも足りない魔法。ならばどうすれば成功するのか、彼女は次の方法を模索し始めるように瞳を閉じようとした。だが、地面に落ちた涙の跡が多過ぎることに気づいて大きく瞳を見開く。気づけば少女もグレゴリオを抱きしめながら涙を流していた。
「おじいちゃん、わたしもひとりはいやだよ。ここにはパパもママもいないの。たすけてよ、おじいちゃん。もういちどだきしめてよぉ」
泣きじゃくる少女の姿が消える。空気を掴むような無謀さだとグレゴリオはわかっていても手を伸ばさずにはいられない。孫娘は確かにここにいる。ここで彼女をつかめなければ何のために今まで生きてきたのかさえわからなくなる。
「おじいちゃ~~~~~~~~ん」
「エリナ~~~~~~~~~~~」
互いの言葉は絶叫に近い。それでも、時間は残酷に二人を引き剥がして終焉を突きつける。いくら伸ばしても触れ合えない手。この手にぬくもりは二度と帰ってこない。絶望感が心を強引にへし折ろうとした瞬間、グレゴリオは現実へと強引に引き戻される。
「いつまで自分抱きしめて後悔に浸ってやがる。あんたが抱きしめるのは自分じゃない」
強引に立ち上がらされ、氷の柩によろめきながらぶつかる。もう望みはない。自分は機会を与えられながら失敗した。生きている理由がない。虚無感に全て委ね、瞳を閉じようとしたグレゴリオは自分の手に温度を感じて再び現実を取り戻す。慌てて孫娘の胸に耳を押し付ければ確かな脈動があり、かすかな寝息が耳に届いてくる。信じられない。眠り姫は御伽噺のように奇跡を体現している。
「説明不足は謝るよ。ぶっちゃけ、『死者蘇生』はあんたのことをこの子が認識して涙流した時点で終わってたんだ。消えちまったように見えたのは、魂が肉体に定着したから」
「なぜ、なぜ成功した?」
ビブリオは声を荒立てずにはいられない。
白夜と同じ方法を彼女は試したことがある。それで失敗したからこそ彼女は別の方法を模索したというのに、彼女が失敗した方法で彼は『死者蘇生』を成功させている。どうやったって事実を認められない。
「答え合わせをしてやるよ。『死者蘇生』って禁呪は魔法士にはどうやったって成功させることができない魔法だ。だが、人間なら成功できる魔法なんだ」
「魔法を発動させることすらできない微力な魔力しか持っていない人間が成功できる? ありえない。現に君は成功させているじゃないかっ」
「俺一人だったら失敗確実だよ。でもグレゴリオがいたから成功した」
「わけがわからない」
「そこが魔法士と人間の差、だろうな。魔法士ってやつは極限まで追い込まれた状況下、必ず諦めが脳裏をよぎる。頭が良すぎるから、別の方法を探す方に逃げちまう。だから魔法士には使えない。使えても成功しない。成功させるためには人間みたいに諦めが悪くないと」
愕然としてしまう。たったそれだけの差で魔法士は禁呪に到達できない。ヨシュアが言っていた言葉の意味が今ならわかる。人間であり続ける魔法士。その特異性がなければこの魔法は成功しないと言われているようなものだ。だが成功しない原因がわかったとしてもそれを魔法士は取り除くことができない。彼らは人間としての弱さを切り捨ててしまう存在だから。
「この魔法の名前、『死者蘇生』じゃなくって正式名称は『決して消えない希望』って言うんだ。それと、これとおんなじぐらいスゲェ言葉を教えてやる。奇跡ってやつは人間だけが起こせる魔法なんだぜ?」
その場で膝をついてしまったビブリオの肩に手をついてからグレゴリオに近づいた白夜と彼の視線が重なる。言葉なんて口にしなくてもいいぐらいの幸せを彼は今抱きしめている。それでもこの言葉を言わずにはいられない。
「グレゴリオ・ハーベント。残りの人生、全部その子のために使えよ。そのためにこっちは危険な橋を渡ったんだから」
「貴様に、言われずとも、分かっている」
鼻水のせいでグレゴリオはうまく言葉を口にできない。それでも感謝の気持ちだけは有り余るほど伝わってくる。面と向かって口にすることは恥ずかしいのだが、それではあまりにも味気無さ過ぎる。だから最上級の笑顔でこの言葉を贈ろうと白夜はこの魔法を開始した時から決めていた。
「これをハッピーエンドにするなよ。あんたはこれからそのこと本当の幸せを抱きしめながら人間として生きてくんだからさ」




