act2-21
玉座の間で一人、自分の意見に賛同してくれた魔法士たちがあるいは敗北し、またあるいは撤退したことを確認してしまったグレゴリオは頭を抱えてしまう。自分は勝利者であったはずだという考えが今では虚しく思え、自分の行動が間違っていたのかとすら考えてしまう。
『ベルリンの赤い夢』に対して人類側が行ったテロによって当時、十二歳だった孫娘は通学途中のバス内で生きながら内蔵を抉りだされて死亡。その事実を知った夫婦は後を追うように自殺。自分の子供や孫に罪があったとは思えない。今でも罪があったと思っていない。彼らは魔法士であるというだけで犠牲となってしまったのだ。
今でも瞳を閉じれば幸せそうな家庭で笑い声を上げる子供と孫娘が脳裏に蘇ってくる。彼らが罰を受ける必要などどこにもなかった。それなのに殺された。あれから十年以上の月日が経っているが、心に宿った悲しみも復讐の業火も決して薄れはしない。
グレゴリオが行っているのは正しい戦い。これから先、魔法士が魔法士であるという理由だけで差別や迫害を受けないようにするための戦い。それなのに敗北は音を立てて彼の背後に忍び寄ってきている。どこで間違えたなんてわからない。間違えていなかったかもしれない。だが、世界は残酷にも侵入者を勝利者にするために時間を動かし続けている。
『裏切りの銀貨』に魔法士としての魂を売り払って助力を請い、ようやく目的達成まで後一歩という距離。もうすぐ彼の望みは叶えられるというのに、それを拒むかのように実体のない望みは手をすり抜ける。触れることができるのは可能な限り医療魔法で肉体を修復した孫娘の亡骸だけ。玉座の隣、氷の柩で眠っているように見える孫娘を生き返らせるために『死者蘇生』という禁呪は成功させなければならない。それなのに今になって恐怖が両足に絡み付いて立ち上がることを恐怖させる。
相手側の戦力は序列一桁台が三名、寝返った序列十番台が一名、序列や階梯の枠に収まりきらない実力を有している四名。計八名をグレゴリオはひとりで相手取らなければならない。万全に整えたはずの状況が音もなく崩れ去っていくことを止めなければならない。だが、師事した序列一桁台の実力を彼は体感してしまっている。勝利できると確実に信じきれない。
「はじめまして、それとも久しぶり? どっちの挨拶がお好みかな?」
軽口と共に開かれた扉。そこから足を踏み入れてくる侵入者たちを見下ろしているはずなのに、逆に見下ろされている錯覚をグレゴリオは覚えてしまう。一目見ただけでもわかってしまうぐらい、白髪に金色の瞳を持つ青年は異常だ。どこが異常でないかを探してしまうぐらいの異常。纏っている雰囲気、内包している魔力、すべてを見透かすような金色の瞳、生物のような脈動をしている蛇の刺青。人の形をしている兵器と魔法士はよく揶揄されるがあれは既に魔法士ですらない。
「貴様達はどうしてこの場所に来た? 今の世界が正しいとでも言うつもりか? 私が間違っているとでも言うつもりか? なぜ現状で満足していられる? この不平等すぎる世界を変えたいとは思わないのか?」
口から出てくるのはどれも疑問ばかり。どうして自分の目的を遂げさせてくれないのか。悲痛とも呼べる願いが喉を通して疑問に変換されてしまう。
「悪いけど、あんたの疑問に全部答えてやるつもりはねぇ。でもこれだけはハッキリと口にしてやる。俺たちはあんたが間違った方法をとったからゲンコツくれてやる。それと、あんたを少しだけ救ってやるよ」
白夜の言葉でグレゴリオの思考は一瞬だけ停止してしまう。彼の口にした最後の言葉が理解できない。敵対している自分を殺すのではなく救うと口にしている。そんな言葉を信じられるはずがない。自分はたった一人の孫娘を救うために東京二十三区に存在していた命を十年間かけて魔力に変換し、世界中の人類に対して宣戦布告を行った大罪人であると自覚している。救われる方法なんて残っているはずがない。
「私を救うだと? 心にもないことをくちにするなよ、若造」
「あんたが『死者蘇生』って禁呪を使ってまで生き返らせたかったのはその子だろ? こちとら過去の資料片っ端からひっくり返して調べ上げてんだ。違うとは言わねぇよな?」
「何が言いたい? 今更ながらに事の正邪を私に言及するつもりか?」
「そんな気はさらさらねぇよ。俺だってここにいる誰かが死んだらあんたと同じ方法を選ぶ。その点に関してはあんたを非難なんてしない。賛同するさ。救いたいって思って、手を伸ばせば掴めるのに諦めるのはあんただけじゃなくって、俺だって無理だ」
この場所で取り繕った言葉は意味を持たない。だからこそ嘘偽りない本心からの言葉でのみ対話する。
「何千何万の命を犠牲にしたって、自分にとって大切な人には変えられない。命は平等なんて失った奴の綺麗事でしかないことも俺はわかる。だから『死者蘇生』に関しては俺は咎めねぇ。でもな、宣戦布告に関しては別だ。神楽から聞いたけど、あんたは魔法士のことを思ってやったんだよな?」
「いかにも」
「だったらはっきりと断言してやるよ。力で押し付けるやり方で誰が救われる? いたちごっこが繰り返されるだけだってあんただって気づいてたはずだ。第一、今反乱起こして対魔法士に殺された魔法士はあんたの救う対象に入ってねぇのか? 必要な犠牲だっていう綺麗事で片付けるな。見て見ぬふりしてる自分を認めろ。戦争って方法をとった時点であんたは間違った」
「わかったような口をきくなと言っているっ。貴様に何がわかる? 自分の無力さすら呪ったことがない若造がっ」
白夜に言われずともグレゴリオにはわかっている。すべて予測できた結果だ。それでも彼にはこの方法しか思いつかず、実行できるものがなかった。
「無力さを呪う? そんなもん、両親が殺された『ベルリンの赤い夢』以降ずっとだよ。じゃなきゃこんな城作るかよ。あんたは知らねぇみたいだから教えてやる。この城は八歳の時、両親を理不尽に奪われたことで人類に復讐するために作成したもんだ」
「馬鹿なっ。この城を作成しただけでなく、貴様は復讐を思いとどまったというのか?」
グレゴリオは信じられないといった様子で白夜を見つめる。当時八歳の少年が作成したということも信じられないが、何よりも復讐を思いとどまったということが信じられない。両親を奪われて不幸のどん底に叩きつけられた少年は確実に世界を呪う。復讐の業火に心を焼かれて自分の無力さを呪う。
「作ってる最中は復讐以外のことなんて考えちゃいなかった。じゃなきゃ『原子崩壊』なんて禁呪をほぼ無制限で撃てるようなシステムを乗っけちゃいない」
「では何故、何故貴様は思いとどまった? 貴様の復讐は正しい怒りだったはずだ。なのに何故実行しなかったっ」
「全部失ってたらあんたと俺は同じになってただろうよ。でも俺には兄貴が残ってた。復讐するために作った城が完成した時、頭の中を過ぎったのは俺とおんなじように泣いてる兄貴の横顔だった。そんときだよ、復讐心から解放されたのは。俺がこの城を使って復讐するために動いたらきっと、兄貴は本当の意味で一人ぼっちになっちまう。独りが怖いって知ってたから、俺のせいで兄貴を孤独に叩き込むのは耐えらんなかった。要するに、俺は復讐することよりも傍にいてくれた兄貴を取った。それが復讐をやめた理由だよ」
自分もグレゴリオと同じような生き方をとっていたかもしれない。そんな選択肢があったかもしれない。そう考えたなら彼は間違えてしまった自分自身。自分の手でぶん殴って救うべき存在だと白夜は勝手に解釈する。
「なるほど。だが、私を殴ると口にしたな? 作った本人ならば知っていよう? 私に触れることが不可能だということぐらい」
目の前に立っているのがただの若造ではないということは理解した。だがここで屈することはできない。間違っていると言われたところで今更。自分で作った流れを自分の意志で壊すつもりなど毛頭ない。
「『栄光王冠』。この玉座に座っている限り私に触れることは不可能。残り五時間少々で私を屈服させることはできない。それに、こちらからは一方的に攻撃を繰り出すことができる」
グレゴリオが指を鳴らせば背後の空間から無数のレーザーが白夜達めがけて放たれる。我ながら厄介なものを作成してしまったものだと愚痴をこぼしたくなるがそうもいかない。彼を救うためにはここで絶対に勝たなければならない。
『栄光王冠』。
次元の断層を玉座を中心とした限定空間に設置することによって作り出された安全地帯に加え、玉座に体の一部が接触していれば飛空城内に蓄えられた魔力を自分の意志で操作することができる。
「悪いけど、ちょっとばっか、そこで見ててくれ。終わったらすぐに解除するから」
レーザーによって生じた埃が晴れるのと同時、少なからず一人は亡き者に出来たとグレゴリオは確信していた。だが結果は誰ひとりとして死んでいない。淡い桃色の光点がそれぞれ線を結ぶことによって生じた障壁によってレーザーが阻まれている。
「これは俺がつい最近開発した防御魔法で、名前は『絶対防御反射万華鏡』。『栄光王冠』と同じような絶対防御だ。その程度の魔法じゃ届かねぇよ」
声の発生源はすぐ目の前、額から流血した白夜が目の前に立っている。驚くべきことに仲間にだけ防御魔法を展開して自分は突っ込んできたらしい。だがそれでもまだ足りない。原理を知っていたとしても『栄光王冠』は突破できない。まだ自分に価値の目は残っている。多少厄介な存在を排除すればまだ道は残っている。
「あんたの道はまだ残ってる。でもそれは戦う道じゃない。誰かをこれ以上傷つけて進む道じゃない。あんたの孫娘と一緒に暮らすことができる余生だ」
振り抜かれた拳が『栄光王冠』の防御障壁を貫いてグレゴリオの顔面に突き刺さる。その衝撃で彼は玉座から強引に弾き飛ばされ、体勢を整えようと立ち上がろうとするが、脳が揺らされてしまったために立ち上がることができない。
こんなところで終わるわけにはいかない。
ここで終わってしまえば自分は自分でなくなってしまう。どうにか壁を探して、手をついて立ち上がろうとするグレゴリオの体が誰かに持ち上げられる。定まらない視界で確認してみれば白夜が自分の体を左手一本で持ち上げている。
金色の瞳に宿っているのは怒りと悲しみ。諦めたくはないと願ってもグレゴリオにはもう打つ手が残っていない。歯を噛み締めたことによって唇が切れて出血しても、敗北の言葉だけは口に出さないように瞳だけを閉じて終わりの瞬間を待つ。それなのに終わりの瞬間はいつになっても訪れない。瞼を開いてみれば、その瞬間に強烈なヘッドバットが顔面に突き刺さってきた。
「敗北を認めろよ、グレゴリオ・ハーベント。そうすりゃ後は俺が引き受けてやる。あんたを少しだけ救って、あんたの意思も継いでやる。最低最悪極まりない方法で全部終わらせてやる。英雄になんかどうやってもなれない俺が、人間として舞台の幕を引いてやる」
異常と最初に彼を見たときに思ったことをグレゴリオは思い出す。彼は人間でありながら魔法士という特異すぎる存在。誰もがなりたいと願ってなれない存在。錯覚だと思ったが違う。彼は自分のことを思って怒り、悲しんでいる。それが同情からくるものでも偽善だと言われても、彼は同じように行動したことだろう。だから残った意地を込めて言葉を吐き出す。
「私を少しでも救ってくれるというのなら、敗北を認めよう。私の負けだ」




