act1-4
ひと悶着を終えてようやく事務所へと足を踏み入れることに成功した四人だったが、室内から漂ってくる異臭で反射的に鼻を抑える。それでも強引に侵入してこようとする異臭に耐え切れず、室内の窓をすべて開け放ち換気扇も回す。
「戌亥さん、さっきまでここに何があった?」
「それを私の口から説明するには少しばかり込み入った事情があるため拒否させていただく」
「いや、ちょっとばっかり料理に失敗しちゃってさ」
「「「「あんたかよっ」」」」
敬意も礼節も全てゴミ箱に叩き込んで事情の知らない四人は一斉に碧流を睨みつける。それを見た戌亥はやれやれといった感じで軽く頭を自分の右手で抑えていた。
「戌亥さん、あんた所長の執事だよな? 仕えるべき主の愚行を正すのは執事の仕事に含まれてたりしねぇの?」
「お嬢様がやりたいと口にされたのであれば、全身全霊を持ってサポートに徹するのが執事としての努めかと」
どうやら白夜は問いかける人物を間違えたらしい。一応話を聞くためにソファに腰を下ろした四人だったが、室内に充満したままの悪臭が薄れてくれるまで顔色が物語っているように口はあまり開きたくないらしい。
「全く失礼な連中ね、本当に。せっかく私自ら日頃の君たちの勤務態度を労ってやろうと台所に立ったというのに。まぁ、結果は芳しいとは言えなかったが私の思いぐらいは伝わったでしょ?」
自信満々に言い放つ碧流に対し、普段であれば軽口のひとつでも返す白夜も悪臭のせいで口を開けられずにいる。当の本人とその従者はふたりして鼻と口をすっぽりと覆い隠せるガスマスクを着用しているのだからフラストレーションは溜まっていく一方。ハンカチで口と鼻を押さえ付けている伊月とヨシュアも睨みつけるという些細な抵抗しか出来ていない。
「ああもうっ、こんな場所で話なんかできるかっ」
大声を上げて立ち上がった白夜は懐中時計を握りながらパーカーのポケットから右手を引っこ抜く。それと同時に全員の視界に映る魔法陣。これは自分の属性とは違う魔法を使用する際に視覚的に捉えられる情報。すぐさま室内で構成されている大気情報を読み取った彼は悪臭の原因となっている元素を解析して別の場所に転送。どこに転送したのかは彼にしかわからないがひとまず窮地は脱することができた。
「正直、死ぬかと思ったっす」
「私も右に同じ」
「生活の中にこんな危険が潜んでるなんて知らなかったよ、僕」
「普通は潜んでなんかねぇよっ」
ソファに腰をどっかりとおろし、盛大にため息をついた白夜をガスマスクを外した碧流は楽しげに見つめ、戌亥は少なからず動揺したらしく直ぐに平静を装って紅茶の準備へと戻っていく。
「今の魔法は導属性だよね? 確か皐月君の属性は神属性だったはず。いつの間にこんな短時間で別属性の魔法を行使することができるようになったのかな? お姉さんはキリキリと白状することをオススメするよ?」
魔法は大別して四つの属性に分類される。
エネルギーや物質を創造する神属性、物質やエネルギーに変化をもたらす仙属性、物質やエネルギーを操作する導属性、自然界の法則に干渉する魔属性。魔法士は自分の属性以外を極めることができず、使用することができたとしても膨大な時間を要する。それを短時間で実行してしまった白夜を碧流が見過ごすはずがない。
「今のは魔法士序列四位にして永久欠番って呼ばれてる天才魔法士シム・ディケルトが提唱した理論に少しばかり俺なりの解釈を加えて魔導書に起動式を叩き込んだ成果だよ。高校卒業した人間だったら誰でも知ってると思うんだけどな、世界史で出てきたはずだし」
「ひょっとして同一性質魔法理論のこと?」
「漆原大正解。魔法士が必ず学ぶであろう自己強化魔法は何故属性にかかわらず誰もが習得し、実用化に至っているのかってやつ。興味があるんだったら後で言ってくれれば魔導書にインストールしてやるよ」
「普通、大々的に発表されてる理論に多少の解釈を加えたところで実用化には至らないと思うけど。それを可能にしてしまうのが皐月、あなたの恐ろしいところよね」
伊月はため息をつき、高校時代を共に過ごした目の前の友人に乾いた拍手を送る。彼女の言っているとおり、先人が発表した理論はすでに完成であり多少解釈を加えたところで実用化できないことは社会が証明している。それなのに白夜は実用化へと昇華させてしまうのだから恐ろしいというのは彼女なりに多少ではあるがオブラートに包んだ表現だろう。
「そんで、いい加減話が脱線してばっかで進まねぇから聞くけど。次の仕事って何?」
「ああうん、そのことで集めたんだったわよね。ごめんなさい、皐月君が色々と興味深いことをやってくれるものだからすっかり忘れてたわ」
「俺のせいにすんな」
携帯電話を取り出して話を聞く姿勢からかけ離れた白夜だったが、碧流の次の言葉を聞いて体を固くする。それだけではない。他の三人も呆気にとられたように動くことを放棄してしまっていた。
「次のお仕事は『神無月の停滞』原因究明のため魔法士連盟と一時的に共同歩調をとって現地の調査探索をします。ちなみにこれ、社員である皐月君と新海君は勿論、アルバイトの漆原さんとヴァレンタインさんも強制参加。拒否権は認めません」
魔法士連盟と合同で行う仕事であれば魔法士に拒否権は当然のようにない。拒否すれば処理されてしまうというのが常識。ただ彼らは腑に落ちない。十年間、最初の調査隊派遣後一切の侵入を禁止していた場所に立ち入るという行為。その場所に脚を踏み入れた者たちも同じ結果になった調査隊の犠牲を魔法士連盟が忘れているはずがない。
「何で今更調査探索を行うんすか? 危険すぎて調査探索も行えないから放置して立ち入りを禁止していたはずっすよね?」
「いいところに気づくわね新海君、褒めてあげるわ。確かに誰も立ち入れない場所だった。でもね、その場所に最近足を踏み入れて無事に帰還した人間がいるのよ。そんな人間がいなければ魔法士連盟も重い腰を上げなかったでしょうね」
碧流が楽しげに告げる中、思い当たる節がある白夜はいてもたってもいられず足早に事務所から出て行ってしまう。彼女の言葉に梟の訪問、あまりにもタイミングが良すぎる。それでなくともいつかは確実に行動を起こすと彼は確信していたのに。
「あらあら、行っちゃったわ。ここからが重要だっていうのに」
「話を続けてくれないかな、所長? その口ぶりからして無事帰還した人間はボクら全員が知っている人物のような気がするんだけど」
「ヴァレンタインさん大正解。帰還した人はここにいる全員が知ってるどころか、魔法士であれば知らない人間はいないはずよ。だってその人物は魔法士序列八位で一桁台に唯一名前を連ねる日本人なんだから」
そこでその場所にいた三人の中でバラバラだったピースが一枚の絵になる。どうして白夜がいきなり出ていったのかも理解できる。三人は奇しくも同じタイミングで一人の人物の名前を口にしていた。
「「「皐月、夜空」」」
「っそ、ベヘモス魔法士事務所代表にして極東に暮らしている魔法士にとって期待の新鋭。でも、あなたたちにとって最も重要なのはそこじゃないわよね? 苗字でわかるとおり皐月夜空は皐月君の実のお兄さんよ」