act2-15
自分がなぜこの場所にいるのか疑問に思いながらロンファは足をすすめる。
魔女主義を掲げてきた彼女にとってやり方は褒められたものではないが、少なからずグレゴリオの考えには同調できる。魔法士は人間より優れているから人間に反抗できないように虐げられ、自分達は人間に勝てない弱者なのだという思考を当たり前のように刷り込まれる。それをグレゴリオは覆し、魔法士主導の世界を作ろうとしている。賛同こそすれ邪魔するつもりなどなかった。なかったはずなのに彼女は阻止する側にまわり、こうして機動核の一つを壊すために動いている。
「お師様に今の妾を見られたらまたなんと言われるか」
ロンファが今まで生きてきた中で唯一敬意を失わない女性の顔が浮かんでしまう。彼女が入院することになって日本までわざわざ足を運んできてくれた師匠。白夜と自分が会話している時のニヤケ顔は今でもすぐに思い出せる。
そう、原因は白夜だ。
優れた魔法士であるにも関わらず、いつだって魔法士ではなく人間でいようとする。その技術や知識は誇れるものであるというのに、ひけらかすどころか胸を張ることすらしない。自分がどうして彼に敗北したのか、未だに理解できていない。それでも彼の話を聞くたびに自分の見方がいかに偏ったもので、狭い世界ばかりで王様気分を味わっていたことが恥ずかしくなった。
入院していた期間は一週間。その間、白夜は一日も欠かさず同じ時間にロンファの前に現れた。女性である自分の顔に拳を叩き込んだことを負い目に感じ、雇い主から許可を得て足を運んでいると彼は口にしていたがそんなものはどうだってよかった。女性として扱われただけでなく、りんごも剥いてくれた。花を持って現れたこともあった。何気ないはずのその時間がただ単純に嬉しかった。
魔法士序列の一桁台にいる女性はわずか三名。その中で一番年齢的に下である彼女は、あるものからは期待を向けられ、またある者からは神聖視され、自分たちとは違う存在だと思われていた。同じ魔法士でありながら、その中でも彼女は孤独だった。優れたものは並び立たず、世界は凡庸に優しいことを彼女は知っている。知っていたから寂しいと口に出すことができず、いつしかその心は摩耗して温度を失っていった。心が凍りつけば寂しさも痛みも感じることがなかったはずなのに、その心の氷は白夜の拳によって砕かれ、彼の手によって優しく溶かされた。
「これが恋というものとは。戻ったらお師様に少し聞いてみるべきなのだろうな」
触れ合ったのはたった一週間だというのに、気がつけばロンファは白夜のことをいつも考えていた。入院中に話してもらった内容を思い出せば、彼は魔法士テロ事件によって両親を失っている。戦災孤児である自分と似たような境遇。それなのに彼は幸せそうに笑える。彼の兄である夜空もそうだ。つい最近までは何かにとりつかれたように自分を捨て去っていたというのに、今の夜空は幸せそうに笑っている。だからだろう。彼のことをもっと知りたいと思ってしまう。自分のことをもっと知ってもらって、そばに寄り添って、いつか自分も心の底から笑えるいが来るのではないかと期待してしまう。
「お久しぶりですね、ロンファ様。貴女様にお会いできるこの瞬間を今か今かと私は一日千秋の気持ちでお待ち申し上げておりました」
目的の場所へたどり着いたロンファを待っていたのはどこか芝居がかかった話し方をする青年。浅くかぶったシルクハットにタキシード、ステッキまで持っている徹底ぶりからモノクロ映画のある人物を連想してしまう。
「妾は別に会いたいなどと思ったことはなかったがな」
「つれませんねぇ。ですがそれでこそ貴女です。女王として君臨する貴女が心の機微を理解する必要などない。どこまでも傲岸不遜な姿こそが美しい」
ロンファは青年のことをこの上なく知っている。自分と同じ師匠から教えを受けた魔法士、ファン・フーシン。序列十八位になったことは風の噂で聞いた覚えがあるが、自己都合で師の元から離れた彼と最後に会ったのは六年前。それ以来、一切接触した覚えはないが自分に対して陶酔に似た視線を向けてくるところは会わなくなった期間があるというのに変わっていない。むしろ悪化しているようにすら思える。
「再会の挨拶も済みましたし、それではグレゴリオの凡夫を亡き者にしましょう。そうすればこの城は貴女様のもの。あのような老骨に変わってロンファ様が支配者として君臨される。それこそが私がこの場所にいる目的にして使命。貴女様のことです。自分以外の君臨者を嫌い、この場所にやってきたのでしょう? ご安心ください。侵入者など取るに足りません。私直々に処分してまいりましょう。ささ」
「相変わらずよくしゃべる。だがそれは実現せぬよ」
ロンファの言葉を受けてフーシンの表情が凍る。何を言っているのかわからないといった具合に困惑の色が浮かんでくる。白夜に出会う前の彼女であれば彼の提案にのり、行動を共にしていたことだろう。だが彼女は白夜とであってしまったのだ。もう昔には戻れない。ここで彼の提案に乗って動いてしまえば二度と白夜は自分に笑いかけてはくれないだろう。そんなことは耐えられない。
「妾はこの下らぬ三文芝居に幕を引くためにこの場に参った。手を貸す道理も、お主の奸計に耳を傾けるために来たのでもない」
世界を手に入れたところでロンファが最も欲しいものは手に入らない。だからきっぱりと口にできる。恋によって狂ってしまったのだろうと自分で自分を分析してしまう。だがこれも言い訳だ。白夜の傍にいたい。となりで彼の笑顔を独占したい。自分の欲しかったものがようやくわかった。本当に欲しかったのは壁を作ることなく自分を受け入れてくれる人。同じ傷も痛みも知っていながら前を向ける人。それが手に入れられるチャンスがあるというのに見逃せるはずなんてない。
「何故ですか? 私の知っているロンファ様はこの提案を無碍になどされない。そんな人間のような目をしない。貴女様は一体どうされたというのですかっ」
「好きに歌うがよい。妾は自分で口にするのも恥ずかしいが、恋に生きる。女として生きる。だから、お主は邪魔だ。妾が他の女よりも先に愛しき人にたどり着くために疾く消えよ。今は敵対したお主でも命あることを許可しよう」
「許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない許されない」
シルクハットをその場で落とし、両手で頭をかきむしりながら呪詛のようにフーシンはその言葉だけを口にし続ける。その瞳には正気なんてものは最初から浮かんでいない。浮かんでいるのは妄執と狂気。
「貴女様が恋をした? どこまでも孤独で、どこまでも冷たく美しかった貴女様が既にいないだと? そんなことは許されない。私以外の男がロンファ様に近づくことなど許すどころかあってはいけいない。ふぅ、どうやら私が目を覚まさせて上げる必要がありそうですね」
「男の嫉妬は見苦しいだけという言葉があるらしいが、見るに耐えぬな。つけあがるのもいい加減にせよ。お主が妾の目を覚ますだと? 妄言甚だしいわっ。妾の心には白夜一人だけいれば他の男などいらぬわ」




