act1-3
「これはあれか、別に帰っても文句は言われませんっていうパターンか?」
「終わるまで待ってろとも取れるから、どうすればいいか悩むね」
二人が事務所についたのはメールを受け取ってから二十分が経過したところ。ようやく事務所のあるビルに到着して見れば入口には会議中のプレートがかけられている。
「一応下に行ってみるか。誰かしらいるかもしれないし」
白夜の提案に彼のすぐ隣でヨシュアが首を縦に振ったのでそのまま今度はエレベーターで地下へと降りる。
ブルーバード魔法士事務所。
由来は幸せを呼ぶ青い鳥から取られているらしいが本当の意味は不明。業界では少数精鋭の魔法士事務所と知られ、所長である相原碧流が一般の魔法士が獲得できる最高位の第七階梯を所持していることも加えて他の事務所には一目置かれている。ビル一棟そのまま事務所として使用していることから見ても経済状況はまずまずといったところだろう。
地下に降りた二人が一番近いドアを開けばすぐさま、ひと組の男女が模擬戦闘を繰り広げている様子が飛び込んでくる。もっとも模擬戦闘といっても実戦形式に近く、どちらかに明確な意志があれば相手を再起不能にすることぐらい簡単にできてしまう。
「くそっ」
自分の劣勢を理解し、起死回生の一手を打とうと動く男性。しかしその動きは相対している女性に対しては予想の範疇。魔法を発動させようとした一瞬の隙を突かれて無様にも男性は床に背中を引っ張られ、立ち上がろうとした時には女性の拳が目の前でわざと停止させられていた。
「これで通算成績二十八戦二十八勝。挑んでくるのは別に構わないけど、挑んでくるならそれなりの成果を見せて欲しいものね。無策で挑んできて勝利を引き寄せられるほど実戦は甘くないわ」
戦闘を行う際、邪魔にならないように一まとめにしていた髪を解きつまらなそうに女性は口にする。漆のような光沢を持つ黒髪を腰まで伸ばし、深い藍色の瞳に凝視されれば異性同性問わず威圧感に耐えられず瞳をそらすことだろう。外見的な評価を下すのであれば間違いなく美女だが、それよりも強烈な君臨者としてのオーラが周囲に漂っているために女帝、もしくは女王と表現されて近寄りづらい。
「ああもうっ、どうしてうまくいかねぇっすかねぇ。今回は結構自信あったんすけど」
起き上がったツナギを着た男性は悔しそうに髪を掻きむしり、胸ポケットから取り出したメモ帳に何やら文字を書き込んでいる。
「発動するまでに必要な時間が長すぎんだよ。それを当てたいんなら他の魔法と平行発動させて発動するまでの時間を削るか、もしくは相手が発動するまで動けない状況を作り出す必要がある」
男性の疑問に親切にも答えた上げた白夜は相変わらずヨシュアに腕を掴まれたまま室内へと足を踏み入れてくる。それを見た瞬間、先程まで整っていた女性の表情が若干ひきつり、ヨシュアが勝ち誇ったような表情を浮かべたことは彼の視界に入っていないが。
「親切にどうもっす。でも、俺は白夜さんと違って平行発動できるほど器用じゃないんで、どうすればいいっすかねぇ?」
「どうすればいいって、それぐらい自分で考えろよ。でもまぁ、一般論を口にすれば設置型の魔法使うか、魔導書の設定をいじるかのどっちかだろうな」
突き放すような言葉を口にしながらも、そのあと後輩である新海悠斗にきちんと答えてあげる白夜にさらに体重をかける形でヨシュアは抱きつき、
「でも新海くんあいてじゃなきゃ、伊月も全勝なんてできないからあんまりアドバイスすると怒られるんじゃないかな?」
「それはどう言う意味かしら?」
先程から静観を決め込んであえて口を挟むことをしなかった女性、漆原伊月だったがヨシュアの言葉は彼女の自尊心を酷く傷つけたらしく怒りのオーラを纏いながらヨシュアへと詰め寄ってくる。
「後輩相手に日頃のストレスを訓練と称してぶつける先輩はどうしたものかなぁ? って極めて一般的な意味だけど?」
「私がいつ、後輩相手にパワハラを加えていると? ヨシュア、あまりふざけていると叩き潰すわよ?」
白夜から離れ、腰に手を当てて前傾姿勢を取ったヨシュアと鏡写しのように彼女と同じ体勢を取った伊月の視線が火花を散らす。
「なぁ悠斗、お前、上で何やってるか知ってる?」
「それは自分もわかんないっす。漆原さんと一緒に戻ってきた時にはもうあのプレートが下がってたんで」
「ふ~ん」
何やら不穏な空気になりつつある二人から距離をとって悠斗へと話しかけた白夜だったが、どうやら彼も事情を知らないらしい。
「それにしても漆原さんはやっぱり強いっす。自分、まだまだ精進が足りないっす」
「そっかぁ?」
「あれ? てっきりここは賛同してもらえる場面だと自分思ってたんすけど、違うんすか?」
「所長は別として、戌井さんも俺も含めてこの場所にいる人間に大した差なんて無いだろ。お前相手に全勝してるって胸張ってる漆原だって欠点がないわけじゃないし。むしろあいつに二十八回も挑戦した時点で俺はお前を尊敬するよ」
魔法士は一般的に秘匿を好み、自分自身の手の内を仲間内であろうと曝け出すことを嫌う。白夜もその例に漏れず、敵対者は例外として雇い主である所長以外に自分の使用できる魔法を見せたことはない。それに比べて悠斗は自分を高めるために伊月やヨシュアに対して模擬戦闘を申し出ては黒星を増やし続けている。
「でもそれは置いておいて、白夜さんならお二人にも勝てるんじゃないっすか?」
「最初は勝てるだろうな。こっちは相手の手の内知ってるけど相手は知らないから。でもそれは最初だけであって数重ねていけば結果はわかんねぇよ」
視線のぶつかり合いから罵詈雑言が含まれた口論、それでも収まりのつかなかった伊月とヨシュアの二人は場所が場所なだけに魔法を使用した喧嘩にまで発展してしまっている。それを視界に収めながら白夜は壁に背中を預け、右手の手首にはめているブレスレットと鎖でつながっている懐中時計を取り出す。
「魔法士の戦いってやつは実のところシンプル。実力にどれだけ差が存在してたって魔導書を破壊された方が負ける。どんだけ優れた魔法士だって人間、付け入る隙がない奴なんていやしない。そう考えれば誰だって勝利を掴める。違うか?」
「難しいことを相変わらずサラッと口にするっすね」
人の形を保っているだけの兵器として認識されている魔法士だが、世間の認識とは違って実のところ単体では人間と大差がない。魔法士は自身の魔法を数値化することはできるが、出来るのはそこまで。数値化した魔法を世界に干渉するよう数値化した魔法を演算し直して魔法に変化させるためにはそのための装置である魔導書が必要不可欠。魔導書は魔法士が常に身につけているものであり、起動させるためには直接触れている必要があるため指輪に腕輪といったアクセサリーの形をしていることが多い。ヨシュアは左耳につけたイヤリング、伊月は左手の中指にはめている指輪、悠斗はネックレス、白夜の場合は懐中時計が魔導書に当たる。
「まぁそれを差し引いたとしても自分はまだ皆さんに勝てる気はしないっすけどね」
「自分の力量を正確に判断してることはいいことだ。やっぱり、お前の方があそこで頭に血を昇らしてる二人より魔法士向きだよなぁ」
「自分の手の内が露見することを恐れるあまり、切磋琢磨することを放棄した人間より私はあそこで頭に血を昇らせている二人の方が好ましいが?」
会話に加わってきた人物に気づき、悠斗は自然な動きで敬礼をし、白夜は両手をパーカーのポケットに戻して視線だけを向ける。
「従業員を自分の都合で待たしておいて随分と横柄なことを口にするねぇ。そのことに対して大人としての謝罪はないわけ、戌亥さん?」
「私に謝罪を要求したいというのであれば自分の力で示したらどうだ? それとも吠える相手は自分と同格、それ以下だけか?」
後ろで綺麗にまとめられた一切の黒がない白髪、右目の片眼鏡を軽く押し上げて初老の男性、戌亥久貴は笑みを形作る。燕尾服を身に纏い、白い手袋越しにヒゲをいじる動作は一昔前の執事を連想させる。その瞳は目の前の白夜を完全に見下しており、いつでも噛み付いて来いと態度で語っていた。
次の瞬間には金属がぶつかり合うことで発生した大音量でヨシュアと伊月の動きが停止している。戌亥の背後に突然出現した巨大な剣、それが何かに遮られるように白夜の頭上で強引に停止させられている。否、正確には停止しておらず徐々に左右へと動いてしまっている。
「弱い奴ほどなんだっけ? 記憶力に自信がない俺に年上として教えてくれよ。あんたは俺よりも年上で、加えて強いんだろ?」
「この程度を凌げた程度で随分と雄弁に語る。それほどまでに自分の実力が私に匹敵すると認めさせたいか」
シニカルな笑みを浮かべながら白夜と距離をとった戌亥の背後には拮抗しているものと同様の巨大な剣が複数出現し、獲物に群がるハイエナのように彼へと肉薄してくる。対する白夜はその場所から動くことなく、巨大な剣が彼の体に到達することもない。迫り来るその全てが視界に映らない何かに迎撃されてその場所から動けないように拮抗状態を作り上げている。
「俺さ、試されるのって嫌いなんだ。あえて今回は乗ってやったけど、次からは事前に説明ぐらいは欲しいな」
「私が試していると?」
「はぐらかすのはこっちも想定内。だけどさ、いい加減現実を直視する時間だ」
言葉とほとんど同時にその場にいた全員の視界がまるで硝子が砕け散るように罅割れ、別の世界を捉える。その世界では白夜が呆然と立ち尽くしている戌亥の背後で彼の魔導書である片眼鏡を左手の指でペン回しよろしく回していた。全員思考が追いついていない状態で彼は戌亥に対して魔導書を放り投げてその場で大きく欠伸をする。
「腕は落ちていないみたいね。安心したわ」
「所長、やっぱりあんたの指示かよ。中立貫く紳士な戌亥さんがやたらめったら好戦的だから最初っからおかしいと思ってたけど」
言葉とともに現れたのは男性であれば女性、女性であれば男性であると勘違いしてしまうほどに中性的な美貌を持つ人物。普段であればパンツスーツを好んで着用しているのだが、今はなぜかプリントシャツにジーンズの上からエプロンをつけている。
「戌亥を責めないでね、皐月君。あなたの現段階の実力を正確に把握してもらうために一芝居売ってもらっただけだから。それにしても相変わらず見事な幻術ね。いつ仕掛けたかもわからなければ、術中にいる認識すら微塵もない。おまけにかけている間、かけられた相手は都合のいいあなたを認識しているだけで本当のあなたを認識できず、自由に動くことができる。ちょっとした反則って言い換えてもいいわね」
所長である彼女、相原碧流が口にする。
幻術。
正確には精神干渉魔法の一種として認識されているが、白夜が使うものは魔法士が認識しているものとも若干異なる。彼の幻術は精神干渉ではなく精神把握操作。相手が誰であっても一度幻術を仕掛けることができれば確実に勝利が転がり込んでくるという反則技。ただ一つの難点としては幻術自体がメジャーな魔法であり対策方法が確立されてしまっていることだろう。
「でもおかしいわよねぇ? 幻術は相手と相互認識が出来ている状態でしか使用できないのに、どうやってあなたは耳栓をしている戌亥に幻術をかけられたのか? そこのところ、きちんと説明してくれないかしら?」
「その割に会話がきちんと成立してなかったっけ?」
「戌亥は唇の動きを読むことができるの。会話するぐらい当たり前にできるわ」
はぐらかすことは許さない。言葉に出さずとも態度で示すことによって碧流は白夜の逃げ道を封じている。この場所で適当な言い訳を口にして煙に巻いてしまいたいのが彼の本音。この事実を口にしていれば今まで隠してきた手の内を一端とはいえ明かすことになってしまう。その為、彼はどうやってこの場を切り抜けようか思考を巡らせるが、結論を彼の頭が導き出すよりも先に周囲の視線に屈服してしまった。
「俺がさっき使ったのは『月女神の夢幻牢獄』。幻術と空間形成を融合させた魔法で、効果範囲は俺の知覚範囲、使う魔力が膨大なんで使用回数制限はあるが効果範囲内であれば相手と相互認識ができていない状態でも幻術空間にたたき込める。加えて俺が特定のキーワードを口にしない限り、幻術空間に居る相手は現実空間に精神が戻って来ることはない。要するに自力での解呪は不可能。これで満足かよ」
説明を終えてから大きく白夜はため息をつく。彼が口にした言葉が全て事実であるというのなら幻術に対する魔法士の認識が激変するだけでなく、魔法士連盟が彼の存在を放っておくことはないだろう。それほどまでに魔法同士を融合させることは難易度が高く、理論として発表しても実用化に至ることがほとんどないのだ。
「説明どうも。ふぅ、それにしたって限度があるでしょうに。反則技に磨きをかけるってどういう思考回路してるんだか、今度一回知り合いの脳外科医を紹介しましょうか?」
「そこは断固として首を縦にはふらないからな」