act2-9
白夜の体に生じた変化は並みではない。先ほどまでと別人と敵対していると錯覚してしまうが、神楽は気持ちを切り替えて半分になってしまった刀を正眼に構えて呼吸を落ち着かせる。序列一桁台と二桁台では超えられない壁が存在していることは既に実感している。序列一桁台を相手取ることも想定した上で彼女はこの場所に立っている。それなのに掌と額に浮かんでくる脂汗が消えてくれない。
単騎で最強と呼ばれる序列二位、殲滅戦で無類の強さを発揮する六位、広範囲での戦闘で他を圧倒する八位。序列一桁台でこの飛空城に侵入してきたのはこの三名。明確な敵対は意外だったが、神楽は序列一桁台全員と戦うことを既にシミュレートして対策を作り上げている。得体の知れない九位相手であってもここまでプレッシャーを感じたことはない。目の前に存在しているのは確実に異質、常軌なんてものから程遠い。それ故に序列一位という魔法士の頂点。
「『蛇』とは言い得て妙ですね」
悩んで時間をかけていたとしても対策を打ち出せるとは限らない。先程までの白夜の行動から彼が中距離ないし遠距離を得意とする魔法士と判断を下し、神楽は獲物を修復させながら距離を殺すように自分から打って出る。近距離を得意とする彼女と彼の相性は良く、距離さえ詰めてしまえばどうとでもなると考えていた。繰り出した刀を片手であっさりと、それこそ虫でも払うかのように弾かれるまでは。
視認することはできずとも白夜が展開しているのは『魔天蓋』。半球状に魔力障壁を作り出す防御魔法だということは理解していた。そしてそれを自分の振るう刀で切り裂くこともできる確信があった。神楽の予想通り、彼女の繰り出した刀は彼の魔力障壁を紙のように切り裂いて首筋へと向かっていたのだが、それをこともあろうに彼は左手で払い除けた。魔力障壁を別方向からぶつけて軌道を変えたのならばまだ理解できる。しかし彼は魔力障壁以外に先程と違って魔法を展開していない。
距離を殺すつもりで詰めたはずの距離を自分の退避行動で再び広げてしまった神楽は、いらだちを隠せずに舌打ちをしてしまう。攻防の流れから見て白夜は自分の動きを完全に把握しきれてない。それほどまでに実戦経験の差は存在したまま。だが届かなかった。回避できる速度でも防御できる角度でもなかった。先程までと違って今の自分は本気で彼を殺すつもりで動いている。なのに当たったと確信できる攻撃が防がれてしまう。最初から来る場所がわかっていると言わんばかりに対処の仕方に無駄がない。
「うん、大体わかった。今度はこっちから動く」
その言葉はすぐ隣から聞こえた。気づいたときには反射的に飛び退き、声の聞こえた場所に対して迎撃の刃を振るう。響いてきたのは鋼同士がぶつかり合う金属音。読み違えたと神楽が判断を脳内で下した時にはすでに遅い。不安定な空中での迎撃による衝撃で両手が痺れ、着地とほとんど同時に爪先が自分の眼球へと迫っている。最悪な判断だと自分で思いながら刀をその場で手放し、両足で力任せに地面を叩くバックステップで強引に距離を作る。白夜が使っていた魔法で彼をどの距離が最も得意な魔法士だと自分勝手に判断していた自分に腹が立ってしょうがない。相手が自分よりも格下だと決め付けていた慢心を捨てきれていなかったことによる愚行。
魔法士同士の戦闘は相手の手の内を探り合う長時間の戦闘か、戦闘とは名ばかりの一撃による決着のどちらかが圧倒的に多い。間違いなく今の戦闘は前者。こちら側の手の内はほとんど相手に筒抜けで、自分は相手の手の内を暴き出したと妄想に近い判断をしてしまっていた。
ここからどうやって自分の獲物を取り戻し反撃に打って出るか。神楽は自分が今まで積んできた経験から模索するがどれも成功の可能性は低い。先ほど一瞬で距離を詰めた移動方法や鋼同士がぶつかり合う金属音も理解できていない上に、相手の手の内がわからない。現状を打破する手段が見つからない。
「受け取れよ。俺には必要ないもんだ」
そんな神楽に対して白夜は無造作に掴み上げた刀を彼女に対して放り投げてくる。圧倒的優位に立ったが故の余裕ではなく、落し物を目の前で見つけた親切のように気軽に。こんなことをされるものだから混乱しかけている思考が余計にまとまらない。彼が自分と戦っていることは状況からすぐわかる。だがどうしても腑に落ちない。彼からはプレッシャーと呼べる闘志を感じることができるのに殺意や敵意といったものが感じることができないままなのだ。
「それ返したんだから、お礼に教えてくれよ。あんたはどうやったら敗北を認める?」
「貴方、自分が今何を口にしているのかわかっていますか? 私たちは殺し合いをしている最中なんですよ?」
「俺にその気はないんだけど、そっちがそう思ってるならそうなんだろうね。馬鹿にしてるとかそういうんじゃないんだ。なんて言えばいいのか、いい言葉が思いつかないんだけど、俺はあんたを殺したくない。こっち側に引きずり込むって言ったろ?」
完全に自分のことを馬鹿にしているとしか思えない会話の応酬。だから戦闘中ずっと彼から自分に対して殺意も敵意も感じることができなかったのだろう。あまりの馬鹿さ加減に怒りを通り越して呆れてしまう。
「戦闘不能にすれば私は敗北を認めるしかない。それぐらいわかっていると思いましたが、わからないほど貴方は馬鹿だったみたいですね」
「そいつは違うな」
吸い込まれてしまいそうに強い光を放つ金色の瞳に神楽の心は一瞬だけ引き込まれてしまう。それを自身の不覚と恥じ、まだ握力が完全に戻らない両手で刀を握り直して再び正眼に構える。それなのに彼は構えようとしない。自分に刃が届かないと確信しているように自然体のまま。
「フェイ・ロンファは自分よりも格下の相手に意識を奪われ、あまつさえ手加減されたということで敗北を受け入れた。でもあんたは違う。あんたは殺したって、意識を奪われたって敗北を認めない。ロンファと違って敗北を経験したことがあるあんたはそんなことじゃ今の生き方を変えてくれないし、こっち側に来ない。だからどうすればあんたが敗北を認めるか教えて欲しい」
彼の言葉に嘘がないと思えるからこそ疑いが捨てられない。自分は彼にとって敵で、殺してしまえばそれで済む相手でしかない。事実として制限時間を課せられているのは侵入してきた側の彼ら。制限時間に余裕を感じていられるような状況では決してない。
「貴方は、一体何を考えているんですか? 私は貴方の敵であり、排除しなければならない存在でしかありません。それなのに」
「どうして自分に対して手を差し伸べてくるのかって続けるつもりだろ? おんなじような経験してるからってのもあるけど、多分それだけじゃない。自己満足なんだろうけど、俺はあんたをこっち側に引きずり込むことで過去の自分も救いたいんだ」
「貴方はやはり馬鹿ですね。それも大馬鹿です。安っぽい同情なんていりませんし、迷惑以外のなにものでもありません」
「俺が馬鹿だって事は自覚してる。でもしょうがねぇじゃん。目の前で泣いてる女の子がいたら手を貸してやらないと。胸貸してやるか、涙拭ってやらないと男じゃないって兄貴に教えられてるし。見て見ぬ振りはできねぇよ」
白夜は魔法士を殺し続けてきたことによって『魔法士殺し』の称号を連盟によって与えられた神楽を一人の女の子としてみている。手を差し伸べてきている。だからわからない。こんなふうに手を差し伸べてきた相手なんて今まで一度もいない。弟が殺された時は慰められるどころか罵倒され、冷たい視線だけが向けられた。本当は彼の手を今すぐにでもつかみたい自分がいる。彼の胸で泣きたい自分がいる。でもそれは叶わない願い。ここで彼の側についてしまえば今までの自分を自分で否定してしまう。
「私は、今まで一人で生き抜いてきました。だから貴方の言葉は素直に嬉しく思います。別の出会い方ができたのであれば貴方と同じ側にいれたかもしれません。でも、もうそれは手遅れです。私はもう選んでしまったんです。私はこの世界で差別を受ける魔法士たちのために負けるわけにはいきません」
「なるほど。だったらこんな力尽くな方法じゃなくって、それこそ別の方法で変えるためにこっち側に来るべきだと俺は思う。あんただって本当はわかってるはずなんだ。力で従わせれば表面上は確かに落ち着くけど、目の届かない範囲で報復の戦力が整えられる。それが準備できれば今度は人類側からの報復。いたちごっこは終わらない」
白夜の言っていることはわかる。今までの歴史を振り返ってみても一方的な勝利は存在していない。それどころか彼の言葉通り争いは繰り返される。魔法士による世界征服では救われない魔法士がいることも、人類側の執念深さも知っている。
「だったら、だったらどうすればいいって言うんですかっ。私には刀を握り、誰かを殺すことしかできません。今までもこれからもきっとそうです。他の方法なんて知りません。教えてくださいよっ。流血なしでこの世界を変える方法があるんなら私だって知りたいですよっ。でもそんな夢みたいなもの存在しないんですよっ」
ほとんどヒステリックに叫んでしまう神楽。世界平和なんてありえない。どうやっても傷つくものが出るのであればもう一方を根絶するしかない。だがそれは現実的に不可能。魔法士だって連盟側につく者たちが少なからずいることだろう。一枚岩だなんて言えない。人類側の報復が先か、魔法士の反乱が先か。どちらにしてもグレゴリオの天下は長く続かない。こうして白夜たちが乗り込んできたのがいい証拠。
「でもそれって、あんたが一人で考えて出した結論だろ? 見限んのはまだ早いと俺は思う。俺の周りには魔法士だって差別しない人間が多くいるし、悪い面ばっかし見えるのは一人だとよくあるから。とっとと結論出さずにもう少し悩んでみようぜ? 今度は俺も一緒に悩んでやるから」
その言葉が殺意を膨れ上がらせる。目の前にいるのは善人の皮を被った悪魔だと思い込んで震える両手で刀を突き出す。刀は弾かれ、自分の命は終わる。口先だけなら誰だって何とでも言える。自分の命が危険に晒されれば本性がわかる。それなのに、神楽の刀は白夜の腹部を貫いていた。
わけがわからない。本気で自分は殺そうと動いたのに白夜は回避どころか防御すらしていない。それだけじゃない。自分の体を抱き寄せて、ちょうど顔が胸の位置に収まっている。凍えて摩耗していくだけだった心に温度を感じる。今まで目的のために邪魔になると判断した相手は年齢性別問わず殺してきた。それなのに彼の血にまみれた両手が恐怖で震えている。傷つけてはいけないものを傷つけてしまったと心が泣いている。
「ものすごく痛ぇって叫びたいけど、今は我慢する。胸貸してやるから好きなだけ泣けよ。今まで辛かったことも痛かったことも寂しかったことも全部、俺が聴いてやるから。そんで少しすっきりしたら俺に手を貸してくれ。世界はぶっ壊すんじゃなくって少しずつでも変えていくものだってことを俺たちが見せてやるから」
もう我慢し続けることは無理だと分かってしまう。心が理性を押しのけ、血に濡れた両手で白夜を抱き寄せて大声を上げる。涙は止まってくれない。致命傷ではないが彼の傷は深く、放っておいていい状態ではいことも分かっている。それでも神楽は動けなかった。孤独という枯れた大地に涙で水を与えるように、彼女はようやく見つけて手を伸ばすことができた。取り繕うことなしにありのままの自分自身を受け入れてくれる人。
「私は、どこで間違えたんでしょうか?」
「間違えたってわかってるなら、そう遠くないうちに自分で気づけるだろうよ。ぶっちゃけ、俺は自分の行動が間違ってるって思ったことがほとんどないからそういうのはわかんねぇ。それよか、俺に少しだけ時間をくれ。さすがにこのまま刀が腹に刺さったままだと癒着して治しづらい」
「馬鹿なのは先ほど気づきましたが、それに加えてムードの欠片もない人なのですね、貴方は。でもそんな貴方だからこそ救える人がいるんでしょうね、私みたいに」




