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トリガーウィザード  作者: PON
第一章前編 神無月の停滞
18/45

act1-18

 事務所のデスクで本日の朝刊を開いた碧流の目がいきなり点になってしまう。事件の見出しは高級レストラン半壊。それだけであれば魔法士の事件とは断定しにくいのだが、堂々とその場で容疑者である魔法士三人が写真に写っているのだからすぐさま言葉が出てこない。危うく持ち上げたばかりのコーヒーカップを手放してしまうところだった。


「あの人たち、一体何に関して揉めたのかしら? 三人とも子供じゃないんだからもう少しTPOを弁えて欲しいものね。ただでさえ世間から魔法士に対する敵意の視線は増すばかりだっていうのに。序列一桁が三人、揃いも揃ってこんなことじゃ周りに示しなんて付けられるわけないじゃない」


「お嬢様のおっしゃる通りですな」


 文句を口にしながらもどこか楽しげな碧流を見て戌亥まで顔に微笑を浮かべてしまう。実際、彼女は口では罵っているが羨ましいのだ。魔法士という存在が兵器と一般人に認識されている以上、その力は常に制限をかけられている。全力でぶつかり合って無事で済むことはまずない。そう考えれば彼らは喧嘩をしたのだ。相手ならば死なないし、自分も死なないという確信を持って。


「そういえば戌亥、話が変わるんだけど」


「なんでございましょう? 朝食であればすぐにお持ちいたしますが? それともコーヒーのおかわりですか?」


「違うよ。この事務所を近いうちに畳もうを思ってる」


「それはまた、急ですな」


 新聞を自分の机に放り投げ、回転椅子を回した碧流は窓越しに世界を見る。ただ見ているのはいつもの慣れ親しんだ風景ではない。この場所に彼女が事務所を立ち上げてから今に至るまでの思い出。


「実を言うとね、私の目は尋常でない速度で視力低下を引き起こしている。今はまだいいけど、近いうちに老眼鏡があっても周囲を認識できなくなる。魔法を使用しすぎたツケを払う時が来たみたいなんだよ」


 碧流の魔法は眼球を通して様々な情報を読み取るだけでなく、目的の物や場所が遠く離れていても手の届く範囲に認識することができる『千里眼(オールビュー)』を基本としている。魔導書だけでなく眼球に魔力が少なからず蓄積されることで急激な視力低下を引き起こしているのだろう。


「魔力蓄積による人体影響を完全に排除することは不可能。どんな大魔法士でも名医であっても既に私の目は限界ギリギリのライン。それでも連盟からの指令には従わなくてはならない。私はもう、所長としての責任を果たせなくなってしまったんだ」


 未練がないなんて口が裂けたって言えない。

 碧流はこの事務所を気に入っているし、所員もアルバイトも自分の家族だと思っている。それでもいつまでも一緒にはいられない。どうあがいたところでできないこととできることは決まっていて、それが我慢できないぐらいに悔しい。

コーヒーがカップの中で波紋を作り上げている状況で、戌亥は自分の主に対してかけられる言葉を持っていない。自ら第一線を退くと決めたのは自身の主。いくつもの思いを断ち切って彼らから離れる決断を下したのも彼女。


「お嬢様、前を向いてください」


 戌亥の言葉で俯いていた碧流は視線を上げ、上り始めた太陽を瞳に移す。黒一色から世界に色が生まれる時間。


「お嬢様がどのようなお気持ちで決断をくだされたのか、残念極まりないことですが私には判断できません。ですが、お嬢様。この言葉だけは覚えておいて頂きたい。世界に色が生まれるように、人の心にも希望は生まれる。いずれという未来であれば、それまでに未来を変えるために動け。かつて世界に絶望していた私にお嬢様が教えてくれた言葉です」


「私がそんな恥ずかしい言葉を口にしていたとは。若さとは恐ろしいものだな」


「お嬢様は今も昔も私の前ではお転婆なお嬢様でしかありませんが?」


 沈み込んだ心がゆっくりと浮かび上がってくる。絶望に押しつぶされてしまうのは直面してからでいい。今はそれよりも目前に迫っている大規模作戦を全員無事で乗り切ることが最優先。ここを乗り切れなければ自分の目よりも大事な家族を失ってしまう。いざとなれば自分の現状よりも家族を優先することすら辞さない。


「大人になったつもりだったというのに。私もどうやらまだ子供のようだ。昔と違って自分の足元も後ろもしっかりと見るようにしているはずなんだが」


「お嬢様、自分が子供であるという認識があるうちは大人にはなれません。ですが、それと同時に自分の可能性がまだ残っているということでもあります。世の中では自分が大人になったと誤認している者たちが多くいます。大人になるというのはひとつの完成形です。可能性をとるか、自らの完成をとるか。それを選択したとき本当の意味で私は大人になったのだと思うのです」


「手厳しいどころか、含蓄のある言葉だな」


 時刻は午前六時までもう少しといったところ。後二時間もすれば眠そうな顔の白夜か元気一杯の悠斗、どちらかが顔を見せることだろう。弱音を吐く時間は短く終わってしまったのだ。彼らの前では毅然としていなければならない。碧流は所長であるのと同時に彼ら二人の師匠でもあるのだから弟子に弱さを見せてしまってはカッコがつかなくなってしまう。それでなくとも最近は料理の失敗で株が下落して横這い状態から上昇していない。


「私の株を上げるためには一体どうすれば」


「そんなお嬢様に朗報です。こちらをご覧ください」


 戌亥が手渡してきたのは六法全書と同じぐらいの背表紙がある分厚いファイル。それを受け取って最初のページをめくった碧流は、震える手でコーヒーカップを机の上に戻してどうにかして口元を抑える。うまく息ができないだけではない。ヘタをすれば胃液が逆流してくるような気持ち悪さ。


「戌亥、これは一体?」


「お嬢様の指令通り手に入れてきた資料になります。補足を加えるのであれば目次や索引はなく、最初から本題といったところですか」


「それを先に言って欲しかった」


 誰だってページをめくっていきなりグロテスクな写真をぶつけてこられたら気分が悪くなる。朝食を食べていなかったことが幸いし、コーヒーで強引に吐き気まで飲み込んだ碧流は荒い呼吸を落ち着かせて再び資料へと視線を落とす。


「間違い、ないんだな?」


「はい。皐月殿の仮説と今までに起きていた魔法災害の資料を組み合わせた結果、間違いはないかと」


「死者蘇生。魔法士誰もが探求することを諦めきれない魔法であり、禁呪として使用は愚か資料を閲覧しようとしただけで処罰対象になるこの魔法を発動させようとしている馬鹿は一体どこの哀れな子羊だ」


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