act1-16
背中に感じたのは冷たく、そして硬い感触。少しだけ遅れて自分が倒れたのだと認識できた白夜は右手で懐中時計を握りしめて拳を作る。
魔法士序列六位であるフェイ・ロンファが先日、何者かに敗北を喫したということは瞬く間に広がっていた。勝利したものが名乗り上げず、誰かが圧力をかけて情報規制を行った為に彼女の序列順位は変わらず、今は病院で療養中とのこと。圧力をかけた人物に心当たりがある白夜は言葉に出さず心の中で感謝しながらゆっくりと瞳を閉じる。
魔法士連盟が対魔法士特殊部隊と序列の六位と八位を投入して行う大規模な作戦開始日時が発表されてから、あるものは期待を胸に、またあるものは不安を押し殺すかのように日々を過ごしている。何事もなければいい。だが、魔法士でない一般人たちでさえ何かが起こると予感している。そしてそれは実際に白夜の予想では起きてしまう。
「まったく、解決できそうにない問題が山積みすぎだろ」
右腕で視界を遮るようにして愚痴をこぼしてしまう。自分はスーパーマンでもなければ大魔法士でもない。人の形を保った兵器と揶揄される魔法士であってもできないことが多すぎて、それでも何かできないものかと葛藤してしまう。ないものねだりと言われてしまえばそれまでで、権力を手にすれば自分の今までの生活を失ってしまう。それが選ぶということ。何かを手に入れるためには何かを捨てなければならない。夢物語であれば手に入れることに苦悩は感じないだろう。だが現実は無情で、手に入れれば手に入れた分だけの代価を要求してくる。現状維持が一番と思っていてもそれでは何も変えられない。踏み出すということは何かを変えることなのだから。
「随分とお疲れみたいね。まさか有給届けを出してる本人が地下のトレーニングルームで試行錯誤してるなんて誰も思ってないでしょうし」
叩きつけられるように被せられたタオルを左手で払いのければ、その場所には上司である碧流がため息混じりに白夜を見下ろしている。
「うまく魔力発動を隠してたから他の皆は気づかなかったみたいだけど。それで、半日試行錯誤を繰り返してなにか収穫はあった?」
その場でしゃがみこんで碧流が覗き込んでくるので、つい白夜は顔を背けてしまう。収穫は少なからずあったが、すぐに実践できるものではない。
問題となっているのは白夜自身の魔力量。
魔力量は生まれ持った個人差があり、彼の魔力量は十人並み。他の三人が同じ悩みを抱えていたとしたら碧流も笑い飛ばしただろうが、彼の場合は違う。頭脳や豊富な手数で補ってはいるものの、彼の魔力量は他の三人と比べればどうしたって見劣りしてしまう。そしてその原因も彼女は知っている。
「いい加減意地を張るのをやめればいいのに。男の子は本当に面倒な生き物ね」
「男は意地張ってこその生き物だからね。でも正直今は悩んでる。意地を捨ててでも動くべきかどうかって」
「なるほどね。皐月君は皐月君なりに考えてるわけか。一応、上司らしいアドバイスをしておこう。杞憂だと切って捨てられないのであれば、万全の準備をしておくべきだと。意地を張ることを天秤にかけて悩むのであれば尚更。後悔なんて終わってからいくらでもすればいい。終わってからできるから後悔って言うんだから」
上半身を起こしてタオルで乱暴に汗を拭ってから白夜は立ち上がる。普段威厳の欠片すら感じられない碧流だがさすがは年長者。彼の抱えている問題に対して適切な助言をくれる。一度振り返ってから直ぐに彼は顔を背ける。今の自分と彼女との距離がどれほどあって、埋めるためにはどれほど修練が必要なのか全く見えてこない。序列六位と相対した時よりもかなりの距離を感じる。
「先生はさ、自分の無力さを嘆いたことってある?」
「実に懐かしい呼び方だね。皐月君に最後呼ばれたのは所員になる前だったから、かれこれ五年ぐらい経つのか。時が経つのは早いね」
「茶化さないで答えてくれよ。一応こっちは真剣に聞いてんだから」
「ごめんごめん。無力さを嘆いたことがあるかだっけ? あるに決まってるじゃないか。私たちはいつだって無力で、自分とは比較したって無意味なぐらい大きな流れに流されるしかない。魔法士として優秀だからといって社会で、もっと言えば一般人に認めてもらえるわけではないんだからさ」
強力な魔法士であろうと物量で押せば一般人に敗北する。痛みや疲労で集中力が散漫になれば魔法は起動しても通常時の五割程度の威力しか発揮しない。知覚できない範囲からの攻撃は回避も防御も当たり前のようにできないし、病気にだって勝てない。魔法士はよくトランプの切り札と例えられることが多い。切り札は無類の強さを発揮するが、使える状況が限られたり、使わずに敗北してしまったり、所詮ほかのカードと同じでしかない。
「そうだね、一応こっちは師匠としてのアドバイス。皐月君は攻撃系統の魔法を嫌っているみたいだけど、使えるというだけでアドバンテージになる場面が多い。攻撃魔法を使いたくないという考えは平和主義の君らしいけど、主義主張でどうにかなる場面だけなはずがない。その考えは直ぐにゴミ箱に直行しなさい」
「いや、でも俺の攻撃魔法は」
「わざわざ言わなくても知ってるよ。どれだけ君の師匠をやってきたと思ってるのか。確かに君の攻撃魔法は使う場面をかなり選ぶものが多い。だが今の君ならどうだろう? 考案した時よりも成長し、魔法の展開に発動、密度や規模まで微調整できるようになっている。今の君であれば使いこなせるはずだ」
「そうじゃなくって」
「殺傷性が非常に高く、相手を発動と同時に殺害してしまう可能性が高いから使用を躊躇っているのかな? それとも、私に傷をつけた過去のトラウマでうまく使えない? 違うだろ? 君は誰かを傷つけたくないんじゃない。誰かを傷つけることで自分が傷つくことを恐れているだけだよ。君は痛みに敏感すぎるんだ。もう少し鈍感になった方がいろいろと楽に生きれる」
白夜は反論することができずに唇を噛んで言葉を飲み込む。
誰だって痛いのは嫌だし、争わずに済むのであればそちらの道を選ぶ。師匠である碧流に傷を負わせてから彼が直接的な攻撃魔法を使用しなくなったことがその証明。防御魔法に幻術、治癒魔法といった具合に彼はそれ以降別方面の魔法に意欲を燃やしがむしゃらに習得しては研鑽していった。だが、いい加減過去に見切りをつける時期が来ている。守りたいものがあるのなら自分が傷つくことを恐れてはいけない。
「戦わずに勝利を収めることは至難の業だ。君は多種多様な手段を用いてそれを可能としてきたが、格上相手や大軍相手ではそうもいかない。君に必要なのは罪を背負う覚悟だよ。もう子供じゃないんだから、君は一人で立てるだろ?」
そう信じているから碧流はあえて言葉として言い聞かせる。目の前にいる白夜はもう出会った頃の少年ではない。挫折も痛みも知り、自分の弱さと向き合う強さを持っている。
「いい加減、覚悟決めろってことか。奪われたくないので奪われる前に奪え。それが師匠の教えだったもんなぁ」
「君はまだ若い。時間は待ってくれないけど、悩んで自分なりの答えを掴むぐらいの余裕はあるはずだから。それと、なんとなく予感がしてたからこれ、返しておく」
碧流がスーツの胸ポケットから取り出したのは蛇が刻まれたコインのついた金色のネックレス。それを見て白夜は恐る恐る手を伸ばす。これを受け取ってしまえばもう止まることはできない。そんな弱気な考えが掴むことを拒むように左手が震えている。それがわかったからこそ、彼女はあえて握らせてその上から自分の両手を重ねる。
「流血を望まない生き方を選べるならそれが一番いい。でもね、現実は争いごとが絶えない。君が罪を背負うことで救える命があるかもしれない。忘れてしまってはならないのは、罪を背負ったという負の部分だけを見ず、誰かを守れたということを誇っていいってこと。わかったかな?」
「本当、師匠にはかなわねぇなぁ」
ネックレスを身につけて白夜は自分の頬を両手で叩くことで気合を入れる。期日が迫っている以上、それまでに自分なりの回答を出さなければならない。それが正解か間違いかをわからないままでも。
「お説教はここまで。自信を持ちなさい、皐月君。君にはその年齢で十分すぎる知識と技術がある。あとは使い方次第だから」




