act1-13
「これって、パフォーマンスかなんかっすか?」
左手に料理が山盛りの皿、右手にフォークを握った状態で現れた悠斗を見てヨシュアと伊月は同時にため息をついてしまう。魔法士であれば誰でも気づく結界魔法をアトラクションの類と勘違いしているのだから能天気とひと言で片付けられるほど単純な問題ではない。彼の能天気さに呆れているヨシュアを放って伊月はタバコを携帯灰皿に押し込んで火を消して思考を開始する。
何らかのトラブルが起きて安全のために空間を隔離したのか、それとも何者かの手によって閉じ込められたのか。どちらにしてもあまり面白い展開にはなりそうにない。普通に考えれば前者。なにせこの場所には天下の魔法士序列二位がいる。世界最強の魔法士と謳われている相手に対して不用意に喧嘩を売るのはバカがすること。だがもし、可能性としては低いが後者の場合だったらどう動くべきか。そこまで考えてからバカらしくなって伊月は考えることをやめてしまう。
「この程度のことで慌てふためくとは、誠に哀れなものよなぁ。所詮は塵芥といったところか」
その声は特に大きなものではなかったが、室内全体に不思議と響き渡った。
後頭部で一纏めにされた黒髪に同色の瞳。黒地に金で鳳凰が描かれたチャイナドレスに肩にかけているファー。腰付近にまで深く入ったスリットの露出を気にすることなく一歩ずつ優雅な佇まいを崩すことなく歩を進めている。この絶世の美女と表現しても損色のない美貌を持つ女性がおそらくは声の発生源。だが見蕩れることよりも先に恐怖を感じてしまうのは、扇子で隠されているはずの口元が笑っていると確信を持って口にできるせいだろう。先日、堂々と来日したことを各種報道番組で流されていたので彼女を知らない人間はおそらくこの場所にいない。魔法士序列六位、フェイ・ロンファがその場所にいた。
「安心するが良い。妾は塵芥に興味など微塵もないが好き好んで危害を加えるつもりもない。其方らは忌まわしき二位をこの場所におびき寄せるための生き餌。妾が眼前であの男を屈服させることを見届けるための存在」
徹底した魔女主義を貫くロンファにしてみれば魔法士ではない人間に価値はない。あったとしても道端の石ころ程度。この場所で興味があるのは自分が上の存在だと思い上がり、命令するがごとく呼びつけてきた二位。
「この場所には多分、っていうか確実にいないっすよ」
「誰が口を開いていいと言った。軽々しく妾の前で口を開くな、この下男。貴様ら塵芥の命が今なおあるのは妾の恩恵故。その命、刈り取るのは容易いのだぞ?」
悠斗が口を開いた瞬間にロンファが激昂し、口元を隠していた扇子を彼に振り下ろすように先端を向ける。その動作だけで近くにあったテーブルは綺麗な切断面を見せつけるように線対称に割れ、上に乗っていたものを巻き込んで盛大な音を立てる。
パニックになるなと言われても無理な状況。それを楽しんでいるのだろう。ロンファは満足そうに再び扇子を開き口元を隠すが、次に発せられた言葉で瞳が細くなり周囲を探る。
「弱い犬と勘違いされたくないのであれば不用意な行動は避けるべきよ。それとも、自分の力を自分以下の相手に誇示し続けなければ維持できないほど、あなたの実力は低いものなのかしら?」
「先ほどの妾の言葉を理解できていないようだな、塵芥」
「恐怖して欲しかった? それとも跪いて欲しかった? 残念だけれど、今の私ではあなたの期待には答えられそうにないわ。ごめんなさいね」
完全に相手を挑発する言葉を口にして伊月は新しいタバコに火を付ける。ぶつけられる殺意とプレッシャーは並大抵のものではない。言葉通りこの状態でなければ彼女も自分の命を守る方法を模索していたことだろう。
「悠斗、悪いけどそろそろだと思うから料理を確保してきてくれるかしら」
「自分もそうしたいところなんすけど、どのテーブルもひっくり返ってるんでまともな料理がどれ一つとして残ってないっす」
「それは、ちょっと気の毒ね。この後のことを考えるなら今のうちにどこかお店を予約しておかないと。ヨシュア、あなたこの近辺でいいお店知ってる?」
「う~ん、僕もこの辺りにきたことあんまりないしなぁ。パスタかピッツァの美味しいお店はここから結構距離あるし」
挑発だけであったならロンファとてここまで頭に来なかっただろう。目の前の男女はまるで自分を脅威に感じていないどころかこの後の予定を話し始めている。馬鹿にしているどころではない。彼女のことをまるで相手にしていない。最初は寛容な心で許してやるつもりだったのに、既に彼女の忍耐力が詰まっていたタンクは穴があいて空っぽ。
扇子を閉じ、それと同時に三人の首付近の壁に小さな亀裂が生じる。自分はその気になればいつだって命を奪える。同じ立場になんて最初からいない。自分は序列一桁であり、選ばれた存在であることを無知な奴らに知らしめる為に。それなのに目の前のやつらは顔色ひとつ変えずに談笑をやめようともしない。
「貴様ら、よほど命がいらぬと見えるな」
「失礼。私たちみたいな小者は気にならないと思っていたけど、案外そうでもなかったみたいね。メッキが剥がれてきたってところかしら?」
伊月の嘲笑と同時に彼女の吸っていたタバコが縦に両断されて絨毯の上に落ちてしまう。マナー違反だとは思いながら彼女はヒールで火を踏み消すが、魔法の余波で僅かに切れてしまった右手の出血は消えてくれない。少しずつ広がっていく血液を見ながら、彼女は大きくため息をついてしまう。目の前の人物は全く理解していない。この場所で最も恐ろしい人物が誰かということをわかっていない。
「一つ、あなたにいいことを教えてあげるわ」
「命乞いのセリフでも歌い上げるつもりか、塵芥」
「命乞いするぐらいだったらとっくに逃げ出してるわ。だって、私の実力ではあなたに到底かなわない。一方的に殺されて終わりだもの。でも私はこの場所で死なない絶対的な確信がある。それを今から教えてあげる。いえ、私が教えなくてももう来たみたいよ?」
伊月が何を言っているかわからないロンファは怒りに身を任せ、再び扇子を振り下ろそうとする。その瞬間に彼女の視界が閉ざされなければ確実におこなっていただろう。ただしそれは妨害された。勢いよく飛び込んできた入り口のドアによって。
「あ~もうマジで腹減った。寝不足でピリピリしてる俺にこんな面倒事をしつけてきたのはどこのバカだよ、糞っ」
苛立ちを隠すことなく両手をズボンのポケットに突っ込んだ状態で白夜を中心に登場してきた三人を見てロンファは愕然とした表情を浮かべている。この場所は完全な隔離空間。魔法を切るという常識外れな裏技を持つ二位が魔法を使ったのであれば彼女もすぐに知覚することができる。だが二位が魔法を使った形跡は見当たらない。この場所は彼女が望む人間しか外部からは入ってこれないように設定しておいたのに乱入者が三人もいる状況。
「はぁ、全員無事だったら俺も大人しく引き上げるつもりだったんだけどなぁ。頑張ってマルコの魔導書調整して着てみればこれだもんなぁ。なんつ~か、これは俺に喧嘩売ってきたって解釈してやればいいのか?」
思考を巡らせるロンファをよそに三人のすぐ近くまで移動した白夜が伊月の手を取る。そこには先ほどロンファの魔法で傷つけられた切り傷が存在していたのだが、ため息混じりに彼が手をかざせば傷跡が事実を否定するように消失している。
「自分で切っちまったって言うんなら、バンドエイドぐらい持ってるはずだからすぐに処置してるはず。ってことは、誰かが故意に傷つけたってことだよな? 濡れ衣云々言われたくないから確認しておくけど、漆原傷つけたのってあんた?」
言葉とは裏腹に白夜は既に伊月を傷つけた相手がロンファだと特定してしまっている。
「それがどうしたというのか? 塵芥が傷つこうが妾の知ったことではない」
その言葉は完全に失言。ニヤリと唇の端を釣り上げて凶悪な笑みを浮かべた白夜を見て、マルコの従者であるゲオルグとエリシアは主の盾となるべく彼との間に体を割り込ませる。先程まで室内に充満していたはずのロンファの殺気は何かに飲み込まれたように消え、代わりに体を芯から凍てつかせるような冷たい空気が流れ込んでくる。室内の温度調整によるものではなく人為的で、体感的な錯覚。それが感じられたからこそマルコはとても楽しげに瞳を輝かせる。
「表彰台にも上がれず、努力賞程度の価値しかない序列順位のくせに他人様を塵芥呼ばわり。序列一桁って、マルコや兄貴がいるから少し俺の中ではマシなイメージがあったんだけどなぁ」
言葉は淡々と告げられ温度すら感じられないというのに、自分が断頭台に押さえつけられているようなイメージがロンファの脳内で浮かび上がってくる。それだけではすまず、扇子を持つ手のひらには脂汗がにじみ出てきた。違うと迷いを振り払おうとする自分と、そうだと警鐘を頭の中で鳴らす自分。彼女は警戒心を高めた上で白夜を排除しようと扇子を振り下ろすが、なぜか魔法が発動しない。
「普段は喧嘩売られても滅多に買ってやるつもりないんだ。疲れるし、何より俺って攻撃魔法好きじゃないし。それで相手のプライドが保たれるって言うんなら頭ぐらい簡単に下げるのが普段の俺なんだが、今回はダメだな」
温度は変化していなというのに鳥肌が立ち、知らず知らずのうちに足が後方へとズレようとしている。いま自分の中に浮上してきた感情が恐怖なのか判別がつかなかった彼女だったが、白夜の瞳が黒から金色に変化したことに気づいて確信を得てしまう。
「特別に遊んでやるよ、魔法士序列六位。自分が他人を本当に塵芥程度に扱えるほどの存在かどうか、証明して見せろ」




