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第六章 ~カンドの戦い~

本営の天幕でアールマン達が簡素な食事を取っていると、兵士が慌ただしく飛び込んできた。

「報告します!エンピス軍がアストフ砦を発ち、カンド砦へと進軍を開始しました!」

それを聞いたアールマンはリィンに目配せし、兵士を労う。

「ご苦労。少し待て」

「はっ」

兵士をその場に立たせ、我関せずという風に食事を続けていたユウリの頭に手を置く。

「原稿は覚えたか?」

「ん」

「よし。──リィン、狼煙を上げろ。お前は各部署に伝令。一刻の後に出陣する」

『はっ!』

敬礼してリィンと兵士が天幕から駆け出していく。

皿に残っていた干し肉をユウリの口に押し入れ、アールマンも立ち上がった。腰に剣を差し、特注の外套を羽織る。

「……ふぅ」

「アール。ユウリも」

干し肉を咀嚼しているユウリの手に、拳を守る為に薄い布を巻いていく。突き出された両手に巻き終えると、具合を確かめるようにぐっぐっと握り拳を作る。

「……ん」

不具合はないらしく、頷いてアールマンを見上げた。

「いくか」

「ん」

二人が天幕を出ると、外には既に多くの兵が隊列を作って待機していた。緊張した面持ちではあるが、ひどく怯えた者は見当たらない。新兵も多いはずだが、比較的良い状態であると言える。

「カンド砦からの狼煙を確認しました!」

物見櫓に立っている兵士が声を上げ、兵の合間を駆け抜けてリィンが戻ってくる。

「時機としては良い頃合いかと。陛下、ユウリ様、お願い致します」

「ああ」

「ん」

「では──皆、静粛に! これより陛下、ユウリ様から激励のお言葉を賜る!」

声を張り上げたリィンに応えるように、大勢いる兵士達から漏れていた雑音が消えた。それを見届け、リィンが下がる。代わりにユウリが一歩前へ出た。

「知らない方も多いでしょう。私はユウリ。魔王陛下を愛する者です」

流石は王族と言うべきか、平時の単語を紡ぐような話し方ではなくしっかりとした口調でユウリが話はじめた。

「私はこの国に来てからまだ日が浅い。ですが、陛下が国民を愛していることは知っています。だから、私もこの国の民を、皆を大事にしたい。──多くは望みません。生き残ってください! 明日も、明後日も、共に生きましょう!」

『応!』

ほぼ原稿通りの演説を終えると、兵士が気合いの籠った返事を返した。小さく息を吐くユウリに並ぶようにアールマンが立ち、声を上げる。

「この戦において侵略者は奴らであり、正義は我らにある。だがもし負ければ、エンピスは己の都合の良いように捏造した情報を流布して回り、我らを悪へと仕立て上げるだろう。それは戦場に立つ我等への侮辱に他ならない!戦え、戦士たちよ!己の誇りを守るために!戦え、英雄たちよ!民の平穏のために!戦え、同胞たちよ!戦い、戦い、戦い抜き、一人でも多く生きて帰れ!死ぬ覚悟など必要ない、生きる覚悟を決めよ!生きて、勝って、共に凱旋し、喝采を浴びようではないか!」

腕を振って外套をはためかせる。

「歴史に名を刻め!後世にその威を轟かせよ!イーヴィス軍──出陣だ!」

『応!!』


「報告します!イーヴィス軍がエルデ平原から北上を開始しました!」

エンピス軍後方の陣中、報告を受けたカルマは怪訝な表情をする。

「この時機に進軍だと……?やつらは野戦に備えていたのではないのか」

「そういえば先程、カンド砦から狼煙が上がっていたようですね。救援の要請だったのでしょうか?」

〝勇者〟が意見を述べるが、カルマは首を振って否定した。

「有り得んな。カンド砦を失いたくないなら、本隊をカンド砦の近くに置くかもっと早くに兵を動かすべきであった。更に気になるのは、エルデ平原からも狼煙が上がっていたことか。何かしらの策があると見るべきであろうな」

「ふむ。そのこと、先陣を率いている将軍殿にもお伝えした方が良いのでは?」

「放っておけ」

軽く眉を上げ、〝勇者〟が聞き返す。

「よろしいのですか?」

「やつらに策があったとして、今更進軍は止められん。それに、ディアンも頭は固いが愚物ではない。この戦はやつの判断に任せる」

「左様ですか」

「嬉しそうだな」

「は?」

会話は終わったと思っていた〝勇者〟は、更に話し掛けられて動揺した。カルマは戦場において、無駄話を好むような人物ではない。

「ディアンとは合わぬか」

「ああ、はい、そうですね」

危惧していた方面の話ではなかったことに気付かれぬよう安堵し、頷く。

「将軍には私のような若者の感性が理解しがたいようでして。厳しく当たられる分、苦手意識も強くあります。まあ、将軍が気に食わないのは私が余所者ということもあるのでしょうが」

「ふん、そうか」

鼻を鳴らし、カルマは黙りこんだ。

今度こそ雑談は終わりのようで、〝勇者〟もまた気付かれぬように吐息をはき、騒がしくなってきた前方に向き直る。

砦攻めの方も成果が出る頃合だろう。


「巣に篭る蟻どもを引きずり出せ!本隊が来る前に砦を落とすのだ!」

「おおおぉ────!」

右腕に身の丈ほどもある巨大な盾を装着したディアンの檄に、兵士が声を張り上げて呼応する。ディアンは砦を囲むよう兵を配置し、正面門には出陣前に作らせた破城槌とそれを守る為に自分の副官の部隊を張り付かせて突破を試みていた。この調子ならばもうすぐにでも開門の報が届くだろう。

「うぅむ」

自軍の好調さに反比例するように、ディアンの顔が曇っていく。

不気味なのだ。

まるで無人の砦を攻めている心地だ。到着した時は壁部の窓穴から兵の姿が見え隠れしていたというのに、カンド砦からの応戦が全くない。梯子で登ろうとすると雷が走ったかのような光が襲うが、あれは設置型の魔術だろうから反撃とは呼べないだろう。

そういった罠以外、兵士の姿を見るどころか弓矢一つ飛んでこない砦攻めは不気味としか言い様がなかった。

「将軍、そろそろ閂が外れそうです!ご指示を!」

「うむ、開門後すぐに突入せよ。待ち伏せや罠があるやも知れぬ故、慎重かつ迅速に砦を掌握するのだ」

「は!」

伝令を送り返し、再び思考する。

結局応戦の気配の無いまま、門の攻略が終わろうとしている。出陣前の情報では、千程度の兵が詰めている筈。攻撃前には狼煙が上がっていたし、斥候からも撤退したという報告は無かったからまだ砦内にいるはずなのだが。

「開門ー!開門ー!」

「おおお──!」

開門の報せが部隊の合間を駆け巡り、エンピス軍から鬨の声が上がる。

まだ陥落させた訳ではないから、少しばかり気が早いのだが、ディアンは窘めない。これはいわば前哨戦。決戦の前に士気が高まるのは歓迎すべきことだ。

「伝令ー!カンド砦から南の方角にイーヴィス軍の姿を確認!」

──来たか。

「全軍に通達! 現在砦内に侵入している部隊以外は包囲を解除、カンド砦南方に急ぎ布陣せよ! この勢いのまま踏み潰すぞ!」

「は!」

自身も兵と共に移動を開始する。先程まで最前線の指揮を取らせていた副官は砦内部の兵を動かしているため、今回はディアンが赴くしかない。

砦の様子も気になるが、念のためにルーフェの魔術師も向かわせてある。千程度の兵に遅れはとらないはずだ。そちらは部下に任せるとする。

カンド砦の南側に移動すると、確かに遠方に砂煙が見えた。

「初手は魔術による大規模砲撃との情報がある。ルーフェの部隊は前へ!結界で初撃をかわした後、全軍で突撃する!」

ディアンの指示通りに魔術師団が前に進み、詠唱の準備にはいる。

イーヴィス軍の姿がはっきりと見えるようになると、イーヴィス軍は進軍を止め、丁度真ん中から軍を二つに割けるように部隊が動いた。それとほぼ同時にルーフェの部隊が詠唱を開始したのを確認し、ディアンが号令を出す。

「歩兵構え!」

空に向けられていた穂先が前方に向けられる。イーヴィス軍の後方に赤い光が灯るのを見て、ディアンは盾を着けていない左手で剣を抜き、剣先を天に掲げた。

「奮起せよ!雑種どもを討ち滅ぼし、〝祖の国〟エンピスの鐘の音を響き渡らせるのだ! ──陛下に勝利を!」

『陛下に勝利を!』

膨れ上がった赤い光がエンピス軍に向かって走り出した。それに動じずに、ディアンは声を掛け続けて士気を高めていく。

「陛下に勝利を!」

『陛下に勝利を!』

やがて光がルーフェの部隊を捕らえようとした時、半球状の壁のようなものが魔術師団の前に現れた。

そして──衝突。

火薬玉が弾けたような激しい光と音を撒き散らし、光は壁に阻まれて霧散した。

「時来たり!全軍──突撃ぃぃぃ!」

「おおおお────!」

十万を大きく越える大軍勢が、地響きを鳴らしながらイーヴィス軍に肉薄していく。

初手で撃ち負けたイーヴィス軍は動揺しているのかまだ動けていない。

──勝った。

ディアンが確信したその時、大地を揺るがす大きな衝撃が戦場を襲った。

「──何事だ!」

駆け足の最中の揺れに足を取られて転倒する者も多くいる中、ディアンは盾を支えに踏ん張り怒声を上げた。

「しょ、将軍!後ろを!」

「────なっ」

部下の声に振り向くと、自軍の背後にあったはずのカンド砦が消えており、代わりに砦の先端部であろう箇所が逆さになってエンピス軍の軍中に突き刺さり、更には空から多数の瓦礫が降り注いできていた。

「いかん、回避せよ!」

急いで号令を出すが既に遅く、回避行動に移りきれなかった兵や居場所の悪かった兵の多くが瓦礫の雨の下敷きになってしまう。

思いもよらぬ惨状に大きく舌打ちし、前方に向き直ってまた舌打ちをする。

────オォォォォオ!

掛声と共にイーヴィス軍が気勢をあげて突撃してきていた。先にこちらから駆け寄っていた分、距離が近い。対して自軍は先程の衝撃によって足を止めてしまっている。この状態は不味い。

「ぬうぅ、後詰めの部隊に伝令、急ぎ前進し中軍の穴を埋めよ!右翼左翼は下がり側面を固めるのだ!陛下の安否の確認も急げ!」

急いで指示を出すが、この非常事態だ。伝令が行き渡ったとしても瓦礫が兵の動きを阻むし、各部隊が落ち着きを取り戻し体勢を整えるには時間がかかる。

──一体何をした!?

砦を爆破したらしいことは分かる。だがエンピス軍が包囲を終えるまで、確実に千人近い兵がカンド砦に詰めていた筈なのだ。彼ら全員が砦と心中したとは考えにくい。

兵は何処に消えたのか、どうやって砦を爆破したのか、気になることは多いが、今のディアンにそんなことに思考を費やす暇はない。最前列に出されていたルーフェの魔術師達に、イーヴィスの軍勢が食らいつくのが見えたからだ。このままでは魔術による一方的な攻撃を許すことになる。

「動けるものは儂に続け!敵軍を押し返すぞ!」

「お、おおおー!」


──時を少しばかり遡る。

進軍中、アールマンは自軍の魔術師数名にとある魔術を教えていた。

「共鳴、ですか」

「ああ。砦には既に陣を敷かせてある。後は合図一つで魔法陣が起動し、砦を爆破させる」

「なるほど……。既存の魔術には無い術式ですね。このようなものを生み出されるとは、流石は陛下でございます」

魔術師団長が頭を垂れるが、アールマンに頭を掴まれて力ずくで元に戻された。

「世辞は後にしろ。──他の連中には派手な魔術を使わせる。お前達はそれに紛れるように、今教えた魔術を砦に放て。お前達は精鋭の魔術師だ。成功を信じる」

「必ずや、ご期待に応えてみせしましょう」

団員との打合せを始めた団長から離れ、アールマンはユウリの元へ戻る。

今教えた魔術は、特殊な音波を飛ばすという、一見使いようの無い魔術だ。だがあらかじめ、この音波を受信する魔法陣とそれに連動するように起動する魔法陣を設置しておくと、遠方からでも指定した魔術を起動することが出来る。本来の用途は別にある開発途中の魔術なのだが、これが意外と応用が効いた。

今回アールマンは事前に向かわせた兵に、音波を受信する魔法陣と砦を爆破させる魔法陣の図面を渡しておき、エンピス軍が包囲するまでに書ききるよう指示を出していた。カンド砦から上がった狼煙は、その作業が終わった合図である。

ユウリの元へ戻ると、リィンからの伝令がユウリに報告している最中だった。

「あ、アール」

「どうした」

近寄ってくるユウリを無視し、報告を中断して敬礼する兵に報告を促す。

「は。将軍からの伝言です。欠員無く回収完了、エンピス軍は未だ気付かず、以上です」

「ご苦労。戻っていいぞ」

「はっ」

駆け足で戻っていく兵を見送り、アールマンはふぅっと息を吐いた。

カンド砦では昔、備蓄の横流しが行われていたことがある。その主犯の兵達は砦の地下に穴を掘って道を作り、その抜け道を使って荷を外に運び出して商人に売り払っていたのだ。不自然な物資の流れに気付いた当時の軍部が内部調査を行い、横流ししていた兵達と商人の身柄を確保。その後抜け道をどうするか議論になったのだが、いつか使うこともあるかもしれないと、隠し扉を施したまま長年放置されていた。エンピスが知るはずの無い軍部の機密事項である。

今回はその地下通路を使ってカンド砦の守備隊を脱出させたのだが、実はここが一番の不安材料だった。

犯人が捕まってから、一度の点検も行われていないのだ。長い年月の間に既に崩落している可能性もあった。その場合、砦の兵達が自力で開通し直さなければならない。後から送った人員は工兵を中心にしておいたものの間に合うかどうかは微妙なところだった。

そして、もしエンピス軍が抜け道に気付いてカンド砦攻略を投げ出していれば、砦の爆破でエンピス軍に痛手を負わせることも難しくなる。

危うい橋を渡る思いだった。

「陣形を展開せよ!」

伝令の声が軍中を駆け抜ける。

アールマンは気を取り直し、ユウリに声を掛けた。

「いくぞ、ユウリ」

「ん」

一方、リィンはイーヴィス軍の最前列を率いるように立っていた。

その背後では、二つに分かれ始めた陣形の後方でイーヴィスが誇る魔術師団が詠唱を始めている。対峙するエンピス軍でも、ルーフェの魔術師が前に出て詠唱しているのが分かった。

「………………」

自然と息遣いが荒くなる。自分は興奮しているのだろう。未だかつて体験した事のない大戦だ。時間が経つにつれ胸の動悸が激しくなる気がした。

リィンの横を赤い光が迸り、エンピス軍に向かっていった。

イーヴィス軍の魔術は音と光を盛大に撒き散らしながら、ルーフェの構えた結界に衝突し、弾かれる。それと同時に一瞬、カンド砦が振動したように見えた。

勝機と見たエンピス軍が意気軒昂に突撃してきている。リィンはもう少し、と機を待って動かない。

もう少し、もう少し、もう少し。心中で唱え続け、ついにその時が来る。

大地鳴動す。

それは国防のために大軍勢の猛攻を受けきった砦の断末魔の叫びか。はたまた仇敵を討たんと特攻を仕掛ける戦士の雄叫びであったのか。

内側から弾け飛んだカンド砦の先端がエンピス軍を押し潰していく。地面に衝突し、砕けた破片もまた周囲の兵士を飲み込んでいく。

──ああ、これを惨劇と呼ばずになんという。

たったの一手。砦そのものを武器として使い潰すという策一つで、エンピスの軍勢が崩壊していく。

剣を抜き、掲げる。

──我が主よ、照覧あれ。この身、この技、この全てを貴方だけに捧げます。

「策は成った!剣を抜け!地を駆けよ!今こそ我らの武勇を見せるときだ!全軍──突撃ぃぃぃ──!」

「オオオォォォ────!」

先陣を切って駆け出すリィンにイーヴィスの軍勢が続く。立場は逆転し、混乱したエンピス軍は足並み揃わぬままイーヴィス軍を迎え入れる。

「はぁぁぁ────!」

後方へ逃げようとしたルーフェの魔術師に斬りかかる。戦士と呼ぶには程遠い鍛えられていない体を一閃し、返す刃で別の魔術師の腕を跳ねた。

「詠唱の暇を与えるな!魔術師は一人残さず斬れ!」

「応!」

魔術師を斬り伏せつつ、食い荒らす様にエンピス軍を削っていく。

「立て直す隙を与えるな!一気呵成に攻め立てよ!」

「オオオォォォ────!」


砦を爆破するという奇策による混乱から立ち直る暇すらなく、エンピスの兵達は萎えた士気を人数で補いながら、ほぼ無傷のイーヴィス軍に応戦していく。

ルーフェの魔術師を失って魔術への対抗策を無くしたエンピス軍は魔術による砲撃に晒されることとなり、数の上では未だに優位にありつつも劣勢に立たされることになった。もはや戦線が崩されるのも時間の問題であった。

そんな中、最前線で特に凄まじい戦働きをしている者がいる。

エンピスの〝盾〟ディアン・ドーガである。

右腕の大盾でイーヴィス兵を凪ぎ払い、逃れた者を左手の剣で斬り伏せていく。

「ぬぅぅおぁぁぁ!」

その姿はまさに暴風。

突進してくる大盾を数人がかりで止めようとするが、ディアンの怪力の前にはまるで意味を成さず、逆に吹き飛ばされていく。魔術による攻撃すら打ち返す大盾にイーヴィスの兵は攻めあぐねていた。

彼に付き従う兵たちもその姿に励まされ、ディアン同様とまではいかずとも善戦する。

徐々にだが、エンピス軍は将軍を中心に勢いづき、戦線を押し戻しつつあった。

「エンピスの誇りある兵どもよ! 散っていった英霊達を剣に宿し、イーヴィスの雑種を斬り払え! 恐れるものがあれば我が盾の一撃を、我が剣の一振りをその記憶に刻み付けよ! 我が勇姿に己を重ね、敵を叩き伏せる力とするのだ!」

激を飛ばしつつ、再び大盾を構えてイーヴィスの兵に突進していった。また一人、時には三人を打ち倒し、歴戦の英雄が活路を開いていく。

「せやぁぁぁ!」

突如、叩き伏せた兵の脇から人影が現れ、ディアンに斬りかかった。

「ぬぅ!」

左手の剣で防ぎ、大盾を振り上げる。盾の一撃を回避し、距離を取って剣を構える人物は、年若い赤毛の女だった。

「その髪、その風貌。噂に聞くイーヴィスの女将軍か。若いとは聞いていたが」

「そういう貴方は〝盾〟の将軍ですね」

「左様。我こそがディアン・ドーガである」

「主の命です。あなたを止めます」

迷いの無い言葉に、ディアンは鼻を鳴らす。

「やってみるがいい──若造がぁ!」

叫ぶや否や、リィンに向かって大盾を叩き付ける。へこんだ地面を削り取るように横へ動かし、回避したリィンを横凪ぎにする。

リィンも剣を盾代わりに防ぐが、それでもディアンの怪力に押し負けて後退させられた。

「なんという、馬鹿力……」

思わず毒づくリィンに向かって、ディアンが力強く地面を踏み込み、巨体にそぐわぬ速さで突進した。

──その上、速い!

すんでのところで横に飛ぶが、ディアンの振り向き様の剣閃に腕を斬られる。

「ぐっ」

幸い傷は浅い。だが、力の差は歴然としていた。

「力が足りぬ、速さが足りぬ、経験が足りぬ!何もかもが足りぬわぁ!」

大盾を横殴りに振り回し、リィンが後ろに跳んで避けた所を剣で突く。これにはリィンも剣で受け流したが、体勢を崩して転んでしまった。

「将軍!」

配下の兵が助力しようとディアンに斬りかかるが、

「邪魔だ雑兵!」

横向きに構えた大盾で弾き飛ばされ、倒れた所に剣を突き立てられて絶命した。

その合間に立ち上がったリィンが反撃に出る。

「てぇやぁぁぁ!」

「ぬぇい!」

下段からの斬り上げは大盾で防がれた。それならと、回転して上段から袈裟斬りにするが、今度は剣に防がれる。

「────やぁぁぁあ!」

左右に動いて撹乱しつつ側面から剣を突き入れるが、剣に弾かれ逆に盾で打たれる。

質で駄目なら量でと言わんばかりに、剣を振るい続けるリィンだが、そのことごとくをディアンに捌かれた。

──まともに戦って勝てる相手ではない。その現実にリィンは歯噛みする。その一瞬に生じた隙をディアンは見逃さなかった。

「青い、出直せぃ!」

力任せに振り抜かれた大盾に弾き飛ばされ、リィンが地面を転がる。剣を地面に突き刺して立ち上がるが、既に大盾を構えたディアンが突進してきていた。

「うあぁぁ!」

全身を粉々にされるかのような強い衝撃に悲鳴を上げながら、跳ねるように地面を転がり、そして倒れた。

「ふん、貴様の体に流れる同胞の血に免じて、止めは差さないでおいてやろう。鍛練を積んで出直すがいい」

「……それには……およびません」

「なに?」

目を細めるディアンに見下されながらも、リィンは地面に両手をついて立ち上がる。足元がおぼつかないながらも剣を拾い、ディアンに向けて構える。

「貴方を、止めます。それが、あの方の命令ですので……」

「…………大した忠誠心よな!」

リィンに詰め寄り、腰を捻って腹部に蹴りを打ち込む。

「ごふ、ぐ、おぇっ」

うつ伏せになって嘔吐するリィンに、ディアンが哀れむような視線を送る。

「実力が伴っておらんのだ。未熟者はそのまま寝ておれ!」

リィンに背を向け、再び戦線を立て直す為に大盾を構えようとしたディアンだったが、背後の気配に舌打ちした。

「三度手心を加えるほど惚けてはおらんぞ……!」

振り返ると、剣を杖のように使って立ち上がるリィンの姿があった。俯いてはいるものの、ディアンを睨むその瞳に信念の光を見つけ、ディアンは惜しいと溜め息を吐く。

「若い芽を摘まねばならんとはな。ならばせめて、我が全霊を受けて死ぬがいい!」

剣を鞘に収め、半身になって大盾を構えた。踏み込む足が地面にめり込むほど、突進にむけて力を蓄える。

これぞ人が人の身のままに身につけた極致の一つ。受けた者は実の成らぬ赤き花となって倒れ伏す。

「──〝徒花〟!」

地面が抉れ、ディアンは弾丸となってリィンに肉薄する。

対するリィンは荒く息を吐き、ディアンを迎え入れるように両手を広げていた。その顔は今は真っ直ぐ前を見つめている。

「申し訳ありません、陛下。──約束を破ります」

そう呟いて、リィンはディアンの必殺を正面から受け止めた。

────────。

人を撥ねた鈍い感触に、ディアンはリィンの死を悟った。戦とはいえ、同族と同じ風貌を持つ有望な若者を手に掛けたことに一抹の罪悪感を抱いていた。

自己満足にしかならないがせめて黙祷しようと、大盾を避けようと腕を動かす。が、

「──動かぬ」

足元を見る。地面に引っかかっているというわけではなさそうだ──と、違和感に気付く。

──血が流れていない?

有り得ない。〝徒花〟を受ければ身体が衝撃に耐えられず、血液が皮膚を突き破って溢れだす。盾から血が滴っていてもおかしくないはずなのだ。

まさか、と耳を澄ます。

「──────」

剣戟や怒声に混じって、小さく呟くような声が漏れ聞こえてくる。これは──

「──詠唱か!」

人間族の姿をしているから失念していた。敵は魔族だ。しかも将軍位。魔術を扱えて不思議はない。

「ぬぉ!」

ふと大盾が軽くなる。押し込まれたのだ。咄嗟に腕を引いていたこともあり、反動で仰け反ってしまう。

その時、先程見たままの光を宿したリィンの瞳が目に映った。そして、リィンが手を伸ばしてディアンの胸ぐらを掴む。その手に宿る高熱に、ディアンは目を剥いた。

「──燃えろ!」

「ぬがぁぁぁぁ────!」

一気に炎が燃え広がり、ディアンの全身を覆っていく。振り払おうとするが、炎に包まれたことによる酸素不足に加え先程までとは別人のようなリィンの力に上手く抵抗出来ず、やがて膝をつく。

──この時、ディアンには見えていないが、炎を作り出したリィンの腕もその炎に焼かれていた。

耐魔力の低いリィンでは、アールマンに貰った首飾りだけでは自身の全霊の魔術を相殺しきれないのだ。〝徒花〟を受け止める際に使用した身体強化の魔術の影響もあって、リィンの体は既に限界を迎えていた。

「っ、不義の子がぁ、なめるなぁ!」

力を振り絞って立ち上がり、収めた剣を抜いてリィンに振りかぶる。

だが、その刃がリィンに届く前に、ディアンは鳩尾に大きな衝撃を受けた。

「がっ、は……」

剣を取り落とし、再び膝をつく。すると視界に、膝をついた自分と同じ目線でディアンを見る幼い少女の姿が見えた。

銀色の髪に、額に生えた小さな角。それを見て、ディアンはその少女の正体に気付いた。

「貴様は……竜人、族の……なぜ……」

少女が手を横に振ると、ディアンを覆っていた炎が消えた。同時にリィンも意識を失って膝から崩れ落ちた。

「お疲れ、さま」

しゃがんでリィンの頭を撫でるユウリに手を伸ばそうとするが、全身から力が抜け落ちディアンはうつ伏せに倒れた。

手足がピクリとも動かない。自分が倒れたことで、周囲のエンピス兵に動揺が走るのが分かった。この状況でディアンという支えを失ったエンピス軍がどうなるかなど、容易に想像出来る。

──ここまで、か。

立ち上がって自分を見下ろすユウリを視界に捉えながら、ディアンはゆっくりと意識を失っていった。


「ははぁ、これはこれは」

カンド砦跡地。主戦場から離れたその場所に、エンピス王カルマと〝勇者〟の姿があった。〝勇者〟は這いつくばるようにして砦の床であった場所を調べ、カルマは瓦礫を椅子代わりにしてそれを見ていた。

「なにかわかったか」

「ええ、はい。これは遠隔操作ならぬ遠隔起動の魔術ですな。面白いことを考えるものです。これを手土産にすれば、ルーフェの方々も魔術師の損失は多目に見るでしょう」

「多目に、か。ふん、まあいい」

不機嫌そうに眉をひそめるカルマの前に、駆けつけてきたエンピス兵が倒れこむように平伏した。

「も、申し上げます!ドーガ将軍が敗北し、勢いを増したイーヴィス軍に前線を突破されました!」

「……ディアンが敗れたか」

「はっ!イーヴィス軍からの魔術砲撃による被害も甚大であり、各部隊長から退却を求める声も──」

それ以上、兵は言葉を発することが出来なかった。

抜き放った剣を振って血糊を飛ばし、転転とする兵の頭部を足蹴にする。

「退却だと? 有り得ん。まだ戦は終わっておらぬわ」

忌々しげに兵の頭を蹴り飛ばすカルマを、〝勇者〟は面白いものを見るかのように笑みを浮かべた。

「しかしながら、どうも敗戦は濃厚の様子。一度兵を退き、ルーフェに助力を願ってはいかがですか?」

「戯言を申すな!」

〝勇者〟の提案にカルマが一喝する。

「まだ貴様が──〝勇者〟がいるのだ。聖剣の力があれば、この程度の劣勢すぐに持ち直せるだろう!退くわけには行かぬ、ここまで来て退くことなど」

「ふむ、なるほど」

腰の後ろで手を組み、二、三回頷きながらゆっくりとカルマに近付く。そして──

「ではこの提案、王子殿下にすると致しましょう」

隠し持っていた短刀を抜き、カルマの胸に突き刺した。

「な……がはっ」

血塊を吐くカルマの胸に短刀を更に捻り込み、一気に引き抜いた。返り血で〝勇者〟の衣装が鮮血に染まる。

()()、戦によって国を豊かにしようとする貴方のお考えは理解できます。ですが私としては、お一人で突っ走られると困るのですよ」

「貴様……、やはり、ルーフェの……」

傷口を押さえて出血を止めようとするカルマに、〝勇者〟が笑みを深める。

「そちらには勘づいておられましたか。腐っても国王というやつでしょうか。ですが、結局こうなってしまっては意味がありませんね。まあ、それだけ私に希望を抱いていたということでしょうか。愚かしい」

更に短刀を腹部に突き刺し、また引き抜く。あまりの出血と痛みに、カルマは足元から崩れ落ちた。

「ご安心を、閣下。貴方の意志は私が継ぎ、エンピスを更に大きくして見せましょう。──ルーフェの属国として、ですが」

「ぐっ、ごはっ……き、さ……」

憤怒の形相で〝勇者〟に手を伸ばすが、それも途中で力尽き、カルマは地に伏したまま息を引き取った。

暴君と恐れられた哀れな男の最期を見届け、〝勇者〟は亡骸に背を向ける。

「さて、亡くなられた閣下の代わりに撤退の命令を出さないといけませんね。閣下のことは……不幸な事故と言えばいいでしょう。この惨状ですし、誰も疑わな──ああ、いけない。仕上げをしておかないと」

苦笑して自らの頭をペシリと叩き、その手をすぐ側にあった瓦礫へと伸ばした。壁の一部であったと思われる己よりも巨大なそれを、小石でも持ち上げるかのように軽く持ち上げ──

「ちゃんと潰しておかないと」

──カルマの死体に向かって放り投げた。

「いやあ、危ない危ない。流石に刺し傷ではエンピスに不審に思われてしまいます。危うくお叱りを受ける事態に陥るところでした」

踵を返しつつ一人ごちる〝勇者〟であったが、十歩も歩かない内に再び立ち止まった。

──どうして瓦礫が地に落ちる音がしないのか。

「んんー?」

首を回して肩越しに後ろを見る。

そこには、自分が投げた瓦礫を片手で弄ぶ黒髪の青年の姿があった。その足元にあるカルマの死体に潰れた形跡はない。──つまり、受け止められたということか。

青年に向き直り、思考する。外見は人間のようだが、瓦礫を弄ぶ様は明らかに違うものであると証明している。もしくは自分と同じなのかとも考えるが、即座に否定した。あんな男は見た覚えがない。

考えても無駄と判断し、単刀直入に問うことにした。

「どなたでしょう?」

声を掛けると、青年は瓦礫を弄ぶ手を止め、まるで槍を投げるかのように振りかぶった。

「…………!」

即座に〝勇者〟が横に飛び退く。

滑るように空中を滑った瓦礫が、〝勇者〟のいた場所を横切って地面と砕き合いながら転がっていった。

「ちっ、避けたか」

舌打ちする青年に、〝勇者〟は頬をひきつらせる。

「あ、あなた、名乗りもせずにいきなりなんてことをするんです!」

「笑顔で主君を殺すようなやつに言われたくないな」

見下すように言われて〝勇者〟は我に返った。

「……ああ、そうでした。あなたが何者かなんて関係ありませんよね。見られてしまった以上、生かしておくわけにはいきません」

そう言って腰に掛けた剣を鞘から引き抜く。かつて神より授かりし人間族の至宝──聖剣である。

「聖剣の輝きの前に滅しなさい」

聖剣を大きく上に掲げ、大袈裟に振り下ろす。輝きだした剣から光の玉が生まれ、そこから更に激しく炎が吐き出された。

炎は青年へと襲い掛かり、猛り狂うようにその身を食らっていく──かのように見えた。

「くだらんな」

青年が蚊を払うように手を振ると、炎は見る影もなく消え失せ、目映いばかりの輝きを放っていたはずの聖剣も、光を放つどころか鈍色にくすんでしまう。

「馬鹿な……!」

「どんな絡繰かと用心してみれば幻術の応用とは。思ったより幼稚な仕掛けだったな。アストフを落としたのはその演出とルーフェのお仲間の力か?」

目に見えて狼狽する〝勇者〟に、青年が剣を抜きつつ駆け寄り、その首を狙って斬り上げた。

「くっ」

すんでのところで右腕を盾にし、切り落とされる苦痛に耐えながらも、左手で鞘の飾りをいくつか引きちぎって青年に投げつけた。

飾りに埋められた宝石が光を放ち、爆発する。その隙に〝勇者〟は青年から距離を取り、また飾りを手に取る。

「……っ!」

爆発に怯んだのか立ち竦んだままの青年に、ありったけの力を込めて宝石を投げつけ爆発させる。この宝石はルーフェで造られた特製の魔法石だ。小さいながらも、その一粒は岩盤を砕くほどの力を持つ〝勇者〟の奥の手。それをあれだけまともに食らえば、いかな魔術巧者であろうともに無事ではいられまい。

荒く息を吐きながら右腕を見る。肩と肘の中程で切断された腕からは血が溢れ出ており、早く治療しないと命を落としかねない。

カルマの死体を一瞥し、逡巡する素振りを見せてすぐに駆け出した。刺傷痕を見られたところでエンピスへの言い訳などいくらでも出来る。なんならあの男がやったことにすればいい。自身に課せられた役目の為にも生きなければ。

──だが、その逃げの一手もすぐに阻まれることとなった。

カンド砦跡地から足を踏み出そうとした〝勇者〟は、壁のようなものに行く手を遮られて頭を打ち付け、転倒した。

「がっ、……な、何が」

体を起こして前を見るが、その瞳には何も映らない。失血と混乱で思考の働かない彼の首筋に、つぅと刃が押し当てられた。

「残念だが、逃げ道は塞いである。……そういえば、名前を訊かれていたな」

肩を上下させて所々に焦げ跡のついた外套を揺らしながら黒髪の青年が呟く。その顔を仰ぎ見る〝勇者〟は目を見開き、笑っているような泣いているような表情を浮かべ、口の端を痙攣させている。

「魔王アールマン・ハイトンだ」

首筋に走らせるように刃を引き、次いで両手で剣を握って〝勇者〟の首を跳ね飛ばす。倒れ伏す〝勇者〟の体を横目に、剣を振って付着した血を飛ばした。

「境遇に同情はするが、こちらにも事情はある。恨むなら恨め、人形」

跳ねた首を片手に、アールマンはカルマの亡骸へと歩み寄る。

「あいつへの遺言を聞いておきたかったが……」

言葉持たぬ死体へ呟きを落とし、その首も剣で切り落とす。剣を鞘に収めたアールマンは二人の首を両腕に抱え、自身が立ち入るときに張り巡らせた結界を解除して瓦礫の山を後にした。

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