幕間
──エンピスとイーヴィスの国境線、そのイーヴィス側にあるアストフ砦。
すでにエンピスによって制圧されているそこは、首都からの増援との合流を果たした軍勢の前線基地となっていた。
一本柱のような砦の、中腹にある広間に二人の男の姿がある。
片方は熊と見紛うほどの巨体に、白く染まった無精髭を蓄えた、〝盾〟の位を冠する宿将──ディアン・ドーガ。
もう片方は王都より持ち込まれた豪奢な椅子に座り、実用性よりも豪華さを強調するように大量の宝石をあしらった厚手の鎧に身を包んだ中年の男。この戦争の引き金を引いたエンピスの国王──カルマ・エンピスである。
「斥候からの報せによると、雑種どもはこの砦よりさらに南のカンド砦を盾にし、エルデ平原に陣を構えるようですな。さっさと降伏しておけばよいものを」
無駄なことをする、とディアンが吐き捨てる。
この老将はイーヴィスという国を毛嫌いしている節があり、その地に住まうものを雑種と一纏めにしていた。
それに同調するように、カルマも後退し始めた頭部を撫でながら鼻をならした。
「〝勇者〟の存在に勘づいているであろうに白旗を揚げんとはな。つくづく往生際が悪い」
ディアンはカルマの言葉に一瞬沈黙し、不機嫌さを増したように眉を寄せた。
「〝勇者〟──そう、〝勇者〟です。儂はあの男がどうにも気に食わん。本当に信用出来るのですか?」
「今更何を疑っているのだ。お前も見たであろう。選定の場で、やつは確かに聖剣の力を使って見せた。そしてその力でこの砦を落としてみせたのだ。充分信用に足る」
そう。確かにディアンはその力を見た。だが、どうしてだか腹の虫が騒ぐのだ。
それに加え、〝勇者〟の提案したルーフェとの共闘がディアンの不信感を更に煽っていた。
「……〝勇者〟に関しては儂個人の感情ですから抑えましょう。しかし、森の番人どもの手を借りずともイーヴィスを打ち倒すことは出来ましょう。奴らは雑種以上に警戒すべき相手ですぞ」
「口を慎め、ディアン。奴らにも事情があるのだ。謁見の時の態度を見たであろう? 我らを〝祖の種族〟と敬う姿は従順そのものだったではないか。それに共闘を是とする〝勇者〟の提案も理に叶っておった。悪いことなど一つもないではないか」
「お言葉を返すようですが陛下、連中はあの謁見以来一言も喋らず、常に一塊で行動するため、我が軍勢の中からも不審の声が上がっております。このままでは士気にも影響が」
「もうよい」
言い募ろうとするディアンを手を振って制し、カルマは立ち上がって歩き出した。
「大戦を前に不安になるのも分かるが、それを俺にぶつけるな。貴様は勝つことだけを考えておればよいのだ。今後、なおも同じ問答をしようものなら、その首が飛ぶと思え!」
「…………御意に」
ふん、と大きく鼻をならし、カルマは広間を後にした。入れ替わるように一人の青年が広間に入り、ディアンに歩み寄っていく。
横に流れるように整えた髪型に、狐を彷彿とさせるにやけ顔。じゃらじゃらと音を立てる鎖飾りがついた鞘をぶら下げており、戦士とは思えない軽装備である。
「いや、将軍もよく陛下に噛みつけますなぁ。私ならば畏れ多くてとてもとても」
「今の儂はいつも以上に虫の居所が悪い。軽口を叩きに来たなら早々に立ち去るがいい」
頭一つ高い位置から眼光鋭く睨み付けられ、青年は軽く怯む。だが、すぐに立ち直り、挑発するようにディアンの肩を叩いた。
「そう仰いますな。これより共に轡を並べて戦う身。友好を深めておいて損はありますまい?」
「儂は貴様を味方とは思っておらん。三度は言わんぞ。五体満足でいたくば今すぐに立ち去れ──〝勇者〟!」
殺気の籠った視線に、〝勇者〟と呼ばれた青年は肩をすくめて踵を返した。
「やれやれ、これでは本当に殺されそうだ。ご忠告に従い、この場は失礼するとしますか」
通ってきたばかりの出口に向かって数歩歩き、「ああ、そうそう」と立ち止まった。
「あまり、陛下に妙なことを吹き込まないでくださいね? 私は構いませんが、ルーフェの方々はそれなりに気位が高い方ばかりですので。彼らの抗議を受けた陛下に首を跳ねられたくはないでしょう?」
そう言い残し、〝勇者〟は今度こそ立ち去った。
残った将軍は憤怒の表情で近くの壁まで歩みより、
「ぬうぅぅあぁ!!」
どごん、と全力で拳を叩き付けた。