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一話 第一章 ~魔族の国~

ラピス大陸の南西、海沿いに位置する国──イーヴィス。

魔族と呼ばれる異形の者達が住み、それら魔族の王──魔王が治めるこの国にも、太陽は平等に初夏の陽射しを注ぎ続けている。

王城では新兵たちが、もはや日課となりつつある教官の怒声に恐々としつつも必死に訓練を行い、侍女たちは通常業務である城の清掃や雑用をこなしたり、熱中症やら不注意の怪我やらで運ばれてくる兵士の手当てをしたりと慌ただしく働いている。

そんなお世辞にも静かとは言えない城内の、特に防音を重視した重厚な壁に覆われた一際広い部屋にて普段は並ぶことのない国の重役が揃って円卓を囲んでいた。一人起立している鷲の頭をした大柄の魔族が手に持っていた資料を卓に置く。

「──以上が今季の農耕日程となります。何か質問はございますか?」

頭部の形状からか人並み以上にずれやすい眼鏡の柄を押さえつつ他の重役の顔を順に見渡す。

「それでは、私からの報告を終わります」

軽く一礼して着席。一拍置いて真向かいに座っていた人間族と見違える容姿をした女性が立ち上がる。

「これにて今月の定例報告会を終わります。皆様、道中お気をつけて居城にお戻りください」

その一言を合図に場の空気が弛緩し、ある者は雑談に興じたり飲みの誘い合わせをして旧交を深めたりと、各々自由に行動し始めた。

立ったままの女性は手元の資料を纏めて脇に挟み、誰と目を合わせることもなく退室していった。

「今日も将軍殿は眉一つ動かさなかったな」

誰ともなく呟いた一言で、場の話題が退室した女性に集中する。

「そういえば……城勤めの者の間では、将軍が笑う姿を見ると良縁に恵まれるなどと言われてるらしいな」

「む?私は将軍が怒れば何処かで魔術の暴発事故が起こると聞いていたが?」

「いやいや、私は──」

噂話や憶測が飛び交う中、鷲頭がポツリと、

「女性の眉一つでここまで盛り上がれるのだから、この国はまだまだ平和だな」

と呟いた。

会議室が自分の噂で議論になっていることなど露知らず、紅い長髪を後頭部で一纏めにした長身の将軍──リィン・ツァンバは城の上層にある一室を目指していた。

道中すれ違う度にお辞儀をする侍女に軽く「ん」と頷き返したり、上司からの書類を持ってきた文官を労ったりしているうちに人通りは少なく、通りがかる部屋数も極端に減っていった。

目的の部屋の前まで到着すると軽く髪を手櫛で透き、喉に手を当てて小声で「あ、あ、あー」と発声練習を行う。流石に部下には見せられないとは自覚しながらも、中々止められない行為だった。

この部屋にいるのは雲上の存在。リィンにとっては神にも等しい人なのだから、何度だって緊張もする。

胸に手を当てて深呼吸をしてようやく決心がついたのか、「よしっ」と小さく気合いを入れて細やかな装飾の施された木造の扉を数回叩く。

「リィン・ツァンバです。報告会が終了したので資料をお持ちしました」

「おー、入れー」

リィンの固い声とは対照的に気楽な許しを貰い、「失礼します」と扉を開く。

部屋の中は一般的な個室より少し広いくらい。調度品の類いは少なく、家具はベッドと机が一つづつのみ。質素といえば質素だが、その一つ一つをよく見ると職人の手で造られたのであろう丁寧な仕上がりになっている。

リィンは机で何かを書いている人物の背に歩みより敬礼した。

「陛下、参りました」

陛下、と呼ばれた十代後半に見える男は机に向かいながら手を振る。止めろ、の合図だ。

「ちょっと待っててくれ。後少しで終わるから。……っと、おーわり」

使っていた筆先を墨入れに放るように突き刺して伸びをすると、後ろに立っていたリィンと目が合った。

「や、いらっしゃい」

数ヶ月伸ばしっぱなしの黒髪を垂らしながらへらっと笑って、青年は椅子を回転させてリィンに向き直る。

この気の抜けたような男こそ、この城の主であり、イーヴィスを治める国王であり、リィンが敬愛する魔王──アールマン・ハイトンその人である。

外見はリィンと同じく人間に酷似している。しかし半ば前髪に隠れた黄金色の瞳は、多様に混ざり合う魔族の中でも王族の血を引いている者にのみ現れる何よりも尊い証である。

リィンから受け取った資料を眺めるアールマンだったが、書類を何度か捲った所で手を止めた。

「今季の収益見込みが落ちてるな。農耕費の支出も増えてるし、気候学部から悪い兆しでも上がったのか?」

「いえ、ファルン卿が新しい農法を大々的に試行したいらしく、収益はその成果を低く見積もった結果であり支出はその際の設備投資だそうです」

「じゃあ上手くいけば増えるわけか」

「そのようです」

このようにアールマンの気になった箇所をリィンが応答していくという流れを繰り返しながら、手早く読み進めていく。

アールマンからの質問が止んだのを見計らって、リィンが躊躇いがちに話しかけた。

「あの、陛下。やはり会議に出席した方がよろしいのではないでしょうか」

「流石に面倒くさくなったか?」

「い、いえ、そんなことは断じて!」

書類を捲りつつ言うアールマンに、慌てて弁解する。

「私は構わないのですが、ファルン卿にプーシ卿が『たまには陛下と直接言葉を交わしたいものだ』と雑談しているのが聞こえたもので……」

ファルン卿とは先程の会議で最後に報告を行った鷲頭の魔族で、国の農耕関係を取り仕切っている大臣だ。プーシ卿は水害や風害等の自然災害対策を担当しており、ファルン卿と共同で動くことも多い。

どちらも愛国家として知られていた。

「そうか……」

考え込むアールマンに、リィンは申し訳なさそうに視線を落とした。

主が会議に出ない理由を知っている。

本当ならアールマンはまだ王位を継ぐことはなく、王子として教育を受けているはずだったのだ。先王と王妃──アールマンの父と母が急死したため、急遽王位を継いだにすぎない。

だが、リィンが思うに一番問題となっているのは──

「わかった」

「────」

過去に飛んでいたリィンの意識を、アールマンの声が呼び戻す。

「わかった、と言いますと」

わずかに期待が声に籠ったのを自覚しつつ、主の言葉を待つ。

「会議に出よう」

「ほ、本当ですか?」

「いつまでも任せっぱなしにするわけにもいかないしな」

甘えてばかりもいられない──と呟くアールマンに抱き着きたくなる衝動を堪え、代わりに胸を張る。

「大丈夫です!私が必ずお守りします!」

──王城の朝は早い。

まず侍女隊を中心とする使用人たちが動き出し、城門にやってくる荷馬車から紙、筆、墨といった政治に関わる消耗品や、各部署から要望のあった資料、兵士や文官等の個人に当てた手紙等をその場で入念に審査し、怪しい点の見当たらなかったものから城内に運び入れていく。

それとほぼ同時に料理人たちも、前日から下拵えしておいた食材の調理に取り掛かる。なにぶん量と数が多いので、小腹が空いたなどの理由で無闇に立ち入ろうものなら、戦場に立つ猛者の如き形相で睨まれることとなる。料理人の機嫌次第では包丁が飛ぶこともあるという。

城内に食欲を刺激する匂いが漂うようになれば、寝間着から軽装に着替えた兵士たちが部屋から出てきて食堂に向かう。配給された料理を掻き込むようにして食事を済ませ、少数は城門や見張り台に立つ仲間と交代に向かい、大多数の者は汗と土にまみれた鎧を身に付けて訓練に向かう。

こうして騒がしくなっていく城の一室、ゆったりと寝台から起き上がる姿があった。

「………………ぬ」

寝癖で跳ね上がった前髪、不機嫌そうな眉間の皺、半ばまで閉じた瞼。

この城で一番遅い朝を迎えたアールマンはポリポリと眉を掻き、呻き声のような息を吐きながらのそのそと寝台を出た。

「ん……、ぬはぁ。あー……うん」

背伸びをしつつ深呼吸をして、ようやく意識がはっきりしたらしく、扉の側に置いてあった衣服に着替え始めた。

着替えが終わったら壁に掛けてある呼び鈴を鳴らして侍女を呼び、顔を洗う水桶に食事の用意、ついでに寝癖の世話を頼む。以前、自分で寝癖を直してみたところ、リィンに「寝癖くらい直してください。家臣に笑われでもしたらどうするのです」と真顔で説教されたことがある。以来、自力で寝癖に立ち向かうのは諦めて専門家に任せることにしたのだった。

身支度を済まし食事を終えた後、再び呼び鈴を鳴らして侍女に食器を下げさせてしばらくすると、扉を叩く音がした。

「リィン・ツァンバです」

「入れ」

「失礼します」

扉を開けて入ってきた姿に、アールマンは目を細める。

胸当てに手甲を身に付け、腰には先王から下賜された宝剣を提げている。戦場以外では武装をしない彼女にとって、城内でのこの装備は何があっても主を守るという決意の表れであろうか。

「大臣一同揃いました。皆、謁見の間にて陛下をお待ちしています」

「……謁見の間? 会議室じゃなくか?」

いくら久し振りに国王が参加するとはいえ、会議を行うには謁見の間は広すぎる。事前に聞いていた案件から考えても、そう大人数で話し合うものではないはずなのだが。

「いえ、その……」

そこで初めて、リィンの表情が曇った。嫌な予感がする。

「何処から聞きつけたのか、地方の領主たちが『直接陛下のお言葉を頂戴したい』と城に詰め掛けまして……。急遽大臣たちと話し合った結果、収拾をつける為にも謁見の間で行うしかない、と」

「……なるほど」

これを聞いて、アールマンは自分に人望があるなどとは思わない。

今回の議題はある意味イーヴィスの、ラピス大陸に在する国家としての方針を決めるものなのだから、大なり小なり民を纏める領主たちが過敏になるのも当然だろう。その気持ちが理解出来る大臣たちが、追い返すという選択をしなかったのも頷ける。

頷けるのだが、想定以上の聴衆を前に王らしく振る舞えるのか、という不安がある。

今後のためにも、見限られるような真似だけは避けなければならない。

「失礼します」

暗い表情で黙りこんだアールマンを、リィンが抱きしめる。

「大丈夫です、ご安心ください。なにがあろうとも、陛下の身は私が命に代えてもお守りします」

硬い胸当てに圧迫されながらも、懐かしい抱擁にアールマンは胸に巣くった不安が和らぐのを感じた。

昔はよく抱き着かれたものだが、いつからか回数は減っていき、臣下として振る舞うようになっていった。

──そういえば。

「……リィンはいつから俺をアルって呼ばなくなったんだっけな」

呟くアールマンにリィンも呟くように、

「覚えておりません。我ながら不敬であったと思います」

「…………そっか」

不敬、という言葉に一抹の寂しさを感じながらも、アールマンは落ち着いたとリィンの背を叩く。

アールマンから離れたリィンは何事も無かったように扉の前に立った。

「さあ、皆が待っています。お急ぎを」

「ああ」

扉を開いて待つリィンの前を通り過ぎ、廊下に出る。後ろからついてくるリィンの気配を感じつつ歩を進めていく。

──ありがとう、リィン。

近いようで遠くなった幼馴染みに、アールマンは心の中でお礼を言った。直接言うには、互いに成長しすぎた。

謁見の間は城門から入って真っ直ぐ歩けば辿り着くように設計されている。故に最上層部にあるアールマンの居室からは結構な距離があるのだが、城内には非常に便利なものがある。

転移部屋と呼ばれているのだが、これは魔岩と呼ばれる魔力を通しやすい大きな岩に特殊な加工を施してそれを基点に魔法陣を敷いた部屋を一対用意し、魔岩に魔力を注ぐと互いの部屋を行き来出来るという代物だ。とても便利ではあるのだが、魔石が採掘されることは多々あれども魔岩と呼べるほど大きな物が採れることはそうはなく、イーヴィス全体で見ても本城の王族の居室がある上層とその一階に設置された一対しか存在していない。

その貴重な転移装置を使って一階へと移動したアールマンは、リィンを伴っていくつかある扉の中から謁見の間への直通通路──玉座の丁度右手に出るようになっている──を進んでいく。

「ここを使うのも久し振り、か」

「…………」

先王が存命だった頃は国内外からの来客も多かったため頻繁に使っていた通路だが、国外からの出入りが制限されている今では使うことも無くなった。再び多用することになるかどうかはこれから決めることとなる。

────────。────。

「ん?」

なにやら騒がしい。どうも雑談といった和やかなものではない。もっと緊迫した、穏やかではない雰囲気。

「何かあったのか?」

「見てきます。陛下はここでお待ちを」

リィンが剣の柄に手をやりながら足早に通路を駆けていく。

遠ざかる足音の余韻を聴きながら、アールマンは壁に背を預けて腕を組んだ。


主を置いてリィンが駆ける。

過去を想起させるような不安に息苦しさを感じる。

目指す扉が近付くにつれて鼓動は激しくなっていく。

「…………っ」

剣の柄に当てた方とは違う手で扉に触れ、開く。

────────。

喧騒が大きくなる。

玉座を横切り、ざわめく臣下たちに歩み寄ると、気付いた数人がリィンに駆け寄ってきた。

「あぁ、将軍!」

「よいところへ!……陛下は何処に?」

「大変なことになりました!」

我先にと口を開く貴族たちを押しやり、歩を進める。そうして見つけた目当ての老人もリィンに気付いたようだ。

「参られましたか」

「この騒ぎは一体、何があったのです?」

直に国王が来ることが分かっていながら大声で騒ぎ立てるほど、この国の官吏は愚かではない。分別のある彼らから冷静さを失わせる何かしらの事件があったのだろう。

「難しい。非常に難しい問題です」

耳の上に大きな巻き角を持つ小柄の老人──プーシ卿が顎髭を撫で付けつつ口を開く。

「つい先程、衛兵がここに飛び込んでまいりました。有り得ぬ報せです。故に難しい」

「…………どのような報せなのです」

「────────」

時が止まるのを感じた。

有り得ない。そして、それが事実ならば確かに難しい。

「…………それは本当なのですか」

プーシ卿は首を振る。

「既にファルン卿が確認のため向かっております。誤報ならばまだいいでしょう。しかし真実ならば、とても難しい」

そこでようやく気付いたように、プーシ卿が辺りを見回す。

「して、陛下は何処に?」

「転移の間との間の通路にて待機しておられます」

「左様か。では急いでお連れくださいませ。判断を仰がねばなりませぬ。こちらは儂がなだめておきますゆえ」

「お願いします」


アールマンの元まで戻ったリィンは、主を連れて再び謁見の間へと向かった。

「それで、何があったんだ?」

「先程、衛兵から報せがあったそうです」

「報せ?」

「はい」

どう話したものかと迷うが、素直に聞いたままを話すことにした。

「『エンピスの王族を名乗る者が、陛下への謁見を求めている』、と」

「──な」

絶句。

「……本当なのか? 身分を偽っているとかではなく?」

「真偽は定かではありません。ファルン卿が確認に向かったようですが……」

「…………そうか」

──エンピス。

イーヴィスの北に隣接する、人間族が治める国。人間族はラピス大陸に住む大半の種族の祖と言われており、最も古い歴史を持つとされている。国家間におけるイーヴィスとの関係はお世辞にも良好とは言えず、その土地を掠め取ったというイーヴィス建国の経緯も相まってむしろ険悪な部類と言える。

そのエンピスの王族が、その身を危険に犯してまでこの城に立ち入ろうとするとは到底思えない。通常ならば用件があるなら書状を認め使者を送るものだし、荒事が目的ならもっと適した者がいる。真贋を疑って掛かるのが当然と言えよう。

──しかし、もしも本物だったとしたら。それは何が目的なのか。

その疑問が皆を戸惑わせる原因なのだろう。

突き当たりの扉を開いて謁見の間に入る。大臣や領主たちは冷静さを取り戻してはいるが、それでもどこか浮き足立った雰囲気を漂わせている。

アールマンが玉座に腰を下ろすと、整列した中から歩み出て跪く者があった。

確認に向かったというファルン卿だ。

「失礼ながら、大事ゆえに前置きを省かせていただきます。すでに詳細はお聞きでしょうか?」

「ああ。お前が確かめに行ったと聞いた。どうだった」

「衣服は平民の物でしたが、持ち物の中にエンピス王家の紋章入りの短刀を見つけました。盗品の可能性も捨てきれませんが、偽物と断ずるのも難しいかと」

懐から布地に包まれた棒状の物を取り出し、歩み寄ってきたリィンに手渡し、アールマンに預けられる。

包みを開くと、鞘にいくつもの宝石が埋め込まれた短刀が現れた。そっと柄を引くと、白銀の刀身に刻み込まれた太陽に剣を重ねたような刻印が見える。

「確かにエンピスの紋章だな」

再びざわつき始めた家臣をアールマンは手を振って黙らせる。

「その自称王族は何と言っている?」

短刀を再び布で包みながらファルン卿に訊ねる。

「何を聞いても陛下に会わせろの一点張りです。いかがしますか?」

偽物として追い払うのも一つの手ではある。だが、それではもし本物だった場合、後々面倒なことになりかねない。これだけの人数が事を知ってしまっているのだ。独断で利用しようと考える者がいてもおかしくはない。

実質的に、答えは一つだった。

「……連れてこい」

「御意に」

立ち上がったファルン卿が一礼して広間から出ていく。その後ろ姿を目で追いながら、リィンが囁いた。

「本物なのでしょうか?」

「少なくとも、この短刀は本物だ。盗品かもなんて言ってはいたが、盗もうと思って盗めるような代物じゃあない」

布地で包んだ短刀を軽く振って、小さくため息を吐く。

「話を聞いてみないと何とも言えないな。……まさか、今更詫びにきたとも思えないしな」

「…………」

沈黙するリィンを横目にアールマンはもう一度、更に小さなため息を吐いた。

──すぐにファルン卿が広間に戻ってきた。

その後ろから槍を手にした数人の兵士に囲まれて、分厚い外套に身を隠した小柄な人間が広間に入ってくる。

「例の者を連れて参りました」

ファルン卿が大臣たちの列に戻り、兵士たちに押し出されるように件の人物が前に出た。

静寂が訪れる。

「…………」

「…………」

「……………………」

「……………………」

「………………………………」

「………………………………おい」

長い沈黙に先に折れたのはアールマンだった。不機嫌な声色に、目深に被った外套が動揺に揺れる。

「話をしたい、と言ってきたのはお前だろう。延々と黙り込まれてもどうしようもないんだが?……それと、顔を見せろ。最低限の礼儀だ」

後半は溜め息混じりに言われ、自称エンピスの王族は慌てて外套を脱ぎ始める。中から現れたのは、小麦を思わせる金髪に蒼い瞳を持った痩身の少女だった。緊張か恐怖か元々か肌は青白く、小刻みに震えている。

まるで被害者であるかのような様子に、アールマンは頭を抱えたくなった。

「それで?何のつもりで城に入ろうとしたんだ。その様子だと、こちらとそちらの仲は知らない訳じゃないんだろう。まさか、これ一本で暗殺に来た訳じゃないよな?」

布地に包まれた短刀を少女の前に放り投げる。

少女は短刀を素早く拾うと、よほど大事なものらしく両腕で抱き締めた。

「改めて聞こうか。この魔王に何の用だ」

「……て……さい」

「なに?」

声が小さく、しかも震えていて聞き取れなかった。

少女は小さく深呼吸を繰り返して息を整える。そして大きく息を吸い込んで──

「嫌がらせを止めてください!!」

──と、叫んだ。

「………………………………なに?」

想定していたものとは大きく異なる発言に困惑し、つい硬直してしまった。

少女は涙目になり、先程まで青白かった頬を赤く上気させてアールマンを睨んでいる。なにもしていないのに子供を苛めてる気分になった。

「待て。……いや、待て。嫌がらせとはどういう意味だ?」

「お父様から聞きました。ここ数年エンピスで飢饉が相次いでいるのは、魔族が人間への嫌がらせに呪いを掛けているからだって。その呪いを解いてください!」

──ああ、なるほど。そういうことか。

以前聞いた現エンピス王の噂を思い出し、大方の事情は察せられた。同時に話すだけ無駄だろうということも。

「無理だ。さっさと国に帰れ」

「嫌です!」

「────」

即答され、逆に呆気にとられてしまった。先程までの雨に濡れた小動物のような姿はない。むしろ、尻尾を踏まれて敵意を剥き出しにする子犬のようでもある。

「嫌がらせを止めてくれるまで帰りません!」

「待て、落ち着け。…………正気か?」

「正気です!」

嘘をつけ、とアールマンは心の中で毒づく。

少なくとも、正気の人間は魔族に近寄ろうと思わない。魔族は人間の天敵であり、魔族にとっても人間は因縁浅からぬ敵である。その本拠に留まろうなど、正気を失った以外に解釈のしようがない。

「私は王女です。私を殺せばお父様やお兄様が黙ってはいませんよ!」

その発言に、謁見の間がの空気が凍りついた。少女は興奮していてそれに気付かず、頬を赤くしたまま言葉を続ける。

「エンピスへの嫌がらせを止めてくれるなら、私をあげますから!」

さっきとは違う意味で場が凍りつく。口を開けて呆然としている者までいる。

「私こう見えて裁縫とか得意なんですよ?他にも教えてもらえればなんだって出来ますから!」

「……待て。分かったから待て。とにかく待て。落ち着け」

左手で額を抑えつつ右の掌を少女に向ける。この娘の思考が寸分も理解出来ない。

「……お前、そもそも帰る気がなかったのか?」

「そのつもりで来ました!」

「…………エンピス王がそれを許したとは思えないんだが?」

「書き置きは残してきたから大丈夫です!」

「……………………」

それは家出と変わらない。いや、家出よりも質が悪い。

どうしたものかと頭を悩ませるうちに、アールマンは一つの結論に達した。

「……エンピスの飢饉については知らん。帰るにしろ居座るにしろ好きにすればいい」

問題の放棄、先送りである。

「なら居座ります。丁重にもてなしてください」

本当にさっきまで怯えていた娘かと思いたくなるほど図々しい態度に溜め息を吐く。

「…………部屋を用意してやる。必要な物は後で言え」

「宜しいのですか?」

リィンが不満そうな声で言う。当然の反応だ。

「警備関係はお前に一任する。──それにまあ、丁度いいさ」

「は?」

意味がわからずに戸惑うリィンを尻目に、アールマンは立ち上がって視線を集める。困惑する貴族や大臣たちを見渡した後、人間族の少女に目を向ける。

「そういう訳で、こいつは城に置く。これを今回の議題の結論とする。以上、会議を終了する」

リィンに娘を連れてくるよう言い、アールマンは謁見の間をあとにする。その後を追うリィンと少女を見送りながら、残された者たちは王の言葉を咀嚼しつつ思い出したように深く礼をした。

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