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第三章 ~水難の旅人~

収穫祭が近付くにつれ、イーヴィス内は日に日に活気を増していく。

開催前日ともなると、城下の喧騒は王城にまで届くほどの規模になっていた。

この日、アールマンは朝から数えて何十人目かの謁見者との対談を終え、玉座に座ったままぐったりとしていた。

「どうして誰も彼も、直前に予定を入れてくるんだろうな……」

毎年のことではあるが、この時期の謁見希望者は多い。

他国から様子を窺いに来たと思わしき地方領主や、何の意図もなく祭り見物の為に来訪し、ついでとばかりに挨拶をしていく有力者たち。更には今年の巡察から外れた地方の貴族等、枚挙にいとまがない人数が押し寄せてくる。

「ほっほ。皆、収穫祭に合わせておりますからな。特に陛下は、これから数日の間不在となります。その前後に人が集まるのは当然のことではありますな」

警備予定の詰めの為に同席出来ないリィンに換わって、側に立っているプーシ卿が苦笑してみせる。年若いアールマンよりも、家臣団から長老と呼び慕われているこの老臣の方が元気そうである。

「今ばかりは素直に父上を尊敬するよ。よくもまあ、毎年こんなことを続けてきたものだ」

「性格の違いでしょう。あの方は後に楽しみがあれば、その直前の苦難など、楽しみを増すための調味料程度にしか考えておられませんでしたからな」

「道楽主義の境地だな……。とても真似出来ん」

そういえば、収穫祭巡察時の父はいつにも増して鬱陶しかった。あれはこうして溜まった鬱憤を晴らしていたのか。

「このこと、リィンが知ればどんな顔をするかな」

「殿下の反応が薄いせいか、将軍は特に構われておられましたからなぁ」

プーシ卿は懐かしげに目を細め、過去に思いを馳せているようだ。まれにアールマンのことを「殿下」と呼ぶことがあるが、そういう時はこうして先王との思い出に浸っていることが多い。

「プーシ。なんだったら、お前も暇を取ってかまわんぞ。子守りほど疲れるものも無いだろう」

「ほっほっほ、お戯れを。エンピスのディアン翁同様、私も生涯現役でございますよ」

意外というほどでもないが、プーシ卿とディアン将軍は仲が良いらしい。二人とも国政の生き字引と銘を打たれるほど、長く国に仕えているのだから共感する部分も多いのだろう。性格に関しては柔と剛とで反対方向を向いているが。

「まあいいさ。それで、もう謁見予定は終わりか?」

アールマンが訊ねると、プーシ卿は謁見者の情報を纏めた書類を眺めて頷いた。

「……ふむ、そのようですな。明日は開会宣言もありますし、そろそろお休みになられますかな?」

「そうするか。その後すぐに出立だったな」

「ええ。姫様方も楽しみにしておられましたし、道中も賑やかになることでしょう」

他人事のように言うプーシ卿に渋い顔をしつつ、アールマンは立ち上がって大きく背伸びをする。途中で休憩を入れてはいたが、それでも節々が固くなっているようだ。

「俺は部屋に戻る。後は任せるぞ」

「かしこまりました。お休みなさいませ」

腰を折ったプーシ卿に見送られながら、アールマンは謁見の間を後にする。既に月が高く昇っているせいか、常以上にすれ違う者が少なく感じる。

「あ、陛下。お疲れ様です」

「ああ」

勢いよく敬礼をする獣耳の少女に軽く応じ、そのまま歩を進めようとしたが、思い直して足を止める。

「もう警備計画は煮詰まったのか?」

「え、あ、はい」

話し掛けられるとは思っていなかったのか、少女は虚を突かれたように言葉に詰まりながらも問い掛けに答えた。

少女はリィンの副官の一人で、名をラビ・コニーという。新雪のように白い肌に赤い瞳をもつことから、彼女を『白兎』と例える者も少なくない。

「国民全員が待ちわびた収穫祭だ。お前も、警備の合間に楽しんでおくといい」

「は、はい!」

頬を赤く染めたラビがはっきりと返事を返すと、アールマンは頷いて自室へ向かって歩きだした。その後ろから、感極まったらしい少女の悲鳴が響いてくる。

気紛れに労っただけなのだが、思った以上に効果があったようだ。

翌朝、城門が解放されるとぞろぞろと民衆が門をくぐって中庭へと集まり始めた。魔族や人間族、竜人族に加えて、ウルク湖を挟んだ対岸の住人である獣人族や翼人族の姿もあり、更に遠方の国である〝砂漠の国〟に住む小人族や〝水の国〟と〝獣の国〟の狭間に棲む妖精族の姿も散見出来る。

この場に集っているのは様々な事情で国を抜け、イーヴィスに居を構えている者ばかりだ。大陸全土を見渡しても、ここでしか見られない光景である。

彼らの目的は魔王による収穫祭開催宣言であり、それとほぼ同時に行われる大花火の見物だ。

大花火は国中に開催を報せる役割を担っており、その鮮やかさは昼間にも関わらず、夜間の打ち上げに引けを取らない優雅さと言われている。巷では本城の中庭が花火見物の特等席との評判があり、近年では整理券まで配られる有り様である。

中層階の露台に人影が現れると、雑音めいた話し声が徐々に収まっていく。ある程度静まった頃を見計らって、民衆の前に姿を現したアールマンが口を開く。

「我が国の民よ、思わぬ災禍もあったが、皆の働きにより今年も無事に収穫祭を執り行うことができた。その勤労に感謝の意を示そう。そして遠方より訪ねてこられた客人よ、世に誇るイーヴィスの祭りを楽しんで欲しい。──さて、長い挨拶は皆も好むところではないだろう」

アールマンが右腕を空に向かって伸ばし、その掌に魔力を集中させる。

「大いなる実りに感謝を!」

何処に狙いを定めた訳でもない光弾がアールマンの掌から放たれ、中空へと消えていく。その一瞬の後、空が爆発した。

「魔王アールマン・ハイトンの名において、ここに収穫祭の開催を宣言する!」

金色の花が空に咲き、続いて赤、青、紫など様々な色形の火花が乱れ咲く。

『おぉぉぉおお!』

中庭が歓声で埋め尽くされるのを見届け、アールマンは城内へと戻っていった。

「随分と短い挨拶でしたな」

「彼らが見たいのは俺の顔ではなく大花火だからな。宣言は短い方が手間がなくていい」

式典用の外套を控えていた侍女に渡しつつ、アールマンはファルン卿に視線を向ける。

「留守は任せる。警戒は怠るなよ」

「承知しております。陛下もお気を付けて」

それだけの言葉を交わし、アールマンは警備の兵の誘導に従い、民衆の集まる中庭を避けて城門へと向かった。

城門には既にリィンやラビといった警備隊の他に、荷物を積んだ馬車と貴人を乗せるための馬車も待機していた。

「直に花火も終わります。一般人が溢れ出てくる前に出立いたしましょう」

リィンの言葉に頷き、扉の開かれた馬車に乗り込む。そこには先客がいた。

「あ、お疲れ様です!」

「おつかれさま」

「……何故いる」

要人を乗せるための馬車は二台用意している。事前の予定では片方にアールマンとリィンが、もう片方にセリスとユウリ、そしてラビが乗り込むことになっていた。

しかしどういうわけか、アールマンが誘導された馬車にはセリスとユウリの姿があった。さすがに、誘導を間違えたというわけではないだろう。

アールマンが席に座ると、後ろからリィンも乗り込んできて御者席側の席に着き、壁を叩いて合図を送る。すぐに馬車は動き出した。

「リィン、どういうことだ?」

「……申し訳ありません。道中は陛下と一緒の馬車が良いと仰られまして。お止めすることも出来ず、このような事に」

バツが悪そうに目を逸らすリィンに、窓から外を眺めていたユウリが補足する。

「言ったのはセリスだけ。らちが明かないからって兎の人が仕方ないからってもう一台を囮用に仕立てた」

アールマンが窓から覗き見ると、確かに馬車を囲む護衛の数が違う。後ろを行く囮の馬車に比べて、自分達が乗っている馬車を守る兵士は半数程度である。

「苦労をかける」

「いえ」

瞑目して労うと、リィンは小さく溜め息を吐いて受け入れた。

「だって、旅行は好きな人と楽しみたいじゃないですか。確かに言い出しっぺは私ですけど、ユウリちゃんだって反対しなかったんですよ?」

「む……」

話の流れに分が悪いと感じたのか、セリスがユウリを道連れにする。ユウリも先程セリスを切り捨てようとした引け目もあり、反論せず唸るだけに留めた。

「それともなんですか。魔王さんはリィンとふたりきりでいちゃいちゃしたかったんですか。私たちを差し置いてそんなことさせませんからね!」

「ん」

「もういいから黙ってろ、お前ら」

次第に共同戦線を張り始めた姫二人に、窓枠に肘を乗せて額を押さえる。その隣で黙ったままのリィンの顔が、赤く染まっていたことには気がつかなかった。


馬車に揺られる時間が半日ほど続き、ようやく最初の目的地である村へと到着した。

道中はセリスの独壇場で、道すがら見掛けた動物や植物などに興味を引かれると、ユウリと「あれはどういうものなのか」、「飾りにするならどのような衣裳がいいか」などといった雑談を繰り広げていた。ユウリは相槌を打っているだけに見えたが、全くの無関心というわけではなさそうで、たまに話題に沿った意見を出している所を見ていると、やはり彼女も年頃の娘なのだと妙な実感を抱かされる。

「魔王様方、ようこそお出でくださいました」

馬車を降りた一同を出迎えたのは、ユウリよりもなお小さい、一目で小人族に縁があると分かる老齢の女性だった。この村の長だという彼女の後に続き、村内へと足を踏み入れる。

まず案内されたのは、広場に立てられた巨大な飾り櫓だ。

イーヴィスの象徴と言われる大木を象ったらしい飾り櫓は、その大きさのせいで細かい装飾は目立たなくなっているが、鉄などは使わずに木材のみで組まれ、単純な塗料で豪快に色づけされたその存在感は見るものを圧倒する。

「ほう、これは見事だな。丁寧な出来、ということではないが、人の目を引き付ける威圧感がある」

「ありがとうございます」

誉めているようでそうでもないような感想を延べ、アールマンはユウリとセリスに顔を向ける。

「俺はこれから村長と話がある。お前たちは好きに見て回るといい。兵たちに面倒をかけるなよ」

「大丈夫ですよ。ユウリちゃんは私が見てますから!」

「後半はお前に言っているんだ阿呆」

「……ひどいです」

胸を張ったりいじけたりと忙しないセリスをユウリと兵たちに任せ、アールマンはリィンとラビの二人を伴って村長の自宅へと向かった。

村長の家に入ると、人間族の娘に出迎えられた。彼女が例の避難民なのだろう。

「エリィ、この方が魔王様よ。人間みたいだけど、怖がることはないからね」

「分かってるわよ、お婆ちゃん」

声に若干の震えが見られるが、これは緊張の範囲内か。

「随分と親しいんだな」

「ええ、家族ですもの」

微笑む村長の顔に嘘の色は見られない。本当に善意によってこの娘を匿ったのだろう。

「我が盟友に代わり感謝の意を示そう。貴女の英断により、我らの同胞の一人が虐げられることもなく生き長らえた。贔屓は出来ないが、多少の便宜は図ろう」

「ありがたきお言葉にございます。……早速なのですが、陛下にお願いしたいことがございます」

「言ってみろ」

「実は……」

しばらく前に人間族らしき少年を保護したが、言葉が通じないこと。村の医師の診察では原因も分からず、エリィとも引き合わせてみたが彼女にも理解が叶わなかったことを告げ、村長はアールマンに打診した。

「陛下に彼のことをお願いしたいのです。村の者たちとも打ち解けてきてはいますが、やはり言葉の壁というものも大きく。それに、あの子にも家族はいるはずでございます」

「……なるほど」

事情は理解した。だがしかし、言葉が通じないというのが不可解だ。

ラピス大陸で使われる言語は統一されている。もし頭に障害があるとしても、全く意味を読み取れないとは考えにくい。

海の向こうにあるという大陸の住人か、とも思うがすぐに否定する。

ラピス大陸の外海は複雑怪奇な海流で囲まれており、その海流に巻き込まれると海を縄張りとする漁師ですら呑まれるという。故に影も見えない向こう側の大陸の人間が、内陸にあるウルク湖にまで行き着けるとは到底思えない。

「とりあえず、見てみるか。村長、案内を頼めるか」

「もちろんでございます」

呼び出してもらってもいいのだが、折角だから村の様子も見ておきたい。

エリィを家に残し、アールマンたちは少年に会いに表へ出た。


その頃、ウガルは白衣を纏った少年を連れて観光客が集まり始めた広場で悦に入っていた。

「うははっ!ちょいと出遅れたが、好評みたいじゃねぇか!」

笑い声をあげるウガルに観光客が驚いたように顔を向けるが、すぐに気を取り直して屋台へと向かっていった。

その様子を見ていた少年は軽く首を傾げて考えていたが、すぐに答えが出たのか頷いてウガルの毛深い腕を叩き、口の前に人差し指を立てて見せた。

「ん?おお、声がでかかったか。悪い悪い」

「……」

頷く少年の頭を、鷲掴みにするように撫で付ける。不思議と少年はその力に負けることなく不動を保っており、その光景もまた人目を引いていた。

ひとしきり撫でられたあと、少年はウガルの顔に視線を向け、広場の外を指差す。ウガルはその意味を少し考え、そして彼が言わんとすることに思い至った。

「ああ、そうだった。先生のとこに行くんだったな。寄り道し過ぎちゃ不味い」

ポンポンと少年の頭を叩くように撫で、ウガルが歩きだした。少年もすぐ後に続く。

「聞こえてくる話だと魔王陛下も櫓にゃあ満足してたみたいだし、お前のことも考えてくれるだろ」

上機嫌に腕組をするが、少年にはその内容は理解出来ない。なんとなく良いことがあったのだろうことは分かるが。

「しかし、そうなるとお前との付き合いも終わりかね。ちょいと寂しくなるな」

ウガルは独り身だが、少年と暮らしてみて所帯を持つのも悪くないと思ってきている。まあ、相手がいないのでしばらくは出来る気もしないが。

ふと振り返って少年を見ると、鋭い目遣いで辺りを警戒しているようだった。

「ああ、そういや兵士が多いな。護衛ってやつかね」

ウガルは少年が、見知らぬ兵士の存在に人見知りをしているのだろうと考え、少年の頭に手を置いてぐりぐりと捏ねるように撫で回した。

この時、少年に警戒の必要はないと、しっかり伝えておかなかったことをウガルは後悔することになる。


所変わって診療所には、既にアールマンたちの姿があった。

村長は仕事があるらしく、後事を医者に任せて戻った。

ボルスと名乗った医者に保護した当初の話を詳しく聞いていると、玄関を叩く音がした。

「む、来ましたかな」

ボルスが立ち上がろうとすると、リィンが片手で制してラビに目配せをする。

「陛下を狙う不埒者の可能性もあります。ボルス殿もそのままで」

「ふむ、承知した」

今の村には外部の者も多い。念を入れるに越したことはないと、ボルスも椅子に座り直した。

ラビは玄関まで行くと、扉に耳を当てて向こう側の様子を確かめる。息遣いは大人のものと子供らしきものの二つ。事前に聞いていた二人組と一致しているが、子供らしき者の方はやけに呼吸を抑えている印象をうける。警戒しているのかもしれない。

ボルスから「武術の心得があるらしい」との情報を得ていたので、ラビも油断しないように警戒心を胸に秘めつつ扉を開く。

「あん?お前さん誰だ」

黒い大男が眉を上げる。

「お前がウガルですね。陛下がお待ちです。入りなさい」

明らかに年下のラビにお前と呼ばれたからか呼び捨てにされたからかはたまたその両方か、ウガルは渋い顔をしながらも白衣の少年を連れて扉をくぐった。


診療所に入った少年の目に映ったのは、世話になっている医者と、椅子に座っている黒い髪の男、そしてその側に佇む刀剣を腰に下げた赤毛の女だった。医者は黒い男と相対するように椅子に座らせられており、女は彼を押し止めるように腕を突き出している。

玄関口では少年らを出迎えた白い少女から、僅かながら敵意を感じた。恩人の男は少女を見て好ましくないような顔をしていた。

──ああ、敵か。

「ッ!」

結論を出した少年はウガルを押し退け、まず白い少女を突き飛ばして体勢を崩した後に、回し蹴りを打ち込んで壁に叩きつけた。

狭い屋内を疾走し、目を丸くしている医者と剣に手をかけた女の間に割り込む。女に掌底を叩き込んだが、腕を弾かれて失敗に終わった。

少年を取り押さえようと腕を掴もうとしてきた女の手を避け、机の上から鉛筆を逆手に持つ。

「──────!」

黒髪の男が何事か叫ぶと、女は戸惑うように刀剣に伸ばした手を止めた。

男が首魁と判断し、少年は鉛筆を短刀のように構えて疾駆する。

「ラアァァァァッ!」

獣の咆哮のような声をあげ、復活した白い少女がほぼ真横に跳躍して少年に近寄り、回転して勢いを増した蹴りを見舞った。

「っ!」

後ろに腕を十字にして後ろに重心を移動させ、衝撃を殺そうと試みる。しかし、その小さな体躯の何処にこんな力を持ち合わせているのか、腕が軋みをあげて少年の体が宙に浮いた。

窓硝子を割り、少年が外へと放り出された。白い少女もすぐに後を追う。

少年は診療所の壁に立て掛けていた棒を手に取り、拳を振り上げた少女を迎え撃つ。その矮躯から放たれる打撃は甘く見ていいものではないことは、先の回し蹴りで体験済みだ。

一歩横に移動し、棒を迫る腕に押し当てて、その腕を軸にするように棒を回転させる。そうして少女の力を外向きに逃がしつつ、立ち位置を入れ替えるように少女の背後へと回り込んだ。

「────ッ」

強く息を吐き、刺突を放った。

体勢を崩したはずの少女が横に飛び退き、少年は空を突く。しかし少年はすぐに棒を手元に引き寄せ、幾度も連続して少女へと突き出した。俊敏な相手に大技は禁物。消耗したところを狙う。

どうにか己の間合いに詰め入ろうと少女も躱しながら隙を窺うが、少女の動きを牽制するような動作も混じっているため、中々行動に移せない。

「チッ」

少女の舌打ちが、棒が空を切る音に混じった。


「ラビと互角かそれ以上か。随分と腕が立つらしい」

「冷静に分析している場合ではありません。このままでは人の目を引きます」

「リィンこそ落ち着いている場合じゃないだろう。頭に血が上って暴走してるのは誰の部下だったかな」

「陛下が止めたからでしょう。今からでも命令して頂ければ」

「いや、ここは俺が抑える。リィンには馬車から持って来てほしいものがある。今回の視察にも持ってきていたはずだ」

アールマンが品物の特徴を告げると、リィンは敬礼して診療所から出ていった。

「も、申し訳ありません、陛下。まさかこのようなことになるとは思わず」

「もうしわけねぇ!」

平伏するウガルとボルスに目を向け、アールマンは頭を上げさせる。

「謝罪するようなことではない。彼を警戒させたこちらの不手際だ。それより、あれを止める手伝いを頼みたい」

「お、おう!」

「温情に感謝を」

まず、二人に水の入ったままの水瓶を表に運び出してもらい、先に外に出ていたアールマンが地面に書いた図形の上に置かせる。

「あいつらの頭を冷やさせる。動きが止まったらすぐに取り押さえろ」

そう言ってアールマンが詠唱を開始する。地面に描かれた図形が、滲むようにぼやけて見えなくなる。その進行速度と比例するように、水瓶の中の水もみるみる内に減っていき、図形が消えるころには水瓶は空になった。

見上げると、膠着している二人の真上に、水瓶の下に描いてあったものと同じ図形が浮かび上がっていた。

その図形に乗るように水が浮いており、徐々に大きくなって水量を増していく。

十分量になったと判断したアールマンが両手を上げ、一気に振り下ろした。

──────。

大人二人でようやく抱き上げられた水瓶に入っていたものと同量の水が、浮力を失って二人に落下した。

お互い相手を注視していた為に意図しない真上からの衝撃に耐えられず、ラビは地に倒れ伏して少年は棒を地面に立てて膝を突いた。

「ゥルアァァ!」

「げぷっ」

雄叫びをあげてウガルがラビの上にのし掛かる。ボルスも少年の手から棒を取り上げて羽交い締めにする。

「なに、するんですか、このもじゃもじゃ!」

「さっきからやたらと失礼な娘っ子だな、お前さん!大人しくしろって!」

ウガルに取り押さえられ、暴れるラビにアールマンが歩み寄る。

「何をしている、ラビ・コニー」

「へ、陛下……」

「俺は『止めろ』と命じたな。リィンには届いた命令がお前には聞こえていなかったと見える。その耳はいつから飾りになった」

もがくのもやめ、ラビは蒼白になって弁解を試みようと口を開くが、その口から声が出るより先にアールマンが命令する。

「答えろ。お前は何のためにここにいる」

「へ、陛下の、護衛です」

「ああ、そうだな。それで、お前は何をした?」

「陛下が、襲われそうになったので、助けようと……」

「うん、その点については役割を全うしたと褒められるべき行為だな。それで?」

「追撃、しました……」

穏やかな口調に主の怒りを感じ、ラビは震えあがる。

彼女にとってアールマンは信仰の対象である。彼の機嫌を損ねることは、何よりも恐れるべきことだ。

「も、申し訳、ございませんでした」

額を地面に擦り付け、許しを乞う。

ラビが短慮に行動し暴走すること自体は、まあよくあることではある。しかし、今回は国主であるアールマンの命令を無視したこともあり、『いつものこと』で済ませるわけにはいかない。

が、強く反省している部下に更に鞭を打つような真似は、アールマンも好むところではない。

「ふぅ……、慣れない状況に過敏に反応してしまったのだろうことも考慮し、今回のことは不問に処す。だが、もし次同じようなことがあれば、厳しく罰せねばならない。お前の忠誠心に、自ら傷をつけるような真似はするなよ」

「御言葉、有り難く頂戴致します……」

涙を浮かべ、めり込まんばかりに頭を地面に押し付けるラビを見て気の毒になったのか、ウガルは彼女の上から降りてその背中を撫でつけた。

「陛下、お待たせいたしました。……お疲れ様でした」

分厚い本を抱えたリィンが戻ってくると、水浸しになった地面や少年、すすり泣くラビの姿を見て状況を察したように頭を下げた。

「大した労力ではないさ。ボルス、その子をこっちへ」

リィンから本を受け取り、紙面をめくって目的の頁を探す。

少年もボルスに押さえられたことで抵抗する意思を無くしたらしく、不可解そうに眉をひそめるに留めている。

「人間族の容姿。理解不能な言語。こちらとの常識の差異。詳しく話を聞いてみると、一つの心当たりに行き着いた」

目当ての頁を探し当てたのか、アールマンは手を止めて右手で本を持ち、左手は少年の頭の上にかざした。少年は警戒するように後退ろうとするが、ボルスが「大人しくするように」と肩を撫でた為に身動ぎするだけに収めた。

「すぐに済む。その筈だ」

片手で持つには大きい本──王家に伝えられてきたと聞く魔導書に書かれた、呪文じみた文章を声に出して読んでいく。

本来なら詠唱は、知識の無いものの耳に触れないよう呟くように、小声で唱えるものなのだが、今回ばかりは他に使い道がないものであるため、声を抑えずに読み進めていく。

「『──旅人に知恵の樹の加護を』」

そう締めくくり、アールマンは本を閉じた。傍目には何も変化は起きていないように見えるが、アールマン本人は手応えを感じていた。

「言葉は分かるな?」

声をかけると、少年は驚いたように目を見開く。

「あんた、なにを……」

「「おおっ?」」

少年が理解出来る言葉を話したのを聞き、ボルスとウガルが同時に声をあげた。

「ぼ、坊主、お前、話せるようになったのか?」

「え、ああ、うん、多分」

ウガルが肩を掴んで顔を近付けると、少年も困惑したように頷いた。

「陛下、その魔導書はいったい?」

「我が家の家宝だそうだ。内容が眉唾物なんでな。覚える気にはならなかったが、役に立つ事もあるだろうと常に手元に置いておくようにはしておいたんだ。まさか本当に使うことになるとは思わなかったが」

リィンの質問に答え、アールマンは困ったことになったと頭を掻いた。

「〝世界は重なり連なっている〟か。どういう巡り合わせだ、まったく」

「?」

疑問符を浮かべるリィンと、泣き止んだラビ、言葉を交わし合う三人に診療所に戻るように声をかけ、アールマンは魔導書の表紙を軽くなでた。


世界は風船のような形をしていて、魔術というのは、その風船に穴を開ける行為だという説がある。

世界の外側には〝未知〟が広がっており、風船が割れないほど小さな〝穴〟を空けることによってほんの少しの〝未知〟を引き入れ、何事も無かったかのように〝穴〟を塞ぐ。その工程に魔力を費やし、引き入れた〝未知〟によって魔術という神秘が紡がれるというのだ。

魔術とは知識と技術の結晶であり、魔力は自然から得られる燃料であるという説が定説とされている現在においては、定説に喧嘩を売りつけるような異端論である。しかし、異端でありながらもその説がある程度の支持を得て生き長らえ続けているのは、否定しきれないからだとも言われている。扱えることと本質を理解している事は違う、つまりは魔術研究の未熟さの証明である。

「この魔導書は、その異説を前提にした事象について書かれている」

その中でアールマンが目をつけたのが、まれにその〝穴〟が開き、その〝穴〟から他の世界の住人が落ちてくるというものだった。

「何代前の魔王に関する者かは知らないが、この魔導書をしたためた魔術師は、実際に『落ちてきた』者と遭遇し、交流を計ったそうだ」

世界は重なり、連なっている。ほんの小さな穴でも、空いた拍子に隣の世界から落ちてくるものが出てくるのだという。

筆者はそういった異世界の住人を〝旅人〟と称し、この魔導書には現在の魔術に対する問題提起と共に、再び現れるかもしれない〝旅人〟への対処法が記されていた。

「隣り合う世界の住人、ですか……。失礼ながら、信じがたい話でありますな」

「実際、その痕跡は残っている。文学や食事、生活に関するもの、あらゆるところにな」

真偽は定かではないが、そういった痕跡がある以上は出鱈目と割り切ることも出来ず、アールマンは眉唾物の家宝として手元に置くことにしたのだ。

「この魔導書に書かれた事が全て真実ではないとしても、魔導書に記された術式が効果を発揮した以上、その少年が〝旅人〟であるのは間違いない」

こうして〝旅人〟が存在する以上、筆者の言う〝穴〟や重なりあう世界は確かにあるのだろう。しかし〝穴〟が目に見えない以上、魔術が原因か否かは依然として判断のしようがない。

「あー、なんか難しそうな話だけどよ。そのこいつが落ちた〝穴〟?ってのを見つければ、こいつは家に帰れるのか?」

魔術に長けたアールマンとボルスが話し合う中に割り込んで、ウガルが少年の肩を叩く。話題の中心であるはずの少年は、状況を整理しているのか瞑目したまま動かない。

ウガルの質問に、アールマンは首を振って答える。

「無理だな。〝穴〟は魔術によって空くとされてはいるが、ほぼ同時に塞がれるとも言われている。風船という例えを鵜呑みにするなら、〝穴〟が空いたままの状態であれば萎むか割れるかの非常事態だ。それなら何かしらの兆候がありそうなものだがそれもない。つまり、その少年が通ってきた穴は既に塞がったと考えられる」

「それに万一〝穴〟を見つけられたとして、その向こう側が元いた世界だと保証出来るかね?いや、最悪の場合、向こう側が無いことだって考えられる」

どれだけ密接に見えても、何事にも隙間というものは存在する。世界と世界の間がどうなっているのかは分からないが、もしその隙間が広く、こちらの世界からの出口しか開いていなければ、たとえ『落ちる』ことが出来たとしても入口となるものが無ければどうなることか。

魔導に精通しているアールマンと、見識の深いボルスに否定され、ウガルは小さく唸って目頭を押さえた。

少し前の浮き足立った気分が嘘のようだ。

「元の世界というものに未練はないよ」

ずっと黙っていた少年が、口を開いた。

「あそこはもう捨てた場所だ。戻れたとしても、戻る気はない」

「でもお前、」

「いい。それより僕は、先のことが知りたい」

ウガルの言葉を遮り、少年はアールマンを見つめる。

「よくわからないけど、あんたは偉いんだろ?なら、あんたが決めればいい。僕はこれから、どうすればいい」

「お前、陛下に向かってなんという口を!」

「構わん。下がれ、ラビ」

傍観に徹していたラビが憤りを見せるが、アールマンにたしなめられて黙りこんだ。同じく傍観していたリィンがその頭を撫でる。

少年の随分と冷めた物言いに、アールマンは目を細めて少年の目を見つめ返した。

瞳の輝きは濁っておらず、自暴自棄になったというわけではなさそうだ。恐らく、この少年は自分という存在に対して興味が薄いのだろう。まともな環境で育ったとは考えにくい。

「お前の進退を決める前に、質問をさせてもらう。ここに入ってきた時、どうして攻撃を仕掛けてきた?」

「あんたたちがじいちゃんを脅してるように見えた。だから敵だと判断した。世話になった人を守るのは当然のことだ」

じいちゃんというのはボルスのことか。なるほど、少年にはあの場面がそう見えていたらしい。

「ああ、忘れてた。いきなり暴れてごめんなさい」

「……妙なやつだな、お前は」

突然頭を下げた少年に、アールマンはそんな評価を洩らした。まあ、どんな分野でも頭一つ抜け出ているような者には、変わり種が多いものだが。

「そうだな。お前の身柄は俺が預かる。しばらくはこの世界について学ぶといい。聞きたい話もある」

「その者を連れ帰るのですか?」

リィンが確認を求めると、アールマンは頷いた。

「ああ。この魔導書を読んでも〝旅人〟には不明瞭な点も多い。有事の際も、近くにいた方が早く対処出来る。──お前たちはどうだ」

ウガルとボルスにも発言の機会を与える。すると、意外にもウガルが肯定的な返事を返した。

「俺はこいつがいいってんなら文句ねぇよ。元々、こいつのことは魔王陛下にお願いするつもりだったんだ。ちょいとばかし過程が変わっちまっただけだよ」

「同意見ですな。ここに住み続けるよりも陛下にお預かり頂く方が、彼にとっても実になりましょう」

二人の意見を聞き、アールマンは少年に目を向ける。

「無理強いはしない。お前はどうする」

「さっき言ったよ。あんたに従う」

「そうか」

保護者と本人の承諾を得て、アールマンはリィンに紙を用意させて文書をしたためる。宛先はファルン卿だ。

〝旅人〟に関する簡単な説明と、少年に部屋を用意してもらいたい旨を記す。が、途中で筆を止めた。

「そういえば、お前の名前は何というんだ?」

「やな…………」

言いかけて、すぐにやめてしまう。しばらく考えるように首を捻った後、自らの外套に触れて口を開いた。

「シロ。これでいい」

今考えたと隠しもせずに、少年は『シロ』という単語を自らの名とした。

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