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第二章 ~芋と落ち葉と気まぐれ稽古~

寒気を孕んだ風が木々を揺らし、紅葉し地に落ちた葉を舞い踊らせる。そのついでにと言わんばかりにイーヴィス王城の窓を叩き、木枯らしの訪れを城の主に主張した。

「ん?」

見事その集中を妨げた風は、歓喜の叫びをあげながら空高く昇っていく。そんな風の悪戯に、エンピスから送られてきた書簡から顔を上げたアールマンは、一瞬だけ首を回して窓を一見し、すぐに書簡へと視線を戻した。

主人が机に向かったことで執務室は静寂を取り戻したが、それもすぐに破られることとなる。

「──ゎ──ゃ──」

「──ぃ──ぇ──」

漏れ聞こえてくるのは、最近とみに仲の良くなってきた王女二人の、姦しいには一歩及ばない程度の楽しそうな話し声。

──いや。

正確には一人が騒がしく、もう一人は静やかなのが常なので、姦しいと表すには一歩どころか二歩三歩足りないかもしれない。

「茶会……には早いな」

再び集中を欠いたアールマンは書簡を包みに戻して机に置き、陽の上り具合からおおよその時刻を計る。彼女らの日課とは異なる動向に首を傾げつつ、席を立って窓辺に寄り中庭を見下ろした。

竹箒を振り回して遊んでいるようにも見えるが、枯れ葉の集まっている辺りを行き来しているところを見るに、掃除をしているつもりなのかもしれない。

「陛下、よろしいでしょうか」

あの二人は何をしているのかと頭を捻っていると、近頃すっかり馴染みになった声が入室の許可を求めてきた。

「ああ、入れ」

許しを得たファルン卿が書類を携えて執務室に足を踏み入れた。窓から視線を外し、部下の話を聞くべく椅子に腰掛ける。

「少々遅れましたが、今年導入した農法の成果が上がりましたので報告に参りました」

「ん?……ああ、あれか」

そういえば初夏にそんな話をしたな、と記憶を引っ張りだし、相槌を打つ。

「先の戦で少々予定がずれましたが、それを加味しても上々の出来と言えましょう。来年度以降は更に安定した収益になると思われます」

「ふむ」

受け取った資料に目を通す。元々の予定を下方修正してあったこともあり、比較してある数字の全てが想定の倍近く伸びていた。先の事を考えると、国内の生産性が上がったことは喜ばしいことである。

「よくやった。形だけの収穫祭にならずに済んでよかったな」

「お褒めに与り光栄です」

「エンピスへの導入はいつになりそうだ?」

アールマンの質問にファルン卿は首を振って答える。

「最低限の地質改善作業を終えないことには正確な時機は申せません。改善が完了した地域から始めるにしても、教える側の人員が不足しています。少なくとも来年は国内の普及率を上げることに重点を置くべきと考えます」

「ああ、そっか。新技術ならではの弊害だな。教育役が育たなければ広めることも出来ん」

「こればかりは致し方のないことかと」

「そうだな。──ああ、そうだ。ファルン、これどう思う?」

先程包みに戻した書簡を取り出し、ファルン卿に渡す。受け取ったファルン卿は「む?」と声をあげて目を細めた。

「ドーガ将軍からの書簡とは珍しいですな」

「内容を簡単に説明すると『近いうちに合同演習をしましょう』ということなんだが」

内政面ではイーヴィスがエンピスの手を引く形で連携を取り始めているが、軍事面では上手く協調を取れていないのが実情だ。両国共に足並みを揃える為に、演習の機会を持ちたいと政府間で協議してはいたのだが、大敗を喫した先の戦以降、建て直しを計っていたエンピス軍はとても他国との演習など行える状態ではなく、大将格であるディアンが直々に調練を行わなければならないほど、人手不足に悩まされていた。

「こうして書簡を送ってきたということは、一応の体裁は整ったということですかな」

「単に新兵を育てるのに飽きたから、こっちに丸投げしようという魂胆かもしれないぞ?」

冗談半分に言うが、内心では有り得るとアールマンは思っている。今回の提案は顔合わせの意味合いが強いのだろうが、あの老人自身は『後進なんてものは戦場に放り込めば勝手に育つ』と本気で考えていそうだ。

「……受けない選択肢はありませんが、気は抜かないよう言っておくべきでしょうな」

使節として何度かエンピスに赴いているファルン卿はかの将軍とも面識があるらしく、アールマンの冗談を半ば本気と正確に捉えつつ書簡を返した。

「それはそれとしてですな」

意識を切り替えるように声を出し、ファルン卿が一枚の書類を机に置いた。

「収穫祭の視察行程が出来上がりましたのでご覧ください」

「やっとか」

待ち望んでいたというよりは、気だるそうに書類を手に取る。アールマンは特に楽しみに思ってはいなかったのだが、約一名が『イーヴィスの収穫祭楽しみです!』と息巻いて、度々日程を聞きに来るからアールマン自身も意識せざるを得なかったのだ。

「ほう、今回は遠くまで行くんだな」

「今年はエンピスとの同盟記念ということもありますからな。ウルク湖脇の小さな村ですが、そこには陛下が動かれる以前から人間族を保護していた長老がいるそうです」

行程表に記された地図には、本城から始まった矢印がイーヴィスの北東の端辺りまで伸び、蛇行しながら南へと向かってグラン公国との境付近で城へと折り返していた。

「今更、表彰でもする気か?」

「陛下がなさりたいのであれば、どうぞ」

「冗談だ」

先んじて難民を保護したことは賞賛に価するが、件の村を公に褒め称えれば他の人間族を保護していた町村の間で不公平感が高まる。平等を保つ為にそれらの町村へ訪問、表彰していてはそれだけで十日は潰れてしまうだろう。雑務が落ち着いてきたとはいえ、この時期に時間を浪費にするのは出来るだけ避けたい。

「表彰はせずとも、陛下御自身が訪れることに意味があるのです。周辺諸国は我らとエンピスの絆の深さを計りかねている状況ですし。まあ労いの言葉ひとつでもあれば十分でしょう」

「自国に逃げ込んできた人間族を気にかけているように印象付ける、か?イスカやルーフェ辺りなら効果はありそうだが、ハイビスにはそんな細かい策が通じるとは思えないんだが」

ハイビスは〝獣の国〟の名が指す通り、獣の身体能力を兼ね備える獣人族が治めている。彼らは身内には寛容に振る舞うが、敵対するものには容赦なくその爪牙を突き立てる凶暴性を有している。一度彼らから敵視されれば、イーヴィスとエンピスの仲が良好であろうと険悪であろうと関係なく攻撃してくるだろう。実際、ハイビスはイーヴィスと同盟関係にあるグラン公国に進軍した過去もある。

「連中は何をするにも動きが速いからな。こちらを危険だと判断したら、すぐにでも攻め込んでくるぞ」

魔術を扱う者にとって、純粋な身体能力のみで肉薄してくる獣人族は相性が悪く、主に扱う魔術も身体強化に特化している為、魔術大国ルーフェなどからは天敵扱いされている。ルーフェほどではないにしろ、イーヴィスにとっても獣人族は積極的に戦いたい相手ではない。

「ですが、なにもしないよりは良いかと。ルーフェとイスカだけでも挙動を鈍らせることが出来れば、今しばらくはハイビスの動きのみに注視できます」

「いっそこのまま静観を決め込んでくれればいいんだがな」

「そうはいかないでしょう。先の戦によって長年に渡る均衡が崩れたのです。何処の国も、水面下では軍備を整えているはず」

形はどうあれ、大国エンピスがイーヴィスに降ったのだ。グランを含めて三国の盟主となったイーヴィスに危機感を抱き、自国も領地を増やそうと考える国は少なくないだろう。

「まったく。祭りの話をしていたはずなのに、どうして血の臭いのする会話になったんだろうな」

「はて、どうしてでしょうな」

まるで見当がつかないとでも言うように首を傾げるファルン卿に嘆息し、収穫祭の行程表を手に立ち上がって出口へと歩き始めた。

「おや、どちらへ?」

「気分転換だ。ついでにちょっとした疑問を解決してくる」

疑問符を浮かべているファルン卿を尻目に、扉を開けて廊下へ出る。暖炉によって暖められた室内とは違って冷気が支配している廊下を進んで階段を降りていった。

一階まで降りてきたアールマンは外へ出る前に、目当ての二人がまだいることを確認するために窓から中庭を覗く。

先程まで箒を振り回していた二人は石を積んだだけの簡易な竈の前に屈み、その中に落ち葉を詰め込んでいた。相変わらず何をしているのか分からない。

彼女らの周りには、ユウリが抱えられる程の籠が一つ置いてあるだけで、火にかけられそうな鍋や釜は見当たらない。

「たき火でもするつもりか?」

あの竈がただの風避けなのだとすると、そうなのだろうとは思う。だがそうだとして、今度はたき火を起こす理由が全く分からない。暖を取りたいなら暖炉に薪をくべて火を着けた方が暖まれるはずだ。わざわざ外で火を焚く必要性が感じられない。

「…………まあ、あいつの思考を理解しようという方が無理か」

じゃじゃ馬というか、幼いというか。とにかく自分とは違う思考回路を有する少女を示唆する呟きを溢しつつ、推理を諦めたアールマンは中庭へと続く扉に手をかけた。

廊下には無い、風が運ぶ寒気に身を晒し、せっせと落ち葉を竈に詰める作業に集中している二人に近寄っていく。

「そろそろいいですかね」

「まだ。もっと」

「もう一杯になってると思うんですけど……」

「まだ」

「むぅ」

よく聞こえるようになった二人の会話を聞く限りでは、とても長時間外で過ごしているようには思えない。それほど夢中になっているのか、それともユウリが何かしらの魔術を使っているのか。どちらにせよ元気なことだ。

「おーい、何やってるんだ?」

「ん?……あ、魔王さん」

歩み寄りながら声をかけると、辺りを見回してアールマンに気付いたセリスが手を振って応えた。隣にいたユウリはそんなセリスを置いて、アールマンに駆け寄ってその腕に抱きついた。

「アール、お仕事終わった?」

「残念ながら、まだだ。気晴らしに降りてきただけだよ」

イーヴィスに来てから少しだけ背が伸びたとはいえ、まだ自分の肩にも届かない頭を撫でていると、一人残されたセリスが小さな悲鳴をあげた。

「さ、寒いです……!」

膝を抱えて丸くなったセリスは、竈に身を寄せて風から身を隠そうと動いていた。それを見て、ユウリが「あ」と声をあげる。どうやら寒さを忘れるほど夢中になっていた、というわけではなく、ユウリが寒さを誤魔化していたというのが正解だったようだ。

「あれは放っておくとして。ユウリ、お前たちはさっきから何をしてたんだ?」

仮にも一国の王女をあれ呼ばわりして放置を決め込み、アールマンは上から見ていた時から気になっていたことを尋ねた。

「芋、外で焼くと美味しいって聞いた」

「わざわざ外で? 一体誰がそんなことを」

「侍従の人。集めた落ち葉燃やして、紙に包んだ芋を焼くと美味しいって。田舎の味」

ユウリが指差した籠を覗いてみると、赤い色をした手のひら大の芋がいくつか転がっていた。甘味が強いということで菓子などにも使われる種類だ。

「なるほど。だが、確かそれは蒸し焼きにすればいいだけだから、外でやらなくてもいいんじゃないのか?」

「そうなの?」

「ああ、そのはずだが」

いつか視察に訪れた先で振る舞われたことを思い出し、その時に聞いた調理法を教えてやる。その間、ユウリは大人しく説明を聞いていたのだが、アールマンの話に集中していたせいかその背後から迫る影に気付けなかった。

じわりじわりと歩み寄り、ユウリの首筋にそっと手を当てる。

「ひぅっ」

突然の襲撃に小さく身を縮こませ、アールマンの背中に回り込む。少しだけ顔を横に出して、襲撃者に恨みがましい視線を送る。

「セリス、冷たい」

「冷たいのはユウリちゃんです。私を見捨てて魔王さんと楽しそうにお話ししてー」

ユウリに向かってセリスが一歩踏み出す。

「若い子ほど体温が高いって言いますよね……」

何かを捕まえようとするように両手を構え、またじわりと歩を進める。ユウリもアールマンの服を握り締めて後退りし、ついでにアールマンも後ろに下がる。

「おい、ユウリ、離せ」

「だめ」

「だめって、お前な。俺を巻き込むな」

なぜかセリスが近付いてくるだけで、暖まっているはずの体が冷気に侵される気がしてくる。この娘はいつから雪女になったのか。

「観念してください。大丈夫です、何かが減るってわけじゃないですから」

「やだ」

「ま、待て、来るな。俺は無関係だ」

解放されないまま、迫り来るセリスの冷気に当てられる。頬を引きつらせながら逃げる手段を考えるが、何も思い付かないまま、

「かくごー!」

魔術の加護の無いまま寒気に晒されて冷えきったセリスに抱き付かれた。

「う、おぉぉ……」

最低限とはいえ、魔術によって保たれていたアールマンの体温が吸い出されていく。いつの間にか、背後にいたはずのユウリは一足先に逃走を図っており、今は竈の前から捕獲されたアールマンを見つめていた。

「ふあぁ、あったかいですー」

抱き付くだけでは飽きたらず、頬擦りまで始めた。端から見れば羨ましい光景なのだが、当のアールマンは氷を押し付けられているようにしか思えず、苦悶の声を出しながら身をよじっていた。

「は、はなせ……」

「やですー。はー、あったかい……」

幸せそうな吐息を漏らし、すりすりと甘えるセリスであったが、近寄ってきたユウリに衣装の裾を引っ張られて我に返った。

「あれ、ユウリちゃん。どうしました?」

「もう終わり。離れる」

「えー、もう少し」

「離れる」

先程まで逃げていたセリスの腰に抱き付いて後ろに引っ張る。引きずられるようにアールマンから剥がされたセリスは不満げな表情をしていたが、ユウリがまた魔術を掛けてやるとすぐに機嫌を直した。

「あったかいっていいですねー」

「俺は酷い目に遭ったがな……」

口角を震わせつつ竈に歩み寄り、目一杯詰め込まれた落ち葉に火を着ける。生み出された炎はすぐに大きくなり、手をかざすだけで芯まで届くような熱気が感じられた。

「そういえば、魔王さんは何しに来たんですか?」

隣に屈んだセリスが芋を紙に包み、火箸で落ち葉の下に押し込みながら訊いてくる。いっそこのまま何も知らせずに帰ってやろうかと報復心を抱くが、あとで自分の意図せぬところから情報が漏れた時の方が面倒なことになりそうだと思い直し、素直に持ってきた書類を渡した。

「前から煩く訊いてきていた収穫祭の予定が決まったから、伝えに来たんだ」

「へぇー、地図まであるなんて親切ですね。えーと、上がエンピスですよね」

「右下、グラン」

「あ、ユウリちゃんのお家ですね」

「国を家と言うか……。いや、国家と言うくらいだから間違ってはいないのか?」

少女たちの会話に突っ込みを入れつつ、飛び火しないように竈を見張る。焼き芋の為に城が燃えることになっては、笑い話にもならない。

そうして半刻ほど経過した頃、セリスが様子を見るために火箸をたき火に差し込んで芋を取り出した。

「む……」

引っ張り出された芋を見て、ユウリが小さく声を漏らした。包んでいた紙は真っ黒に焦げ付き、炭のような臭いが鼻をつく。セリスが無言で紙を丁寧に剥がしていくと、紙と同様に黒く色を変えた芋が姿を現した。

「……燃えてないか?」

「ま、まだです!皮の下は無事なはず……」

ユウリに芋を押さえてもらい、火箸を使って炭化した部分を引き剥がしていく。全体の三分の一ほど削ると、ようやく白っぽい身を見つけることができた。それを見てアールマンが呟く。

「生だな」

上手く火が通っているなら、中身は白ではなく黄色くなっているはずである。

「う、うぅー、どうして……」

項垂れるセリスの肩を、ユウリがポンポンと叩いて慰めた。

セリスの失敗の原因は、燃え盛るたき火の中に芋を入れたことにある。美味しい焼き芋が食べたいのであれば、燃え尽き燻っている炭の中に芋を埋めるのが正解だ。その事を教えられる者も近くに居らず、三人は失敗の原因も分からないまま、たき火を処理して城内に戻っていった。

「お芋を無駄にしてしまいました……」

「失敗したものは仕方無いだろう」

そうアールマンが慰めるが、セリスは落ち込んだまま立ち直る気配を見せない。そんなに焼き芋が食べたかったのか、と首を捻っていた所に、絵図面のようなものを脇に挟んだプーシ卿と行き合った。

「おや、これは陛下。姫様達とご一緒でしたか。……セリス姫はいかがされたのですかな?」

常ならば明るく挨拶をしてくるはずのセリスが静かなことに、怪訝な顔を見せるプーシ卿に事情を説明する。

「成程。それは確かに勿体のうございますな」

「あぅ」

胸に杭でも突き立てられたかのように動揺するセリスだが、プーシ卿はそんなセリスに優しげな笑みを浮かべる。

「知っておられますかな。落ち葉を燃やして残った灰は、畑に撒かれるのです」

「畑?」

興味を引かれたのか顔を上げたセリスに、プーシ卿が頷く。

「えぇ。灰の中には多くの栄養が含まれております。それを畑に撒けば、作物が大きく育つ助けになるのです」

髭を撫でながら、セリスの目を見つめる。

「食物を無駄にしたことに心を痛められる、その優しさは実に善きことであると爺めは思います。しかしながら、その失敗の産物に用途が無いわけではありません。今は気を落とさず、次に生かすための教訓となさいませ」

「プーシ、慰めにしては回りくどすぎないか?」

「なにせ爺ですからな。話が長いのも、遠回りなのも、愛敬でございますれば」

恭しく頭を下げるプーシ卿に、アールマンは眉間に指を当てて、唸るような声にならない声を出した。部下や同僚からは『長老』と呼び慕われているこの老人は、若手の身からすれば煙を相手にしているような気分になってくる。

その場でプーシ卿、セリス、ユウリとは別れ、アールマンは城の裏門から練兵場へと向かった。下まで降りてきたついでに様子を見ておこうと思ったのだ。

山を縦に切り崩したような一本道を進み、陣形の訓練も出来る広い練兵場に入ると、入り口に立っていた兵士が慌てて敬礼した。

「こ、これは陛下!」

「いきなりですまないな。入るぞ」

「はい。供は必要でしょうか?」

「いや、必要ない」

練兵場に立ち入ると、多くの兵士たちが広場の中央を囲むように輪を作り、熱心に声を投げ掛けていた。妙な熱気を醸し出している輪に近付くと、アールマンに気付いた数人の兵士が敬礼の姿勢を取る。

「何の騒ぎだ?」

アールマンの問いに、年嵩の兵士が答える。

「はい、将軍が兵を相手に鍛練なさっておられるのです」

「かれこれ百人と剣を交えているはずなのですが、剣先が鈍ることもなく、流石の一言です!」

熱の籠った兵士の言葉に、アールマンは頷いて今言葉を発した二人を指差して命令する。

「そうか。……そうだ、お前たちリィンと戦ってこい」

「は……?」

「すぐ負けたりするなよ?出来るだけ粘れ。それと──お前」

唐突な命令に呆気にとられる二人を尻目に、アールマンは更に一人の兵士を指差す。

「服を貸してくれ。ああ、兜もな」


「おおぉぉ!」

気迫に満ちた兵士が振り下ろした木剣を受け流し、リィンは回転を加えつつ木剣を下手から掬い上げるように振り上げ、相手の兵士が持っていた木剣を弾き飛ばす。武器を失った兵士は両手を上げて降参の意を示した。

「次!」

言葉少なく対戦相手を呼ぶリィンに、決着に沸いた一団が一瞬静まり返り、すぐに後ろの方から二人、手を挙げながら歩み出てきた。その顔触れを見てリィンは頷き、二人とも出てくるように言う。

「二人で掛かってきなさい。連携を取れれば私から一本取れるでしょう」

言われた二人は顔を見合わせ、ほぼ同時に頷くと仲間から渡された木剣を構えた。

「せやぁ!」

年長の兵士が声を上げて突進し、すぐ後ろから若い兵士が追従する。先行した兵士が木剣を振り上げてリィンに迫ると、リィンは剣先を下げて僅かに体を動かし、肉薄する木剣をいなす。大きく踏み込み、力強く振り下ろされた木剣は地面を叩き、入れ替わるように持ち上げられたリィンの木剣に、年長の兵士は胸を打たれてもんどりを打った。

「はぁ!」

その背中から飛び出してきた若い兵士の突きも半身を逸らして躱し、手元に戻した木剣で兜の側面を打つ。

「うっ」

姿勢を低くし、怯んだ兵士の足を払って転ばし、立ち上がってその喉元に切っ先を突き付ける。寸止めされた木剣を見て、若い兵士は降参しようか迷うように視線をさ迷わせた。

「うおぉぉ!」

勇ましい掛け声と共に、年長の兵士がリィンに体当たりを敢行し、木剣が若い兵士の首元から離れる。その隙に立ち上がり、不意打ちを回避し反撃に転じようとしたリィンに木剣を叩きつけた。

「遅い!」

木剣が迫るより速く、リィンは若い兵士の脇へと滑り込み、胴へと思い切り木剣を打ち込んだ。

「かっは、」

木剣を取り落とし、崩れ落ちる兵士には目もくれず、横凪ぎに振り抜かれた年長の兵士の一撃を腰を落として回避し、背を起こす勢いを利用して兵士の脇腹に膝蹴りを放った。木剣を手放し、衝撃で動きの止まった兵士の腕を掴んで足を払い、円を描くように投げ飛ばした。

「ふぅ……」

リィンがゆっくり息を吐くと、固唾を呑んで見守っていた観衆から歓声が上がった。

「あた、痛たた」

「う、ぬ……」

打ち据えられた患部を撫でながら兵士二人が立ち上がり、リィンに礼をする。

「あ、ありがとうございました」

「やはり、敵いませんな」

足取り重く兵たちの輪へ戻っていく二人を見送り、リィンが息を整えていると、彼らと入れ替わるように一人の兵士が出てきた。兜を目深に被っており、前が見えているのか疑問に思える。こんな兵いたかな、とリィンが記憶を探っていると、兵士は落ちている木剣を拾って一礼した。

まあいいか、とリィンも木剣を拾って仕合に集中する。

しかし集中しながらも、眼前の兵士の立ち姿になにやら奇妙な違和感が胸中に湧いて出る。しかし、どうにもその正体が掴めない。油断大敵か、とリィンは警戒を強め、今までのように後手ではなく先手に出た。

「いきます」

地を滑るような素早さで己の間合いまで一気に詰め寄り、下段から木剣を打ち上げる。脇を狙ったその一撃は身を引いて躱されるが、そのくらいは予測していたリィンはすかさず追い打ちに掛かる。振り上げた木剣を横薙ぎに払うと木剣で防がれ、ならばと刃を滑らせるように柄を叩いた。だがそれも木剣を引いて衝撃を殺され、逆に木剣を下方に流されてその勢いのまま回転混じりに胴を狙われる。

「くっ」

後ろに飛び下がって直撃は免れたが、一瞬でも押された事実に、リィンは「もしや」と危惧を抱く。そんなことが可能な人物は軍の中でも限られている。眼前の人物はその誰でもない。

「……兜を脱ぎなさい」

そう命令するが、兵士は聞く耳持たずという具合に木剣を構えた。それを見て、リィンは目の前の兵士を密偵、ないしは暗殺者と断じた。全体は兜や服で覆われており、外見的な特徴では判別出来ないが、人間族に近い人型である辺り、獣人族か耳長族か。もしかすると妖精族の一種かもしれない。今は木剣を使っているが、暗器を忍ばせている可能性は高い。

思考するリィンに、それを機と見たのか暗殺者が距離を詰める。胸元めがけて放たれた突きは空を切り、暗殺者の側面に回り込んだリィンが容赦なく木剣を振るう。後頭部を狙ったそれもまた、地面を転がって躱された。起き上がると同時に跳ね上がるように飛び退き、リィンの打ち下ろした木剣を避ける。逃がすまいとリィンが地面を叩いた反動で跳ねた木剣を、そのまま逆袈裟に転じさせる。その追撃に暗殺者は回避しきれず、剣先が兜を引っ掛け、勢いよく弾き飛ばした。

「はぁ………………は?」

硬直。

更に追撃を加えようと突きの構えのまま、リィンは間の抜けたような声を出した。

「……陛下?」

兜の下から現れた素顔。それは紛れもなく、リィンの主であるアールマンだった。観客になりきっていた兵士たちも、突然の国主の出現に驚き固まっている。

そんな周囲に対し、アールマンは正体が露見した瞬間に戦意を収めており、服に付いた砂ぼこりを払いながらリィンに話しかけた。

「やれやれ、この当たりが限度か。やっぱりリィンは強いな」

「いや、あの、……な、何をしておられるんですかっ!」

衝撃から立ち直るや否や、リィンは赤と白が複雑に混ざりあったような顔色でアールマンに詰め寄った。

リィンは途中から、アールマンを完全に敵と見なして戦っていたのだ。生け捕りにするつもりでいたとはいえ、骨の二、三本は折れていてもおかしくはない。護るべき存在に、木製とはいえ剣を向けていたことに動揺するのも無理からぬことである。

「なにって、稽古に決まってるだろう。最近は机に向かってばかりで、体が鈍りそうでな。様子を見に来ただけだったが、丁度いいと思ったんだ」

「け、稽古って……。言ってくだされば、いつでもお付き合い致しましたのに」

「それだとリィンは手を抜くだろう。鈍った体を叩き直すには、紙一重の実戦が一番手っ取り早い」

エンピスの老将が聞けば大きく相づちを打つだろう持論を放り投げ、アールマンは軍服を貸してもらった兵士を呼んで服を返してもらった。申し訳なさそうな兵士の横顔を眺めつつ、痛くなりそうな頭を押さえてリィンは溜め息をついた。

「だからって……。ああ、どうして私も気づかなかったのか」

リィンとアールマンは同じ師から剣の手解きを受けた、いわば兄弟弟子である。同門の剣技くらい、すぐ判りそうなものだろうに。

「それにしても、百人を相手取った後だと聞いていたんだが、善戦するのがやっとか」

後悔しているリィンに、アールマンが着替えつつ言う。仮にも女性の前だというのに、堂々としたものである。

「……ええ、まあ、陛下の軍勢を預かる身ですから。陛下に負けてしまっては立つ瀬がありません」

極力見ないよう目を瞑りながら、首を振るリィンに苦笑する。

「それもそうか。──もういいぞ」

着替え終わり、律儀な部下に声をかけてやる。目を開けたリィンは、怒るにも怒りきれず、溜め息を吐いて真意を訊ねた。

「そもそも、どうして稽古をしようと?体が鈍りそうと言う理由だけで、こんな荒療治を行った訳ではないですよね」

「様子を見に来たらリィンが仕合をしていたから、思い付きかな。あと、あれだ。収穫祭に備えて」

思い付き、と聞いて青筋を立てたリィンに弁解するように、慌てて付け足す。

「今回はユウリやセリスも付いてくるだろう?視察という名目上、兵を多く連れていくわけにはいかないが、警護は密にしなければならない」

「……自分の身は自分で守る、ということですか?」

「そんなことを言ったら、リィンたちの仕事が無くなるだろう。いざというときの為の備えだ」

そんなことを言うが、アールマンには前科がある。間違ったことは言っていないが、リィンにしてみれば口八丁なだけという疑念が尽きない。だが、兵士たちの前で深く問い詰めるわけにもいかず、リィンは嘆息して一歩退いた。

「わかりました。今回は陛下の不安を招いた、自身の力不足を恥じることとします。ですが、今後はご自分の立場を考えて行動してください」

言葉尻を強くして目に力を込めるリィンに、アールマンは直視出来ず目を逸らして頷いた。

このやりとりで機嫌を悪くしたらしいリィンは、成り行きを見守っていた兵士たちを睨み付ける。

「お前たち、鍛練中だというのにいつまでぼんやりとしているつもりですか。夕食の鐘が鳴るまで城の外周を走りなさい。遅れた者には罰として、厩舎の掃除を申し付けます。全て終わるまで食事を取ることは許しません」

あからさまな八つ当たりに兵士たちは悲鳴をあげ、誰もが救済を求めてアールマンを見た。だがアールマンも機嫌の悪いリィンは怖い。アールマンが首を横に振ると、兵士たちは我先にと駆け出した。イーヴィス軍に騎馬は多くないが、それでも厩舎全体を掃除するとなると、下手をすれば一日では終わらない可能性もある。その間、食事抜きとなると体が持たない。

恐慌を起こしたように走り出した兵士たちを見送り、その後を追ってリィンも歩き出した。その途中で、振り向き様に一言。

「後程、きっちりとお話を伺いに参りますので。では、失礼します」

助かったとばかりに安堵していたアールマンに釘を刺し、リィンは一礼して駆け出した。残されたアールマンは後のことを思い、先程のセリスのように項垂れつつ城に戻っていった。

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