番外編 ~将の黄昏(前)~
中央都市コルビンを北進し、穏やかな風の吹くエルデ平原を横切り、戦争の後始末も終わって更地となったカンド砦跡地を越え、更に北へと数台の馬車と兵馬が駆けていく。
「もうじきエンピス領に入る!皆これからの挙動には特に気を付けるように!」
計二百名程の集団の中、馬車から顔を出して声を張り上げるリィンに各々から「応!」と返事が飛んで来る。目立った武装こそしていないが、ここにいる誰もが先の戦の最前線を生き抜いた猛者である。
リィンの発言通り、この先のアストフ砦を越えてしまえば、すぐ目と鼻の先はエンピス王国だ。道中の混乱を防ぐため、武具の類いは先んじて目的地に送っておき、彼らは半ば隠密行動を取るように進んでいた。
彼らの目的地は〝祖の国〟エンピス王国の中心部──王都サンバルクである。
──時を三日ほど遡る。
執務室にて職務に勤しんでいたリィンの元に、なんの前触れもなくアールマンが訪れたのだ。部下であるリィンの方から訪ねることはあっても、国主が直に足を運ぶことはひどく稀なことである。
「エンピスから書状が届いた」
挨拶もなく、そう言って渡された書状には、急な連絡に対する謝辞の後すぐに本題が記されていた。目を通したリィンの眉間に皺が寄る。
「これは……援軍の要請ですか」
「ああ」
書状には、現状に不服を唱える権力者集団が軍の一部を抱き込んで反乱を起こし、残存する兵力では即時対応が困難な事と、出来うる限り迅速な援軍を求める旨が書かれていた。
改革の最中である国にありがちな話ではあるが、少々腑に落ちない点がある。
「何故、対応が困難になるほどの兵が離反したのでしょう」
エンピスの軍勢は先の戦以降、半壊状態にあり、建て直している最中だという話は聞いている。しかし、いくら反乱軍に兵が流れたのだとしても、正規の軍勢がその対応に苦慮せざるを得ないほど肥大化するとは思えない。文面では〝一部〟と濁しているが、実際には相当数の兵が反乱軍に加わったと見るべきだろう。
どうしてこうなるまで対策も練らず放置していたのかと、指先で眉間をほぐすリィンにアールマンが答えた。
「頭では分かっていても、心では納得し難いこともあるということだ。書状に詳しい事情が記されていないのは、向こうなりの配慮というやつだろう」
どういうことかとリィンが視線で問うと、アールマンは何も言わずに壁に立て掛けてあるリィンの愛剣に目を向けた。
ああ、とリィンも悟った。
──考えるまでもないことだった。
人間と魔族は長い間、互いを敵として睨みあってきたのだ。長く前線に立たされてきた兵士ほど、その敵意は根強い。大きな戦いがあったすぐ後にいきなり、『これからは仲良くしましょう』と言われたところで、頷けるわけがない。
これはイーヴィスにも言えることだが、先の戦で家族や友人、恋人を失った者は少なくない。
そういった敵対心や憎悪に点された火は、容易く周囲を巻き込み勢いを増す。先の戦で多くの上位武官をも失ったエンピスでは、その炎を抑えきることが出来なかったのだ。おそらくその隙を突かれたのだろう。
リィンもそういった人の念を忘れていた訳ではないが、最も身近にいる人間族であるセリスがあまりにも敵意に乏しく、毒気を抜かれていたこともあり、つい最近まで敵対していたという意識が薄れていた。
これは決して他人事ではない。
「急ぎ部隊を編成します。代表者は誰にいたしましょうか」
「それに関しては別書で指名があった。リィン、お前に来てもらいたいそうだ」
「私、ですか?」
「ああ。例の頑固爺直々の御指名だそうだ。気に入られたんじゃないか?」
熊を彷彿させる怪力と巨漢を有した宿将の顔を思い出し、リィンは「冗談でしょう」と小さく頬をひきつらせた。あの翁とは出来るだけ相対したくない。
「編成は任せる。準備が出来次第向かってくれ」
「了解しました」
アールマンが退室すると同時に、リィンはすぐに動き出した。
練兵場にいるはずの副官の元へ向かいつつ、正規軍に留まっている兵士の敵意を刺激しない為、比較的人間に近い容姿の者を集めようと、頭の中で人員を整理する。
道中の混乱も考え、少数精鋭にするべきだろう。馬を用意するべきか。否。これからの時期、馬は貴重な労働力だ。エンピスまでの距離を考えると必要ではあるが、数は用意出来ない。使うなら周囲の警戒用に数頭、残りは馬車運ぶべきだろう。装備はどうするか。糧食は。経路は。
様々なことを思考のみで処理しながら、リィンは練兵場に足を踏み入れた。
多くの兵が木に鉛を詰めて重量をかさ増しした得物を手に鍛練に勤しむ中、その合間を見回っていた少女を視界に捕らえる。
「ラビ!」
名を呼ばれた少女は大きな耳をピクリと動かし、リィンの姿を認めると文字通り跳んで来た。
「お呼びですか、隊長殿!」
小柄な体躯に似合わぬ跳躍力を発揮し、間にいた兵たちを飛び越えてきた少女は軽やかに着地すると、右手をビシッと挙げて赤みを帯びた瞳でリィンを見つめた。
ラビと呼ばれたこの少女の名はラビ・コニー。白い髪に白い肌、白い衣装と瞳以外の全てが白で統一された少女であるが、先の脚力と頭上に生えた獣のような耳を見ればわかるように、彼女は獣人族の血を色濃く受け継いでいる。獣人族は獣の特徴を有しているが、それを除けば容姿は人間族に近い。
「仕事です。エンピスから援軍の要請がありました。準備出来次第出立します」
「えー、エンピスですかぁ?」
先程の元気のよさは何処へ仕舞い込んだのか、ラビはやる気なさげに耳を下げて爪先で地面を蹴った。
「まあ、仕事だからいいですけど。相手は何処です?ルーフェですか、それともイスカですか?一回りしてアロットですか?」
「他国に攻められた訳ではありませんよ。エンピス軍の一部が離反し、反乱軍に加わったそうです」
「つまり内輪揉めじゃないですかぁ。仕方のない連中ですね」
馬鹿みたい、と毒を吐くラビを、リィンがたしなめる。
「ラビ、いい加減慎みなさい。因縁のある相手ですが、今は同盟国。味方ですよ」
「知ってますよー。でもそれを理解していないのは向こうの方じゃないですか。兵の離反なんて、それを率いる将がしっかりしていないから起こるんですよ。その点、我が隊長殿は将の鏡のようなお方です」
最後は得意気に鼻を鳴らして、ラビは胸を張った。この少女はどうも、身内に甘くそれ以外に厳しい。
「あまり見くびらないことです。先の戦で貴女も見たでしょう。ドーガ将軍はあの劣勢の中、最前線で剣を振るいつつも落ちた士気を盛り上げた勇将です」
「それはわかってますが、結局兵の心が離れるのを止められなかったのなら、やはり駄目駄目ですよ。さっさと引退した方がいいんじゃないですか?」
「とにかく、出兵は決定事項です。兵の選別と武具の手配を頼みますよ。出来るだけ人間族に近い容姿の者を選んでください」
「りょーかいです。とは言っても、こっちから出せる兵も多くはないですよ?なにしろ時期が悪いです。国難の危機ならまだしも、他国の事情に実家に戻って収穫に備えてるやつにまで駆り出すわけにはいきませんし。そんなことしたら文官連中との全面戦争ですよ」
季節は秋。ここで徴兵し、収穫を逃せばイーヴィスの経済に深刻な打撃を与えかねない。ただでさえ危ない橋を渡っている状況なのだ。もしそうなったとすると、今度はこの国で反乱騒ぎが起きかねない。対岸の火事の火の粉を被るような真似は避けたい。
「少数でかまいません。あちらを刺激することになりかねませんから。貴女の眼鏡に叶う者を集めなさい」
「了解ですよー」
口調とは違ってきっちりとした敬礼をするラビを残し、リィンは練兵場を後にする。
口と性格に多少難があろうとも、実際に訓練を担当しているラビの目は信用出来る。残りの手配を済ませる為に城内へと戻っていった。
──時は戻り、現在。
エンピスに入国し、待ち合わせていた案内役に従って北進すること丸一日。道中目立った変事もなく、無事に王都サンバルクに到着した。
サンバルクは王城を取り囲むように市街が広がり、その更に外周をぐるりと一周する防壁で覆われている。蜘蛛の巣のように入り組んだ路地や通りは、市街戦を想定したものであると言われており、年に一度は軍による実地訓練が行われている。
案内役に先導されながら市街を抜け、城の外門をくぐったところで、ようやくリィンたちは馬車から降りることが出来た。
「うー、腰が硬くなっちゃいましたよ」
ラビが顔をしかめながら、腰を伸ばしたり回したりしている。 普段は馬や馬車に頼ることなく、自らの足で移動するラビにとって、長時間同じ態勢を強いられることは苦行といえる。しかしここに到るまで、この移動手段に対する愚痴を溢さなかった辺り、やはり彼女も軍人である。
部下たちがそれぞれ体をほぐしているなか、リィンは一人王城を見上げていた。
四角形の城壁の四隅に塔をくっつけたようなイーヴィス王城とは違い、この城は上部に三つの円錐が連なり、中層部からは広い露台が突き出ている。下からでは窺い知ることはできないが、あの露台には観葉植物を植えてあり、中庭のような憩いの場としての役割を担っているのだという。
見上げるだけで全容を計り知ることは出来ないが、それでもリィンは観察を続けた。
あの辺りは脆そうだとか、あの塀は雲梯を使えば簡単に登れそうだとか、職業病とでも言うべき思考を重ねていると、城門が開いて中から見覚えのある巨漢が姿を現した。
「ふん。来たか」
リィンの姿を認めるなり鼻息を飛ばした老将──ディアン・ドーガは、リィンの後ろに控える兵をざっと見渡して一言溢す。
「少ないな」
「……こいつボケてるのか季節と状況考えろ糞爺」
「急を要すると判断したので、すぐに動ける者のみを連れてきました」
小さく毒を吐くラビの声を隠すように、リィンが心無し大きな声を出す。その対応にディアンは「ふむ?」と片眉を上げたが、気に止めることでもないと思い直してリィンを指差した。
「貴様だけついてこい。他の連中は儂の部下の案内に従え」
「ということです。ラビ、くれぐれも、イーヴィスの誇りに傷を付けるような行いのないように」
「はっ」
念のために副官に釘をさし、先に歩き出したディアンの後を追う。──大丈夫、ラビは出来る子だ。信じよう。
「怪我は癒えたようですね」
「貴様等の治療が功を奏したらしいな。貴様に焼かれた傷も綺麗さっぱり消え去ったわ。──陛下との謁見の後、軍議を開く。その心積もりでおれ」
「分かりました」
そのやり取りの後は会話らしい会話もなく、しばらく歩を進めると謁見の間に到着した。
「イーヴィスの将軍を連れてきた。開けろ」
「はっ」
ディアンが待機していた兵士に命じる。兵士が扉を押し開くと、迷いなくディアンは謁見の間に足を踏み入れた。すぐにリィンもあとに続く。
イーヴィス王城の謁見の間は正方形に近いが、エンピス王城のそれは細長い長方形のような構造になっている。これには理由があり、エンピスは人口、国土共にイーヴィスを大きく上回っており、それに伴って地方は勿論、城勤めの官吏もイーヴィスの倍以上にもなる。それゆえ、式典や使者の来訪といった場において、出席者の顔が一人一人よく見えるようにするため、入口から玉座までの距離を長くしてあるのだ。
参列している官僚たちの視線に晒されながら、リィンは玉座の前で膝を折って礼をとる。顔を上げると、リィンの主の友人を自称する男がにっこりと笑みを浮かべていた。
「よく来てくれた。時期が時期だし、望みは薄いかと思っていたんだがね」
「エンピスの危機はイーヴィスの危機でございます。我々が駆け付けるのは当然です」
「ああ、礼を言うよ。迅速な対応に感謝を」
にこやかに頭を下げる姿に、リィンはとても微かなものだが不快感を抱いた。
リィンの主も必要とあれば頭を下げる。だが、このように笑いながら礼を言うようなことはしない。ブランの仕草には威厳というものが感じられない。これが自分の主ならば泰然と構えているだろうに。
無論、そのような内心はおくびにも出さない。今のリィンの仕事は、エンピスの魔族への印象を和らげることだ。今後の為にも、リィンが不興を買うことはしてはならない。
「状況等の詳しいことはディアンから聞いてもらいたい。武運長久を祈るよ」
「お言葉、有り難く頂戴します」
「先に言っておくが、今回貴様らに仕事はない」
城の東側にある広場に出ると、先を歩いていたディアンが突然、そんなことを言ってきた。
「どういうことです。要請を出したのは其方でしょう?」
「詳しくは後で話すがな、この戦、既に我が方の勝利は決まっておる。貴様らは保険だ」
「……戦の勝敗は戦う前に決まっている、とはよく言いますが、さすがに早計でしょう。貴殿等の対応出来る範疇を越えたから、我々を呼んだのでは?」
まさかとは思うが、虚偽の報告をしたのだろうか。
「嘘はついておらん。賊軍へ身を寄せた兵は全体の約半数。しかも支城を占拠し、籠っておる」
一般的に、攻城戦には守る側の三倍は兵が必要と言われている。ほぼ同数でありながら、地の利のある相手に勝てると断ずる根拠は何なのだろうか。
「……正攻法で戦う気はない、ということですか。以前、数に任せて真正面から体当たりしてきた方の仰ることとは思えませんね」
「あれはカルマ様の指示だ。王の方針が正面からの粉砕であるからには、儂らもそれに倣わねばならん」
その意見にはリィンも賛成せざるを得ない。将は王の剣であらねばならない。主が望むのであれば、リィンたちはそれを叶えるために知恵を絞るのだ。
だが同時に、将は王の盾にならなくてはならない。出来ないことは出来ないと、無謀は無謀と、そう忠言出来なければ、その主従に未来はない。
「貴殿はカルマ王の〝盾〟だったのではないのですか」
リィンの言葉の意味を正しく読み取り、ディアンは首を振って答える。
「その役は〝剣〟が担っておる。だから先の戦では、陛下は小言を避ける為、あやつではなく儂を同行させたのだろうよ」
ディアンはそう推察しているが、実は違う。
カルマが〝剣〟の将軍を遠ざけたのは、実子であるブランと〝剣〟が良からぬ事を企んでいるのではないかと、薄々ながら疑っていたからだ。事実、〝剣〟の将軍はブランとアールマンの関係を知っていて、主であるカルマではなくブランに付いた。
「〝剣〟が、ですか。貴殿方は役割と称号が噛み合っていませんね」
「貴様に言われずとも分かっておる。これは〝剣〟が代替わりした時に、カルマ様が戯れに付け替えたのだ。『ずっと同じというのも面白くない』とな」
「それは……意外ですね」
つい、思わず口に出た言葉に、ディアンが顔を歪める。
「ふっ、あの方はわかりづらい人だったからな」
その声色を聞いて、歪んだように見えた相貌は、笑っているのだとリィンは知った。
「市井では暴君だなどと怖れられていたが、カルマ様はあの方なりにこの国を憂いておられたのだ」
リィンはカルマに会ったことは無い。だが、噂に聞く彼の人となりは『戯れ』や『憂い』とは程遠い、暴虐無比な振る舞いを好む悪魔のような人物だった。
「カルマ様も、最初からああだったわけではない。先々代の王──カルマ様の父君が崩御し、王位を受け継いだ頃は内政にも積極的だったのだ。しかし、いつからであったか、どのような政策を打っても思うようにならず荒廃し続ける土地土地を前に、カルマ様は諦めてしまった」
「エンピスの不作は、カルマ王が内政に興味を示さなかったからではなかったのですか?」
驚き混じりにリィンが問うと、ディアンは頷いて溜め息をついた。
「むしろ積極的であったよ。だが徐々に痩せていく国土にその積極さを失ってしまわれていったのだ。原因を探りつつも手を加え続けていたから、最初の頃は表立って騒がれるようなこともなかったが、カルマ様がその方面に見切りをつけたことで、まだ実りの残っていた土地からも飢饉の声が上がり始めたのだ」
当時、カルマはこう考えていたのだという。
『自国のみで解決できないのなら、他国の平和な土地で実りを得ればよい』と。
「最初にイーヴィスに目をつけたのは、因縁など関係なく、実りが多く攻めやすい土地であることが要因であった。イーヴィスを治めることが出来れば、魔術を扱える者も手に入る。そうすれば、他国へも積極的に攻め入ることが出来るようになる」
「実りを求めて他国を攻めるのは分かりますが、それ以上を求めていたのですか、カルマ王は」
「うむ。カルマ様は、大陸を統一しようと夢想しておられた」
「────」
会話の流れから薄々予想していたが、いざ言葉にされると言葉を失った。
大陸統一。〝勇者〟という例外がなければ、逆に攻めとられてもおかしくはない、特筆すべき力を持たない人間が見るには大きすぎる夢だ。否、力を持つ種族にしてみても、そんな大望は抱かない。他国を疎みつつも、ぬるま湯のように穏やかな現状に慣れきった者は、そんな争乱を望みはしない。
「正気ではない。だからこそ、あの方はこの国の王であり続けられたのだ」
いくら手を尽くしても、エンピスという国は死に向かっていく。その現実を知ったからこそ、カルマは劇薬を選ぶことが出来た。邪魔な者は問答無用に排除する彼の苛烈さは、後に引けない背水の決意が起因していたのだ。
「……雑談が過ぎたな。着いたぞ」
ディアンが足を止めたのは、兵舎の建ち並ぶ一画にある、一際大きな石壁造りの建物だった。どうやら、ここが軍議を執り行う場であるらしい。
中に入ると、一階部分は階段以外に区切りとなる壁の無い一部屋構造になっていて、建物の三分の一ほどはある巨大な円卓が中央にあり、十や二十では効かなさそうな数の椅子が配置されていた。この大きさだと、端から対角線上の人物の顔が把握出来るのかも疑わしい。
「ここが満員になったのは、先の戦の一度だけだ。あれほど大規模な戦など、それまで無かったからな」
「……この大きさに、一度でも席が埋まったということが異常でしょう」
「好きな所に座っておれ。もうじき残りが来る」
手近な椅子に座って腕を組み、目を閉じたディアンにそう言われ、少し迷ってリィンは彼から三つほど離れた場所を選んで腰掛けた。
………………。
………………………………。
………………………………………………。 静寂。
生者が二人いるというのに、まるで無人のような静けさが立ち込めている。
待機することに苦は無いリィンではあるが、同席している人物が人物だけに、無言でいることに妙な圧迫感を覚えていた。だから、というわけではないが、一つ気になっている疑問を口に出す。
「二階には何があるのでしょうか」
「給仕に必要なものを置いてある。長丁場になる場合もあるからな。今回は手配しておらんから、茶が飲みたいなら手前で勝手にやるがいい」
「……それでは」
自身への扱いにぞんざいなものを感じながらも、リィンは立ち入りの許可が降りた二階へと向かった。
簡素を突き詰めたような一階部分とはうって変わって、二階には充実した器材が揃っていた。
予想以上の設備に意表を突かれつつも、リィンは常備してある茶葉を確認し、水瓶から水を汲んで薬缶に入れて鉄製の混炉に置く。発火石を用いて火を点して沸騰させると、それを湯沸かしに注いで容器を温める。温まったら湯を別の水瓶に捨て、改めて茶葉を入れて湯を注ぎ、近くに置いておいた砂時計をひっくり返した。砂が落ちるまでの間に茶器を用意し、これにも湯を入れて暖めておく。
砂時計が役割を終えるのを見計らって茶器の湯を捨て、紅茶の入った湯沸かしと一緒に盆に乗せて階下に降りていった。自分の席へと戻り、二つの茶器に紅茶を注いで、片方をディアンの前に置いた。
「……む」
「どうぞ」
「毒ではあるまいな」
「あり得ませんね」
疑うような台詞を口にしつつも、出されたものを無下にするわけにもいかず、ディアンは茶器を持ち上げて匂いを嗅ぎ、眉間に皺を寄せつつ液体を口に含んだ。
その一連の所作を横目で眺めつつ、リィンも自身の茶の出来映えを味わう。……まずまずといったところか。
「……貴様に訊きたいことがある」
ふいに、茶器を空にしたディアンが言葉を発した。
「何故、ここにいる」
「貴殿方が呼び出したからでしょう」
何を今さら、とリィンが返答すると、ディアンは「そうではない」と首を振った。
「今の世には、男よりも屈強な女など山ほどおる。そういった連中が日常生活に不便を感じ、戦場に居場所を求めることも少なくはない。故に儂も、戦場に女は不要とは思わぬ。──だが、貴様は違うだろう」
「……何を仰りたいのです」
「この茶ではっきりと分かった。貴様には戦場以外にも道はあったはずだ。であるにも関わらず、何故に将となる道を選んだ」
それはイーヴィスでは既に途絶えた問いかけだ。数えることすら馬鹿馬鹿しくなるほど繰り返されてきた質問に、リィンは常にこう答えてきた。
「陛下を御守りするためです。私は陛下の為に身命を睹する覚悟でいます」
「王のためと、そう申すか」
「ええ」
「…………」
黙りこんでしまったディアンに、リィンが不審そうな目を向けていると、扉が開いて誰かが入ってきた。
「いや、遅れて申し訳ありません。連絡役の者から報告を受けていたものでして」
入ってきた男はぺこぺこと頭を下げつつ、丸めた地図を机に広げていく。この者が後から来ると言っていた人物だろうか。
「えーと、そちらがツァンバ将軍ですね。私はシアン将軍の──あ、シアン将軍は知っておられますか?〝剣〟の名を冠する将軍なんですけど、私はその部下のハリーといいまして」
「自己紹介など名だけ告げればよかろう。さっさと説明に移れ」
ディアンが鋭い眼光を向けながらハリーに命令すると、ハリーは畏縮した様子もなく「おや?」と眉を上げてディアンを見た。
「ドーガ将軍は少々不機嫌な様子ですね。いけませんよ、イーヴィスの方と仲違いなどされては。今後に差し支えます。──ああ、すいません。説明に移らせて頂きます」
ディアンが手近な椅子に手をかけるのを見て平謝りし、ハリーは地図の一点を指差す。
「ここが敵の拠点となっている支城です。街道整備の為、廃棄予定だったのですが、ここ最近の騒ぎで延期している間に占拠されてしまった形です。ああ、一応聞きますけど、ドーガ将軍から状況の説明は……されてませんよね、話を続けます。反乱軍の中心人物はクワイという男で、先の粛清によって財産と家名を剥奪されています。しかし隠し財産があったようですね。クワイはそれを元に、彼と同様に粛清の憂き目を見た者達と結託し、『反イーヴィス、親ルーフェ』を掲げて蜂起。軍内部に内通者を送り込み、離反を促していました。その結果、反乱軍の規模は肥大化し、現在では我が方とほぼ同数の兵力を備えています」
「そのクワイという者達は、ルーフェとなにかしらの関係を持っていたのですか?」
「いいえ。ルーフェは隣国ではありますが、彼の国は閉鎖的な上に例の噂のこともあり、エンピスも直接的な交流はありませんでした。先の〝勇者〟だけが例外中の例外ですね。調べてみましたが、先の戦の後も含めて個人的にルーフェと繋がりを持つ者はいませんでした。前王時代でも目先の利益のみを求めて好き勝手にやっていた連中ですし、恐らく大した考えは無いのでしょう。南の反対は北だから、とかそういう理由ではないでしょうか」
例の噂とは、人間を拐っては実験体にしてしまうというものだ。実際に国境付近の森で行方不明になる者が多いため、まことしやかに囁かれている。
「そうですか。……民の動きはどうなのです?流石に隠し通せてはいないでしょう」
「今のところ、反乱軍に同調するような者はほとんどいません。陛下の演説や貴国の支援のお陰ですね。民意があちら側に流れてしまえば、政府打倒の大義名分が生まれてしまいますから助かりました」
「大義名分があろうが無かろうが、奴等は賊軍。そろそろ本題に入れ。シアンはうまくやっているのだろうな」
ハリーとリィンの質疑応答を一蹴し、ディアンが急かす。彼の態度に気を悪くした様子もなく、ハリーはリィンに目を伏せて謝意を見せ、ディアンの言う本題に移った。
「はい、先程届いた報告によれば、状況は予定通りに推移しています。ええと、ツァンバ将軍に今回の作戦の概要を説明します。我々は反乱軍の目を引く囮となり、現在敵陣に潜入しているシアン将軍率いる〝剣〟の部隊が内部からクワイらを捕縛する手筈になっています。シアン将軍はドーガ将軍と仲違いを起こしたとの名目で反乱軍に加わっているのですが……まあ、それも聞いてませんよね」
地図と一緒に持ってきた凸状の駒をいくつか支城の周囲に置き、ハリーが続ける。
「現在シアン将軍らの内部工作により支城内の士気は低く保たれており、中心となる人物を失えばすぐに瓦解するでしょう。我々は支城を囲むように布陣し、ドーガ将軍の部隊を潜入部隊が手引きしますので、開門し次第突入、支城を制圧してください。他の部隊が零れ出た残党を処理します」
質問は、と聞かれ、リィンが訊ねる。
「いくつかよろしいでしょうか。まず、シアン将軍が潜入しているということですが、流石に素性を隠すことは出来ないでしょう。警戒されているのではありませんか?」
「可能性くらいは頭にあるでしょうが、シアン将軍はクワイ派の再三の説得に応じ、反乱軍に加入したことになっています。こちらにはまだドーガ将軍がいますし、連中としても出来うる限りシアン将軍を手放したくはないはずです。派手に動かなければ問題はありません。現時点においても、裏切りを疑われているといった報告はありません」
「そうですか。次の質問ですが、開戦時の我々の役割はなんなのでしょうか?布陣位置は把握しましたが、その後については触れられていませんが」
突入はディアン、迎撃はハリーとエンピス陣営の役割は聞いたが、援軍として参じたリィンたちの仕事はまだ割り振られていない。その事に触れると、ハリーは眉尻を下げて頬をかいた。
「いや、そのことなのですが、あの……、まことに申し訳ないのですが……」
「言ったであろう。貴様らに仕事はない。正確には、援軍としてここへ来た時点で役目は終わっておる」
歯切れの悪いハリーに代わり、ディアンが告げる。訝しむリィンに、ハリーが咳払いをして補足する。
「正直に申し上げますと、我々は貴国を利用致しました。貴国に援軍要請を出し、貴国からの援軍が到着する──この状況を作り出し、反乱軍の警戒の目をより内部から逸らすことが目的だったのです」
「数が少なかったのは予想外だったがな」
「将軍、彼女らは我が国の世情を慮ってくれたのですよ。より人間族に近い容姿の者のみを選抜すれば数が減るのは当然でしょう」
「ふん、要らん気遣いだ」
そっぽを向くディアンに溜め息を吐き、ハリーはリィンに頭を下げる。
「まあ、そういう事情なのです。せめて貴国の兵に死傷者を出さないようにと、今回の作戦では後詰めとして待機していただくつもりでした。お怒りになられるかもしれませんが、どうかお許しください」
下げられた頭を眺めつつ、リィンはどうしたものかと瞑目する。待機していればいいと言われたものの、こちらは既に戦うつもりで来ているのだ。ただ戦場を眺めて帰るだけでは兵から不満の声が上がる可能性がある。利用されただけ、という構図もよろしくない。
「話はわかりました。ですが、援軍として参陣した以上、戦わずに帰国すれば兵の士気に関わります。なので──」
リィンは地図上に置かれた、自分の部隊に当たる駒を手に取り、砦の正面──ディアンの部隊の隣に置いた。
「──我々もドーガ将軍と同様、砦攻めに参加させていただきたい」
申し出がよほど予想外だったのか、ハリーは目に見えて狼狽した。
「い、いや、しかしですね、こちらの勝手で呼び出した上に、危険な場所に送り出すことなど……。せ、せめて私の部隊と」
「構わぬ」
「は、……は?」
「儂は構わぬと言った。好きにさせてやるがいい」
直属ではないものの、軍部最高位であるディアンが許可を出してしまい、ハリーは閉口せざるを得なくなった。
「もし〝剣〟がしくじった場合、正門前は最も死地に近くなる。それは分かっておろうな」
「私達は共闘をしに来たのです。死地に赴く覚悟など、国を出るより前に決めています」
「ならばよい。表に貴様の部下を待たせてある故、先に出るがいい。出陣の際に使いを向かわせる」
「それでは、失礼します」
会釈し、リィンが会議場から出ていく。
人魔の将軍二人の会話を黙って聞いていたハリーは、リィンが出ていくやいなやディアンに詰め寄った。
「正気ですかっ。いくらツァンバ将軍の申し出であっても、イーヴィスの援軍が本格的な参戦をすると聞けば、陛下がなんと仰るか」
「陛下には儂から許しを願っておく。そも、最初から言っていたであろう。儂はこの策に反対であると」
「……意趣返しのつもりですか」
苦虫を噛み潰したように顔を歪めるハリーを鼻で笑い、ディアンは冷めた紅茶を口に運ぶ。
「貴様は結局、己のことしか考えておらんのだ。他者の誇りを慮ることのない者に、先は見えぬ」
そう言って、ディアンは一気に紅茶を飲み干した。