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後日談 ~その後の話と王族の子作り秘話~

ブラン・エンピス。

カンド砦の戦いの後、十日も経たずに国王の座に着いた彼を、国民はこう評する。

──曰く、〝救世の王〟と。

暴君と恐れられていたカルマ・エンピスの実子でありながら、彼が没した後すぐに敵国であり交戦中であったイーヴィスへ赴き、全面降伏を申し出ると共に自国への支援物資の提供を持ち掛けた。

──そんな要求、通るわけがない。

誰もが一笑に付すだろうその提案を魔王アールマン・ハイトンに承諾させ、先王の暴虐によって疲弊していた国民へ慈悲の意思を示した。支援を受け取った民は、ある者はむせび泣き、ある者は一生の忠誠を誓ったという。

戴冠の式典の折、ブランはこう言った。

「私は父の犯した罪を償わなければならない。父の暴虐を止めきれず、地は荒れ果て田畑も枯れ、結果多くの民が国を見限り敵国であったイーヴィスに逃亡するに至った。幸いにも、イーヴィスの魔王は心の広い方であり、彼の国の支援を受けられることになった。私はこれから、国を離れた民がエンピスに戻ってこられるよう、この国を再建することに全力を注ぐつもりだ。時間は掛かるだろうが、どうか今しばらく猶予を貰いたい。必ずや、昔のような実り豊かな国にしてみせる」

この演説は瞬く間に城下に広まり、すぐに全国民の知るところとなった。

しかしこの時はまだ、国民や官吏の中にブランのことを『売国奴』と揶揄する者も多かった。先の演説は、言ってみればイーヴィスの属国となって施しを受けるといっているようにも取れる。そんなことを公衆の面前での言ってのけたブランは、長らく争ってきた魔族に媚びているように見えたのだろう。

しかし二国間調停の後に行われた、カルマ政権時代に横行していた官吏による不正の一斉摘発及び粛清を行ったことにより、特に地方を締め付けていた重税が緩和し、目に見えてブランを批判する民は減っていった。更にブランを中傷し敵対姿勢を取っていた官吏の大半も、この粛清騒動の最中に政治の舞台から姿を消すこととなった。

この時点で圧政から解放されたと国民からの評価はうなぎ登りとなり、ブランを賢王と呼び慕う声も増えていた。戦争に粛清と、一時は政が麻痺するのではないかと不安になるほどの人手不足に陥ったのだが、その評価もあってか仕官の希望者も増え、直に解消されることとなる。

こうして短期間で足場を固めることに成功したブランは今、エンピスの現状の報告と謝辞を述べるために、国を空けてイーヴィス本城へとやって来ていた。

「本当に上手くやるものだな。面の皮の厚さは父親譲りか?」

からかうように言うアールマンに、ブランは苦笑しながら頬を撫でる。

「否定したいところだが、そうなのかもしれないな。あまり喜ばしいことではないけれど」

形式のみの謁見を終え、人払いの済んだ中庭だからか、二人とも気楽に笑いあう。もし誰かが侍っていたならば、アールマンの言葉に冷や汗をかいていたことだろう。侮辱ととられてもおかしくない発言だった。

「しかし、本当に順調そうじゃないか。イーヴィスにまで民伝いにお前の評判が聞こえてきているぞ。預かっているエンピスの者も少しずつだが帰り始めているらしい」

「元々、エンピスは父上の独裁性が強かっただけで、全体的な政治能力はそれなりに高かったからね。あれでいて案外、父上は人を見る目があったんだよ」

しかし、息子であるブランや〝勇者〟に裏切られて命を落とす辺り、能力を見る目があっても心の内までを見透す目は持ち合わせていなかったらしいが。

「そのようだな。──そういえば、ファルンが誉めていたぞ?『仮に一年より以前に、彼らが一致団結して先王を放逐していたなら、今もイーヴィスとエンピスは敵同士であったでしょうな』だと」

「それは誉めていたというより、ただの事実を言っていただけなんじゃないかな」

「いや、あれは誉めていたな。奴が言いたいのは、一年あればイーヴィスとまともに渡り合える力を取り戻せていただろうということだ。それくらい有能だと認めているんだろうさ」

心なし上機嫌に報告していった鷲頭を思い浮かべ、アールマンが自信を持って言う。『そう思うのは君の負けず嫌いなんじゃないか?』と内心では思いつつ、ブランは仕方無しに相づちを打った。

「それじゃあ君の言うとおりなんだろうね。──それはそうと、君の方はどうなんだい?」

「ん?なんのことだ」

心当たりが見当たらず首をかしげるアールマンに、ブランは底意地の悪そうな笑みを浮かべて肘でつっつく。

「決まっているだろう。世継ぎ作りのことだ」

「お前、またそんな話か……」

「何を言うんだ。僕達の立場と年齢なら当たり前のように付いて回る問題じゃないか。しかもエンピスには僕の他にセリスがいるけど、イーヴィスには君の他に貴き血筋は残っていないんだろう?まさか分家筋に王位を明け渡すつもりじゃないだろうね」

呆れるアールマンに、呆れられることの方が心外だとブランが返す。以前の新聞騒動の時もそうだが、どうして自分の周囲は世継ぎ問題に敏感なのだろうかとアールマンは溜め息を吐いた。その溜め息で心情を悟ったブランは、言い聞かせるように言う。

「あのね、王族というのはただの支配者じゃないんだよ?その存在が内乱を収める抑止力なんだ。もし君が子を成さずに死んでしまったとしたら、イーヴィスには大きな混乱の渦が生まれてしまう」

「それは分かっているんだがな。どうにもそういう気にならないんだよ」

「…………まさか、君、不能なんじゃないだろうね」

「阿呆か」

深刻な問題に直面したかの如く真顔で訊いてくるブランに、アールマンは半目になってその頭を叩く。色々な意味で心臓に悪い場である。

「阿呆とは酷いな。友として心配してあげたのに」

「いらん。その気にならないだけでちゃんと機能する」

泰然と語るアールマンに、嘘は無さそうだと頭をさすりながらブランは頷く。

「ならいいんだけど。──でも、それはそれで問題じゃないか?同じ世代と思えないんだけど」

「単にそんな余裕が無いだけだ。お前もそうだろう」

「ああ、確かにそうだね。僕の場合はそもそも相手がいないからだけど」

「なに?お前とお近づきになりたい貴族連中から縁談くらいあるだろう」

意外な事実にアールマンが目を丸くする。対するブランは苦笑しながら首を振った。

「それがまったく無くてね。父上の件に前の粛清もあってか、どうやら僕は血縁とするには敷居が高いらしい」

「カルマの独裁を見過ごしていたことに対する遠慮か。それとも暴君の血を一族と交えるのに抵抗があるのか。どちらにせよ、主家に比べて可愛いくらいの素直さだな。普通の貴族なら、劇薬かもしれないと分かっていようと高価な果実には手をつけたくなるだろうに」

「そういうことを平然とやってのけるような連中は、粛清の時に軒並み居なくなっちゃったからね。新しく入ってきた人達からは英雄視されてるから、そっちからは高嶺の花扱いだよ。縁談を申し込むなど畏れ多いってね」

肩を竦めるブランに、先までとは違う意味で呆れたアールマンが空笑いを浮かべる。なんて国だ。

「まあ、いざとなればセリスを頼りにするからいいけどさ。あの子と君の間に出来た子供を養子に貰えばいいんだし。──甥っ子か。ふふ、いいね」

「待て。いろいろと、待て」

むしろそうなればいいと言うように、相好を崩して語るブランに待ったをかける。流石はあのセリスの兄とでも言うべきか、この男はたまに、アールマンにしてみれば仰天と言うしかないことを口にする。

「……どうしてそんな結論に至ったんだ?」

「だって、セリスは君を好いているし。君だって嫌ってはいないだろう?僕としても、友人と妹がそうなってくれるのは嬉しい限りだ」

だからと言って、いきなり子供がどうのと言い出すのはどうかと思う。仮にも妹のあれやこれやの話だ。気まずいだろう、普通。

「あ、そういえば君、竜人族の姫と同衾しているんだって?」

追い討ちを仕掛けるように、ブランは更なる爆弾を投下した。アールマンの頬が、ひくりと痙攣する。

「ならうちの妹とも寝食を共にすればいい。誰もが羨むとまでは言わないけど見目はいい。もしかすると、その気になるかもしれないよ?」

「………………」

開いた口が塞がらないとでも言えばいいのか。ブランのトンデモナイ発言に、アールマンは動かなくなってしまった。

「うん、自分で言っておいてなんだが、これはいいかもしれないな。こういうのは場さえ整ってしまえば、あとは勢いでどうにかなると言うし。セリスはいつもの部屋だよね」

言ってみてこれは名案だと思ったのか、ブランは硬直したアールマンに気付かず、城内への扉を目指して歩き始めた。

だがしかし、その歩みは正気に戻ったアールマンによって押し止められることとなった。

「いや待て、だから待て、とにかく待て」

「どうしたんだい、そんなに慌てて。ああ、もしかして拒否されたらどうしようとか」

「とりあえず、黙れ」

口を塞いで睨みをきかせ、ひとまず落ち着こうと深呼吸をする。そんなアールマンを物珍しげに見つめていた。

「へふはふぃいへ」

「だ・ま・れ」

なおも喋ろうとするブランに、凄みを利かせるように顔を近付ける。……アールマンにとっては不運なことに、その瞬間に限って二階を歩いていたメイドに目撃され、後日二人の関係を巡る不穏な噂が流れることとなる。

そんなことになるとは露知らず、アールマンはその体勢のままブランを脅しにかかる。

「あまり妙なことをすると、大事な妹を放り出すことになるぞ?」

「あはは、それは困るね」

脅しを冗談と取ったのか本気と取ったのかは分からないが、ブランは笑いながらアールマンの脇をぬけて両手を上げる。

「一応ではあるが、セリスは留学の名目でこっちに留まってるんだ。王族が留学先で問題を起こしたなんてことになれば、せっかく収めた戦争への気運が盛り返してしまうよ。それに、セリスにはまだこちらに居てもらわないと困る」

無論の事ではあるが、高官等一部を除く両国の官吏たちの中に、その名目を額面通りに受け取っている者はほとんどいない。条約の上に含まれてこそいないものの、『セリスは人質としてイーヴィスに留まっている』というのが共通認識となっている。二人があえて訂正しないので、誰も真実を語ることなくセリスのイーヴィス滞在は成立しているのだ。

それに、エンピスもまだ不安定であることに変わりはない。王族が二人いれば派閥が生まれ、王位につかなかった方を担ぎあげようとする者が現れないとも限らない。少なくとも今は、セリスには安全であり野心を持つ者がおいそれと手を出すことの出来ない場所にいてもらいたい。

「分かっているなら、本当に妙なことはするな。正直な話、お前たちに関しての扱いに、イーヴィスも一枚岩になりきれていないんだ」

「おや、それは……今してもいい話なのか?」

声を落としてブランが問う。人払いを済ましているとはいえ、流石に機密性の高い話ややり取りは後程、アールマンの私室にて行うことになっている。自国の不審を話すにしては、この場は開かれ過ぎている。

「構わんさ。ただの愚痴だ」

腕を組み、重く息を吐く。

「表面上は纏まっているが、水面下ではエンピスへの援助に疑問を投げ掛ける声も多い。『今のエンピスに賠償能力はない。まずは国政が破綻しないように支援し、国力が安定したら諸々の費用も含めて支払ってもらう』と事前に説明してあるから水面上にまでは出てこないが、それでも人間族を厚遇し過ぎだという意見は俺の所まで上がってきている」

普通、そのような意見や陳情は各部署の担当者に回され、処理されることになっている。だがまれに、彼らでは処理しきれなかった陳情が紛れてくることがある。届いた以上は無視も出来ず、アールマンが直々に書簡を書くこともあった。

「まったく、頭の痛い話だ。果樹を育てるようなものだというのに、待ちきれないから種を食べようというやつらが想定より多すぎる」

「まあ、エンピスでも『なにか裏があるんじゃないか』と勘繰る連中がいるほどだしね。でもその厚遇のお陰で、うちの国民からのイーヴィスへの心証は悪くないものになってきている。きっと、実りは悪くないと思うよ」

ついこの間まで敵同士だったことを考えると、敗戦国としては有り得ない評価だ。その点のみで言えば、アールマン達の策は順調と言っていい。

「そう願おう。──ああ、そうだ、思い出した。近々グランに出向くが、お前はどうする」

愚痴は終わりだ、とでもいうように話を切り替える。

「前にセリスから聞いたが、エンピスは竜人族とは交流すらないんだろう?望むのなら紹介するぞ」

エンピスとグランは敵対していた訳ではないが、間にイーヴィスを挟んでいた為に関わる機会がまったく無かった。イーヴィスとの関係を改めた以上、グランと交流を持つことも悪い話ではない。

「……うん、そうだね。お願いしようかな」

「分かった。じゃあ後で書簡を書いて──」

と、アールマンの言葉を遮るように鐘が鳴った。二人は空を見上げて太陽の位置を確認し、肩を竦めあった。

「あとは夜に、だな」

「うん。じゃあ、また後で」

迎えに来た従者に連れられて城に入っていくブランを見送り、アールマンも遅れて城内に戻っていった。


──そして夜。

夕食を終え、明日に備えて寝息をたて始めるものも出始めたイーヴィス本城、その最上層。

従者を部屋に残し、ブランは約束通りにアールマンの私室を訪ねていた。

「前に来たときから思っていたんだけど、どうして君の部屋はこんなに手狭なんだ。そこいらの官吏の私室より小さいんじゃないか?」

アールマンの執務室よりも明らかに狭く、物も少ない私室を見渡し、ブランが眉をひそめる。その反応にアールマンは鼻で笑って返した。

「基本的に、ここへは寝に来るだけだからな。机と書棚と寝台があれば事足りる」

「それはそうなんだろうけど、これじゃあ夢も威厳もないじゃないか」

「威厳が足りないのは認めざるをえないが、何故俺の部屋に夢が必要になる」

夢のある部屋とは何かと頭を捻るアールマンに、ブランが手に持った封筒をひらひらと揺らしながら答える。

「分かってないなぁ。王族の部屋と言えば庶民の浪漫じゃないか。嗚呼、いつかあんな部屋に住んでみたい。そう皆が思い労働に勤しむような部屋じゃないと、落胆されるよ?」

「そんなもの勝手な空想に浸らせておけ。現実なんてこんなものだ」

「僕に言わせれば、この部屋の方が空想の産物なんだけどね。世界中の権力者が驚くこと間違いなしだよ」

「ならこの部屋を絵に描いて売ればいい。許可は出すぞ?」

「冗談だろう。それを実行すれば、批難を受けるのは僕じゃないか。嘘をつくなー、魔王様を馬鹿にするなー、ってね」

「その時はこう言ってやれ。『現実を見ろ』」

「袋叩きにされるよ」

「ははははは」

笑い声をあげるアールマンにつられ、ブランも口元をほころばせる。もうしばらく雑談を続けていたいが、明日のことを考えると夜は短い。

「さて、と。これが例の資料だよ」

「ああ」

渡された封筒の口を開けて中身を取り出す。出てきた紙束には、人物名と日付、更に番号が振り分けられていて、同封されていたエンピスの地図にその番号が書き加えられていた。

これは、この十年ほどの間に行方不明になった人間族を記録した資料の写しである。

「随分と多いな」

「ここ数年は特に国内が荒れていて、離国する者も多かったからね。国境付近なんて特に」

「なるほど。ルーフェに目をつけられる訳だ。さぞかし仕事がやりやすかったことだろう」

「まったくもって恥ずかしい話だよ。君に言われるまで、この窮状に気がつきもしなかったなんてね」

二人が関係を隠しながらも話し合いの場を持っていた頃、勇者の話を聞いたアールマンがブランに訊ねたのだ。『ルーフェとの国境付近で行方不明になった者はいないか』と。

その時はこのような資料も作成されておらず、ブランは『分からない』と答えたのだが、アールマンの推測を聞いてこの現状に危機感を抱いた。

「情勢が混沌としていれば国を離れる民も多い。そんな国民の動きを国は把握しようともしていなかった。実験材料を拐っていくにはうってつけの状況だ」

苦虫を噛み潰したような渋面をつくるブランに、アールマンが声をかける。

「ありきたりな言葉だがな、過ぎたことはどうしようもない。今はルーフェの動向を制限することのほうが大事だ」

今になってエンピスがこの資料を作成していたことは、こちらを注視しているであろうルーフェも気づいたはずだ。行方不明者を把握していれば、勇者のような弄られた存在の侵入にも気づくことができる。更に国境付近の警戒を強化しておけば耳長族の侵入を牽制でき、被害は減る。

「分かっているよ。僕達は手負いなんだ。今は他の国を相手にしている暇はない」

「ああ。──そこで、昼に話したグランへの訪問なんだが」

「ん、どうかしたのかい?」

相談事を切り出すような雰囲気に、ブランも改めて背筋を伸ばす。

「謁見の際、俺は大公にも協力を仰ごうと思っている。お前はどう思う」

竜翁(りゅうおう)殿か……。僕は彼の御仁のことは噂くらいしか知らないから、どうとも言い難いな。どんな人なんだ?」

〝竜の国〟グラン公国大公アルク・アンブル。竜翁の二つ名が示す通り、もうじき齢八十に迫ろうという高齢であるが、二十年前に起きた〝獣の国〟ハイビスの進軍を、一日で撤退に追い込んだほどの戦上手でもある。当時は彼の息子に位を譲って隠居していたのだが、その戦が原因で息子を亡くし、緊急措置として大公に復帰したのだという。

ブランの知っている噂はこの程度でしかなく、アルク・アンブルの人となりを把握するには情報不足が過ぎる。

「どんな、か。……やけに威厳のある爺さん、だな」

「……君、それを本人の前で言ってないだろうね」

「お前も会ってみれば分かるさ。お前のところの頑固爺が至極真っ当に思えるぞ」

アールマンに頑固者指定された自国の将軍の顔を思い浮かべ、あれがまともに見えるような人物とは一体どんなのだろうと、ますます分からなくなる。

「確かに、御高齢であるということは知ってるけど……。どんな人なのかさっぱり見当がつかないな。怖い人なのか?」

「怖い、というのとは違うんだが。なんというべきか……うむ」

珍しく言葉を選んでいる様子のアールマンに、謎の多い件の御仁に会いたいような、むしろ会いたくないような複雑な気持ちを抱く。

──とその時、妙な静寂が訪れた部屋の扉を叩く音がして、外から見張りの兵士が声をかけてきた。

「陛下、ご歓談中のところ申し訳ありません」

「ん、どうした」

思考を中断したアールマンが書類を引き出しに入れながら返事を返す。

「はっ。ユウリ様がお見えになられたのですが、いかがいたしましょう」

「ユウリが?……ああ、そうか」

そういえば、今日はブランと話す予定があることを伝え忘れていた。資料の受け渡しなど聞かれてはならないような話は終わっているが、まだ話し合いの途中である。

「いいじゃないか」

訪ねてきたユウリを帰すべきか、それとも部屋に入れるべきかと悩むアールマンにそう言い、ブランが勝手に扉を開いてユウリを誘う。

「丁度いいところに来たね。入りなよ」

「あ、おい」

一息遅れた制止の声に、足を踏み込みかけたユウリが一歩下がって扉の影から顔を覗かせた。本当に入っていいのか、それとも入っちゃ駄目だったのかと問うような視線をアールマンに向ける。

「…………分かった、入っていいぞ」

胸に芽生えたなんとも言えない感情を吐き出すように溜め息を吐き、手招きをした。それを見たユウリは喜色満面といった様子でアールマンに駆け寄り、その腕に抱きついて顔を埋めた。先程までの雰囲気とは一変して和やかな空気になったのを感じ、笑みを浮かべたブランがユウリに視線を合わせるように腰をかがめた。

「お楽しみのところ悪いんだけど、少し聞きたいことがあるんだ」

自分に話し掛けられるとは思っていなかったのか、ユウリは自分の顔を指差して首を傾げた。

「ユウリに?」

「うん。君のお祖父様のことなんだけど」

お祖父さん、と聞いてユウリは考えるような素振りを見せ、思い当たる節がないとでもいうように大きく首を傾げた。そんな反応が返ってくるとは露にも思っていなかったブランは、目を丸くしてアールマンを見た。これはどういうことなのか、と問うようなブランの視線に、アールマンはユウリの頭を撫でながら苦笑する。

「お前は勘違いしているんだよ」

「勘違い?」

「竜人族と交流が無かったんだから、知らなくても無理はないんだがな。──ユウリはアルク公の孫ではない。娘だ」

一瞬、ブランはぽかんと硬直した後、慌ててユウリの顔を直視する。

「いやいや、竜翁殿は確か、もう八十近いと聞いていたんだけど。年齢差がありすぎないか?」

「これは俺も人伝に聞いた話なんだが、ハイビスとの戦いで息子を喪った後、なんとか世継ぎを作ろうと頑張ったらしい。結局、生まれたのは女児だったから孫の器に期待を移した、という話だが」

「えー……」

なんだ、その執念は。

「でも、他に二人娘がいるんじゃなかったか?」

「グラン公国は代々、男が大公になる決まりなんだそうだ」

「そう、なのか……」

だからといって、六十も過ぎて新たに子供を作ろうと考える辺り、竜人族の規格が人間族とは異なっていることがよく分かる。

当事者であるユウリは呆気に取られているブランを見上げた後、アールマンの袖を引っ張って自分に意識を向けさせた。

「父様の話?」

「ああ。ブランがアルク公の話を聞きたいらしくてな」

「ふーん」

関心の薄そうな返事をし、丸みのある目を眠たそうに細めつつブランに話しかける。

「父様は強いよ。ユウリのお師匠さま」

先の戦において、負傷していたとはいえエンピスが誇る〝盾〟の将軍を一撃で沈めたということはブランも聞いていた。種族としての強さとは別にそういう下地もあったのか、と納得する。

「あとやらしい」

「え?」

「姉様のお尻触って怒られてた」

「………………精力逞しいんだね」

先程の子作りの話を聞いてほんの少し、そうなのかなぁと思っていたが、実の娘から直にそう聞かされると、受ける衝撃が一段と大きい。というか、アールマンから聞いた話とは印象が違いすぎて混乱してくる。

「……本当に、どんな御仁なんだ、いったい」

そんなブランの呟きにユウリは欠伸で返し、アールマンから離れてのそのそと寝台に潜り込んでいった。

「まあ、あれだ」

丸く盛り上がった布団を見つめ、アールマンがブランの肩に手を置く。

「竜人族は個性的な連中の集まりなんだよ」

そう締めくくってブランを帰し、アールマンも軽く伸びをして、規則正しく上下している布団の中へと身を潜ませた。


その翌日の話。

帰国の途についたブランを見送り、いつも通りに仕事に追われる一日を送ったアールマンの元に、セリスがやって来た。

「今朝、お兄様に言われたんですけど、魔王さんと一緒に寝てもいいんですか?」

「…………あのやろう」

ブランによる面倒極まりない置き土産に眉間に大きく皺を寄せ、これまた大きく溜め息を吐いた。

イーヴィス本城の夜は、今日も比較的平和に過ぎていく。

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