第7話 親睦茶会は穏やかに始まらない
親睦茶会という名前ほど、油断ならないものを私は知らない。
少なくとも王立セレスティア学園では、その手の催しは、紅茶と焼き菓子を前にして微笑みながら、誰がどこへ座るのか、誰と誰が自然に並ぶのか、誰が場にふさわしく見えるのかを、静かに決めていく時間でもある。
列が乱れる食堂の方が、まだ親切だ。
あちらは目に見える。詰まっている場所も、迷惑をかけている相手も、正すべき順番も。
茶会は違う。
全部きれいな顔で始まる。だからこそ厄介なのだ。
私はロザリア様の半歩後ろに付き従い、会場の扉が開くのを見た。
応接棟の一室は、夕方のやわらかな光を受けて淡くきらめいていた。白いクロスをかけた丸卓がいくつも置かれ、その中央には季節の花が低く活けられている。金の縁取りの茶器、薄く焼かれた小菓子、香りの軽い紅茶。目に入るものはどれも上品で、どこにも粗はない。
どこにも粗はないのに、入った瞬間、私は喉の奥に小さな棘が引っかかるのを感じた。
視線だ。
扉が開き、ロザリア様が姿を見せた、その一瞬だけ。
部屋の中の会話が、ごくわずかに浅くなる。止まるほどではない。けれど確かに、皆が一度だけこちらを見た。
ロザリア様は表情を変えなかった。
淡い藤色のドレスは、会場の白と金の中でちょうどよく目を引いた。甘すぎない色味が、銀金の髪と深紅の瞳によく映える。堂々としている。静かに立っているだけで視線を集めてしまう。
それ自体は何も悪くない。
悪くないのだけれど、この場では「目立つ」はそれだけで役になる。
「ロザリア様、本日はようこそ」
茶会の取りまとめ役をしている上級生令嬢が、やわらかく頭を下げる。笑顔はきれいで、声音も丁寧だ。けれど案内されるまでのわずかな間に、私はもう一度、部屋の並びを見た。
ああ。
やはり、と思う。
席が、うまい。
王太子アルベルト殿下の近く、もっとも視線の集まりやすい位置に、一つだけやわらかな色の席が空けられている。そこはたぶん、まだ来ていないミレイユの席だ。
そしてロザリア様の席は、そこから少し離れている。遠すぎはしない。むしろ、ちょうどよく見比べられる距離だ。殿下の隣ではないが、視界には入る。近すぎず、遠すぎず、比べるにはいちばん都合がいい。
露骨ではない。
露骨ではないからこそ、指摘できない。
「こちらのお席へ」
ロザリア様は案内に従って静かに座った。私も控えの位置に下がる。
視界の端で、アルベルト殿下がこちらを見た。すぐに目を伏せる。気づいていないわけではない顔だ。だが、まだ何も言わない。
言えないのか。
言うほどではないと思っているのか。
たぶん、その両方だ。
そして、それが一番困る。
少し遅れて、会場の向こうでまた空気が動いた。
「フォルナ様、こちらですわ」
「まあ、お似合い」
「今日はいつもよりお顔色がよろしいのではなくて?」
ミレイユだ。
淡いクリーム色のドレスに、栗色の髪を控えめにまとめている。華やかさはロザリア様ほど強くない。けれど、その分近づきやすく見える。守ってあげたくなる、と言いたくなるようなやわらかさがある。
本人はその視線に慣れていないのだろう。
嬉しそうというより、少しだけ所在なさげだ。
「あ、ありがとうございます……」
「殿下のお近くの方が安心ですわよ」
「え、でも、私は……」
「よろしいではありませんか。親睦茶会ですもの」
にこやかなやり取りの中で、ミレイユは自然に、いや、自然に見える形で、あの空いていた席へ置かれた。
殿下の近く。
やわらかな光の中。
皆が見やすい場所。
見事だ。
誰も手を引っ張ってはいない。命令もしていない。けれど、気づけばそうなるように流れだけが作られている。
ミレイユが座ると、場の空気が少し明るくなったように見えた。
いや、実際に明るくなったのではなく、そう見えるように皆が笑ったのだ。
「ミレイユ様は本当に可憐ですこと」
「こういう場でもお緊張なさるのね。守ってあげたくなりますわ」
「殿下のお近くなら、少しは安心でしょう」
可憐。
守ってあげたくなる。
安心。
どれも悪い言葉ではない。
けれどそれは全部、「ミレイユはそういう子だ」と場に札を掛ける言葉でもあった。
そして、札が一枚掛かれば、その隣に置かれる札も自然に決まる。
「ロザリア様は、今日も堂々としていらっしゃいますわね」
「ええ、本当に。さすが公爵家のご令嬢ですわ」
「ミレイユ様とはまた違った魅力ですこと」
来た。
私は目を伏せたまま、胸の内で小さく息を吐く。
堂々。
さすが。
違った魅力。
一見、きれいな褒め言葉だ。
褒めている。間違いなく褒めている。だから反発しづらい。けれど中身はきれいに二つの立場を並べている。
可憐なミレイユ。
迫力のあるロザリア。
守りたくなる側。
圧のある側。
誰も口にしていないのに、ちゃんとそう見えるように言葉が置かれていく。
ロザリア様は何も言わなかった。
ただ、カップの持ち手に触れる指先が、いつもよりほんの少しだけ硬い。
表情は変わらない。背筋も美しい。視線も下げすぎない。完璧だ。完璧すぎて、その静けさまで“気迫がある”ように見えてしまう。
この場はひどい。
何もしなくても不利になる。
黙っていても「冷たい」と取られ、口を開けば「刺々しい」と取られる。呼吸の仕方まで悪役令嬢向きに見えてしまう場所だ。
ミレイユの方は、まだその怖さの中心に自分がいる自覚が薄いらしい。
周囲に話しかけられるたび、小さく笑って、困ったように首をすくめている。
「そんな……わたくしは、何も」
「またそうやって控えめにおっしゃるのですもの」
「そこが可愛らしいのですわ」
可愛らしい。
控えめ。
その言葉が積み上がるたび、ロザリア様の沈黙は別の意味を持たされていく。
私は部屋の端からアルベルト殿下を見た。
殿下は会話の流れを追っている。
ミレイユへ向く視線。
次にロザリア様へ向く視線。
何か言うべきかと、一瞬だけ考えているのが分かる。
けれど、言わない。
この程度なら問題ないと思っているのか。
あるいは、ここで割って入る方がかえって場を大きくすると考えているのか。
たぶん、どちらも外れてはいない。
そして、その“悪意のない判断の遅さ”が、いまは一番まずい。
悪意がある相手なら、まだ分かりやすい。
止めるべき対象が見える。
でも、誰も自分を悪いと思っていない場は、もっと厄介だ。
だって誰も、ロザリア様を悪役にしようとしていない。
ただ可愛いと言っているだけ。
ただ堂々としていると褒めているだけ。
ただ殿下のお近くが安心だと勧めているだけ。
その“だけ”が積もると、あっという間に一つの物語ができあがる。
善意の延長で、配役だけが固定される。
しかも本人たちは、その怖さに気づかない。
「リネット」
低く名前を呼ばれて、私はすぐに意識を戻した。
ロザリア様は正面を向いたまま、ほんの少しだけ唇を動かしている。
「はい」
「紅茶が少し薄いわ」
「承知しました」
「それと」
「はい」
「この菓子は乾きすぎているわね」
「……承知しました」
言いたいことはそれではない。
でも今は、別のことを口にすべきではないと分かっている時のお嬢様の声だ。
ロザリア様は気づいている。
座らせ方も、言葉の置き方も、全部。
そのうえで、まだ動かないでいる。
下手に動けば、場が完成してしまうからだ。
それはたぶん、お嬢様にも分かっている。
けれどこのままでは、黙っているだけで完成してしまいそうだった。
「ロザリア様は、本当に気品がございますわ」
別の令嬢が言った。
「わたくしなど、同じ席にいるだけで少し緊張してしまいますもの」
「まあ、それは分かりますわ。あの凛とした雰囲気は、なかなか真似できませんものね」
にこやかだ。
誰も歯を見せるほどは笑わない。
声も穏やかで、刺すような響きはない。
それなのに、場全体が少しずつロザリア様を“近寄りがたい側”へ押していく。
私は喉の奥が冷えていくのを感じた。
このまま何か一つ、小さな事故が起きたら。
誰かが言葉を詰まらせるとか、席を立つとか、紅茶をこぼすとか。
それだけで全部、ロザリア様のせいみたいに見えかねない。
最悪だ。
最悪だが、まだ誰も何もしていない。
だから止めようがない。
ミレイユも、居心地が悪くなってきたのだろう。
笑顔が少しずつ小さくなっている。返す言葉も短い。気づかれない程度に肩がこわばり、ソーサーへ置いた指先にも力が入っているのが見えた。
やめてほしい。
その力の入り方はよくない。
けれど周囲は気づかない。あるいは気づいても、「可憐で緊張しているのね」で済ませてしまう。
ミレイユがカップへ手を伸ばした。
白い指先が、持ち手に触れる。
ほんの少しだけ、指が震えている。
私は息を止めた。
まずい。
そう思った瞬間、ソーサーの縁がかすかに鳴った。
カップが、わずかに傾く。




