第5話 説明書扱いは心外です
「ねえリネット。最近あなた、すっかり説明書みたいよね」
昼休み前の侍女控え室で、私は危うく持っていた筆記具を落としかけた。
「……誰が説明書ですか」
「ロザリア様専用の」
「それはだいぶ限定的ですね」
「でも合ってるでしょう?」
「通訳係、と言った方が近いかしら」
「いえ、危険物取扱補助では」
「それ、少し格好いいわね」
「説明書よりはましです」
くすくすと笑う侍女仲間たちを前に、私は控えめに頬を引きつらせた。
いや、分かる。言いたいことは非常によく分かるのだ。
ロザリア様が一言。
私が三行。
最近はたしかに、そういう場面が増えている。
「でも実際、いないと困るでしょう?」
年上の侍女が肩をすくめる。
「この前の食堂の件もそうだけれど、ロザリア様のお言葉って、最初の角だけ拾うとすごいことになるもの」
「角だけではなく、だいたい全体に角があります」
「そこは否定しないのね」
「できませんので」
別の侍女が、面白そうに身を乗り出した。
「どうしてあんなにすぐ言い換えられるの? 考えるより先に口が動いているみたいだったわ」
「長年の訓練です」
「長年?」
「体感では」
また笑いがこぼれる。
私はインク壺の蓋を閉めながら、小さく息をついた。
説明書扱いは心外だ。
心外なのだけれど、少しだけ身に覚えがあるのが困る。
前世でも、似たようなことはしていた。
私は机に置いてあった記録用紙を整えながら、少しだけ昔を思い出す。
会議の議事録。
取引先への返答文。
上司が勢いのまま打ち込んだ、たいへん刺激的な文面の修正。
苦情対応の電話のあとで作る、角の立たない説明文。
前世の私は、偉い人が雑に投げた言葉を、人類向けに直す仕事がやたら多かった。
たとえば上司が「確認不足です。再発防止してください」とだけ送ろうとした文章を、
『ご確認ありがとうございます。ご不便をおかけし申し訳ございません。今後は確認手順を見直し、再発防止に努めます』
のような形へ整える。
あるいは、会議で飛び交った棘だらけの発言を、あとから読んでも流血沙汰にならない議事録へ作り直す。
その仕事が好きだったわけではない。
けれど、かなり得意ではあった。
言葉は順番で印象が変わる。
何を先に置くかで、怒りの向きが変わる。
事実が同じでも、見出しひとつで人は別の文章を読んだ気になる。
そういう面倒くさいことを、私は前世でずいぶんやってきた。
だから最初にロザリア様の台詞を聞いた時も、びっくりはしたけれど、完全な未知ではなかったのだ。
あ、これ知ってる。
危ない言葉を、あとから人の住める形へ直すやつだ。
ただし、前世と決定的に違う点がある。
前世では、だいたい送信前に止められた。
今は口から飛び出したあとに回収するしかない。
難易度が上がっている。
「リネット?」
「はい?」
「ぼんやりしているわ。どうしたの」
「少し前世の地獄を思い出していました」
「怖い言い方をしないでちょうだい」
「でも内容はわりと正確です」
侍女たちはまた笑った。
その時、控え室の扉が二度、軽く叩かれる。
「失礼」
入ってきたのは、学園の書記補助を務めているユリウスだった。
灰色がかった髪に、無駄に整った顔立ち。いつも少しだけ他人を観察しているような目をしている人だ。
「ロザリア様の補助記録、園芸学分を受け取りに来ました」
「こちらです」
私は用意していた用紙を渡す。ユリウスはそれを受け取り、ざっと目を通して、わずかに口元をゆるめた。
「相変わらず丁寧ですね」
「記録ですので」
「ええ。あなたの方は」
「どういう意味でしょう」
「ロザリア様のお言葉の方は、もっと印象的ですから」
私は顔を上げた。
ユリウスは書類から目を離さないまま続ける。
「強い言葉は残りやすい。ご存じでしょう?」
「……少しだけ」
「少しだけ、ですか」
そこで初めて、彼はこちらを見た。
笑っているようでいて、笑っていない顔だった。
「この学園の記録魔法は便利です。行事や公のやり取りを後から確認できる。揉め事があっても、誰が何を言ったか追いやすい」
「それは知っています」
「ただし、全文がそのまま人の記憶に残るわけではありません」
「……はい」
「強い語気。目立つ一言。場を止めた台詞。そういうものほど、きれいに印象として残ります」
侍女仲間たちが顔を見合わせる。
私は返事をしなかった。
分かる。
分かりすぎるくらい分かる。
ロザリア様の言葉は、内容が正しくても強い。
しかも立場がある。響きもある。場も止める。要するに、記録に残る条件を完璧に満たしている。
ユリウスは軽く肩をすくめた。
「公平な仕組みほど、扱う人間の印象に優しいとは限らない、という話です」
「それは、書記補助としての忠告ですか」
「雑談です」
「雑談にしては刺さります」
「書記の周辺にいると、そういう癖がつきます」
それだけ言うと、彼は受け取った書類を揃えた。
「では」
「ユリウス様」
「はい?」
「強い言葉ほど残りやすい、というのは」
「ええ」
「そういうものなのですか。魔法の性質として」
「魔法は、人の感情が動いた場所を拾いやすいですからね。あとは、読む側が何を見出しにするかでしょう」
見出し。
その単語に、私は少しだけ背筋が冷えた。
前世で何度も見た。
会議の中身がどれほど複雑でも、最後に残る見出しが「対立」なら、人は対立しか覚えない。
手順の見直しが主題でも、「厳重注意」という見出しがつけば、みんな怒られた話として読む。
そういうことだ。
ユリウスが去ったあと、控え室の空気はさっきまでより少しだけ静かになっていた。
「……それ、ロザリア様には嫌な仕組みね」
侍女の一人がぽつりと言う。
「嫌というか、最悪です」
私は答えた。
「だってお嬢様、強い語気の代表選手みたいな方ですし」
「代表選手」
「しかも内容が正しい分だけ、余計に印象がきつく残ります」
「笑いごとではないわね」
「ええ。今のところはまだ、そこまで大きく表には出ていませんけれど」
でも、いつか出る。
私はそう思った。
というより、もう少しずつ出ているのかもしれない。
食堂での一言。
温室での制止。
提出物の順番。
その場で私がいくら整えても、あとから人が覚えているのは最初の棘かもしれない。
それは、かなりまずい。
「リネット」
控えめに名前を呼ばれ、私は振り向いた。扉のところに立っていたのは、別邸付きの年長侍女だった。手には封のされた案内状を持っている。
「ロザリア様へ、学園からのお知らせです」
「ありがとうございます。私がお預かりします」
「ええ。今日のうちにご確認をとのことでした」
嫌な予感がした。
こういう時の嫌な予感は、だいたい当たる。
私は侍女たちの視線を感じながら封を切った。
そこに記されていたのは、上級生と奨学生を交えた親睦茶会の案内だった。
王太子周辺の主要生徒も出席予定。
上位貴族令嬢の参加推奨。
交流を深め、学園内の親睦を図ることを目的とする。
交流。
親睦。
実に聞こえはいい。
だが私の頭の中では、別の単語が猛然と並び始めていた。
ミレイユ。
王太子。
上位貴族令嬢。
学園の空気。
記録魔法。
ロザリア様の危険台詞。
条件が、揃いすぎている。
「どうしたの」
侍女仲間が不思議そうに覗き込む。
「顔色、悪いわよ」
「茶会です」
「まあ、そういう季節よね」
「そういう季節とかいう問題ではありません」
私は案内状を見つめたまま答えた。
茶会。
あの茶会だ。
前世の記憶と、今世でここまで積み上がった不穏さが、きれいに一つの場所へ収束していくのが分かる。
ロザリア様はたぶん、これを見ても「面倒ね」くらいで済ませるだろう。
ただのお茶会だと思うかもしれない。
でも私は知っている。
ああいう場は、列よりもっと静かに人を止める。
笑顔と沈黙だけで、誰かを悪役に見せることができる。
しかも今回は、記録まで残る。
私は案内状をきつく持ち直した。
まずい。
あの茶会が来る。




