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侍女に転生した私、悪役令嬢お嬢様の“悪役の台詞”を全部言い換えます【連載版】  作者: 星渡リン
第5章 お嬢様の評価が、王都へ届く

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第47話 お嬢様は、家の娘である前にお嬢様です

 公爵家からの封書は、またしても上等だった。


 厚みのある紙。整った封蝋。角の潰れていない封筒。


 見た目だけなら、礼節の見本のような一通である。


 中身が礼節を備えているかは、まったく別の問題だ。


「また来たのね」


 ロザリア様は机の向こうで、うんざりした声を出した。


 机の上には、王宮照会状の写し、公爵家からの前回の手紙、奉仕祭の記録、そして私の王都社交用発言流通管理表が並んでいる。


 そこへ新しい封書。


 積み上がる書類の高さが、まるでお嬢様という原本を隠すために、無能が築いた防波堤のようで不愉快だった。


「差出は」

「家令補佐名義です」


 私は封筒の裏を確認した。


「ただし、封蝋が前回より深く押されています。急いで出したか、急がされたか」

「どちらにしても、嫌ね」

「はい。かなり」


 封を切ると、例の青いインクがあった。


 本文は黒。

 要所だけ青。


 この青は、もう色ではない。

 人の意思を縛る時だけ妙に張り切る、古い家の指先そのものだ。


 私は文面を追い、すぐに一文で止まった。


「……これはまた、ひどいですね」

「どこ」

「ここです」


 私は紙面を指で叩く。


 実務能力は適切に示しつつ、過度に主導的な印象を残さぬよう留意されたい。


 ロザリア様が、その一文を読む。


 沈黙。


「つまり」

 私は言った。

「品位を保て。目立つな。有能であれ。けれど主導権は持つな。王宮には好印象を残せ。けれど家の管理からはみ出るな」


 私は紙を机へ置いた。


「まあ、よくもこれだけ矛盾した不備を一文に詰め込めたものですわね。お嬢様を人間ではなく、全自動の姿勢矯正機能付き置物か何かだと思っているのかしら」


 ロザリア様は笑わなかった。


 ただ、青い一文を見下ろしている。


「よくできているわね」


 お嬢様の声には、期限切れの帳簿を突き返す時のような、ひどく乾いた拒絶の音がした。


 怒る労力さえ、この家には払いたくない。

 ただ、目の前の無能な処理を視界から除外したい。

 そんな冷えた事務処理の音だった。


「褒めていらっしゃいます?」

「いいえ」


 ロザリア様は指示書を持ち上げた。


「わたくしの意思が、一行も入る余地のないところが」


 私は紙の端を指で押さえた。


 お嬢様の名前を、また別の便利な棚へ並べ替えようとする音がした。

 その乾いた音が、私には無能な者が大事な書類を裁断機へ突っ込む音のように聞こえて、ひどく癪に障った。


「結局」

 ロザリア様は指示書を机へ戻した。

「今度は“優秀な婚約候補役”を演じろということね」


 部屋の空気が、少し重くなる。


「悪役でいろと言われる方が、まだ分かりやすかったかもしれないわ」

 ロザリア様は続けた。

「今度は、優秀で、控えめで、家に利益をもたらす婚約候補でいろ、でしょう」

「……」

「わたくしがどう思うかは、どこにもないのね」


 私は、青いインクの一文を見た。


 これを書いた人間は、自分を現実的で有能だと思っているのだろう。

 家を守るために必要な助言をしたつもりでいるのだろう。


 ずいぶんと、雑な助言だ。


「お嬢様」


 私は、指示書の上に手を置いた。


「お嬢様は、家の看板のために立っているのではありません」


 ロザリア様が、ゆっくり私を見る。


「リネット」

「お嬢様はお嬢様です。悪役令嬢役でも、優秀な婚約候補役でも、家に都合のよい置物でもありません」

「言い切るわね」

「言い切ります」


 私は、青いインクの箇所をもう一度指で押さえた。


「あの方でさえ」

「殿下?」

「はい。殿下でさえ、ようやくお嬢様という原本を読み始めました」


 あの遅延案件でさえ。

 利息つきで処理すべき、あの殿下でさえ。


「それなのに、身内であるはずの公爵家が、お嬢様をまた別の写しへ書き換えようとしている。悪役令嬢から、優秀な婚約候補へ。分類札を貼り替えれば済むと思っている」


 私は紙を指先で軽く弾いた。


「事務的に、許容しがたいエラーです」


 ロザリア様は黙っていた。


 私は続ける。


「家の都合で貼り替えられる分類札のために、お嬢様の言葉を整えてきた覚えはありません。奉仕祭で記録を正したのも、褒め言葉の受け取り方を練習したのも、王都用の毒抜き表を作ったのも、家の利益回収のためではありません」


 ここだけは、譲れない。


「お嬢様が、自分の言葉で立つためです」


 ロザリア様は、少しだけ目を伏せた。


「侍女の発言としては、かなり越えているわ」

「承知しております」

「反省は?」

「この手紙の青いインクについてなら、すぐに報告書を出せます」

「反省の話をしているのだけれど」

「公爵家の備品台帳には、この青に該当する上質インクがありません。おそらく私物か、外部から持ち込まれた安物です」

「……そこまで見るの」

「お嬢様の正しさを塗りつぶそうとする無能は、インクの経費すらケチる小物だという事実を、赤字で添えておきます」

「反省は?」

「その赤字を少し丁寧な表現に直します」

「反省文ではないわね」

「監査報告です」


 ロザリア様は、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 けれど、すぐに指示書へ視線を戻す。


「あなたは、本当に面倒なことを言うわね」

「はい」

「でも」


 そこで言葉が止まった。


 ロザリア様は袖口を軽くつまむ。

 布の端を整えるように見せて、言葉の置き場所を探している。


「少しだけ、助かるわ」


 私はその温度を逃さず拾った。


 お嬢様が吐き出した、かすかな感謝。

 家の帳簿に汚される前に、正式な記録へ焼き付けておきたいくらい真っ当な言葉だった。


 もちろん、今それを口に出せば引っ込められる。


「それは何よりです」

 私はできるだけ平静に答えた。


「声が硬いわ」

「今、記録したい欲求を抑えております」

「しなくていいわ」

「承知しました。脳内に保管します」

「それも嫌ね」

「では、厳重管理で」


 ロザリア様は小さく笑った。


 それから、もう一度指示書を手に取る。


「無視はしないわ」

「はい」

「完全に無視すれば、また“家の助言を聞かない令嬢”にされるでしょう」

「確実に」

「けれど、そのまま従う気もない」


 その声は、先ほどよりはっきりしていた。


「わたくしが何を守り、何を引き受け、何を断るのか。それは、わたくしの言葉で決めるわ」

「では」

 私は新しい紙を取り出した。

「返答案を作成しましょう」

「早いわね」

「待っていると、青いインクの方が増えます」

「それは嫌ね」

「私も嫌です」


 私は紙の上に表題を書く。


 家令補佐宛 返答案


 細部を延々と作る必要はない。

 必要なのは一刺しだ。


 家の礼節を正面から受け取りながら、ロザリア様本人の判断権を渡さない一文。


 私は数行を書き、ロザリア様の前へ押し出した。


 彼女は目を通し、途中で指を止めた。


「……ここ」

「はい」

「家令補佐が泡を吹くわね」


 ロザリア様が指したのは、この一文だった。


 王宮における応対につきましては、家名に恥じぬ礼節を保ちつつ、当日の事実および本人の判断に基づき行います。事実と異なる役割を演じる意図はございません。


「丁寧でしょう」

「丁寧に拒んでいるわ」

「丁寧な拒絶こそ、もっともコストのかからない反撃です。相手に言い訳の余地を与えず、事実の杭を打ち込む。これほど効率的な仕事はありません」

「あなた、本当に楽しそう」

「はい」

「隠しなさい」

「努力します」


 ロザリア様は、その一文を何度か読み返した。


「家の看板を守ること自体を、嫌だと思っているわけではないの」

「はい」

「わたくしもエーデルフェルトの娘だもの。それを捨てるつもりはないわ」

「承知しております」

「でも」

 ロザリア様の指が、青い追記の上で止まる。

「家の看板のために、わたくしの言葉まで飾り紐で縛られるのは嫌」


 私はうなずいた。


「では、その飾り紐をこちらでほどきます」

「切るのではなく?」

「必要なら切ります」

「あなたに任せると、本当に切りそうね」

「必要なら」


 ロザリア様は呆れた顔をしたが、返答案を押し返さなかった。


 それどころか、紙の端を整え、自分の前に置き直す。


「不思議ね」

「何がでしょう」

「丁寧なのに、かなり強いわ」

「お嬢様の言葉ですから」

「あなたの加工も入っているでしょう」

「必要最小限です」

「信じにくいわ」

「不要な飾りは削りました。残したのは、相手が握ると怪我をする芯だけです」


 ロザリア様は、小さく首を振った。


「わたくしは、すぐ刺すもの」

「最近は鞘に入れる練習も進んでおります」

「抜く前提なのね」

「必要な時は」


 部屋の空気が、ほんの少しだけ軽くなる。


 けれど、机の上にはまだ指示書がある。

 青いインクも消えない。


 ロザリア様はそれを見下ろした。


「家の指示を受けるたびに、ずっと思っていたの」

「はい」

「わたくしが間違えないように、と言いながら、本当は家にとって都合の悪いわたくしが出ないようにしているのではないかと」

「……はい」

「でも、それに逆らえば、今度は“わがままな娘”になる」

「なりますね」

「本当に、便利な分類だわ」

「ええ。ですので、分類表ごと差し戻しましょう」


 ロザリア様は返答案の一文を見た。


 事実と異なる役割を演じる意図はございません。


 静かな一文だ。

 だが、よく研いである。


「強いわね」

「削りますか」

「いいえ」


 即答だった。


「このままでいいわ」


 私はペンを置いた。


 ロザリア様は、公爵家からの指示書と、こちらの返答案を並べる。


 片方は、家に都合よく整えられた役割。

 もう片方は、まだ硬くて、少し棘があって、それでも本人の意思が入った返事。


 ロザリア様は返答案へ指を添えた。


「……ええ。そうね」


 声は静かだった。

 けれど、弱くはない。


「もう、誰かに用意された役だけで立つ気はないわ」


 私はうなずき、返答案の余白を整えた。


 看板を守りたいのなら、どうぞ別の置物を探してくださいませ。


 さて。


 お嬢様の正しさを、社交界のどぶ川のような舌に溶かされないよう、どう覆い、どこで刺し、誰の口から持ち帰らせるか。


 まずは、この安物の青いインクを使った小物から解剖して差し上げましょう。


 私はペン先を、静かに研いだ。

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