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侍女に転生した私、悪役令嬢お嬢様の“悪役の台詞”を全部言い換えます【連載版】  作者: 星渡リン


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3/8

第3話 食堂では列が命です

 食堂という場所は、食事をするためだけに存在しているわけではない。


 少なくとも王立セレスティア学園では違う。

 誰がどこに立ち、誰の隣に座り、誰に声をかけ、誰がそれを遠巻きに見るのか。そういう細かな流れまで含めて、食堂は毎日きちんと社交の訓練場をしている。


 そして今日は、朝から嫌な詰まり方をしていた。


「止まっていますね」

「見れば分かるわ」


 昼前の大食堂。

 焼きたてのパンの匂いと、温かなスープの香りと、銀器のかすかな触れ合う音。その中で、配膳の列だけが妙に滞っている。


 私はロザリア様の半歩後ろに付き従いながら、前方へ目をやった。


 原因は、すぐに分かった。


「あ、あの、私は後ろで構いませんから……」

「遠慮しなくていいよ、フォルナ嬢」

「そうそう。殿下もこちらにいらっしゃるんだし」

「少しくらい先でも、誰も気にしないさ」


 淡い栗色の髪を肩のあたりで揺らしながら、困ったように立ちすくんでいる少女がいる。

 ミレイユ・フォルナ。


 この世界が前世で遊んだ乙女ゲームに似ていると気づいた時、まず確認した名前のひとつだ。子爵家の娘で、奨学生としてこの学園に通っている。気負いのない、やわらかな雰囲気の持ち主で、良くも悪くも人の視線を集めやすい。


 そして今、王太子周辺の男子生徒たちに囲まれて、見事に列を止めていた。


 本人は止めたいわけではないのだろう。

 困った顔をしているし、ちゃんと遠慮もしている。

 ただ、押しの強い相手にきっぱり言えない。それだけでこうなる。


 面倒な話だ。

 もっと面倒なのは、こういう“誰が悪いとも言い切れない場面”ほど、あとで一番こじれやすいことだった。


 ロザリア様の歩く速度が、ほんの少しだけ落ちる。

 私は横目でその表情をうかがった。


 あ、と思う。


 あのお顔はよくない。

 お嬢様の中の「見過ごせない」が起動した顔だ。


 しかも今回、お嬢様の視線はミレイユそのものというより、止まった列と、待たされている生徒たちと、配膳係の困り顔へ向いている。つまり完全に、場の乱れを見ている。


 方向は正しい。

 正しいのだけれど。


「見苦しいこと。場をわきまえなさい」


 ほら来た。


 ぴしゃりと通る、澄んだ声だった。

 声量は大きくないのに、周囲のざわめきが一瞬で止まる程度には響く。これだからお嬢様は恐ろしい。内容より先に空気が刺さるのだ。


 男子生徒たちが振り返る。

 ミレイユも肩を震わせて、こちらを見た。


 その顔を見た瞬間、私は一歩前へ出る。


「お嬢様は、皆さまが公平にお食事を受け取れるよう、順番をお守りいただきたいとお考えです。混み合っておりますので、お話はお席についてからでも」


 空気が、わずかに動いた。


「……ああ、そうだな」

「悪かった」

「フォルナ嬢、どうぞ」


 男子生徒たちが道を空ける。

 配膳係も、ほっとしたように肩の力を抜いた。後ろで待っていた生徒たちの列も、ようやく流れ始める。


 ロザリア様は不満そうに私を見た。

 ええ、分かります。今のお顔は「そんなに長く言っていないわ」のお顔です。


 けれど今回は、長さが必要だった。

 誰か一人だけを責めたように見せず、場そのものの問題へずらすために。


 ミレイユはまだ少し強張っていたが、それでも小さく頭を下げた。


「あ、ありがとうございます」

「礼には及びませんわ」


 ロザリア様はそう返した。

 素っ気ない。実に素っ気ない。けれど、その視線はミレイユの持つトレーに一瞬だけ落ちていた。


 重そう、と思ったのだろう。

 いや、言葉にはしないけれど。


「そのままだとスープをこぼすわ。トレーの持ち方を少し内側へ寄せなさい」


 言い方。

 でも内容は親切だ。


 ミレイユは目をぱちぱちさせてから、慌てて手の位置を直した。すると確かにぐらつきが減る。


「あ……」

「袖口が広い時は、肘を広げるとぶつけやすいのよ」

「は、はい……」


 ロザリア様はそれだけ言って、もう前を向いた。

 教えたから満足したのか、それともそれ以上は話す気がないのか。たぶん両方だ。


 私は内心で小さく息を吐く。

 危ない。とても危なかった。

 でも、ぎりぎり無事に着地した。


 配膳を受け取りながら、周囲の小声が耳に入る。


「今の、フォルナ様に向けて怒ったんじゃなかったの?」

「でも、列を止めていたのは事実でしょう」

「ロザリア様にしては、思ったより露骨ではなかったわね」

「露骨ではない、って言い方もどうなの」

「だって、もっと怖いかと思っていたもの」


 その“もっと怖いかと思っていた”が、いちいち面倒だ。

 人は一度作った印象を、なかなか手放さない。しかもこの学園の空気は、誰かを役に当てはめると急に物語みたいに分かりやすくなる。


 優しい主人公。

 気高い王太子。

 そして、きつい婚約候補。


 そういう配役の方が、たしかに見やすいのだろう。

 でも現実の人間は、そんなに都合のいい札だけでできていない。


 私はトレーを持ち直し、少し離れた位置へ目をやった。

 王太子アルベルト殿下が立っている。柔らかな金髪に青い瞳、整った顔立ち。視線は一瞬こちらへ向いていたが、すぐに前へ戻った。


 止めた方がいいかと迷って、止めきれなかった。

 そんな顔だった。


 完全に何も見えていない人ではない。

 ただ、動くのが少し遅い。今はまだ、それだけだ。


 席へ向かう途中、ロザリア様が低く言う。


「リネット」

「はい」

「見苦しいこと、で十分伝わるでしょう」

「はい。刺さる形では」

「あなた、最近本当に遠慮がないわね」

「お嬢様の危険台詞に対する危機管理意識が育ちました」

「育てた覚えはないのだけれど」

「私は毎日育っております」

「迷惑な成長ね」


 私は口元を押さえた。

 笑うと怒られる。たぶん。少なくとも少しは。


 席に着くと、ロザリア様はスープ皿を前に、ふうと息を吐いた。ほんの少しだけ、肩の力が抜けている。


「列を止めるのは本当に好まないわ」

「存じております」

「食堂は食事を取る場でしょう」

「はい」

「会話なら席でできるのに、なぜああも入口で固まるのかしら」

「殿下の周囲は、だいたい少し華やぎますので」

「華やいで列を止めるくらいなら、静かで結構よ」


 厳しい。

 しかし気持ちは分かる。後ろの空腹な人間に優しくない。


「フォルナ様は困っておられました」

「ええ。見れば分かったわ」

「でしたら、もう少し最初の一言を」

「何」

「丸く」

「丸く」

「はい。お怪我はありませんか、とか」

「列が止まっている時に?」

「まず相手を安心させてから本題へ」

「長いわね」

「人の心には緩衝材が必要です」

「あなた、その理屈を気に入っているでしょう」

「便利ですので」

「便利だからといって、何度も使わないでちょうだい」


 そう言いながらも、ロザリア様は本気では怒っていない。

 たぶん自分でも、さっきの言い方が少し鋭すぎたと分かっているのだろう。


 その時、少し離れた席にトレーを置く音がした。

 顔を上げると、ミレイユがこちらから見える位置に座っていた。直接近くではない。けれど、目が合うには十分な距離だ。


 彼女は一瞬だけ戸惑ったあと、小さく会釈した。


 怖いと思っている顔だった。

 でも、それだけではない。

 “さっきのは、本当に叱責だけだったのだろうか”と考えている顔だ。


 ロザリア様は一瞬、目を細めた。

 どう返すのかと思ったが、結局何も言わず、ただ軽く顎を引くだけにとどめた。


 それでいい。

 今はまだ、それで十分だ。


 ミレイユもそれ以上は近づかず、自分の席へ視線を落とした。完全に安心しているわけではない。けれど、先ほどより緊張が一段ゆるんでいるのは見て取れた。


 周囲はそうでもないらしい。


「今の、挨拶したのかしら」

「でもフォルナ様も頭を下げていたわよね」

「ロザリア様にしては……」

「にしては、って何よ」

「いえ、その、もっとぴりぴりするかと」


 ひそひそ声が飛ぶ。

 うるさい。食事は静かにしてほしい。


 だが、これもまたこの学園の空気だ。

 誰かが誰かに話しかけた。頭を下げた。視線を向けた。その一つひとつに意味を乗せたがる。


 ロザリア様はパンをちぎりながら、ぼそりと言った。


「思ったほど露骨ではない、だそうよ」

「聞こえていらしたのですか」

「耳はありますもの」

「ご気分を害されましたか」

「少しだけ」

「少しなのですね」

「多すぎると食事がまずくなるわ」


 その答えに、私は少しだけ笑ってしまった。

 ロザリア様は私を見る。


「何」

「いえ。お嬢様は、やはり悪役には向いていないなと」

「それ、褒めているの?」

「かなり」

「変わった褒め方ね」


 私はスープを一口飲んだ。少しぬるい。列が止まっていたせいかもしれない。やはり食堂では列が命だ。


 そして同時に思う。

 ミレイユは、少なくとも私が恐れていたような“無邪気に周囲を振り回す主人公”ではなさそうだ。困っていたし、止めようともしていた。

 王太子も、完全に見ていなかったわけではない。

 なのに、こうして少し立ち位置が重なるだけで、周囲は勝手に意味を作り始める。


 困っている少女。

 それを囲む男子生徒。

 遠くからきつい声で場を正す公爵令嬢。


 切り取れば、いくらでも“悪役令嬢の一幕”らしく見える。

 たとえ本人たちの思惑が、そこまできれいに並んでいなくても。


 誰も断罪なんて始めていない。

 それなのに、舞台だけが少しずつ整っていく。


 私はトレーを持ち直しながら、静かに息を吐いた。


 本来の主人公まで巻き込んで、舞台は少しずつ整い始めている。

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