第23話 お嬢様は、ずっとこうだったのでしょうか
茶会当日の綴りを閉じても、私はすぐ次へ進めなかった。
机の上の紙束はどれも薄い。薄いくせに、ひと一人の評判くらいなら簡単に潰せそうな顔をしている。補助閲覧室は静かで、遠くの卓から聞こえる頁をめくる音だけが妙に耳障りだった。古い紙と乾いたインクの匂い。普段なら落ち着くはずのそれが、今日はやけに鼻につく。
「次も見ますか」
私が言うと、ロザリア様は短く頷いた。
「見なさい。茶会だけ見て終わる方が気分が悪いわ」
「承知しました」
私は補助番号の綴りを引き寄せた。
食堂、温室、図書室、行事準備。めくるたび、判で押したように同じ語が飛び込んでくる。高圧的。威圧的。糾弾。まるで学園中でお嬢様を貶めるための語彙集でも回しているみたいだ。
最初の一枚だけ、私はきちんと声に出して読んだ。
食堂列整理において、ロザリア・エヴァンス嬢より高圧的注意あり。
一部生徒に萎縮反応。
その後、配膳列は正常化。
「高圧的」
その単語だけで、紙を破り捨てたくなる。
「列に割り込んだ連中を止めただけでしょう」
「ええ」
ロザリア様が淡く返す。
「でも、書く側にはそうは見えないのでしょうね」
私は次の頁をめくった。そこから先は、いちいち丁寧に読む気にもなれなかった。
手順不備への強い糾弾。
貸出管理への威圧的介入。
行事準備に際する厳しい圧力。
どの紙も、お嬢様が何を守ったかより、どれだけ怖く見えたかの方へ熱心だった。
「たかが数行、されど数行」
私は吐き捨てた。
「このゴミみたいな記録の積み重ねで、お嬢様という個体を“欠陥品”に加工してきたわけですね。悪質な隠蔽工作だわ」
「物騒な言い方をする」
ユリウスが向かいで言った。
「事実です」
私は顔も上げずに返す。
「記録ではなく、人格の編集でしょう。しかもずいぶん下手な」
そこで、別綴りへ手を伸ばした。比較が欲しかった。腹が立った時ほど、私は数字と並びと文言で殴り返したくなる。
実習監督補助の令嬢の記録。
生徒会補助役の男子の記録。
頁を開いて、該当箇所を見つけた瞬間、笑いそうになった。もちろん愉快だからではない。
食堂列の乱れに対し、適切な指導を行った。
配膳は速やかに正常化。
園芸実習中、進行上の遅れに対し厳格な注意あり。
手順はその後是正された。
私はその二枚を、ほとんど叩きつけるように並べた。
「これ」
ちょうどその時、入口側にいたアルベルト殿下へ声をかける。
「お嬢様とあちらの令嬢、やっていることはほとんど同じですよ。列を止めて、流れを戻した。それだけです。なのにどうして、こっちは“適切な指導”で、こっちは“高圧的注意”なんですか」
殿下は何も言わなかった。
私はさらに、もう一枚を指で叩く。
「こちらは“厳格な注意”。お嬢様は“強い糾弾”。同じく手順不備を止めただけなのに」
紙の端が、指先の力で少しだけ折れた。
「何を基準に、この語を選んでいるんです」
殿下の顔色が変わるのが分かった。
言い訳を探す顔ではない。
足元が抜ける音を、自分で聞いてしまった人の顔だった。
視線が、記録の上を彷徨う。
お嬢様の綴り。
比較の綴り。
またお嬢様の綴り。
それだけで十分だった。長い反省など、ひとつも聞きたくない。
「僕は……」
やっと出た声は、情けないほど掠れていた。
その先は続かなかった。
「そうでしょうね」
私は冷たく言う。
「こういう紙ばかり読まされれば、“ロザリア様は怖い方だ”で話が済みますもの。考える手間が省ける」
殿下は反論しなかった。
向かいのユリウスが、綴りの背を軽く指で叩いた。
「面白いでしょう」
「まったく」
「筆記者が違っても、語彙の癖だけは揃っている」
私はそこで、持っていた綴りの端を無意識に折り曲げていた。
筆記者が違うのに、語彙の『型』が同じ。まるで見本となる辞書でも配られているみたいだ。偶然で済ませるには、出来すぎている。
「それ、どこで揃うんです」
私が訊くと、ユリウスは肩をすくめた。
「さあ」
「惚けないでください」
「惚けていませんよ。僕が言いたいのはもっと単純です」
彼は比較綴りの末尾を示した。
「どの紙にも、最後に通した印がある」
私はすぐそこを見た。
承認欄。責任者印。補助記録番号の横に、小さく押された印章。
今まで文面ばかり見ていたせいで、そこはまだ深く追っていなかった。
殿下もそれに気づいたらしい。
「記録を作る側に、基準はあるのか」
低く落ちた声は、今度こそぶれなかった。
私は答えず、承認欄を順に見比べた。
食堂。
温室。
図書室。
記録者は違う。
だが、最後に目を通して通した印は、少なくとも二つが同じだ。
「……へえ」
自分の口元が、少しだけ歪むのが分かった。
ロザリア様が横から覗き込む。
「何」
「いました」
私は承認欄を指先で押さえた。
「少なくとも、一人。お嬢様に“高圧的”の札を貼るのが好きな方が」
インクのかすれ方まで同じだった。
この印の主は、何枚もの紙に、同じ方向の頷きを与えている。
私はその小さな印章を見つめたまま、笑った。
自分でも嫌になるくらい、性格の悪い笑い方だった。




