第22話 事実は残っているのに、順番が違う
頁をめくった瞬間、古い紙の匂いが少しだけ強くなった。
茶会当日の要約記録。
表題の下に、日時と出席者名が並ぶ。そこまではただの事務だ。問題は、その次だった。
私は紙を机へ置き直し、最初の本文を目で追う。
茶会席上、ロザリア・エヴァンス嬢より、給仕配置および席順に関する強い指摘あり。
その際、フォルナ嬢に明らかな緊張が見られた。
直後、飲料の転倒事故が発生。
エヴァンス嬢側より事故対応および場の整理について提案あり。
その後、茶会は継続可能な状態へ収束。
私はそこで手を止めた。
嘘は書いていない。
だが、この並びは何だ。
強い指摘から始まって、フォルナ嬢の緊張、事故、対応。
……見事なものね。まるで最初から筋書きが決まっていた芝居だ。お嬢様が空気を張らせた。フォルナ嬢が怯えた。だから事故が起きた。最後に、取り繕うように片づけた。
そう読ませたいのが、紙の上から透けて見える。
この紙一枚で、お嬢様は加害者に仕立て上げられたのか。
ペン先ひとつで、いとも簡単に。
「……なるほど」
口から出たのは、それだけだった。
隣でロザリア様は黙っている。
向かいのユリウスも、今日は妙に静かだ。
「言っていないことは書いていません」
私は低く言った。
「ですが、順番が陰険すぎます」
紙を指先でなぞる。
「事故を見た人間の記録ではない。先に“強い口調”を読ませるための並びです」
ユリウスが椅子にもたれたままこちらを見る。
「読ませたい順には、なっています」
その落ち着いた返答に、喉の奥へ腐った糊を塗りつけられたみたいな不快感が広がった。
……この淡々とした、無機質な文体。
書き手の顔が見えない。まるで最初から“悪役令嬢”という結末だけが決まっていて、そこへ辻褄が合うように言葉を埋めていったみたいだ。
「茶会だけじゃありませんね」
私は視線を落としたまま言う。
「図書室も、実習も、同じ手口だ。先に“きつかった”が来る。守ったことも、整えたことも、いつも後ろ」
「よく覚えている」
「腹が立つ記録は忘れません」
ロザリア様が、小さく息を吐いた。
「……やはり、そうなるのね」
その声に、私は顔を上げた。
やはり。
そう来たか、みたいな顔で受け取らないでほしい。そんなふうに頷かれてしまうと、こっちの怒りの置き場がなくなる。
「お嬢様」
私ははっきり言った。
「こんな三流の編集に、納得する必要はありません」
ロザリア様の睫毛がわずかに揺れる。
「リネット」
「職人として、私が認めない」
声が冷えた。
「雑なだけの摘要なら、まだ救いがあります。これは違う。読む側の頭へ先に何を叩き込むか、分かったうえで並べている。こういう手つきがいちばん嫌いです」
ロザリア様は何も言わなかった。
ただ、静かにこちらを見る。
私はもう一度、記録の二文目から三文目に目を落とした。
「……ここ、不自然に削ったわね」
ぽつりと呟く。
「何が」
ユリウスが訊いた。
「主語です」
私は指先でその一行を押さえた。
「フォルナ嬢に緊張が見られた。直後、飲料の転倒事故が発生。……誰が触れたのか、誰が近づいたのか、何が引き金だったのか。そこだけ妙に薄い」
紙を持ち上げる。
「事故は勝手に起きません。袖が当たったのか、給仕が寄ったのか、席の詰まりでぶつかったのか。何かしら主語がいる」
私はユリウスを見た。
「それを消している」
ユリウスは答えなかった。
だが、沈黙がもう答えみたいなものだった。
「主語を消して、因果関係を曖昧にする」
私は続ける。
「事務的な体裁だけ整えて、責任の所在だけ闇へ落とす。……これ、素人の要約じゃない」
喉の奥が熱い。
「確実に、慣れている人間の仕業だわ」
ロザリア様も紙を覗き込んだ。
「たしかに」
お嬢様が言う。
「給仕の動きも、席の詰まりも、全部消えているわね」
「ええ」
私は頷く。
「ここだけ、まるで自然に起きた事故みたいな顔をしている」
「ずいぶん都合がいい」
「都合がいいですね」
補助閲覧室の外で、誰かが椅子を引いた。
紙をめくる音がする。
それだけなのに、机の上のこの一枚だけ、やけに生臭く見える。
「偶然の雑さ、では済まないでしょうね」
ユリウスが言った。
「かも、では困ります」
私は即座に返した。
「茶会だけじゃない。図書室も、実習も、全部同じ方向へ寄せている。強く言った。場が張った。あとで整えた。……毎回同じ顔に塗るには、手つきが揃いすぎです」
ユリウスは黙る。
私は紙の端を親指で押さえた。
誰かが消した。お嬢様の無実を証明する、決定的な主語を。……そのペンの主が誰であれ、このまま『綺麗な仕事』として通させる気はありません。まずは、この筆記担当者の補助番号から洗い出します。




