第11話 茶会の翌日は、だいたい噂がうるさい
茶会の翌朝は、だいたいうるさい。
正確には、人の口がうるさい。
王立セレスティア学園の朝の廊下は、もともとよく響く。靴音、教本の角が当たる音、挨拶の声、急いで閉まる扉の音。その合間を縫うように、小さな噂話がするすると走っていく。
そして今朝は、その噂がいつもより三割増しで元気だった。
「昨日の茶会でね」
「フォルナ様が紅茶を……」
「でもロザリア様が助けたって」
「配置まで直されたらしいわ」
「思ったよりまともだったのかしら」
「でも怖いものは怖いわよね」
ほら、うるさい。
私はロザリア様の半歩後ろを歩きながら、小さく息をついた。
噂というものは、いつだって要約が雑だ。
昨日あれだけ色々あったのに、一晩学園を駆け回った頃には三行くらいに縮んでいる。しかもそのうち一行は余計で、もう一行は妙に芝居がかっている。残りの一行だけが、かろうじて事実だ。
「騒がしいわね」
前を歩くロザリア様が言った。
振り向きもしない。いかにも、ただ事実を述べただけという声音である。
「昨日の茶会のお話がよく育っているようです」
「育たなくて結構よ」
「大変な繁殖力です」
「雑草みたいに言わないでちょうだい」
「生命力は近いかと」
「朝から遠慮がないわね、あなた」
「平常運転です」
「それが一番困るのよ」
口ではそう言いながら、ロザリア様の歩く速さはほんの少しだけ上がっていた。
気にしていないふりが、少しだけ下手でいらっしゃる。
でも私は、そこをわざわざ突かない。
こういう時のお嬢様は、本人が「別に気にしていない」と思っていたい間は、そっとしておいた方がいい。無理に慰められるより、よほどそれを嫌がる方なので。
廊下の角を曲がると、向こうから下級生の令嬢が二人歩いてきた。以前なら、ロザリア様の姿を見た瞬間に視線を落とし、壁際へ寄りすぎるくらい寄っていた子たちだ。
けれど今日は少し違った。
「ご、ごきげんよう、ロザリア様」
「ごきげんよう」
小さな会釈。
怯えが消えたわけではない。けれど、露骨に逃げる感じでもない。
ロザリア様も、一瞬だけ目を瞬いてから、きちんと返す。
「ええ、ごきげんよう」
たったそれだけのやり取りだった。
それだけなのに、私は心の中で盛大に拍手したかった。しないけれど。
変わってきている。
ほんの少しずつ。けれど確かに。
「今の子たち」
私は小声で言った。
「以前より怯えておられませんでした」
「たまたまでしょう」
「そうかもしれません」
「そうよ」
「ですが、お嬢様がきちんとご挨拶を返されたのは事実です」
「返さない方がよかったとでも?」
「いえ。大変よろしかったです」
「……朝から採点を受けている気分だわ」
「本日は高得点です」
「頼んでいないのだけれど」
そう言いながらも、手袋の縫い目をなぞる親指の動きは、さっきより少し穏やかになっていた。
廊下の先では、まだひそひそ話が続いている。
「助けてくださったのは本当みたいよ」
「ええ、でも最初はかなりきつかったとか」
「フォルナ様を泣かせかけたけれど、最後は取り繕ったのではなくて?」
「殿下の前でしたものね」
「でも配置のことまで見ていらしたのでしょう?」
「そこはさすがよね」
「さすが、だけれど……やっぱり少し怖いわ」
私は眉をひそめた。
雑だ。
かなり雑だ。
そして少しだけ、妙でもある。
ミレイユ様が緊張していたのは事実だ。
紅茶をこぼしたのも事実。
ロザリア様が手当てを優先し、配置の問題を指摘したのも事実。
なのに、その順番がねじれている。
助けた。
けれど最初は怖かった。
取り繕った。
殿下の前だから。
そういう、いかにも“悪役令嬢っぽい味付け”だけが、薄く、しつこく残っている。
もちろん、噂なんて元からそんなものだ。
雑だし、勝手だし、話した本人の都合や好みが混ざる。
けれど昨日の茶会のあれこれから自然に崩れる雑さとしては、少しだけ偏っている気がした。
「リネット」
ロザリア様が呼ぶ。
「はい」
「何か聞こえた顔をしているわね」
「かなり」
「ろくなものではないのでしょう」
「はい。だいぶ要約が荒いです」
「噂など、たいていそういうものよ」
「ええ。ですが」
「ですが?」
「少しだけ、悪役味が強めに残っております」
「……何その言い方」
「事実を分かりやすく申し上げました」
「分かりやすいけれど気に入らないわね」
ロザリア様は前を向いたままそう言った。
やはり、気にしていないわけではない。
でも、その顔つきは昨日までと少し違う。
ただ嫌がって終わるのではなく、何が気に入らないのかをちゃんと掴もうとしている顔だ。
「私が助けたのは、本当でしょう」
「はい」
「配置がおかしかったのも、本当よ」
「はい」
「なら、いずれ分かるわ」
「お嬢様」
「何」
「いま少しだけ、前向きなことをおっしゃいましたね」
「……そうかしら」
「はい」
「気のせいではなくて?」
「そこは記録しておきます」
「本当に余計ね」
返しはいつも通りぴしゃりとしていたが、声の温度は少し軽かった。
教室棟の手前まで来ると、今度は園芸学の補助当番の生徒がこちらへ歩み寄ってきた。いつも少し慌ただしい、細身の眼鏡の上級生だ。彼はロザリア様を見ると、以前より自然に頭を下げる。
「ロザリア様、おはようございます」
「おはようございます」
「昨日ご指摘いただいた温室の棚、位置を直しました。風通しがよくなったと担当教師も」
「そう。なら結構ですわ」
「ありがとうございました」
それだけ言って去っていく。
事務的なやり取りだ。けれど、以前のような必要以上のこわばりがない。
私は小さく笑った。
「何」
「いえ。人気商売の兆しを感じまして」
「不穏な言い方をしないでちょうだい」
「少なくとも、昨日までよりはお話ししやすい方という認識が」
「そんなもの、いきなり作られても困るわ」
「ですが、悪役よりはだいぶよろしいかと」
「比較対象が低すぎるのよ」
そこはごもっともである。
教室棟へ入る直前、また別の噂が耳に入った。
「ロザリア様が、泣かせかけたあとで急に優しくなったって」
「まあ、でも外向きにはそういうことも必要でしょう」
「やっぱり、ああいう方は少し怖いわよね」
「でもフォルナ様、帰り際にはお礼を言っていたらしいわ」
私はそこで、足を止めたくなるのをこらえた。
そこだ。
そこが引っかかる。
好意的な話も残っている。
助けた事実も、ちゃんと広がっている。
なのに、その上に薄く、しかししつこく、“悪役だったけれどうまくまとめた”という味だけが塗り重ねられていく。
自然に起きる雑さなら、もっと別の方向へも崩れるはずだ。
なのに、なぜか崩れ方がいつも同じ方向を向いている。
ロザリアは悪役であるべき。
怖い人であるべき。
その方が、話として収まりがいい。
まるで、噂の方が勝手にそう直しているみたいだ。
私はその違和感を、まだ言葉にしきれなかった。
誰かが意図している、とまでは言えない。
ただ、人は見たい形に物語を整える。そういう習性の結果なのかもしれない。
でも、それにしても。
「リネット」
また名前を呼ばれる。
考え込みすぎたらしい。
「はい」
「今日のあなた、少し怖い顔をしているわよ」
「失礼しました」
「別に、叱っているわけではないわ」
「承知しております」
「何か、また妙なことを考えているのでしょう」
「やや」
「やや、なのね」
「かなり、に近いややです」
「結局かなりではなくて?」
ロザリア様はそこで一度足を止め、こちらを見た。
深紅の瞳は相変わらず強い。
でも、昨日の茶会の前より少しだけ、こちらを真正面から見てくれるようになった気がする。
「言いたいことがあるなら、言いなさい」
「お嬢様」
「何」
「助けた事実は、ちゃんと残っております」
「ええ」
「でも、それと一緒に悪役の印象だけも残ろうとしております」
「……そう」
「それが、少々気に入りません」
「あなたが?」
「はい。私が」
「変わったところで腹を立てるのね」
「実務的な意味でです」
「感情ではなくて?」
「感情も少し」
「そう」
ロザリア様は小さく息を吐いた。
それから、ほんの少しだけ口元をやわらげる。
「なら、その“少し”は取っておきなさい」
「はい?」
「この先たぶん、もっと気に入らないことがあるわ」
「お嬢様」
「何」
「いま、わりと良い上司のようなことをおっしゃいました」
「上司ではなくて主よ」
「失礼いたしました」
でも、少しだけ笑ってしまった。
その笑いがほどけたあとで、私はあらためて廊下のざわめきを聞く。
思ったよりまともだった。
助けたらしい。
でも怖い。
取り繕った。
殿下の前で。
助けた事実は残っている。
なのに、悪役の印象だけも残ろうとしている。
噂はいつも雑だ。
けれど今日のずれ方は、雑というだけでは片づけにくかった。




