2-4 心配だから一緒に行きたかったのに。
山越えも半分を終え、順調に目的地までの道筋を辿っていたある日のこと。
「ネリメア、俺どこか休める場所探してくるよ」
久方振りの雨が振った。
ぼたぼたと、勢い良く打ちつけてくる雨粒の塊が痛い。
枝葉の天井が形成された木の下で雨宿りをしているものの、風に吹かれる雨で濡れていた。
こんな状態では野宿はできない。雨に濡れた体は急速に体力を奪っていくから、動けるうちに場所を変えたい。
そう思って、肌に張り付いた前髪から水滴を払うネリメアに声と手振りで伝える。
激しい雨音で掻き消されてしまうから会話もままならない。
「――たし――く……」
「ん?」
大粒の雨に打たれてずぶ濡れになったのにネリメアは服を脱ごうとしない。ストールもケープも、だ。
濡れた服はじわじわと内に浸透して肌に貼り付く。
ネリメアはケープの下にさらりとした生地のワンピースをいつも着ている。
いくら視界が悪かろうが、異性の俺がいる前では流石に気になるはずだ。
俺だって気にする。
彼女の口元は隠れて見えないから、俺は聴覚を頼りにした。
屈んで彼女へと寄せた耳に吹き込まれた息。
「私も行く」
違うだろ、と即座に否定する。
ただの風だ。
タイミングが重なったから勘違いしただけだ。
肩に置かれた手が俺を勘違いさせた。
多分、ネリメアは背伸びをして俺の耳に顔を近づけている。
それで俺のじゃない体温を耳と頬に感じた。
だから、雨音によって囁きに聞こえる彼女の声から、その吐息を知った気になってしまった。
激しい雨ですらかき消せない彼女の香が、そうさせた。
「や、いい。ネリメアは待ってて」
もはや言い逃げである。
彼女の意思を無視して置き去りにした俺は、走り出した数秒後に振り返った。
心配になったのだ。
記憶に色濃く残る幼馴染は俺の後を追ってきたから。そうして何もないところで幼馴染が躓いては俺が謝るまでがお決まりの流れだったから。
もしかしたら彼女もそうかもしれないと途端に思ってしまった。
(馬鹿か、俺は)
前へ前へと駆け出す。
脳まで貫ぬくようにに鋭く降り注ぐ苦じゃなかった。
とにかく彼女の視界から消えたかった。
幼馴染の行動を彼女に重ねる自分が愚かだと分かっている。
それでも止められない。
止められないのに彼女の急接近に狼狽えて、逃げ出した自分が恥ずかしい。
(スリィだったらこんな気持ちにならなかったのに)
スカーフを下げて手を振るネリメアは、目元だけじゃなくて口元まで微笑んでいた。
耳にかかったのは彼女の吐息で間違いと、知ってしまった。
本来の目的を忘れた俺はがむしゃらに木々の奥に飛び込んだ。
◇◇◇
(――――あった)
旅立つまで滞在していた村は木材の伐採や木材加工、それらを元にする工芸を主としている。
ちょっとした依頼を任されていた時に、木こりのための山小屋はいくつかあると聞いていた。
獣道のなかでも人が通っていそうな足場を探して辿っていくと、ぽっかりと小さく開けた場所に出て、無事に見つけることができた。
馬を一頭育てられる厩舎や頻繁に使う農具を納める物置小屋と同じような、こじんまりとした山小屋である。
建てるために木を三本か四本切り倒していそうな空間は、生い茂る木々の隙間からでも気づきやすい。
(鍵はないんだな。有難いけど)
簡易的な閂は扉の外側にある。風や動物によって開くのを防ぐためで、人は制限していないようだ。
ドンドンと二度大きく叩いてから扉を開ける。
予想はしていたが無人だった。
真四角の部屋に年季の入った薪ストーブとランタン、煤けた布団が置いてある。
それと薪割りに適した小ぶりの斧。
それだけの簡素な小屋だ。
一歩室内に踏み込むと、床板がミシミシと音を立てた。どっぷりと濡れた上着がぼたぼたと水を垂らして床板の色を濃くする。
湿った重い空気は外も中も変わらないけれど、一時凌ぎの避難場所としては快適だ。
重たい上着を脱ぎ捨てたくなる気持ちを抑えて来た道を戻る。
遠くからは雷鳴が響きはじめていた。
(急がないと)
雷が近づく前に木の下から離れなければ危険だ。
最短のルートで戻りたいが、雨によって地盤が緩んでいるかもしれない。
多少遠回りでも一度通った道で戻ることにした俺はとにかく足を動かした。
ランタンの灯りで足元だけが照らされた真っ暗な獣道を抜けて街道へ。
そうして、街道を挟んだ向かいにある木の下に人影が見えた。
「ネリメア――……」
胸いっぱいに息を吸い込んで張り上げた声は急速に萎んでいく。
雨が土を穿って泥水が跳ねる。
怒号に似た雨音の中でネリメアは空を仰いでいた。
よくよく見ると、彼女は木の幹から少し離れた位置に立っている。
枝葉の傘を他所に、自ら雨に濡れていた。
打ちつける雨を心地良いと言いたげな横顔。
閉じられた瞼が物語っていた。
月のささやかな明るみが消えた暗闇になっているのに、彼女の白さは妙に浮いていた。
彼女だけが雲に遮られた月の光を浴びるかのように、闇夜の中でもとびきり目立つ。
夜目が効くらしく彼女は灯りを持たない。
それなのに、どうしてだろう。
(肌の蒼白さが関係してるとか?)
ネーレ族も皆こうなのだろうか。
人間と同じ姿をしているからつい忘れそうになるけれど、自分とも、もちろん幼馴染とも全く異なる種族だと実感する。
そんな彼女を俺は知りたくて堪らない。
後学のため。
理由はそれだけのはずだ。




