1-3 一日中待っててくれてたのにごめんね。
「兄さん、昨夜から朝にかけて水瓶の水を飲んだかい?」
目を覚まして食堂へ行こうと階段を降りた俺は、慌ただしく暖簾から顔を出したマスターに声をかけられた。
「俺は飲んでないよ」
「なら良かった!! 今朝方覗き込んだら、毒蛇が紛れ込んでだんだよ。ほんの少しの隙間でも入り込むから困ったもんだ。兄さんも気をつけてくれな!」
返事を聞くなり途端に笑顔になったマスターは被害が出ていないか気が気ではなかったのだろう。
「分かった、気をつけるよ。ちなみにその毒蛇って一体どんな?」
折角なので、俺は知りたかったことを聞き出す。
「ああ、旅人ならそりゃあ知っておきたいよな! よく見りゃ縞模様のある黒蛇でな、俺の親指くらいの細さなんだが、短くても1メートルはある」
「細身な蛇だな」
マスターが見せつけてくれた親指は太い部類だが、蛇として考えると細い。
興味津々に頷く俺に気前をよくしたマスターがガハハと豪快に笑う。
「さっきは毒蛇っつったが、大したことねぇさ。水に溶けやすい毒みたいなんだが少し腹を下すくらいで、二晩水に沈めて毒抜きすりゃあ蛇肉が食べれる。といっても、今じゃあ肉より水のが貴重だからなぁ」
「ありがとう。覚えておくよ」
「薬屋には解毒剤もあるから旅立つ前に買うといいぞ」
「分かった、助かる。それとさ、ネーレ族のケープを羽織った女の人がここに泊まってると思うんだけど、今何処にいるか知ってる?」
「ネーレ族のケープ? そもそもネーレ族てのを俺は知らねぇんだ」
「赤い飾り紐がついてる濃紺のケープだよ。長い髪を後ろでひとつ結びしてる人。彼女のおかげでその水を飲まずに済んだから礼を言いたいんだけど」
「ははん、そういうことかい」
顎髭をすりすりと撫でるマスターがネーレ族を知らないのは事実だろう。
けれど、俺の指してる人物に心当たりはあるに違いない。
にやにやと含みのある眼差しで見てくるから「本当に礼をするだけだから」と聞かれてもいない返事をする。
「あのお客人は出入りの時間帯が日によって違うから俺も詳しくはないんだ。悪いがどうしてもってんなら、食堂で何かつまみながら巡り合わせを待っててくれな!」
「分かった。今日は一件依頼引き受けてるから、明日そうするよ」
「おう! そんじゃあな、兄さん。たらふく食べて行ってくれよ!」
(この人は口が固そうだな……)
しかも商売上手だ。
食堂でお金を使えば、彼女に声掛けくらいはしてくれるかもしれないが。
(会えるかどうかは運試し――か)
寝ていた間に凝り固まった肩を回した俺は、仕事終わりで賑わい始める食堂で寝起きの”朝食”を摂るのだった。
◇◇◇
――翌朝。
畑の害獣駆除や農具の刃研ぎといった村人のちょっとした依頼を引き受けてきた俺は、宿の食堂へと直行する。
普段なら真っ先に部屋に戻ってひと眠りするのだが、マスターのアドバイスに従って食堂で待機することにした俺は、眠気と戦いながら果汁で割った炭酸水をちびちびと飲む。
彼女に会った時に酔っていてはまともな礼ができないからお酒は飲めない。
それに、日の出とともに活動する大勢の者にとっては今が朝食だ。
宿自体が太陽を基準にして経営をしているため、そもそも朝食メニューに酒はない。
幸いにして食堂を取り仕切っているマスターの奥さんは親切で、昨夜の余りのつまみをお酒代わりの炭酸水とセットで用意してくれた。
日の当たる窓際の席に座って、久しぶりの日光浴をしながらのんびりと過ごす。
正午の鐘がなると、人気のなかった食堂に何人かの客が入ってきた。
その中には見知った村人も数人いて、折角なので食事を一緒に摂る。
食事を終えて職場へと戻っていく彼らを見送って、暇人に戻った俺は食堂の後片付けを手伝うことにして。
その礼にと余りものの菓子とお茶をもらって、また窓際の席に戻った。
窓から射しこむ光が消えて、食堂内をランプが橙色に照らす。
彼女を待っている間に宿泊している他の旅人たちとも一言二言会話を試みた。
酒をぐいぐい飲む陽気な旅人からこれまで見聞きした経験談や噂話を聞いていたら、あっという間に夜は過ぎていく。
「悪酔いした大人もいなくなる時間に年頃の女の子は来ないよ」とやんわりと追い出されて部屋の寝台に寝転んだ俺は、丸一日かけたのに目的を果たせなかったことに頭を悩ませた。
(どっかで食事を済ませていたのか?)
朝も昼も夜も。
彼女は宿の食堂に姿を現わさなかった。
食事の後片付けを手伝った際にそれとなくマスターの奥さんに尋ねると「食堂で食べて行く時もあれば、買った軽食を部屋に持って行くこともある」と話していたのだが――
(明日は旅支度して、空いた時間にもう一回待ってみるか)
この村に滞在して一週間が経つ。
そろそろ次の町を目指したいのだが、旅立つ前に直接礼を伝えられるだろうか。
途中うたた寝はしてしまったものの丸一日起きていた俺は、布団に潜るとあっさりと眠りについた。




