2-6 そんなに噂話が気になるの?
下りから平坦な道に変わると、扉に看板をぶら下げた宿屋を見つけた。
日が昇るのを待ってから木々に囲まれた宿屋の扉を叩く。
扉につけられていたベルが鳴っても玄関ホールに人の姿はない。
「まだ早かったかな」とネリメアと話していると、店主らしき男がゆっくりとした足取りで顔を出した。
「朝早くにすみません。夕方まで部屋を借りたいんだけど部屋空いてる?」
額や頬に浅い傷がある、目つきの鋭い男だ。
俺よりも高い位置にある男の目が俺を見下ろし、背後に立つネリメアに視線を移す。
「夜通しで森を抜けたのか。構わないが、一泊分の料金はもらうぞ」
「それで良いよ。二部屋ある?」
「料金はひとり二ルーナ銀だ。二人一部屋なら多少はまけてやるが」
どうする? と聞かれる前に首を振る。
互いに銀貨を手渡して鍵を受け取ったネリメアを見送った俺は、前に泊った宿屋でも尋ねた話題を口にした。
「ラオリスで不審死が増えてるって噂を道中で耳にしたんだけど、何か知ってたら教えてほしい」
「知らないこともないが、人の死に様を言いふらすのもなぁ」
「幽霊に呪われたらおっかねぇしな」なんて、幽霊すら力技で倒してしまいそうな風貌で店主は口にする。
けれども、腕を組んだ指先では「金次第だ」とこれ見よがしに合図をしていた。
ポケットに手を突っ込んで、追加で銀貨をカウンターに置く。
「彼女を危険な目には合わせられないからさ。教えてくれると助かるよ」
この宿の宿泊料は高く設定されている。
俺とネリメアの年齢を見込んで、値引き交渉もするぞと示したのにあっさりと断ったから、金になると目を付けられているだろう。
盗賊に狙われる危険の高い立地で宿を営んでいる分、金稼ぎには抜かりがない。
情報を小出しにされても面倒なので銀貨を多めに出した。
その枚数を目視で把握した店主は上機嫌で懐にしまうと奥の部屋へと消えていくから、俺は手にしていた鞄を床において、マントの留め具に手をかける。
窓からは眩しい朝陽が差しこんでいる。
いつもなら木々の暗い茂みの中で眠りについている時間だ。
気を抜くと大きな欠伸が出てしまうので身軽になった肩を回した。
扉の奥に消えた店主はまだ姿を現わさない。
室内を見渡すと、壁際に置かれた大きな柱時計に目が留まった。
(珍しい)
時刻を示す時計はそれなりに高価だ。
平民には手が出せないから、一時間おきに町全体に響く教会の鐘で時間を把握する。
それなのに、玄関を通る全員の目に付く位置に置くなんて。
(よっぽど経営が上手くいってるんだな)
服の上からでも筋肉の厚みが目立つ店主が経営する宿屋だ。
そこらの盗賊には勝ててしまうのかもしれない。
(それか円満な関係にあるとか)
考えすぎるのは時に悪い癖になる。
あることないこと想像して、脳内では悪人の店主像が生まれてしまう。
よくないなと振り切って睡魔に意識を向けると欠伸が出た。
それを噛み締めながら雑念を取り払うと、ようやく店主が顔を出した。
両手のサイズに合わない小さな酒杯を携えて。
「疲れた体には酒が効くぞ」
「飲め」と豪快に勧められたので、有難くいただく。
悪人かもしれない――と先ほど考えていたけれど、アルコールが鼻につく酒を迷いなく飲み込む。
幼馴染なら決して疑わないからだ。
(……お?)
飲む直前の匂いはきついが、味は思いのほか飲みやすい。
「上手いだろ。俺は毎朝これで目を覚ましてるんだ」
「俺これから寝るつもりなんだけど」
「はははっ、寝る前の酒も大事だろ」
気前良く笑う店主の笑みに俺もつられる。
疑り深い自分が馬鹿みたいに思えた。
「そんで例の話だが、また死体が見つかったらしい。五日前の話だ」
陽気だった雰囲気が一転した沈んだ声が、故人を偲ぶような店主の人柄も表していた。
「五日前か。なら、まだ犯人はラオリスにいるかもしれないよな」
「不快な話なんだが、似た死に方をした遺体が見つかる間隔が日に日に狭まって、手口も荒くなってるようでな? 殺人衝動が抑えられなくなってんのかね」
言葉を放つごとに声が荒くなり、上げた肩をぶるりと振るわせた店主が俺を見据えた。
「もし犯人が捕まらずにいたら、いまにも誰かが殺されるかもしれない。お前たち夜道は歩かないようにしろよ」
「ああ、気を付ける」
つられて俺も神妙に頷く。
「けどさ、同じ殺され方ってどういう状態なんだ? 共通点があるんだよな」
「首元から血を流して倒れてるって噂だ」
「……他には?」
もったいぶっているのか、口に出すのが嫌なのか。
沈黙を急かすと顔を顰めた店主が酒を呷る。
「不思議な話でな。なんでも、出血死にしては地面に広がった血の量が少ないっつってな。自警団だけじゃ犯人が捕まらないから領主様の兵も出回ってるんだが、血を抜き取られた怪事件だと口々に話してる」
俺も同じように酒杯を傾けた。好みじゃない匂いに表情が曇る。
内心で高ぶる気持ちを抑えるのに丁度良かった。
「まあ、そもそも死体を見慣れない俺たちには血の量なんぞ分かる訳ないがな」
「そうだよな。俺も想像つかないよ」
「狙われるのはお前らくらいの若い連中が多いんだこれが。興味本位で関わろうとすんなよ」
「分かったけど、あと少し付き合ってくれ。もうひとつ別件で聞きたいことがあるんだ」
これ以上は知らないぞ、と言うように態度で話を切り上げようとした店主に俺は待ったをかける。
「独特な雰囲気の男が泊まらなかった? 痩せ型の長身で、生きてるか疑うくらい青白い肌の男。切れ長の赤い目が妙に印象的なんだけど」
続くのは、お決まりの探し人の説明だ。
特徴をひとつ伝えるごとに頷いていた店主は「お~、なるほどな~」と勝手に納得して「力になれなくて悪いが見てないな」と答えてくれる。
今回もネリメアの親族を探していると思われたのだろう。
幼馴染を殺した吸血鬼がネリメアと血縁と思われるなんて嫌な話だ。
即座に否定したくなるけれど、その後しなければならない説明は厄介だから勘違いを放っておくことにした。
(悪い、ネリメア)
俺は自分の目的を最優先にするからネリメアが思ってくれているほど優しくない。
「もし見かけたらここに連絡してくれないか? それと、その人には探してるってこと伝えないでほしいんだ」
「相応の礼はするよ」と紙片を手渡した俺は、空いている手で人差し指を天に向けて丸をつくりソリス金貨を示して見せる。
店主は任せろと言わんばかりに気前よく頷いていた。




