第8話 姫迷う
「あ、ここは?」
豊玉の姫は悠久の時を経て、人が住む地上の地を踏んだ。
「海・・・?」
白に彩られた無機質な空間で忙しなく頭を振りながら歩くと、小さな窓から船や海が見える。
ここは学舎であろうか。
「これを最終決定としたいと思いますが、如何でしょうか?」
冷たい声が教室から響く。はしたないと思いながらも声がする教室の窓から覗いてしまった。
「・・・はい」
憔悴し切った若い男が答えた。目だけはかろうじて光っている。その光りを敏感に察知した鮫のような顔をした女が嫌味ったらしく声をかけた。
「何やら不服がありそうな顔ですが」
「この、鮫!」憎たらしい顔に叫ぼうとした途端、首がのけ反る勢いで後ろに引っ張られた。叫べなかった。
「乙姫様、ダメです」
後ろからの声の方を見ると、小さな子がこちらを見つめている。何だ、この子供は?まじまじ見つめていると、子供がしゃべった。
「姫様、あの鮫の前にいる男は、浦島太郎様ですよ。今、会ったら、姫様の呪いで、また浦島は次の世に飛ばされてしまいますよ。姫を思うと記憶が無くなる呪いなんて、ちょっと残酷です・・・」
「其方は・・・亀か?」
「はい。浦島様を竜宮城にお連れした亀でございます。姫様と浦島様を引き合わせた亀にございます」
「其方、私を残酷と言うが、私の約束を一度ならず、二度も破った浦島を許せと言うのですか?」
「姫、浦島は約束を破ったのは一度ではありませんか?」
「何??」
「だって、姫様を思い出すと記憶が消えるのだから、姫様が渡した「玉手箱」を開けたのは、姫様と会いたくて開けたのではないですか?」
「そんな考え方があるのか・・・?ということは、私は一度の裏切りを許せずに、二度も裏切られた!!と思い続けたということか?」
「おっしゃる通りだと思います」
「だとしたら、早く会って話さなくてはならないではないか!」
「というか・・・。そもそも、乙姫様が浦島様を竜宮城に連れて来るように画策して私を地上に遣わしたのではないですか?」
「そうであったか・・・?何故に・・・?」乙姫は記憶が曖昧なのか、惚けた様子である。
「しかし、どちらにしても、会ってお話しをした方がいいと思います」
「どうしたら良いものだろうか?何と厄介な呪いだろう。この呪いをかけた者はよっぽど意地悪ですね・・・」乙姫は呟いた。
その呪いの張本人を目の前にして、亀は唖然とした。貴方の呪詛ですよと言いたくてたまらない気持ちを亀は抑えた。しかし、どうにかしないといけないという気持ちは亀も姫も同じである。
二人して、う〜ん、う〜ん、と唸っていると、一人の娘に声をかけられた。
「乙姫様ですか?」
「え?は?どなた様ですか?」
「水亀、アメノミナカヌシ様の遣いの者です」
その言葉を聞いて、姫の顔は明るくなった。
「先生のお遣いの方ですね」
亀は驚きの顔である。アメノミナカヌシ様が何者か分かっていないのだろう。
「ご安心下さい。浦島様と会わせて差し上げますよ」
「誠ですか?強い呪いがかかっているのですよ」
「呪いをかけたのが貴方なら、呪いを解けるのも貴方です」
「でも、私、解き方が分からないのです。先程、亀に言われるまで呪いをかけた事すら忘れてしまっていて・・・」
「今でも浦島様を恨んでいますか?」
「いいえ、アメノミナカヌシ様とお話ししてもう恨んでいない自分の心に気が付きました」
「では、参りましょう」
「参る?何処かに行かれるのですか?あの暗い顔をした男が浦島なのではないのですか?」
「あの男は浦島様の魂を持った男です。しかし、あの男は乙姫様が永らく会いたいと思った男ですか?」
「・・・」
「魂は汚れます。正直な気持ちをお話し下さい。アメノミナカヌシ様にも、素直になるように言われたのではないですか?」
「はい。正直な気持ちを言うと、私はあのような暗い雰囲気の者には惹かれません」
「そうですね。なので、然るべき場所で二人の再会の場をお作りします」
「お手間をおかけしますね。申し訳ありませぬが、お願い致します。私はかつての浦島太郎。いえ、ホホデミに会いたい」
その名を口にして、豊玉姫はポロポロと涙を溢した。よく泣くお姫様だ。
しかし、何百、何千生きていても、乙女の純粋な気持ちというものは変わらぬようですね。
それは神でも妖怪でも人でも何も違いは無いのかもしれない。
「では、豊玉姫様行きましょう」




