第5話 兼人と島浦
「浦島太郎の話って疑問があるよね?」片手で絵本を見ながら、せっせと絨毯の掃除をしてくれている茜ちゃんに声をかけた。
「どこに?」苛立ち気味に茜ちゃんが返事をする。
「勧善懲悪とか、寓話的な学びが無いというか、どこに学びがあるのかなって思わない?」
「学びはあるでしょう」茜ちゃんがバカを見るようにまじまじと僕を見た。その目にたじろぎを覚えながら返事をする。
「弱い者いじめはダメだよとか?」
「呆れた! よく先生は兼人にカウンセリングルームを任せたね。浦島太郎は学びでいっぱいだよ。兼人は人間なんだから私より共感できるんじゃないの?」
茜ちゃんの罵りと大きな声にびっくりした。そんなおかしな事言ったかな?
「あ、これも試験の一環か・・・?」茜ちゃんが顎に指を当てながら、うんうんとうなづいているが、その理由はさっぱり分からない。
「兼人!この試験クリアするまで、私に部屋を掃除させるなんて百年早い!」茜ちゃんは絨毯を掃除するガムテープが付いたコロコロを投げ付けて、ドアから出て行った。
「何なんだ、一体・・・?そして、試験はいつまで続くんだ?」と言い終わる前にドアがノックされた。
「あ、はい。どうぞ」
その声に応えは無く、部屋に入って来る様子も無い。仕方がないから席を立ちドアに向かった。突然、ドアが開かれ、茜ちゃんの睨む目と合った。猫の怒りの顔だ。瞳孔が細くなっている目だ。怖い・・・。
「ちゃんとしなさいよ」と小声で僕に言ってから、後ろにいた誰かに向かって言った。「こちらにどうぞ」
再び睨み付けながら言う。
「九条先生、島浦太一さんです。よろしくお願いします」
茜ちゃんは、僕を先生と呼ぶ事にムカついているのか、案内された男の背後から睨み続けている。姉さんのような目である。愛があると思う努力をしつつ、早くドアを閉めたいという思いを押し殺しながら笑顔で男を招き入れた。目の端に茜ちゃんの耳まで届きそうな口が裂けた笑みを見ながら。
「島浦様こちらにどうぞ」
島浦を名乗る男は見るからに疲れていた。元々低い背をさらに曲げ、何も言わずに目を合わせずに入って来る姿は妖怪っぽい。茜ちゃんクライアント間違えたんじゃないの?と思った。
その疑問を察したかのように、島浦は僕を見て声を発した。
「水亀詩乃先生・・・?」
「いえ、違います。九条兼人と申します。こちらのカウンセリングルームの責任者です」
「何故?水亀さんの名刺が胸ポケットに入っていたのか聞きたいだけなんだよね。だから、カウンセリングが必要とかじゃないんだよ」島浦は苛立ちを隠さずに感情をぶつけて来る。
『浦島太郎』に描かれる素朴で純粋で優しいという人格ではない。お酒が入っているのだろうか?言葉の強さとは裏腹に体は弱っている様子である。
では、なぜ、ここにいる?
そうか、危なかった・・・。クライアントの言葉を聞き過ぎた。当たり前だが、ここに来たという事は悩みがあるからだ。あと、水亀先生が名刺を入れたのだから、目の前にいる人物は、間違いなく浦島太郎なのだろう。
「こちらの椅子にお座り下さい」
リクライニングできる椅子に座るよう促した。このクライアントは、自らが何者か分かっていない。今の自分と魂がアクセスしていない。寝てもらって、夢で糸口を探してもらおう。茜ちゃんとか水亀先生だったら、もっと効果的で早い方策があるのかもしれないが、今回は僕のやり方でやらせてもらうと決めた。初めてのクライアントなのだ。気合を入れて僕のやり方でやらせてもらう。
しかし初めてのクライアントにしてはハードルが高過ぎないか?という不満と不安を飲み込んでクライアントと向かい合う。
「目を閉じて下さい」
「おかしな事するんじゃないだろうな」
「大丈夫です。何を話してもらっても守秘義務がありますし、何も話さなければ、昼寝して帰るくらいの気持ちでリラックスして下さい」
「自白剤とかじゃないだろうな?」
「ご心配なく。自白剤は値段が高いですし、ウチでは使った事が無いです。因みに、私は薬を扱う資格が無いので、薬を投与する事はありません。私が扱うのは言葉のみです」
「そうか・・」島浦は納得いったのか、胸の前で手を組み合わせ目を閉じた。
言葉ほど人を狂わす劇薬はないのですがね・・・。と思いながら、島浦の顔を見ると、改めて浦島太郎だなと思った。人が良さそうな寝顔をしている。島浦太一は、間違いなく浦島太郎なのだ。そして、何かに怯えているのも間違いない。




