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【完結】牢獄の霊嬢は、死刑囚の告白を聞き続ける  作者: 川浪 オクタ


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第6話 触れられぬ心

司法の闇に挑むアルノルト。

その支えとなる霊嬢との対話は、やがて“心”を揺さぶるものに変わっていきます。

 あの夜から数日が過ぎた。

 アルノルトは霊嬢との時間が、もはや単なる調査や慰めの場ではないことを認めざるを得なくなっていた。彼女と話すことで心が安らぐのは確かだったが、それ以上に、彼女という存在そのものに強く惹かれている自分がいた。


 この夜も、彼は秘密通路を通って地下三階の独房へと向かう。

 心臓の鼓動が、いつもより早く感じられた。


『今夜もお疲れ様でした』

 霊嬢の声が、いつものように優しく迎えてくれる。


「こちらこそ。また来てしまいました」

『「また」だなんて……私はいつでも、あなたをお待ちしています』

 その言葉に込められた温かさに、アルノルトの胸が高鳴った。


「今日は」

 アルノルトは少し照れたように言った。


「政務の話ではなく、もっと……普通の会話をしてみませんか」

『普通の会話、ですか?』

 霊嬢の声に、微かな驚きと喜びが混じった。


「ええ。あなたのことを、もっと知りたいのです」


『私のことを……』

 霊嬢が少し戸惑ったような声を出す。

『生前の私は、それほど興味深い人間ではありませんでしたが』

「そのようなことはありません」

 アルノルトは鉄格子に近づいた。


「例えば……どのような本がお好きだったのですか?」

『本ですか』

 霊嬢の声が明るくなった。

『詩集や物語が好きでした。特に、遠い国の冒険譚や、古い伝説の話などを』

「冒険譚ですか。意外でした」

『意外、とは?』

「もっと……優雅な恋愛詩などを好まれるのかと」


『恋愛詩も読みましたが』

 霊嬢の声に微かな笑いが込められた。


『冒険譚の方が胸躍りました。遠い海や未知の大陸、そこで出会う不思議な人々の話……』


「それは素敵ですね」

 アルノルトも笑みを浮かべた。


「僕も子供の頃、そのような本に夢中になりました」

『あなたも?』

「ええ。騎士の冒険譚や、魔法使いの物語。いつか自分も、そのような冒険をしてみたいと思っていました」

『今のあなたは、まさにその冒険の真っ最中ではありませんか』

 霊嬢が温かく言った。


『正義のために戦う騎士のように』


「そう言われると、確かに……」

 アルノルトは自分の状況を客観視した。


「子供の頃の夢が、思わぬ形で叶っているのかもしれませんね」


『きっと、幼い頃のあなたが見たら誇らしく思うでしょう』


 その言葉に、アルノルトは胸が温かくなった。

「あなたは……いつもそうやって、人の良いところを見つけるのが上手ですね」

『そのようなことは』

「いえ、本当です」

 アルノルトは静かに言った。


「死刑囚たちも、あなたと話すことで心が軽くなったのでしょう。あなたには、人の魂を癒やす力がある」


『……ありがとうございます』


 霊嬢の声が少し震えた。

 しばらく穏やかな沈黙が続いた。それは気まずさとは正反対の、心地よい静寂だった。


『あなたは』

 やがて霊嬢が口を開いた。


『音楽はお好きですか?』

「音楽ですか。ええ、好きです。特に弦楽器の音色が」


『私も弦楽器が好きでした』

 霊嬢の声に郷愁が込められた。

『リュートを少し弾くことができました』

「リュートリュートを!それは優雅ですね」

『夕暮れ時に、庭園でリュートを弾くのが好きでした』

 霊嬢が懐かしそうに語る。

『薔薇の香りに包まれながら、美しいメロディーを奏でる時間……今思えば、なんと幸せな日々だったことでしょう』


「聞いてみたかった」

 アルノルトが思わずつぶやいた。


『……』

「すみません。軽率なことを」

『いえ……』

 霊嬢の声が優しく響いた。


『もし可能なら、私もあなたに聞いていただきたかった』


 その言葉に、二人の間に特別な空気が流れた。それは恋愛感情とまでは言えないが、確実に普通の友情を超えた何かだった。


「もし……」

 アルノルトが慎重に言葉を選んだ。

「もし状況が違っていたら、私たちは良い友人になれていたでしょうね」


『友人……』

 霊嬢が小さくつぶやいた。

『ええ、きっと』

 だが彼女の声には、「友人」という言葉だけでは表せない何かが込められていた。


「あなたと話していると」

 アルノルトは正直な気持ちを口にした。

「まるで、ずっと昔から知り合いだったような気がします」

『私も、同じです』

 霊嬢が静かに答えた。


『不思議ですね。お会いしてから、それほど時間は経っていないのに』


「魂が通じ合う、ということでしょうか」


『……そうかもしれません』

 二人の間に、深い理解と共感が流れた。それは言葉では表現しきれない、特別な絆だった。


「これから先、どのような運命が待っているかは分かりません」

 アルノルトが真剣に言った。

「……ですが、あなたと出会えたことを、私は生涯忘れないでしょう」

『私も……』

 霊嬢の声に深い感情が込められた。


『あなたと過ごすこの時間が、十五年間で最も幸せな時間です』


 夜が更けていく。だが今夜は、二人とも別れを惜しんでいた。


「また……お会いできますでしょうか」

『もちろんです』

 霊嬢の声に、明らかな喜びが込められていた。


『私はここから動くことができませんから、いつでも』


「それでは、また近いうちに」


『お気をつけてお帰りください』


 アルノルトが秘密通路を通って去った後も、独房には温かな余韻が残っていた。


 二人の心に芽生えた特別な感情は、まだ名前をつけられずにいる。

 だが確実に、それは日々成長していた。


 そしてその感情が何なのかを理解する日も、そう遠くないのかもしれない――。


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