第14話 真実の刻
王の寝室は、異様な熱気に包まれていた。
ベッドに横たわる若き王フィリップは、高熱にうなされ、意識朦朧としている。額には汗が滲み、荒い呼吸が続いていた。
「陛下の容態は刻一刻と悪化の一途を辿っております」
侍医長が重々しく報告するが、その声はほとんど無視された。
王の寝室に集まったハインリヒ大公派の重鎮たちは、まるで死を待つハイエナのように、次の権力について議論していた。
「次期王位継承については、慎重に検討せねばならん」
「ハインリヒ大公殿下こそが、この国を導くに相応しい」
彼らの声は大きく、傲慢だった。まるで王がすでに死んだかのように。
寝室の隅で、王の側近たちが青ざめた顔で立ち尽くしている。侍医たちも、宮廷魔術師も、誰も何も言えない。
大公派の兵士たちが扉の外に控えているのだ。いつ「反逆者」として連行されるか分からない。恐怖が、彼らの口を塞いでいた。
「毒の正体が分からない以上、もはや手の施しようがない」
ある重臣が冷酷に言い放った。
「であれば、国政の空白を作るわけにはいかない。大公殿下に摂政を」
「待て」
侍医長が震える声で反論しようとした。
「陛下はまだ……まだ息をしておられる!」
「意識のない王に、何ができる?」
大公派の重鎮が鼻で笑った。
「このままでは……」
その時だった。
重い扉が勢いよく開かれた。
「お待ちください」
アルノルト・ベルクマンが、リチャードたちを伴って王の寝室に入ってきたのだ。
「ベルクマン伯爵……!」
大公が眉をひそめる。
「あなたは逃亡中の身のはず。よくもここに現れたものだ」
アルノルトはまだ毒の影響で顔色が悪かったが、毅然と答えた。
「王の危機に、逃亡も何もありません」
「陛下をお守りするのが、臣下の務めです」
「しかし、牢を抜け出し、逃げ回っていた男が」
「その件については、後ほど説明いたします」
アルノルトは大公派の兵士たちを見回した。彼らは武器に手をかけているが、まだ動かない。王の寝室で騒ぎを起こすことを躊躇しているのだ。
リチャード、ガレス、エドワード、マーカスも警戒態勢を取り、緊張が室内に満ちた。
「それより、陛下の命が危険です」
アルノルトは王のベッドサイドに歩み寄った。
「そして、陛下を毒殺しようとした犯人も知っています」
室内に緊張が走った。
「何を根拠に?」
「十五年前のエスタリード侯爵家の事件から、今回の冤罪事件まで……すべてが一つの線で繋がっています」
アルノルトは大公を見据えた。
「黒幕は、ハインリヒ大公、あなたです」
「馬鹿げている!」
大公が激怒した。
「心を病んだ男の妄言を誰が信じるというのだ。お前は牢獄で幽霊と恋をしていたそうではないか」
王の側近たちから失笑が漏れる。
「証拠があります」
アルノルトが懐から書類の束を取り出すと、エドワードがそれを受け取って広げた。
「これは大公派内部からの情報です。十五年前の偽造証拠の作成指示書、証人買収の金銭記録、そして今回のクーデター計画書」
エドワードが書類を一枚ずつ示すと、王の側近たちがざわめいた。
「偽造に決まっている」
大公が言い張ったが、証拠の詳細さに動揺を隠せない。
「これらの文書には、あなたの署名と印章があります」
アルノルトは冷静に指摘した。
「筆跡鑑定も可能です」
「それに」
アルノルトは続けた。
「これらの情報は、特別な方から入手したものです」
「特別な方とは?」
「牢獄の地下三階、最奥の独房におられる方です」
「誰だ?」
「エスタリード侯爵家の……令嬢です」
室内が静まり返った。
「エスタリード侯爵家の令嬢?」
「十五年前に処刑された女性ではないか」
「そうです」
アルノルトは覚悟を決めて言った。
「彼女は……霊として、この十五年間、牢獄で無実の囚人たちを見守り続けておられました」
今度は呆れたような笑い声が上がった。
「やはり狂っている」
「霊の証言など、証拠になるものか」
だがアルノルトは続けた。
「彼女は、すべてを見ていました。大公派の暗躍を、冤罪の手口を、そして真実を」
「証明してみろ」
大公が挑戦的に言った。
「霊がいるなら、ここに連れてこい」
アルノルトは一瞬言葉に詰まった。霊嬢は、牢獄の独房に縛られている。ここに来ることはできないはずだ。
「それは……」
その時だった。
突然、王の寝室に冷たい風が吹き抜けた。燭台の炎が激しく揺れ、窓が音を立てて開く。
「何だ?」
人々が騒然となった。そして、誰にも聞こえる声で、静かな女性の声が響いた。
『皆様、お聞きください』
室内が凍りついた。確かに女性の声が聞こえたのだ。だが、そこには誰もいない。
アルノルトと王の命の危機が、十五年間独房に縛られていた霊嬢の制約を打ち破ったのだった。
『私は、エスタリード侯爵家の者。十五年前、無実の罪で処刑された』
「ば、馬鹿な……」
大公が震え声で呟いた。
『ハインリヒ大公』
声は大公に向けられた。
『あなたは我が父を陥れ、家族を破滅に追いやった。そして今また、同じことを繰り返そうとしている』
「そんな……嘘だ!」
『十五年前の真相を話しましょう』
霊嬢の声が続く。
『父は王位簒奪など企んでいませんでした。ただ、先王の改革を支持していただけです。それが、あなたには邪魔だった』
王の側近たちが息を呑む。
『あなたは偽の証拠を作り、証人を買収し、私たち一家を破滅に追いやった。そして今、フィリップ王にも同じことをしようとしている』
「嘘だ!」
大公が叫んだ。
「霊などいるはずがない! すべて、ベルクマンの仕組んだ芝居だ!」
『では、これはどう説明なさいますか?』
次の瞬間、誰もが息を呑む事態が起こった。
突然、大公の周りに強い風が渦巻き始めた。小さな竜巻が彼を包み込むように舞い上がる。
「な、何だこれは!」
風はますます強くなり、ついに大公の体も宙に浮き上がった。彼は空中でもがきながら、何かにつかまろうと必死に手を伸ばす。
竜巻の中で、大公の懐中時計が踊るように舞い上がった。金色に輝く精巧な時計が、風と共に空中を飛び回る。
そして、時計の裏蓋がゆっくりと開いた。
だが、中は空だった。
『すでに王の毒のレシピは、王をお救いする方の元にあります』
霊嬢の声が響く。
『そして』
風がさらに激しくなり、大公の胸の内ポケットから、もう一枚の紙片が舞い上がった。
『こちらが、アルノルト様に盛られた毒の処方です』
「何ですって!」
侍医長が驚愕の声を上げた。
「ベルクマン伯爵にも毒が盛られていたのですか!」
「まさか……二人とも狙われていたとは」
王の側近の一人が震え声で呟く。
侍医長が二枚目の紙も受け取った。
「これは……おそらく、アルノルト様に盛られた毒の製法です! これがあれば、対応する解毒剤を調合できます!」
彼は興奮した様子で宮廷薬師たちに指示を出した。
「すぐに調合を! 急げ!」
宮廷薬師たちが慌ただしく動き出す。その間、室内では大公派の重臣たちが動揺していた。
「霊の仕業など、信じられるものか……」
「しかし、あの時計は確かに……」
重臣たちが困惑する中、大公が叫んだ。
「すべて手品だ! 何かの仕掛けがあるに違いない!」
大公が必死に否定するが、もはや誰も信じていない。懐中時計が宙に浮き、中から紙が出てくるなど、手品で説明できるはずがない。
『ハインリヒ大公』
霊嬢の声が再び響いた。
『あなたの罪は、もはや隠しようがありません。十五年前の真実も、今回の陰謀も、すべて明らかになりました』
その時、風が止み、大公の体がどすんと床に落ちた。
「……くそっ!」
大公はついに観念したのか、床から立ち上がりながら隠し持っていた短剣を抜いた。
「ならば、実力で王位を奪うまでだ!」
大公は王のベッドに向かって駆け出した。
「危ない!」
アルノルトが叫ぶ。
だが次の瞬間、大公の体が目に見えない力で押し倒された。
「何だ? 何が起こっている?」
大公は床に倒れたまま、何かに押さえつけられて身動きが取れない。まるで見えない手が、彼の全身を押さえているかのように。
『私が、お止めいたします』
霊嬢の声が厳かに響く。だが、その声は先ほどより弱々しくなっている。
『これ以上、無実の人々を犠牲にすることは……許しません』
「くそっ! 何者だ、貴様は!」
空中でもがく大公が叫んだ。
「私の時計を……私の秘密を……なぜ知っている!」
大公が床で暴れるが、見えない力から逃れることはできない。
その時――
扉の外で控えていた大公派の兵士たちも、室内の異常事態に動揺し、誰も行動を起こせずにいた。
「王の解毒剤が完成しました!」
宮廷薬師たちの声が響いた。
ベッドの王は、まだ意識を失ったままだったが、荒い呼吸が少し落ち着いているように見えた。
果たして、王は助かるのか。
そして、霊嬢の運命は――




