65、エドガーの目標
カーターは、とある部屋をノックした。
返事はないが、五秒後、ドアを開ける。
中にはーークッションに顔を押しつけ、声を押し殺しながら号泣している、エドガーがいた。
しばらく背を撫でてやると、やっと落ち着いたようで、布で顔中を拭って眼鏡をつけた。
「話を聞いていたのか」
その言葉に、エドガーは頷いた。
セオたちの会話を隠れて聞いていたエドガーには、カーターが伝言を伝える必要もない。
なぜなら、セオの推察通り、レオンに頼まれて護衛を襲撃したのは、エドガーだったからだ。
ーーただの家令見習いであるエドガーが、どうして護衛を倒せるほどの武力をもっているのか。
実はエドガーは、十歳頃くらいまで、某暗殺組織で育った。
そこにはたくさんの大人たちがいて、暴力と薬物、アルコールでできた世界だった。
毎日誰かが怒鳴っていて、それは怖かったが、一部の子ども好きの大人たちが世話をしてくれた。
エドガーは、気配を消して音を立てず移動したり、相手の行動を読み、気づかれないように接近する訓練を毎日行なった。
薬の塗られた針をチクリとするだけで、致命傷を負わせることができるからだ。
しかし、ある日を境に、だんだんと大人の数が減っていった。
エドガーには、それがなぜか分からなかったが、余計なことは聞かず、隅っこでおとなしくしていた。
そして、とうとう大人たちが数えるくらいになると、「新しい辺境伯を殺してこい」と命じられたのだ。
代替わりしたばかりの辺境伯は、気安いようで、供もつけず街をウロウロしているのだという。
エドガーは、薬をしこんだ針を手に暗殺に臨んだが、あっさりとその手を掴まれてしまった。
すぐに拘束され、失敗しても情報を漏らさないようにと、歯にしかけられていた毒も、一瞬で解除される。
「こんな子どもまで…もう容赦しねぇ」
怒ったレオンは、その日のうちに暗殺組織を壊滅に追い込んだ。
もともと暗殺組織があることを知り、ひとりひとり誘き出して捕まえていたのは、レオンたちだったのだ。
組織についてなにも知らないエドガーは、カーターの孫として、別邸で育てられることになった。
怖いことのない、新しい日々。
それに慣れると、レオンのように強くなりたいという気持ちが湧き上がってきた。
辺境伯では、強ければ強いほどいいらしい。
強くなって、みんなの役に立ちたいと思ったのだ。
だが、育った環境が環境だ。
みな反対をしたが、カーターだけは応援してくれたので、護衛に混じっての基礎鍛錬だけが許可された。
しかし、残念ながら、エドガーは鍛えても鍛えても筋力がつかず、剣の才能はかけらもなかった。
だが、レオンは「避けること」の才があることに気づいた。
「とにかく避けろ。ずっと避けてりゃ、向こうは自分が優位なんだと思い込む。いくら強くても、永遠に剣なんて振ってられない。勝手にへばってきたところで、蹴りでもなんでも決めればいい」
レオンがそう言ってくれた時、エドガーには一筋の光が差したように感じた。
それからは、毎日早朝に起き出して走り込みをしたり、護衛相手に攻撃の回避練習をしたりして、瞬発力やスピード、持久力を鍛えたのだった。
こうしてエドガーは、使用人であるにも関わらず、別邸の中では一位、二位を争う強者になったのだ。
護衛襲撃を誰が行うかという話になった時、レオンがエドガーに打診したのは、彼の強さを分かっていたからだ。
そして、エドガーも即答で引き受けた。
セオが故意に傷つけられたと聞いた時には、腸が煮えくり返るほど憤慨したからだ。
その仕返しができるなんて、願ってもない機会だ。
護衛たちは、恵まれた体格にかまけて、ほとんど鍛錬をしていなかったのだろう。
行動も遅いし隙だらけで、別邸の護衛の足元にも及ばなかった。
そのおかげで、わざわざ攻撃を避け続けることもなく、短時間で終わったのだ。
足の骨まで折ったのは、完全に私情だ。
そのことに一切後悔はしていないが、後ではたと気づいた。
セオは優しい。
自分が足をケガした仕返しに折ったりしたら、「やりすぎ」だと怒るのではないだろうか。
エドガーが下手人であることは、メイ以外の使用人が知っていて、箝口令が敷かれている。
だが、聡いセオのことだから、誰も言わなくてもエドガーが下手人だと気づくかもしれない。
まだそれだけならいいが、怒られたらどうしよう。
真剣に悩んだエドガーは、それなら同じ目に遭えばいいと考えた。
つまり、事故を装って自分の足の骨も折るのだ。
幸い、言及しなかったことでエドガーの足は守られたが、ゼロか百かしかない男、それがエドガーなのだった。
「よかったな」
エドガーの恐怖を知っていたカーターは、そう言って微笑んだ。
「…ありがとう」
エドガーの口の端がちょっとだけ上がる。
セオから怒られなかった安堵や、むしろエドガーの気持ちを慮ってくれたことから号泣してしまったのだが、少し気恥ずかしい。
「セオさまは、本当にお優しいな」
「うん。ーーじいさん」
「なんだ」
「…オレ、」
言い淀むエドガーを、カーターは辛抱強く待った。
やがて、エドガーは、震える声を絞り出す。
「オレ…将来、セオさまにお仕えしたいって、気持ちがある」
セオに出会うまで、エドガーはカーターの跡を継ぐと決めて、その努力だけをしてきた。
たとえ叶わなくても、その目標は生涯変わることはないと思っていた。
だから、こんな気持ちが湧き上がるなんて、数年前のエドガーなら考えもつかなかっただろう。
ーーましてや、口に出すなんて。
顔が上げられないでいるエドガーに、カーターは世間話をしているかのような口ぶりで答える。
「そうか。それじゃあ、また旦那さまにもご相談してみよう」
エドガーが勢いよく顔を上げると、カーターはいつもの顔で笑っていた。
「セオさまのご意向もあるだろうし、どうなるかは分からない。でも、お前の気持ちが聞けたことは、レオンさまはお喜びになるだろう」
「…ありがとう」
エドガーは、頬を意識的に動かした。
自分が思っている以上に、表情筋をがんばって動かさないと、笑顔にならないことは分かっている。
なんにせよ、エドガーの気持ちがレオンに伝えられるのは、春が訪れるころだ。
そしてその頃、飛び級の進級試験を受けたセオは、無事五学年になることが決まったのだった。




