56、文化祭での事件 ②
セオと王子は、文化祭で使われていない廊下に移動した。
菓子を選別するが、幸い、踏みつぶされた数個以外は無事だったようだ。
ほっとしたが、セオの表情は硬い。
なぜなら、第一王子が、それはそれは悪い顔で、笑っていたからだ。
「先ほどは、本当にありがとうございました」
「どういたしまして。これで貸し、一つだね?」
「はい。私にできることでしたら、なんでもおっしゃってください」
セオには、そう言うしか道はない。
一国の王子に助けられたのだ、当然だろう。
「そうだね。じゃあ、今後は、あの子との付き合いは控えてもらおうか」
「えっ!?」
あの子とはもちろん、ルークのことだろう。
思ってもみないことに、セオは目を丸くする。
その反応に、王子は目を細めて続けた。
「父様からも君のことは聞いてるよ。天才的に頭がよくて、『肥料』も君が開発したんだろう?そして、民に還元する形で全領に広げた」
「それは、国王陛下がお決めになられたことです」
「でも、元の考えは君だよね?」
「わたしのは、理想論でしかありえませんでした。国王陛下だからこそ、実現していただけたのだと思っています」
国王の手柄だと、セオは言い張った。
そうしなければ、「国王の手柄を奪う貴族」になってしまうからだ。
「それじゃあ、そういうことにしておこう」
「ありがとうございます」
セオは、深く頭を下げた。
これで話は終わるかと思うが、終わらない。
「みんな、きみを悪く言わないんだよね。父様もそうだし、レオンさまも、もちろんルークも」
「皆さま、とてもよくしてくださいます」
セオが答えると、王子は微笑んで、セオの耳元に口を寄せて言った。
「でも僕は、君のそういうところが気に入らないんだ」
「ーーーそうなのですか」
なんとなくそうじゃないかと思っていたセオは、ただ頷いた。
「そうなんだよ。だから、もうあの子に近づかないでくれ」
「あの、今日は昼食をいっしょに食べる約束をしているのです。どうか、それが終わってから」
「君は転んでケガをしているだろう?今から保健室に行きなさい。大丈夫、あの子たちにはうまく言っておくから」
「ケガなんてしていません!ですから、どうかーーー」
「無事なお菓子は君の代わりに届けてあげよう。無理はいけない。分かるね?」
「ーーーかしこまり、ました」
「じゃあね」
王子は、セオのものだった紙袋を持つと、立ち上がる。
「第一殿下!わたしは決して、第二殿下だから仲良くさせていただいたのではないのです!それだけはどうか、ご理解を!」
セオの言葉に、王子は振り返ることもなく、その場を後にした。
後に残されたのは、セオと、形が崩れた菓子だけだ。
周囲には、誰もいない。
「ーーーっく、」
セオの喉の奥から引きつったような声が漏れ、ぼろぼろっと、両の目から涙があふれ出した。
今更ながら、倒れた時に打ったであろう右の肩と足首が、じくじくと痛みだす。
本当は、わんわん泣いてしまいたかったが、誰か来たら大ごとだ。
セオは、ハンカチで必死に声を押し殺しながら、大泣きした。
途中、おなかがきゅうっと鳴ったので、お菓子を食べた。
ぺちゃんこだが、個包装だったから中身は無事だ。
一口頬張ると、本当なら、二人といっしょに食べていたのにと思ってしまって、また涙が出てきた。
延々と泣いて、泣いて。合間にお菓子を食べて。
涙も枯れた頃、セオは近くのトイレに行き、ハンカチを水で濡らした。
五分程目を冷やす。
幸い、瞼も腫れていないし、泣いたことは分からないだろう。
その後、セオはゴミをゴミ箱に捨て、マスクは予備のものと交換した。
カバンの中に、濡れたハンカチとマスクはあるが、それらは帰って洗濯に出せばいい。
左足に体重をかけると、かなり痛い。
セオは、足を引きずりながら保健室を訪ねた。
右肩は赤くなっていた程度だったが、左の足首はひどく捻ったのか、腫れつつあった。
少し触られただけでも痛みが走る。
保健医は、足首を包帯で固定し、自分で冷やすようにと、セオに氷嚢を渡す。
処置が終わると、書類に記入しなければならないからと、ケガの原因や状況について尋ねてきた。
セオは、ブラッドリーとのことは話さず、自分で転倒したと言い張った。
第一王子が絡んでいるから、下手に話さないほうがいいと思ったのだ。
「応急処置はしたけど、今日は帰って、かかりつけの医師に診てもらった方がいいと思うわ」
「分かりました」
「担任の先生は誰かしら?」
「ランドルフ先生です」
「あら、三年生なの?」
少し驚いた保健医だが、なにやら飛び級をした天才児がいたと聞いたことを思い出す。
だからかと、別の面でも納得した。
こんなに腫れていたら、痛さで大泣きしても、文化祭というお祭りを早退したくないと、駄々をこねてもおかしくないのに、常に落ち着いているのだ。
賢さが大人っぽいふるまいにつながっているのだろう。
「失礼したわね。じゃあ、私は、ランドルフ先生に知らせて、おうちの人に迎えに来てもらうように手配してくるから、ここで待っていてくれる?」
「分かりました。ぼくのクラス、片付けしててバタバタしてると思うんです。だから、ランドルフ先生には、事後報告にしてもらえませんか?」
「分かったわ。それじゃあ、ちょっと待っててちょうだいね」
保健室を出た保健医は、職員室に向かった。
暇そうな先生に、セオのことを伝えて、家への連絡を頼んだ。
そして、もうひとり別の先生を従えて、セオのクラスに向かう。
事後報告にとセオには言われたが、ランドルフには先に伝えておくべきだし、セオにも会うべきだと思ったからだ。
廊下にランドルフを呼び出して事の顛末を伝えると、やはりランドルフはセオの様子を見に行きたいと言った。
「もちろんよ。そのために、この先生に来てもらったんだから。それに、セオドアくんは、ランドルフ先生には、きっと来てほしいと思うの」
大人びた子どもの「来なくていい」は、「来てほしい」と同義語だと、保健医は知っている。
うまく甘えることができない子どもを、たくさん見てきたからだ。
クラスの子どもたちは、急用ができてランドルフが抜けるのを聞くと驚いていたが、食い気味に送り出した。
代理の先生が若くて明るくて人気があるからかと、ランドルフは少ししょぼんとしたが、そうではない。
まだ、セオだけがクラスに戻ってきていなかった。
セオになにかあって、ランドルフが呼び出されたのかもしれないと思ったからだ。
ランドルフが保健室に現れると、セオは、目を丸くして驚いた。
「ランドルフ先生?クラスは…」
「別の先生に頼んできたから、大丈夫だ。それより、セオ。ケガをしたと聞いた」
「え、ぇと。ちょっとだけ」
「足首も、ひどく腫れていると聞いた。…痛いな」
ランドルフの言葉に、セオの眉がへの字になった。
少し涙目にもなっている。
「…うん。ちょっと、痛い」
「セオのちょっとは、だいぶだろう。よく我慢してたな」
ランドルフがセオの頭を撫でると、枯れたはずの涙が、また出てきた。
セオは止めようとしたが、保健医がタオルを渡してくれたし、ランドルフはよしよしを続けている。
セオは、さっきと違って声を出してわんわん泣くことができた。
その光景を見ながら、保健医はランドルフを連れて来てよかったと思う。
大人びた子は、自分の負の感情を封じるのがうまい。
だから周りは騙されて、この子は辛くないのだと思ってしまう。
けれど、感情はいつまでも封じきれるものではない。
吐き出さないと、いつまでも溜まっていってしまう。
セオにとって、ランドルフが信頼できる大人だったからこそ、泣くことができたのだろう。
セオが泣き止んだ頃、辺境伯家から迎えがやって来たと報せがあった。
来客室までは、ランドルフが背負って連れて行ってくれることとなった。
背負ったセオが、軽くて驚くランドルフ。
「軽いな。セオ、もっとご飯を食べないと、大きくなれないぞ」
「それ、だいぶ前に、同じことをレオンおじ上にも言われました」
「…そうか」
ーーーそれは、あまり成長していないということでは。
一瞬の沈黙に、セオはランドルフが思ったことを悟った。
「僕は、ちゃんと食べてますよ。背だってこれから、ランドルフ先生に背負ってもらえないくらい、にょきにょき伸びますから」
若干、早口のセオに、ランドルフはかすかに笑う。
「あっ、今、むりだって思いましたね?」
「そんなことは思っていない。俺も、セオくらいの時はチビだったからな」
「じゃあ、どうやってそんなに背が伸びたんですか?」
「…よく食べ、よく眠ったな」
「もうそれやってます!」
悲痛なセオの叫びに、ランドルフは苦笑するしかできないのだった。
そうこうしているうちに、来客室に辿り着き、ドアを開ける前、ランドルフは静かに言った。
「…セオ。私は、君の担任だ。力にはなれないこともあるかもしれないが、いつでも話を聞くことはできるからな」
「…ありがとう、ございます」
ランドルフは、なにかあったのだと勘づいている。
しかし、セオが言わないということは、言えないのだと理解してくれているのだろう。
その気持ちが、今のセオには、とても嬉しかった。
来客室には、エドガーと護衛二人が待っていた。
馬車を回す時間を惜しみ、走ってやって来たのだという。
護衛のひとりがセオをだっこしてランドルフから降ろし、もうひとりの護衛に背負わせた。
続いてランドルフが目配せをすると、護衛たちは、しっかりとセオの身体を支えて、くるくる回ったりしてふざけだした。
セオは、きゃっきゃと楽しそうだ。
その隙に、ランドルフとエドガーは廊下に出る。
「セオくんは、ひとりで転んでケガをしたと話していたそうですが、いつもと様子が違っていました。もしかしたらなにかあったのかもしれません。もし、話を聞けるようでしたら、聞いてみてください」
「かしこまりました」
「もし、なにか分かったら教えていただければ助かります。私にできることは、最大限協力しますので」
「ありがとうございます。どうかセオさまを、よろしくお願い致します」
エドガーは深々と礼をし、ふたりは来客室に戻った。
そして、セオは護衛におぶられたまま、屋敷に帰ったのだった。




