45、イアンたちのために②
ジョンがイアンとの話し合いを急いだのは、夏休みも終盤に差し掛かっていたからだ。
翌日には日程が組まれ、セオはジョンとともにイアンの屋敷にやってきた。
「イアン、来たよ!」
「ようこそいらっしゃいました、セオさま」
セオは、執務室の椅子に座っているイアンに突撃してハグをする。
イアンは余裕の顔で受け止めるのだが、よろめいたが最後、セオは遠慮するだろうから、こっそり腹筋や両腕を鍛えるようになった。
その成果が出ているのか、最近は多少勢いがついていても、余裕で受け止めることができている。
ハグし終えたセオは、ご機嫌でソファに座った。
すでにお茶の用意がされており、人払いもされている。
「それで、本日はこの屋敷の今後の話…とあったのですが、一体どういったことなのでしょうか?」
「あのね、ぼく、考えていることがあって」
セオは、昨日、ジョンに伝えたことをイアンにも説明をした。
「なんと…なんということでしょうか」
イアンには、その言葉を絞り出すのが精一杯だった。
適齢期に結婚をしたイアンは、この屋敷を継いだ。
妻は子どもが好きで望んでいたが、中々子宝には恵まれず、五年ほどして同居していたイアンの両親は相次いで旅立った。
二人だけで住むにはあまりに広すぎて、妻と二人で「困ったな」「困ったわねぇ」と言い合っていた。
そんなある日のことだった。
仕事帰りのイアンは、馬車の中から、倒れている子どもを見つけて、驚いて馬車を停めさせた。
民家なんてない、森の中だ。
髪もぼさぼさ、ボロボロすぎて布切れのような服をまとっていた。
声をかけるが、目を閉じたまま動かない。
しばらく様子を見ていたが、周囲には誰もいない。
夕暮れ時で、あたりはどんどん暗くなっていく。
「旦那さま、きっとその子は口減らしにあったんでさあ」
御者にそう言われ、イアンはたまらずその子を屋敷に連れ戻った。
「あらあら、まあまあ!」
妻は驚いていたが、かいがいしく世話をし始めた。
食事を食べさせ、風呂に入れ、布団で寝かしつける。
ラルフに診察してもらうと、ひどい栄養失調で、もしかしたらということもあるかもしれないということだが、幸い、少しずつ回復していった。
しかし、元気になっても視線が合わないし、手探りで移動している。
再度、ラルフに診てもらって、目が見えないことが分かった。
「でも、耳は聞こえてるし、きっと大丈夫よ」
妻は、あっけらかんとそう言って、世話をし続けた。
気が付けばひとり、ふたり…と、子どもたちは増えていき、あっという間に大家族になった。
金銭的な問題で育てられない、望んだ妊娠ではないから預かってほしいと、相談しに来る母親もいた。
中には、障害がある子もいたが、妻は、どんな子でも引き取った。
さすがに子どもの数が二桁ともなると世話が大変になる。
イアンは、その頃から視察で留守にすることが多くなり心配したが、見かねた近所の奥様方が、助けてくれることになったらしい。
たまに帰ると、妻は、本当に楽しそうに子育てをしていたので、イアンは安心したのだった。
それから十年ほど経ったある冬の日、視察先にいたイアンに、使いの者がやってきた。妻が突然倒れて、儚くなったという。
すぐに帰ることにしたが、不運なことに、一番遠い領地にいたため、馬を飛ばしても一週間かかった。
戻った時には、葬儀もなにもかも終わっていて、イアンが案内されたのは、真新しい、真っ白な墓の前だ。
呆然と突っ立ったまま、どのくらい経っただろうか。
「イアンさま、迎えに来たよ。帰ろう」
小さな声と、袖先の服を引っ張られる感覚に、イアンはゆっくりと振り向いた。
大きな夕日を背に、子どもたちがずらりと並んでいるが、どんなに目をこらして探しても、妻はいない。
ーーーその瞬間、あぁ本当に妻は天国に行ったのだと分かった。
だって、いつも子どもたちのそばにいる妻が、子どもたちだけで外出させるはずがないのだから。
力が抜けたイアンは、地面に座り込んだ。
目からは、後から後から涙がこぼれ落ちていく。
「イアンさま、泣かないで」
集まってきた子どもたちは、そう言ってイアンを取り囲んで、慰めてくれた。
冷え切っていたイアンの身体は、あっという間に温かさを取り戻したのだった。
その後、暗くなるまで大号泣したイアンは、真っ暗な夜道を子どもたちと一緒に帰った。
いつの間にか、胸の中にあった、どんよりとした重い気持ちはなくなってすっきりとしていた。
「みんな、ありがとう」
泣きはらした目のイアンがそう言うと、子どもたちは「いいよ!」と、笑った。
驚くことに、子どもたちは全員でイアンを迎えに来てくれたらしい。
目が見えない子や、足が不自由な子も、ほかの子が助けてここに来たのだ。
ーーーきっと、イアンはこのままいつまでも動かない。
そう思った天国の妻が、子どもたちを誘って迎えに来てくれたのだろう。
家に帰ると、大捜索隊が組まれており、イアンも子どもたちもこっぴどく叱られたが、しっかり謝って許してもらったのだった。
その後。
今後のことを考えたイアンは、出張のない、別の部署に異動することを考えていた。
妻に代わって子どもたちの世話をする必要があるのではと思ったからだ。
だが、仕事人間だったイアンに、その代わりが勤まるはずもない。
近所の奥様方に相談すると、
「子どもたちのことは、私たちで面倒見るから大丈夫
。イアンさまは、この子たちのためにしっかり稼いできてよ」
と言ってくれたので、イアンは言葉に甘えさせてもらうことにした。
屋敷には、妻との思い出も多い。
思い出すと辛いので、今はまだ少し距離を置きたいと思ったからでもある。
その日から、イアンは子どもたちのために、がむしゃらに働いてきた。
自分たちが引き取ったのだから、子どもたちを食べさせていくのは義務だと思っていた。
だから、領主が育てるべきだというセオの考えは衝撃的だった。
「でも、仕事をしてもらうのは、どうかなぁって思う部分もあるんだ。仕事をすることで、姿勢や責任を学んだり、対価をもらう喜びも感じられるのはいいと思う。でも、子どもの仕事は遊ぶことだよ。中には働きたくない子もいるだろうから、義務にはしたくないんだ」
ジョンとイアンは、自分を棚に上げて何を言っているのだろうと思った。
そして、子どもらしくないことを自覚しているセオは、無言のツッコミを感じ取り、小さく咳ばらいをして続けた。
「だ、だから、まずは子どもたちの意見も聞いてほしいんだよ。仕事をしてみたいか、してみたいならどんな仕事がいいか。見たことなかったら想像がつきづらいかもしれないから、ある程度はこっちで絞る必要があるかもしれないけど」
「分かりました。それでは、子どもたちには私から意見を聞いてみましょう」
「うん、お願い。それに、地域の人も巻き込んでいきたいと思うんだ。子どもたちだけで働くのは無理があるだろうからね。例えば、仕事を引退したご老人とかか来てくれれば仕事の精度も上がるだろうし」
セオがそこまで言ったとき、「失礼します」と、ジョンの体温チェックが入った。
「もう、昨日も言ったけど、元気だってば!」
「失礼いたしました。昨日おっしゃられていないことが増えていましたので」
そう言われてしまっては苦笑するしかない。
そんなセオに、イアンは口を開く。
「セオさま、本当にいろいろお考えくださり、ありがとうございます。子どもたちのことは、私が最後まで責任を持たなければと思っていましたので、補助金が出ることはとても心強いです。仕事については、子どもたちに意見を聞いてみないとなんとも言えませんが、選択肢が広がることはありがたいと思います」
その言葉を聞いて、セオは満面の笑みで鼻からむふーっと息を吐いた。
イアンに感謝されて、よほど嬉しかったのだろう、かなりのドヤ顔だ。
めったに見られない表情に、ジョンとイアンは、顔を見合わせて笑ったのだった。




